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とばつびしゃもん

川を背にした縄張りの城 (2022/10/08 訪問)

豊橋公園の駐車場に車を駐車し登城開始。
旧三の丸、金柑丸を通って裏御門跡から本丸へ。本丸南側は石垣修復工事中のため見られなかったが、北西に模擬再建された三重の鉄櫓が目に留まる。櫓内で続日本100名城スタンプポン。展示を見たのち腰曲輪へ下りると、豊川が守りの役割を果たしていたのがよくわかる。
城から近い老舗に立ち寄り、豊橋市グルメの田楽と豆ちくわで腹ごしらえをし、再び場内を散策してから二川宿本陣資料館へ。香川元太郎城郭原画展を観覧。好奇心をくすぐられるイラストが並び堪能できました。

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しんちゃん

沼館城 源義家ですら落とせなかった水柵 (2021/05/04 訪問)

沼館城は後三年の役の際、清原家衡氏が寄った沼の柵と同一と見られています。水柵とも言われた沼の柵の防御は固く攻め手の源義家も落とすことはできず飢えと寒さで多くの兵を失い陸奥へ引き上げていったそうです。その後家衡は金沢の柵に移り、義家に攻められ滅んでしまいました。沼館城は戦国期には小野寺氏の城になっており12代・小野寺稙道が入ったとされています。
蔵光院が本丸跡とされ今でも周囲に立派な土塁が残っています。本丸より北の雄物川小学校が二の丸跡と見られているようです。

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美夢

イオさんありましたよ&皆様ありがとうございます (2023/12/17 訪問)

17日行って参りました
やはり気になるのはかるたの見本です
自分の投稿で採用されていたものがあり、ホッと致しました

そして、イオさんのも複数発見!!
流石ですっ!
(ネタバレにならないようお名前だけの写真にしましたが、この投稿自体がネタバレでお嫌でしたら申し訳ありません)
m(_ _)m

チェブさんからの伝言もありがとうございました
私はあまり投稿しないので、御伝言を受ける資格もなく恐縮ですが、とても嬉しかったです

小城先生、先生に文字札を頼んでしまって申し訳ありません
今、考えると恐れ多い💦💦💦

気さくな皆様とお話し出来てとても楽しかったです
皆様、本当にありがとうございました
(⁠^⁠∇⁠^⁠)⁠ノ⁠♪

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しんちゃん

歴史は古いが構造は戦国期の遺構を残す。 (2021/05/04 訪問)

金沢柵は横手市金沢公園として整備されています。とはいえ、公園とは名ばかりで実態は普通の山城遺構です。後三年の役で源義家に滅ぼされた清原氏の城館とされています。最高所に金沢八幡宮(皮肉ですか)が置かれ、本丸の雰囲気を出していますが二の丸です。二の丸から二段さがった所に駐車場があり、南に西の丸が置かれます。本丸から見て西ということですね。二の丸を中心に東西南北すべてに郭が配され本丸は東に存在します。本丸はかなりの広さがあり、発掘調査では掘立柱建物の痕跡があったそうです。
歴史は古いですが、堀切や土塁など高度な山城の遺構を備えており、戦国期には南部氏や小野寺氏の持ち城となり小野寺氏家臣・金沢権十郎が入っていたようです。

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しんちゃん

周囲に土塁が良く残る。 (2021/05/04 訪問)

吉田城は小野寺景道が築いたとされる方形の居館式の城郭で周囲を堀と土塁が囲んでいました。今でも土塁を良く残し道路沿いに堀も残っているようです。

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しんちゃん

致道博物館 山形県鶴岡市家中新町10-18 (2021/05/03 訪問)

致道博物館は鶴ヶ岡城の旧三の丸に築造されており、庄内藩主の御隠殿や国の名勝酒井氏庭園のほか重要文化財・旧鶴岡警察署庁舎、旧西田川郡役所が移築され、博物館として藩校・致道館の物品や庄内地方の民俗資料が展示されています。
個人的には酒井氏の庭園が好きですね、庄内藩・酒井家の庭園にふさわしい見事な庭園だと思います。

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しんちゃん

鶴ヶ岡城址公園。周辺には致道博物館や致道館がある。 (2021/05/03 訪問)

鶴ヶ岡城は鶴ヶ岡城址公園として整備されていて往時のように二重の堀切が残っています。本丸中心に荘内神社が鎮座し、南東の中門跡に大宝館が建っています。本丸の周囲を二の丸が囲み南を除く三方に広場が広がっています。二の丸南西部より堀を隔てた先には三日月堀を備えた枡形と三の丸が有りましたが、現在は致道博物館になっており藩主の隠居所であった御隠殿と国の名勝・酒井氏庭園があります。
鶴ヶ岡城の前身は大宝寺城で出羽国大泉荘の地頭・大泉氏によって築かれたそうです。最上氏の時代に東禅寺城が亀ヶ崎城と改名された際に大宝寺城も鶴ヶ岡城と改名されたそうです。最上氏が改易になると酒井氏が入り幕末の戊辰戦争では庄内藩は新政府軍と戦っています。

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しんちゃん

致道館 庄内藩藩校・山形県鶴岡市馬場町11-45 (2021/05/03 訪問)

致道館は庄内藩七代・酒井忠徳によって建てられた藩校です。文化13年(1816)鶴ケ岡城の三の丸に移されました。現在は復元された状態で公開されていて表御門、聖廟(孔子を祀る)、講堂、御入間が存在し、これらの建造物と敷地一帯が国の史跡になっています。

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しんちゃん

古代城柵・国の史跡 (2021/05/03 訪問)

城輪柵は国の史跡に指定されていて出羽国国府の所在地ではないかと推測されています、東門と築地塀の一部が再現されていて建築様式は時代によって4期に分かれているようです。2期の時代に掘立柱建物から礎石建物に進化を遂げており、4期では板塀から築地塀に変化を遂げています。ちなみに現在は南門も再現されているようです。

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しんちゃん

キャッスル・イン・ハイスクール (2021/05/03 訪問)

亀ヶ崎城は文明10年(1478)に武藤氏が築いた東禅寺城が始まりとされています。上杉氏、最上氏と領主が入れ替わり最上氏が改易の後に酒井氏が庄内を領し城代が置かれたそうです。かつては隣接する本丸と二の丸を堀が囲み新井田川から水を引きこみ外堀としていたようです。現在は酒田東高校の敷地となり二の丸に校舎が置かれ、かつての本丸はグラウンドになっているようで内堀は消滅したようです。
二の丸周辺には土塁が残っていて往時をしのばせます。こうして学び舎となった後でも土塁などの遺構をのこしていただけるのは非常にありがたいことで、青少年の情緒教育の一端になれば良いな(将来は城びと?)と思ったりします。

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しんちゃん

桜の名所・大山公園として整備。 (2021/05/03 訪問)

尾浦城は標高50m(比高30m)の大平山・金剛山・鳥打山などが連なる丘陵上に築かれています。天文元年(1532)武藤氏によって築かれたとされ、大山公園として整備されています。主郭には三吉神社、二の丸には古峯神社、西の郭には東屋や石碑が立っています。お手軽なハイキングコースにもなっていて私は西郭から二の丸→本丸と散策しています。各郭に山の名前が付いていますが城下大系には大平山の先端部の丘陵と記されており、それほど苦労することはありません。

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刑部

戦国期・争奪戦の城 (2023/11/04 訪問)

今回は登山スタイルで探索、坂道を登ると左右に分かれている所に到達。まずは右の神社のある方面へ各曲輪を周ってから神社の階段を登る何ともう今年の煤払いを行っていました、更に堀切を超えて奥の曲輪へ。次は本丸のある左方向へ上がり遺構を堪能しました。

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カズサン

本丸・稲荷郭・二の丸・東の丸の石垣と庭園 (2023/11/27 訪問)

 二の丸登り虎口・周辺の続きです。

 さて明石城長く時間を割き写真の撮影枚数も多く先に6編に分けて投稿させて頂きましたが、捨てがたい写真も有り投稿させて頂きます。
 本丸の北側に在る、素晴らしい乾三重櫓台、北の虎口本丸見ノ門櫓台と周辺、本丸西多門櫓台の石垣、稲荷曲輪北門石垣から桜堀方向、稲荷曲輪の西側石垣、同二重櫓台の天守台からの俯瞰、二の丸南面二段石垣、東の丸の南面石垣、武蔵の庭園で残りの写真を10枚に絞りました。
 尚、武蔵の庭園は初代小笠原忠政の命で作庭された居ます、場所は樹木屋敷に当たり現在の陸上競技場「きしろスタジアム」に成るそうです、明石公園整備にて現在の地に武蔵の庭園として歴史をつないだようです。武蔵の庭園案内板参照(案内板が経年変化して居て良く読めませんでした)。

 明石城を7編で分割投稿しましたので明石城の素晴らしさがぼやけてしまいましたので「ダイジェスト版」を次に纏め投稿させて頂きます。
 

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しんちゃん

かつての城跡としての雰囲気を良く残す。 (2021/05/03 訪問)

新庄城は新庄盆地の中央に位置し現在は新庄八幡宮の境内になっています。戸沢藩初代戸沢政盛によって寛永3年3月に築城がなされたとのことです。かつては本丸を中心に二重の堀を配し指首野川を天然の外堀としていたようです。今でも八幡宮の周囲に堀が残り各所に残された櫓跡の標識が往時をしのばせます。

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カズサン

二の丸登り虎口・周辺 (2023/11/27 訪問)

 現存巽三重櫓の続きです。

 本丸の巽三重櫓を過ぎて本丸番ノ門跡の櫓台石垣を土橋へ南北に大堀切が控えています、明石城の大堀切は本丸と二の丸の間しかも石垣城塁で固まった大堀切です、存在感が凄い。
 今回時間も迫っており、二の丸は虎口辺り、東の丸は探訪せず、虎口から巽櫓を眺めて、登り石垣の上段から下段方向を眺めて、改めた登り石垣での二の丸登り虎口石段を再認識しました、素晴らしい造りです、東の丸西端の二重櫓からの横矢もかかり、虎口下段の枡形も厳重です。嬉しく登り降りしてしまいました。

 次は本丸・稲荷郭・二の丸・東の丸の石垣と庭園に続きます。
 

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ヒロケン

三河・遠江国境の城 (2023/09/30 訪問)

宇利城は、標高165m比高90mの山上に位置し、東西両側には深い谷、南は登城口、北は城郭の背後で尾根が続いている山城で、周辺の地域は東南北に峠を抱え、西には遠江との国境がある、交通の要所に位置しています。
中心となる主郭は山頂に位置し、南面を除く周囲に土塁、北端に櫓台、その北側に比高差10m程の切岸、納所平と呼ばれる平坦地、納所平には堀が掘られています。主郭の東側には姫御殿跡が所在し、主郭の前衝的な曲輪の機能を有していると考えられます。宇利城全体では、曲輪・土塁・堀・井戸・石垣が残っています。

宇利城は1469年~1486年頃の間に熊谷重実が築城したとされ、その後の城主、熊谷実長は今川方に属し、三河統一を目指す松平清康に攻められた「宇利の戦い」で熊谷方320名・松平方90名の戦死者を出し、城を明け渡したとされています。
その後、徳川家康公の遠江平定後、宇利城の状況は不明とされているので、廃城になったものと思われます。

駐車場は中宇利交差点の一角に結構広い駐車場があります。トイレはありません。駐車場から歩いて10分位で登城口に着きます。
今回、「宇利の戦い」で戦死した松平右京亮の墓などもあり、戦国時代激しい戦いの場であった城跡を散策しましたが、一部雑木で立ち入ることが出来なかった場所があるため、2013年5月6日に登城した画像と織り交ぜて投稿させていただきます。

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しんちゃん

人面魚・善寳寺-貝喰池  山形県鶴岡市下川関根100 (2021/05/03 訪問)

今さらですが人面魚の話です。もちろん城郭とは全く関係の無い話です。ただの私の趣味でございます。
山形県鶴岡市の曹洞宗の寺院 善寳寺の北に貝喰池という池があります。この池の周辺には魚籃観音菩薩が奉られているお堂があり竜神様を祀る祠があります。そのせいか知らんけど、この池には人面魚が住んでいるというもっぱらの評判です。会えるかなーと思ってしばらく池を除いていると案外あっさり会えました。たしかに知らずに見たらびっくりするかもしれません。
どうやらネットの情報では七匹いるようですね。珍しい物にあえて少し気分が良かったです。

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しんちゃん

大手門の存在感は抜群である。 (2021/05/03 訪問)

松山城は庄内藩の師範松山藩の城で松山藩三代・酒井忠安によって築城がなされました。大手は西につき、三の丸の東に本丸が置かれ、周囲を二の丸で囲む構造でした。土塁・堀が一部残り、建築物としては唯一大手門が残っています。この大手門じつに立派で唯一の建造物遺構ということもあり、この城址の中での存在感は抜群です。城址中心は松山歴史公園として整備され、松山文化伝承館で松山藩時代の展示を見ることが出来ます。

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しんちゃん

見所はやっぱり枡形虎口。 (2021/05/02 訪問)

舘山城は鬼怒川の支流・北は小樽川、南は大樽川に守られた丘陵の先端部に築かれています。天正12年(1584)より伊達輝宗の隠居所となり、十七世政宗により大規模な築城が行われたそうです。先端部に腰郭を備え、西に曲輪1があり石垣で固められた枡形虎口が有り曲輪2に続きます。枡形には破城の痕跡があり、石垣の礎石が残っている珍しい例のようです。
曲輪2の北西には搦め手があり大土塁の先に堀切があり南西部に物見台が残っています。枡形周辺の遺構はすばらしく、この城郭の最大の見せ場になっています。

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城山稲荷神社 (2023/12/16 訪問)

保土ヶ谷駅からバスに乗り金剛寺バス停下車。民家横の細い道を上がって行くと階段があり、その先に城山稲荷神社と石碑があります。

じゅんじんさんが登城したときにトラロープがあり侵入不可であったと投稿されていましたのでダメ元で行ったのですが、自分が登城したときはなくなっていて石碑まで行けました。

 お城EXPO2023の帰りに行って来ました。

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