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カズサン

掘尾吉晴公像と二の丸下の段(4/4) (2023/10/04 訪問)

 掘尾吉晴公像が大手門馬出の大手口に立てられています、松江城を築城指図してるような構えです良くできています。丁度お昼時大手門駐車場は朝の10時頃とは違い空いていました。
 二の丸下の段に在る観光案内所により資料ゲットし、隣のちどり茶屋で昼食「三段の割子ソバとシジミの味噌汁」を頂く事で出雲名物を頂く事に成ります、シジミの味噌汁が美味かった!。
 トイレを済まし二の丸下の段探訪、広場に成っており良く手入れがされて居る、当日も作業をされて居ました、下の段の天守台側石垣城塁が長くて見事、中ほどに出隅の横矢掛りは備わってる、堀側の石垣は内土塁の構造、北惣門橋から堀川遊覧舟の運航を眺め、新しく出来た松江歴史館を眺めて帰路、北の丸跡、護国神社、城山稲荷神社、稲荷橋を抜けて出城、北の内堀越し塩美縄手、角では小泉八雲の旧宅が目に入る。疲れた足で車を駐めた城山西駐車場へ、約2時間ほどの探訪散策でした、いつ来ても楽しい城探訪でした。
 

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カズサン

二の丸と大手門跡・馬出(3/4) (2023/10/04 訪問)

 本丸北ノ門から入り本丸内、国宝天守閣を十分眺めて二の丸上の段へ、二の丸は建物が復元されて居り、北より太鼓櫓、中櫓、二重南櫓と各建物間には白土塀が設けられて、東より内濠越しに見上げれば素晴らしい景観を見せてくれます。
 二の丸上段の東下に大手門南総門とも呼ばれて、南前に大きな馬出が構えてる。現在大手門跡には礎石が残っており南総門の復元を待っております、何時になるかなぁ~、計画はあるようで往時の資料、写真の発掘を急いでるようです。
 三の丸は現在島根県県庁が建っています。
 
 

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ぴんぴん

明石城に行って来ました。 (2023/10/29 訪問)

巽櫓と坤櫓、そして石垣の美しさに感動しました。

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イオ

北側からの天守群 (2023/10/28 訪問)

(続き)

旧国宝の天守は空襲で焼失し、現在見られる天守群は戦後にRC造で外観復元されたものながら、多くの写真や資料を基に忠実に復元されており、乾櫓や小天守の袋狭間(石落とし)を下から覗き込んだり、台所北東隅部の床が石垣からはみ出ているところを見上げたり(こんなところまで復元されているとは!)、天守曲輪北側の帯曲輪は立入禁止のため、普段は天守群の北側は遠景でしか見られませんが、この日は乾櫓から小天守にかけて直下からの眺めを存分に堪能させてもらいました。

また、天守曲輪の石垣には転用石が多く見られる…と言われてはいるものの、通常公開されているエリアからはあまり見付けられませんが、北側には宝篋印塔などあちこちに転用石が見られました。なぜ北側に集中しているのかはわからないそうですが、もともとは羽柴秀長の城であり大和郡山城と同時期の築城と考えると転用石が多いのも納得です。

天守曲輪北側の帯曲輪をひと通り見て回ると、天守下ノ段に出て水の手郭現地見学会は現地解散となりました。この日は他にも和歌山城周辺をぶらぶらしていますが、その辺はまたいずれ。

なお、この日の水の手郭現地見学会の様子は、和歌山城公式Instagramアカウント(https://www.instagram.com/wakayamajo_official/)で配信されていますので、興味のある方はどうぞ。
 

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赤い城

らんまん (2023/10/21 訪問)

らんまんでメジャーになった植物学者、牧野富太郎の出生地である佐川町。
牧野公園とその背後にかけてが城趾です。
佐川氏は長宗我部氏に攻められ降伏、その後は久武氏に与えられました。
観光駐車場に車を留めて牧野公園へ。
無料で楽しめる公園で春には桜の名所になっているようです。
少し登ったら竪堀があります。
さらに登ると大きな物見岩、ここから佐川町内と街道を見渡せます。
そこから少し登ると主郭方面への登城口が。
獣よけに門が閉められています。
「入城中」の紙を表示し、閂を外して入ります。
内側から閂をして登ることに。
これでは一組しか入れないような・・・。
少し心細さを感じながら登っていきました。
途中に曲輪が並び、堀切も見られます。
詰城には石垣が残っていました。
本丸にも堀切、結構良い感じです。
ここから南の曲輪方面に向かいました。
細い土橋状の尾根道を進むと曲輪の間に広く深い堀切。
ここも見どころです。
西側にも曲輪がありますがそこは断念、下山しました。
牧野公園近くにも観光スポットがあるのですが余裕があれば散策してみたかったです。

todo94さん、阿波コンプおめでとうございます!
四国初心者ですので御指南お願いします!

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todo94

阿波コンプリート (2023/10/28 訪問)

八ツ石城の初投稿、いただきました。祖谷の北方にあたり、ここにも急峻な谷、山腹にへばりついた集落が見られ、祖谷テイストに満ちた地でした。カーナビは井内郵便局か井内小学校に設定して井川スキー場腕山に向かう道を進むと八ツ石城への案内表示が現れます。離合困難な林道を延々と進むと駐車場とトイレが完備されていました。駐車場の目の前が主郭なので車があれば攻城は容易です。(駐車場までの運転には神経を使いますが。)南北朝期の山城で脇屋義助の子・義治による築城と伝わるとのこと。巨石が鎮座していて、田尾城よりははるかに眺望が開けています。山頂部には立派な城址碑までありました。

これで城びと登録の阿波の城コンプリートとなりました。正確には土佐泊城は南海病院のゲートまでしか行けておらず攻城したとは言い難いのですが、対岸からの遠望写真は納めましたのでお許しください。木津城もかなりあやしいものですが。

>朝田辰兵衛さんへ 四国コンプはまだまだ遠いです。来年は愛媛の攻城を進めたいとは思っていますが、果たして…。

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すけきよ堂

林道を使わずとも、太江口は楽に登れます。 (2023/10/30 訪問)

太江農業センターが登城用の駐車場として開放されています。
太江口の登城路は、さほど傾斜もなく快適に歩けますが、山の北側の為、泥濘んだ箇所もあるので注意しましょう。
主郭の西の郭群は、急な下り坂なので注意しましょう。但し見応え充分です。

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しんちゃん

ひょっとしたら石垣があった可能性も? (2023/10/29 訪問)

田沢城は浜松市北区と新城市の境目の山中に築かれており、主郭周辺はほぼ
新城市になりますが、城びとでは静岡県の扱いになっています。林道慣れして
いない人だと、なかなかしんどい林道を4~5kmほど延々と走ってようやく
たどり着きます。車で行かれる方はスピードの出し過ぎに注意していただきたい
と思います。けっこう気を使う箇所が多いので最後まで気が抜けないです。田沢城は
南北朝のころの三岳城の出城で井伊氏の流れを汲む田沢氏が築いたとされ、北朝の
軍勢に攻められ、延元5年(1340)に落城したとあります。主郭はNTTの電波塔の
周辺と思われ、電波塔北側にも幅約35m、奥行約8mの扁平地が有ります。主郭周辺
には石垣か?と思われる石積みが各所に残ります。南北朝のころの城なので石積み
は時代が合わないのですが、この周辺は石が多い所で石垣の材料には困らないと思います。
戦国期に改修された可能性はあるでしょうか?主郭の東側には東西45mくらいの
郭らしき場所があって先端部は出丸のようになっていて石積みで補強してあるようです。
敵の侵入をまず先にここで食い止めたのではないでしょうか。主郭西側にも扁平地が続き
その距離は150mほどにもなります。天然の地形を防御に利用しているように見えますが
ひょっとして主郭周辺に排水を兼ねた堀切などがあったかもしれません。

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城とマスク

秋の小峰城 (2023/10/30 訪問)

白河ラーメンを食べた帰りに小峰城を訪れました。秋に来るのは初めてで紅葉を期待したのですがまだ早かったです。お城を一周して疲れたので二の丸茶屋で秋のマロンソフトクリームを食べました。

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ぴーかる

城井谷城 (2023/09/10 訪問)

【城井谷城】
<駐車場他>登城口傍の寒田水子地蔵まで車で行けます。3台程度は停めれます。
<交通手段>車

<見所>門跡・巨石・石垣跡
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目9城目。城井谷城は1195年に源頼朝により豊前守護職に任ぜられた宇都宮信房が築城します。後に宇都宮氏は城井氏と改名し長く存続します。豊臣秀吉の九州征伐ののち秀吉に服従しますが、伊予国移封に対して当主である城井鎮房は反発し城に立て籠もります。国人一揆も誘発し領主の黒田氏と戦います。城に攻めて来た黒田長政を撃退しますが国人一揆は平定されたために和議を申し入れます。調停の際に黒田官兵衛の謀略により城井氏一族はすべて誅殺されて滅亡することになります。
 歴史小説か何かの書物で読んで数十年来行きたかった城跡で、暑い時期ではありましたが今回の旅のプランに入れました。宇都宮一族の碑から車で南に行くと巨石で塞がれた三丁弓の岩があります。車を停め、登城口から少し登るとまた巨石で塞がれた表門があります。表門は岩穴をくぐり登るのに大変で確実に攻め手は1人づつ殺られそうです。表門の内側からジグザグに折れて進みます。通路に石垣が残りますが、昭和まで使っていた炭焼窯が城跡内に点々とあるので区別がいります。主郭の手前に再び巨石2つで塞いだ城門跡があります。主郭は縦長に広く、東側は山、西側は小川があります。中心付近に巨岩がそびえ立ち圧倒されます。岩は角礫岩で城跡でこれ程大きな岩を防御に利用して見たのは初めてで感動でした。裏門跡は登城口から1600m、主郭からも小川を遡って相当歩きます。番人の穴という岩を掘った洞窟が点々とある場所にたどり着き裏門跡が見えます。裏門前が雑草で塞がれ、ここで力尽きたので番人の穴で引き返しました。すべて廻れず心残りはありますが満足度は高い、見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

本丸と国宝天守閣(2/4) (2023/10/04 訪問)

 駐車場の関係で本丸北ノ門からの入城と成りました、北ノ門に多門櫓が載って居たらさぞ豪華な構造だったことでしょう、本丸乾櫓跡の櫓台が北ノ門横に在り、漆黒の国宝天守閣重厚で圧倒される、多くの人も見えて賑わっている、人の姿をあまり入れない様にと写真チャンスを待つが中々切れない、鉄砲櫓跡の櫓台、本丸入城門の一の門跡、復元南多門を見て、天守閣には登閣せず眺めるだけで十分に満足です。
 松江城には高校2年生の時が初登城で60年近く経ちました、今回の前が平成30年8月以来の5年振りでした。
 

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しんちゃん

田沢城 林道 浜松市北区引佐町田沢 (2023/10/29 訪問)

田沢城は浜松市北区と新城市の境目のあたりにあり山城です。城域はほぼ新城
側にあるのですが、城人では静岡県のくくりになっています。結構な山奥に
築かれていて林道で主郭のあたりまで行くことができます。普通にナビに
載っているくらいなので普通車で行くことが出来るのですが、林道になれて
いない人だとかなりしんどいかもしれません。自分の車が5ナンバーの
フリードスパイクでホイールベースが2600mm、車幅が1695mm、最小
回転半径は5.2mで車高は一般的な5ナンバー車と同じです。最初に林道に
入る所が結構幅せまなのと、路が有れている箇所もあったりして、ガード
レールの無い箇所もけっこうあるので最後まで気は抜けないです。走れない
路ではありませんがスピードの出し過ぎは厳禁で、車高の低い車や軽自動車
では底をすったりすると思います。木の枝で車にひっかき傷が出来るかも
知れないので、あくまで慎重に自己責任でお願いします。

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カズサン

稲荷橋から本丸北ノ門のアプローチ(1/4) (2023/10/04 訪問)

 田和山遺跡を終えて北に4,5km程に松江城が在り、此処まで来たら寄らなくては!と宍道湖沿いの道、宍道湖大橋を渡って松江城大手門駐車場へ、しかし駐車場には数台の車が入庫順番待ち、係りの方に確認して北西に在る城山西駐車場に移動し同駐車場を利用。
 城山西駐車場から500m程で松江城北の搦手に当たる稲荷橋から入城、城山稲荷神社、小泉八雲も散策、神社の石狐を作品に取り込んだとか?、護国神社前を通り、此処は北の丸跡で石垣がよく残り掘尾吉晴公の隠居屋敷で有ったとも言われてる、馬洗池を通り、水の手門枡形石垣も復元整備されてここも見所のポイント、松江城天守閣の北面が石垣越しに見えてくる、水の手門立体枡形虎口を通り、本丸北ノ門へ到着、北多門櫓が聳えた北ノ門を脳内想像してみる⁈・・今回は駐車場の関係で北からのアプローチと成りました。
 
 

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トク

10/29どうする家康(黒島と三浦按針)

家康と元忠の伏見城での別れのシーン感動でした。
次は三成と吉継の友情物語がはたして描かれるのか? また密かに期待しています。

そして番組の最後の「どうする家康紀行」で流れた臼杵市の「黒島」。ここはドラマの説明どおり、リーフデ号に乗ったウイリアムアダムス(三浦按針)が漂着した場所です。実はその黒島は私の思い出の場所でもあります。中1の時、父と初めてキャンプをしたのがその黒島で、父は翌年に亡くなったので最初で最後に一緒にキャンプをした場所です。思い出の場所が思わずドラマに出たので、さらに感動してしまいました(すいません)。

三浦按針はその後、家康に重宝され江戸幕府で造船技師や通訳などを務めた後、晩年は平戸で過ごし、平戸城下のオランダ商館で亡くなったそうです。

またつぶやいてすいませんでした・・・
 

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朝田 辰兵衛

JR福野駅から安居城に向かう途中で… (2023/10/08 訪問)

JR福野駅から安居城に向かう途中で立ち寄りました。そうそう,謎だったのがJR福野駅の駅メロが『デイ・ドリーム・ビリーバー』だったこと。『北斗の拳』のほうが似合うと思う…。「南砺スイチョーケン」的に…<笑>。

赤い城さん,やっぱりお持ちでしたか。2度の攻城レポートがあって,ないわけないだろうと思っていました。クイズ用で取っておいたとか…?

todo94さん,今度は阿波リーチですか!
もしかして,四国コンプ目標とか…?!
全然クイズの準備できてないぞっ!

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イオ

水の手郭現地見学会 (2023/10/28 訪問)

水の手郭現地見学会に行ってきました。水の手郭は天守曲輪の北側中腹に位置し、連立天守群の台所にある穴蔵に設けられた埋門から水の手門を抜けてZ字に曲がった道を下った先にありますが、穴蔵から先は普段は立入禁止なので、こういう機会をずっと待っていました。

わかやま歴史館前に集合し受付で資料をもらうと、事前説明の上、水の手郭に出発。集合場所からは多聞櫓の下に埋門の上端がわずかに見え、埋門の右下方だからあのあたりかな…と考えるとわくわくしてきます。水の手郭には埋門を抜けて行くのかと思いきや、新裏坂の途中から立入禁止のロープを越えて、刻印の多い浅野期の石垣や鶴の渓の石垣の上を進みます。普段見上げている石垣の上に立つと、遥か下方に鶴の渓が見渡せます。相当な高さです。天守曲輪の北側に回り込むと目前に水の手郭の石垣が見えてきました。後世のものでしょうか石垣には絵図にない入口が設けられていますが、北西隅部は水の手櫓の櫓台と思われます。

石垣の入口から水の手郭に入ると、資料を参照しつつ学芸員さんから説明を受けました。平成30年7月のいわゆる西日本豪雨で水の手郭の石垣や通路が崩落し、復旧に2年あまりを要したこと、谷地形ならではの水の手郭だが、そのために山上の雨水が集中して流れ込み土砂崩落が生じたと考えられること、水の手郭の石垣は緑泥片岩の野面積みであり、豊臣・桑山期の古い石垣と考えられてきたが、復旧工事に伴う発掘調査で石垣の裏込層上部から江戸前期の瓦や江戸後期の磁器が出土しており、江戸期に何度か積み直されているのが判明したこと、復旧工事では崩落前の石垣の写真と見比べて石材の位置を特定し、なるべく元の位置に戻すよう積み直したが、江戸期の石工は元の位置に戻す必要はなかったので、現代の石工のほうが大変な作業を求められている…などなど、興味深い話を伺うことができました。

説明に続いては、しばし自由に水の手郭を散策。黄金水と呼ばれる井戸跡があり(コンクリートで囲まれていますが)、復旧した石垣の左下にも野面積みの石垣が見られ、緑泥片岩の岩山だけあって岩盤むき出しの箇所もありました。

散策の後は来た道を戻るのかと思っていたら、Z字状の通路を上がって埋門も見学できるとのこと。石垣沿いの通路を上がり二度目に折れるあたりで振り返ると、木々の間に先ほどまでいた水の手郭が覗いています。さらに上がって水の手門の石垣を過ぎ、埋門へ。石段の上の埋門をくぐると岩盤を削り込み緑泥片岩を積んだ穴蔵になっています。いつもは台所から穴蔵を覗き込むことしかできないため、穴蔵から台所を見上げることができるのは貴重な機会ですね。

さて、これで水の手郭から埋門までを見て回ることができましたが、せっかく立入禁止の天守曲輪北側に来ているのだから、普段は見られない北側からの天守群を堪能したいと思います(続く)。
 

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todo94

阿波リーチ (2023/10/28 訪問)

久しぶりのロングドライブ、2023年秋冬シーズンの山城解禁日としました。四国ドライブの定番、淡路SAで仮眠をとっての朝駆けです。吉野川左岸で阿波の秘境・祖谷とはお向かいになりますが、深い谷、山腹にへばりつくような細い道は祖谷に通じるテイストです。長宗我部元親が攻略に難渋したとのことですが、たどり着くだけでも大変だと思います。西に回り込んで黒川側からアプローチしましたが、案内表示がいくつかあって迷うことはありませんでした。黒川谷川沿いの入り口に案内表示があればもっとありがたいと思います。ちなみに土讃線の最寄り駅・阿波川口駅は四国まんなか千年ものがたりの停車駅で、先月、ここで天然純粋はちみつを購入いたしました。この駅から徒歩で攻城するのはあまりに厳しすぎるかと思います。

肝心の城は、南城はコンパクトに土塁で囲まれていてきれいに整備されていましたが、北城は標柱も朽ちていてたどり着くのに少々難渋いたしました。それでも自分の中では、徳島県の城としては、徳島城、一宮城に続くベスト3に挙げてもよいと思っています。

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しんちゃん

少し長い付き合いになるかも。 (2023/10/29 訪問)

堀江城は現在、浜名湖パルパルになっていて、本丸には観覧車が建っています。
かつての大堀切は道路になっていて、南の郭はホテルになっているようです。
観覧車の北側には石垣があるようなのですが、長期間工事が続いていて
確認することが出来ません。親子連れがわんさかいる観覧車の郭を見に行くのに
入場料を払うのもどうかなと思い、西の御陣山を見にいきました。周囲は立ち入
りが出来ないようなので、けっこう急な壁面からよじ登りましたが、周囲は
結構な藪になっています。そこから本丸(観覧車)の方を確認して周りを
見ると立ち入り禁止のゲートの先に簡単に御陣山に登る道があったようです。
今回は威力偵察のような感じで引き上げましたが、また数年したら様子を
見にこようと思います。堀江城とは少し長い付き合いになるかもしれません。

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しんちゃん

奈良時代の遺構。土塁と堀が見所。 (2023/10/29 訪問)

長者屋敷は奈良時代の役所か、貴族の屋敷と考えられているようです。南側に出入口
が付いていますが、北東にも出入り口があったようです。周囲は土塁に囲まれ
土塁には内側に堀(壕)が付いています。5時少し前にはもう暗くなっていたので
写真も全体的に暗めです。気候が良くなってきたのでもう少し城めぐりがしたいと
いうのが本音ですね。

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T-Shionoya

長大な枯葉堀の御坂城 (2023/04/28 訪問)

4月末は山梨県の笛吹市と富士河口湖町の境界部に位置する御坂城で、引越前最後の城郭訪問。

甲斐国の国中と郡内の境界線となる御坂山地。その標高1520mの御坂峠を中心とした稜線城に築かれた城。
鎌倉街道御坂路の要衝で、元々関所の機能を有していたでしょうか。

築城時期は不明だが、本能寺の変後に武田領を徳川と北条が争った1582年、郡内を制圧した北条氏約1万が対徳川の前線基地として入城。
この時に大改修され、和睦後は廃城になったと推測される城。

現在は笛吹市と富士河口湖町の指定史跡で、御坂隧道と黒岳を結ぶハイキングコースの一部。
訪問時は御坂隧道からスタートし、アップダウンを繰り返して1時間45分掛け城域に到着。
最大の見どころは複数の100m級横堀で、枯葉により一見浅いが、場所によっては膝近くまで埋まりビックリ。
城域の高低差が意外に大きく、御坂路が横切る最下点の曲輪3は、四方を土塁に囲まれたような構造。
曲輪5南の桝形タイプの虎口や、曲輪7の喰違虎口と土橋も見どころ。

1時間半掛けスタート地点に戻り、トータル所要時間は6時間弱。
所要時間同様に横堀が長大な御坂城が、私の城郭巡りの156城目でした。

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