神社まで急坂でした。景色は抜群。立地よきです。神社裏手は遺構が残っておりました。
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2023/05/07 18:56
2023/05/07 18:50
重忠公の家臣 (2023/03/11 訪問)
本田氏のお城です。今でもご子孫が住んでいます。裏手には土塁があるらしいですが控えました。
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2023/05/07 18:45
2023/05/07 18:40
2023/05/07 18:31
片桐陣屋・長野県松川町 (2023/04/28 訪問)
飯田藩脇坂氏によって1626年御茶屋御殿が築かれ
脇坂氏が1672年転封になると天領となり天領陣屋として
利用されたのが片桐陣屋のようです。
数年で建物が倒壊したのを機に宿場にある問屋大沢邸が
仮陣屋として利用されたが1677年近くに創設された
飯島陣屋に統合され廃止されたようです。
三州街道の西側に陣屋跡地はあり
街道からは少し高台にあります。
そこからは眺めが良く南アルプスがよく見えます。
大沢邸には幕末水戸浪士武田耕雲斎も宿泊したようです。
長屋門は2009年に再建されたものです。
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2023/05/07 17:37
山城 (2023/05/02 訪問)
パンフレットはセルフサービスです。城跡保存のため寄付しましょう。登城後は山岡まであしを延ばしてカツ丼食べて来ました。
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2023/05/07 17:31
川中島 (2023/04/30 訪問)
戦場跡とセットでどうぞ
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2023/05/07 17:23
難攻不落 (2023/04/29 訪問)
松本から行きましたが山越えが大変でした。
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2023/05/07 17:04
3月11日・景徳院。 (2023/03/11 訪問)
武田氏滅亡の3月11日、勝頼公の廟所、景徳院にお参りに行ってきました。
この時期に行くのは4回目。18きっぷ(1回目)利用です。
甲斐大和駅で下車後、まずは武田勝頼公像の元へ。いつもと変わらず凛々しい立ち姿です。
景徳院へ向かう坂の途中、四郎作古戦場、鳥居畑古戦場で手を合わせ、姫が淵へ。姫が淵には最後まで勝頼と行動を共にした北条夫人と16名の侍女たちの姿が描かれたレリーフがあります。
景徳院では没頭地蔵尊、生害石、一族の墓、辞世の句碑などひとつひとつをゆっくりまわり参拝しました。
いつもはここまでで下山するのですが、今回は「土屋惣藏片手切」と「勝頼公思案石」まで行ってみることにしました。
竜門峡、日川渓谷レジャーセンターへと続く道を20分くらい登った左手に「土屋惣藏片手斫遺蹟」の碑がありました。最期まで勝頼公に従った片手千人斬り、昌恒さんの忠義を伝える場所。行けてよかったです。
「勝頼公思案石(大蔵原思案石)」はさらに5分ほど登ったレジャーセンターの中のようです。
しかし、着いたー!と思ったら「冬季休業中」の張り紙とバリケード。3月末までお休み。少し早すぎました。残念ではありましたが、いつかきっと。
甲斐大和駅まで戻り、再び勝頼像を見に行くと、朝通った時にはなかったお花が手向けられていました。
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2023/05/07 17:00
【かるた】鳥取城の読み札
・砂丘には行かないけれど。鳥取城
・巻石垣 アートな演出 鳥取城
・像となりて 経家帰還す 鳥取城
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2023/05/07 16:58
【かるた】和歌山城の読み札
・御橋廊下 そろりそろりと 和歌山城
・石垣の 変遷たどる 和歌山城
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2023/05/07 16:56
【かるた】高取城の読み札
・七曲り 猿石待ってる 高取城
・山城の 極み知らしむ 高取城
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2023/05/07 16:53
2023/05/07 15:51
伊那路城散歩・空堀と新録の鈴岡城 (2023/05/02 訪問)
伊那路城散歩、設楽城、山本陣屋を終えて3城目、山本陣屋からは国道153号線経由直線で6~7km程、二の丸南西下入口の第一駐車場に駐めて、下からじっくりと城跡を味わって登って行く。
公園化整備されても、空堀は良く残っており整備も良く行き渡っている、当日二の丸公園は園児と父兄で大賑わい、つつじが咲きそろい、藤棚の藤も紫の房が長く垂れ新緑の鈴岡城に彩を添えている。
前回は平成28年3月の登城、7年振りの再登城です。
散歩ルートは、二の丸南西の外堀と切岸を眺めて西の外堀、虎口を通て二の丸内部に二の丸北西部は駐車場とトイレ、二の丸南側は広場に遊戯機器が設置されて格好の園児たちの遊び場。本丸は西と南に広くて深い空堀が囲み、本丸はつつじと藤が咲いている、北側の出丸、出丸は堀切が西、南、東と回り崖から落ち込んでいる、北は松尾城への虎口坂道、毛賀沢川の水路橋を渡ると松尾城のエリア、今回は出丸で松尾城を眺めるのみ。
新緑の中、外堀、内堀、出丸堀切、外堀から東に続く横堀と見所の空堀を堪能しました。
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2023/05/07 15:31
八王子山台場 神奈川県鎌倉市 (2023/05/02 訪問)
腰越漁港からすぐの「しらすや」さんに生しらすを食べに行きました。
平日とはいえGW期間なので待ち時間は1時間以上。
少し近隣を散歩しました。
台場のあとには現在小動神社が建っています。
設置当初は八王子山遠見番所と呼ばれ、相模湾に入る異国船を監視、通報するために置かれました。
小動神社の展望台の左手にあったそうです。
台場からは江ノ島もよく見えました。
目的の生しらすも美味しくいただきました!
この時期、海藻のアカモクもおすすめですよ。
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2023/05/07 15:24
大きな空堀が残る西尾氏の城 (2023/05/04 訪問)
西尾式部道永が文安年間(1444年~1449年)に築き、岩倉の織田伊勢守信安に仕え、この地方一帯を領したと云われます。
その後、織田氏の家督争いからこの地を離れ、天文17年(1548年)頃に廃城となったとされます。
北西側は道路や宅地の開発で削られ、本丸、背後の大堀切は現存しませんが、白山神社一帯の山林に遺構が残されています。
白山神社にある説明板に復元図がありますが、見て回った地形とは少し違っているように思われ、復元図にある各曲輪がどこなのか、よく分かりませんでした。
段曲輪や土塁がありましたが、後世の改変の部分もあるかもしれません。
山林を探し回ると、竹薮の中に遺構と思われる空堀が3箇所で見られました。
白山神社の南東側の曲輪を数段下った先にある空堀は特に見応えがあり、深くカーブし長大でした。
この空堀が復元図にある空堀だとすれば、白山神社がある曲輪は復元図で描かれておらず、白山神社は腰曲輪と馬場の間辺りではないかと想像します。
尾張の平山城では街中に大きな空堀が残された貴重な城だと思います。
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2023/05/07 15:18
稲荷神社から登城。 (2023/05/06 訪問)
急に日差しが強くなってきたGW。
5月6日に「岡本城」で迷いました。
宇都宮氏の家臣 岡本 富高さんが築城しました。
公民館から入れるとの情報ですが見つけられず、小学校の坂を下り、左手に曲がった所にある 稲荷神社から「岡本城」に攻め込みます。
高い木々に日差しが遮られ、ホッとしていたら階段です。上った所に右側方向に階段が続き鳥居がありました。
その先に大きな空堀がありました。土塁もあります。
奥にも行けそうですが、雑草が元気に育ってます。
右側に続く階段とは別に、真っ直ぐの道があります。ソーラーパネルとフェンスがあり、多分この先に本来の「岡本城」の入口があるのだと思います。
説明板はこの先か?と、進みたい所ですが、畑があり躊躇してしまいました。
あと、フンコロガシ(?)の作品がありました。私、実際に作品製作してるところを見たことがないので見張っていたのですが、虫は出てきませんでした。
暑いので退陣。
季節の変わり目。
カバンに虫除けと日焼け止めを入れる事を思い出した「岡本城」攻めでした。
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2023/05/07 15:16
2023/05/07 14:54
❴かるた❵ 福山城の読み札 (2023/04/26 訪問)
よみがえる 鉄板張りで 福山城
移築されて 伏見櫓が 福山城
10万石が 100万石で 福山城
昨年、北側の面だけ鉄板張りでリニューアルオープンした
福山城博物館です。
水野勝成の時代に甦りましたね。
伏見城から移築された伏見櫓は福山城のシンボルとなっていますね。
水野勝成は、10万石の所領で有るにも関わらず100万石に匹敵するお城を福山城に建てたのです。
だから、北側だけ手薄になり鉄板を張り防御を強化したのです。
それでは何故、100万石に匹敵するようなお城を建てたのですか?
これは、西国大名(そのほとんどが豊臣の恩顧の大名)に対して、徳川幕府の権威を見せつける為でした。
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2023/05/07 13:45
藩祖政宗公を訪ねて (2023/05/05 訪問)
仙台藩祖政宗公の霊廟瑞鳳殿の修繕がなったと云う新聞記事を読み仙台に出かけました。あわせて地震被害の修理を終えて仙台城本丸跡に戻った政宗公騎馬像も見たいと思ったからです。
混雑を避けようと午前9時には瑞鳳殿駐車場前に到着したのですが既に満車。コロナ禍沈静?後のGWで県外ナンバーも多く、杜の都仙台市と政宗公の人気をあらためて感じました。
瑞鳳殿本殿は経年劣化で剥がれた金箔・黒漆などを塗り直して鮮やかな色彩を取り戻して輝くばかりの美しさ。また本殿内に収蔵される政宗公の木像も修復されて公開されており手をあわせることができました。
また瑞鳳殿本殿の至近に明治10年(1877)に建立された、仙台藩士、旧幕臣、米沢藩仙台応援隊士など殉難者1,260名および民間の犠牲者を弔う戊辰戦争弔魂碑があります。自身ここ数年戊辰戦争の古戦場を訪ねていますがここでも殉難者に手をあわせることができました。
瑞鳳殿をあとに仙台城本丸跡を目指しますが、大手門跡から登る車道は一般車両は未だ不通であり、東北大学工学部を通る迂回路となっています。こちらも多くの観光客が修理を終えた政宗公騎馬像の前で記念写真を撮っていました。大手門側からの歩道は開通しており天気も良く徒歩で登城の方たちも多くいらっしゃいました。
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