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朝田 辰兵衛

城址碑の字体がキリリとしてます✨ (2024/04/06 訪問)

城址碑の字体がキリリとしていて,カッコイイと感じました。大手登城口も搦手登城口もわかりやすいです。東側の堀切は見落とし注意です。
こちらのアクセスは,JR奥羽本線の真室川駅となります。鮭延城南西側の踏切を渡り,道なりに進むと左側に搦手登城口。搦手登城口には駐車スペースがありませんので,車を利用の方は南西側の踏切を渡ったら,左折して約200m線路沿いを北上してください。砂防ダム手前に到着しますので,そこに数台駐車できます。そのままそこが大手登城口となります。

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しんちゃん

万徳院 国指定史跡・吉川広家の兄 元長の菩提寺 (2024/01/03 訪問)

万徳院は史跡吉川氏城館跡の一つとして国の史跡に登録されています。吉川元春館、松本屋敷を訪れた際には是非訪問していただきたい場所です。吉川元春の嫡子・元長によって建立され、石垣や礎石建物跡が良好に残っています。
天正15年(1587)に元長が病死し、三男の広家が吉川氏の家督を継ぐと、万徳院は元長の菩提寺として改修を受けました。関ヶ原の合戦の後、広家が周防国岩国に転封になると、万徳院も岩国に移転され、慶長11年に死去した吉川元春の正室・新庄局もそこに埋葬されたとのことです。
万徳院跡は旧本堂を模したガイダンスホールから参道が真っ直ぐに伸びて、正面に門跡を備えた立派な石垣の上に本堂、庫裏、風呂屋や庭園の跡が残っていて、現在は万徳院跡歴史公園として一般公開されています。
万徳院跡歴史公園‥山県郡北広島町舞綱

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イオ

北城と南城 (2024/03/31 訪問)

鎌倉後期に原田氏が豊中台地の南西端に築いて居城とした城で、丘陵上の北城と集落内の南城からなります。戦国後期には細川晴元軍に攻められて北城が落城し、以降は南城が原田氏の拠点となったようです。荒木村重の謀反により織田信長が有岡城を攻めた際には、中川清秀と古田織部が廃城となっていた北城を大改修して陣を置いたとされますが、その後は北城、南城ともに廃城となりました。

阪急宝塚線・曽根駅から登城(北城まで徒歩約7分)。北城は巨大な堀で囲まれていたことが発掘調査により確認されていますが、現在では堀は失われ東半分は宅地化されて、西半分が原田しろあと館として土日の12:00~16:00(入館は15:30まで)に無料公開されています。原田しろあと館南側の道路沿いには原田城跡の標柱と説明板が立てられ、西麓に回り込むと台地の突端に位置することがよくわかります。周辺を見て回った後は原田しろあと館へ。入口を抜けると北城跡には和洋折衷の旧羽室家住宅が建ち、庭園が広がっています。庭園西辺の築山が北城の土塁で、かつては北城の四方にめぐらされていたようです。土塁の前には説明板があり、スタッフに申し出れば土塁に上っての見学もできます(私も案内していただきました)。国登録有形文化財の旧羽室家住宅は昭和初期の住宅であり原田城とは無関係ですが、住宅内の一室には原田城のパネルやジオラマが展示されており、原田城のリーフレットもいただけます。ミニコンサートや落語会、市民講座や紙芝居、囲碁・将棋なども開催され、市民交流の場となっているようです。

南城の遺構は宅地化により消滅していますが、発掘調査により二重の堀が確認されています。原田会館のあたりが堀跡のようですが……現地に行ってみても痕跡は感じられませんでした。

街中の城跡であり、遺構は原田しろあと館内で土塁が見られるくらいですが、スタッフさんは土塁だけでなく旧羽室家住宅内も熱心に丁寧に案内してくれますので、どうせなら開館日時にあわせて訪れてみて下さい。
 

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にのまる

久しぶりの36見附めぐり(2日目) (2024/04/19 訪問)

前回ゴール地点の数寄屋橋門からスタートしました。

(13)鍛冶橋門
 鍛冶橋交差点という名前が残ります。石垣が移設展示してある丸の内トラストシティと八重洲大丸前にも寄りました。

(14)呉服橋門
 呉服橋交差点という名前が残ります。地中にはいろいろなものが埋まっているんだろうな。

(15)常磐橋門
 先月久しぶりに行ってみたら様子が変わっていたのが今回の36見附めぐりのきっかけです。

(16)神田橋門
 荷揚場跡も見どころです。

(17)一橋門
 ど根性石垣があります。東御苑入り口のひとつである平川門が目の前ですがまわる順序としてしっくりこないので行きません。

(18)雉橋門
 近くに刻印ありの石垣がありますがこれはどこかから移設されたものらしく、雉橋門石垣は市ヶ谷駅構内に展示されています。

(19)竹橋門
 内郭の始まりです。平川門にかけての帯曲輪を歩くのが夢です。

(20)清水門
 お濠越しの眺めがすてきです。

(21)田安門
 大きな玉ねぎでイベントがあり大勢の人がいました。待ち合わせのペンフレンドさんと会えたかなぁ。

(22 )半蔵門
 警備が厳重な門。一般人入場不可。千鳥ヶ淵は季節を問わず美しいです。

(23)桜田門
 目の前に桜田門駅がありますが有楽町線のみのせいかあまり利用者は多くなさそうです。ここは最後にもう一度来ます。

(24)日比谷門
 見附石垣が残ります。説明板の高麗門のふりがなが「こまもん」となっているのが気になります。心字池は堀の名残で土手石垣には刻印、三笠山にも矢穴石がたくさんあります。

(25)馬場先門
 二重橋まで一直線の眺めがすてきです。

(26)和田倉門
 スタバで休憩したかったけれど混んでいて無理でした。

(27)大手門
 櫓門を入ってすぐのところに仮設の案内所兼お手洗いが完成していました。期間限定の眺め。いつか「あの時はこうだったなぁ」って懐かしく思うんだろうな。

(28)平川門
 白鳥濠、二の丸庭園、汐見坂、梅林門などを見ながら退出しました。

(29)北桔橋門
 すぐに再入場。荷物チェックも二度目。

(30)中雀門
 天守台で本丸跡を眺めながらしばし休憩。周りはほとんど外国人さんで、日本語が聞こえたらびっくりするレベル。石室、富士見多聞、松の廊下、富士見櫓をまわって中雀門へ。
本丸石垣は焼け跡が痛々しいです。

(31)中之門
 土塀と櫓門を想像再建して眺めるのが好きです。

(32)下乗門
 同心番所のところです。平川門へ抜ける時も通ったのでこの日2回目。大手門から退出しました。

(33)桔梗門(内桜田門)
 一般参観の際の入り口です。今回は見るだけ。

(34)坂下門
 乾通り通り抜けの際の入り口です。今回は見るだけ。

(35)西の丸大手門(皇居正門)
 着いたのが16時54分。見学時間は17時までですが、17時には見学エリアから完全退出していなければならないとのことで入れなかったのでズームして撮りました。

(36)西の丸玄関門
 感動のラスト!と行きたいところですが二重橋(奥の鉄橋)のところなので近づけません。前回は一般参観に申し込んで見に行きました。


36見附めぐり二日目(24見附)は約7時間のウォーキングで何とかゴールイン。桜田門を通って退出しました。(写真は10枚ピックアップしました。)

きれいに残されているところばかりではなく、交差点や架道橋に名前が残るだけだったり、高架下で水がポタポタ落ちてくるところ、鳩がたくさんいて怖いところもありました。
それでもひとつひとつチェックしながら歩くのは楽しかったですし、新たな気づきもありました。
【江戸城見附めぐりデジタルスタンプラリー】のようなものがあったら歩く励みにもなり達成感も得られてより楽しめるだろうなと思いました。
〈おわり〉

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー75城目 (2024/04/27 訪問)

高山城に続いての攻城です。スタンプラリーは2回目ですが、続100名城選定前にも2回訪れているのでこれが4回目の攻城となります。今回はリーフレットを片手に西の丸の先、北の丸を回り込んで竪堀跡を初めて目にすることができました。私の目には畝状竪堀のように映りました。曇天であった所為もあって比較的良く撮れたのではないかと思っています。高山城と新高山城でたっぷりと時間を使ってしまったので、福山城の城カード(天守)ゲットは断念せざるを得ず、この日の宿泊地の高松に直接向かいました。瀬戸中央道を利用したのは何年ぶりだろう?

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しんちゃん

鞆城の警護も果たした海城 (2024/01/04 訪問)

大可島城は円福寺周辺に築かれていました。康永元年(1342)伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力を持つ北朝方が燧灘で合戦となり大可島城に籠る南朝方は全滅したとのことです。戦国期には村上水軍の一族が鞆の浦一帯の制海権を握っていました。
足利義昭が鞆城に滞在している間は、大可島城主がその警護の役割を果たし、かつては独立した島であった大可島城も鞆城の建設に際し、陸続きとなったそうです。現状は海に突き出た小さな半島状の地形で、港街の風情が良く出ています。

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トク

三方ヶ原(1/2)-古戦場と祝田の坂 (2024/02/13 訪問)

三方ヶ原古戦場を訪れてきました。浜松駅からバスで奥山行に乗り40分「三方ヶ原墓園」で下車します。このあたり一帯が、信玄と家康が最初に激突した場所のようです(写真③)。墓園というだけあり、お墓がすごくいっぱいある場所でちょっと不気味でした(😱~)。

バス停の前には、三方ヶ原古戦場の石碑と説明板がありました(写真①②)。そしてここから北の方角、祝田(ほうだ)の方へ歩いてみました。10分程歩くと確かに下り坂がありました(写真④)。今は改良された広い緩やかな下り坂の道路ですが、当時は崖で獣道のような狭い急坂ではなかったかと思います。

徳川家康は地の利を生かし、この祝田の坂(崖)を下るであろう武田軍を後ろから追い落とす作戦だったようです。しかし、武田信玄はそれを読み、逆に坂の手前で「魚鱗の陣」を敷いて、おそらくこの(写真③)位置で待ち構えていました。そして徳川軍は大惨敗、家康は浜松城へ向け、命かながらおもらししながら敗走します。

では、私も徳川軍の気持ちになって、浜松城へ向け全力で走ります! と思いましたが結構距離があるので、とりあえずトイレに行き、それからバスに乗ってまた戻ります(😯え?)。

次は、徳川軍が最後に抵抗した「崔ヶ崖」へ向かい、この続きを「どうする家康」の名場面で振り返ろうと思います。

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【余談】2026年大河ドラマ
2026年の大河ドラマは、豊臣秀長が主役の「豊臣兄弟」に決定したようですね! 秀長と言えば大和郡山城・和歌山城という名が私は思い浮かびます。和歌山と言えば地元イオさんおめでとうございます! 私は、秀長に見出され和歌山城の築城で頭角を現した藤堂高虎を誰がどう演じられるのかも楽しみです。昨年(19人目)の藤堂高虎を追って、宇和島城→大洲城→今治城→関ケ原(大谷吉継と五助の墓を立てた美しい話や、捕らわれた石田三成に一人だけ最後まで敬意を表した美しい話)→津城(伊予で対立していた加藤嘉明を広い心で許し徳川秀忠へ加増推挙した美しい話)などを訪れて知り、高虎ファンになってしまい好プレー賞をあげたのを思い出します。また豊臣秀長と言えば、九州では根白坂の戦いで総大将を務めた事でも有名です(昨年高城を訪れた時に見た秀長本陣跡写真⑤)。まだ2年先の話なので早く来ないかな😊。その前に私はまだ恥ずかしながら、奈良・和歌山県には行った事がありません。奈良県をコンプされた「あ」さんや、近畿を本陣に縦横無尽に駆け回る「ぴーかる」さんは、すごいなと思います。私はせめて秀長のゆかりの地だけでも、できれば来年にはできるであろう大河ドラマ館とあわせて、奈良・和歌山にも一度は行ってみたいものです。

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P.S あっちゃん様
私も以前に姫路城から桑名城を訪れた時、千姫の美しい話に出会い、千姫の人生を追ってしまいした。次は地元桑名城を再度訪れ、千姫パワースポットなども見られてはいかがでしょうか? 詳しくは、お城を探す→桑名城 で検索していただければと思います。
 

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あっちゃん

世界遺産 国宝 姫路城 (2024/05/21 訪問)

千姫物語に感銘を受けました。姫路城は圧巻の石垣でした。石垣の中に石臼がありました。お婆さんが秀吉に奉納した話に、歴史を感じました。
姫路の円教寺、廣峰神社、歴史探訪を満喫しました。

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小城小次郎

わかりにくくて心細い (2023/11/04 訪問)

佐和山城と間違えそうな城名だが歴史は古く14世紀半ばには畠山氏が大軍とともに着陣している。城址碑などがないので「城ヶ峰→」を示す看板が落っこちてるのを頼りに進むしかないが非常に心細い。城域は薮ってるし・・

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ぴーかる

美作国守護館 (2024/03/16 訪問)

【院庄館】
<駐車場他>作楽神社駐車場30台程あり。
<交通手段>車

<見所>堀
<感想>院庄館跡は鎌倉時代~室町時代にかけての美作国守護の館があった場所です。後醍醐天皇が隠岐の島へ配流にされる時にここに宿泊しています。備前国の土豪児島高徳は後醍醐天皇の奪還解放を試み院庄館まで追跡しますが好機がないままに終わってしまいます。
 堀の外周を1周してから内部の作楽神社へ。遺構はほとんど残っていないようで、津山藩によって児島高徳の顕彰碑が現存しています。作楽神社の創建は明治になってから出来たようです。内部を散策し終了しました。

 この日は矢筈城、葛下城を攻略し、もう山城1城攻める予定でしたが流石に矢筈城の大城郭攻略に体力を使い切り、予備として置いておいた院庄館跡で締めくくりました。走行距離408㎞無事走破。足がくたくた。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

矢熊城 吉川氏の家臣・森脇春近の城 (2024/01/03 訪問)

矢熊城は北広島町大塚にある丘城です。枝の城の近場にあり、城主は吉川氏の家臣・森脇春近と伝わります。北側の水路に土橋がかかっていてそこから城址に入ることが可能です。東側には大塚側が流れ、丘陵全体が城址になっているようです。
縄張りははっきりしませんが、段状に郭が連なっているようで、県指定天然記念物「矢熊の大アベマキ」のある所が主郭と見られます。遺構は後世の物と判別が難しいですが、北西あたり(たしか)に土塁と堀切が残っている箇所があります。
枝の城を訪れて、物足りなさを感じた方は訪れてみてはいかがでしょうか。

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甚右衛門

須田城から転戦(九城目) (2024/05/18 訪問)

須田城攻略後まだ一つ二つ攻略出来そうだったので、霞城を狙うが、アクセス道路が狭く分かりづらかったのて、今回は断念して、松代城へ。駐車場も無料なので真田宝物館と併せて見学。時間の関係で真田新御殿は断念したので、後日再訪予定。朝から動いて九城攻略したが、流石にもう同じような数は厳しい気がします。

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甚右衛門

高梨氏館から転戦 (2024/05/18 訪問)

臥龍公園の中にある古城跡。須坂動物園側から登場したが、遺構もさることながら、途中のあずまや付近からの北信五岳は絶景です。反対側には歴代須坂藩主の霊廟もあります。大体30〜40分程度で攻略。

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甚右衛門

飯山城から転戦 (2024/05/18 訪問)

飯山城から中野陣屋経由で転戦。堀や館の遺構だけじゃなく庭園の遺構も残っていますので、建物が無くても貴重な史跡。そばに見える鴨ケ嶽城か須田城かと悩んだ末に須田城に向かいました。

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しんちゃん

主郭の周辺には危険な仕掛けがいっぱい。 (2024/01/03 訪問)

寺原城でまだ投稿していない遺構の写真が残っていました。主郭の北側には大きな堀があって、その中に謎の巨石が散乱しているのですが、枡形のようにも見えるのですね。破城の際に意図的に配置したのかはわかりませんが、これらの巨石は主郭に積み上げるには大きすぎるので、元からこの周辺にあった可能性もあります。堀の周囲にはたくさんの石が散らばっており、これらは主郭の石垣だったものと思われます。主郭の西側には石垣が下に続いていて、堀を越えてきた敵にここから横矢がかかる仕組みだったようです。石垣のあたりから、敷石が主郭の方に真っ直ぐ向かって続いています。かなり急でここから登るのは危なそうです。侵入してきた敵は大量の横矢を受け、たまらずここから登ろうとして、上から落石をうけてやられてしまったのではないでしょうか。
主郭の南側に回り込むと消えかかった主郭への道がありました。だいぶ難儀しますが、敷石の場所よりはマシな気がします。ひょっとして敷石の道は敵を引き込むためのフェイクなのでしょうか?
主郭の周辺の切岸はどこも険しいので、敵に向かって石を落とすには最適の構造になっています。

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しんちゃん

今田城の山麓の居館跡 (2024/01/03 訪問)

今田氏館は今田氏の山城である今田城の山麓にある居館跡で、石垣が良好に残っています。今田氏が衰退した後は吉川氏の支城として使われました。現在は畑の石積みとなっており県の史跡に指定されています。

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しんちゃん

雪舟の庭 山口市常栄寺 (2024/01/02 訪問)

常栄寺は山口県山口市宮野下にある臨済宗の寺院です。前身は大内氏が大内政弘別邸跡に建立した妙喜寺で、境内には大内政弘公のお母さんのお墓が有ります。政弘公の依頼で雪舟が造営した庭が「雪舟庭」として本堂の裏に残され国の史跡および名勝に指定されています。
後に毛利隆元夫人の尾崎局を弔う妙寿寺となり、幕末に長州藩の本拠が山口に移った際に、毛利元就ゆかりの常栄寺が妙寿寺に移され、最終的に常栄寺になりましたが、雪舟庭は維持され続けて今に至ります。

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たか

天気が悪く手前まででまた今度 (2024/04/26 訪問)

タイトル通りです。
あいにくの空模様で足元も悪いので本格的に探索するのはまた次回にということで手前の入来小学校までいきました。
今度はしっかりと用意をして登城するぞ。

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たか

GWに30,000歩歩いてお城巡り(その4) (2024/05/06 訪問)

本日最後の登城は根木内城。
根木内歴史公園という事で整備されていて素晴らしい。
初心者のわたしは説明板をしっかりと読んで「ふむふむ」「へー」と勉強。
土橋の説明では感嘆が漏れてしまいます(笑)
築城する際にはいろんなことを考えていたんだなあと純粋になれた一日でした(完)

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たか

GWに30,000歩歩いてお城巡り(その3) (2024/05/06 訪問)

流山線の小金城趾駅で小金城と根木内城のご城印を購入。
馬屋敷緑地なんて書いてあるから当然ここはそうだよななんて独り言を言いながら歩いて大谷口歴史公園へ。
小金城へ行くとしっかりと説明板があり、初心者の私はしっかりと読んで勉強。
千葉県有数の巨大城郭という事で航空写真に地形を記入されていたものをじっくりと観察。
非常に大きくて感動。そして帰宅後にWEBで歴史を調べて堪能。
いやーやはりお城巡りは楽しい。

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