みんなの投稿

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初参加 (2023/12/16 訪問)

 お城EXPOは初参加です。よい情報を得ることができ、楽しい時間を過ごさせていただきました。

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太田小学校 (2023/12/16 訪問)

 横浜市立太田小学校付近が跡地とのことです。京急本線黄金町駅から徒歩約15分です。思っていたより急坂でした。

 お城EXPO2023に参加するために横浜に来て、時間が早かったので登城しました。

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三浦の晃ちゃん

幻のお城 (2023/12/16 訪問)

山崩れで、城下町ごと消えた幻のお城です。世界遺産の白川郷に向かう途中に、通りかかりました。

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しんちゃん

城址入口は東側の道沿いにあり。 (2023/12/10 訪問)

三留城は居館跡である正寿寺の近くに案内板が有ります。一乗谷朝倉氏初代・敏景の六男景儀の子・孫六郎景冬が築いたと書かれています。東に見える小山が五位山であり山頂部が主郭になります。登城道が不明らしいので近くまで行って直登しました。
今回は人目に付きにくい北西側の道から取りつきました。ザクザク登っていくと主郭らしい扁平地にたどり着きます。基本的に山頂部一帯を主郭として使用しているようですが遺構らしいものは見当たりません。南東側より降れそうなのでそのまま降りていくと平場にたどりつきそこから道が続いているのでそのまま脱出しました。どうやら入口は東側の道路沿いについているようです。そこから道なりに進んで途中から直登すれば難なく主郭にたどり着きます。山の持ち主がいるかは不明でトラブルを避けるため注意は必要です。

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とばつびしゃもん

三成に過ぎたるもの (2022/05/04 訪問)

龍潭寺前の駐車場に駐車し登城開始。
寺の山門をくぐり登山道を20分ほど登ると本丸へ。本丸の南側に天守の石垣と考えられる石が見られます。また本丸からは彦根城の天守がばっちり。
5重の巨大な天守があったと伝わる城。当時、徹底的に破城させられたのかその面影は感じられない。

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チェブ

ありがとう合戦。 (2023/12/16 訪問)

昨日まで、疲れているし今回はパスと、思ってましたが、いやいや 城びとの皆さんにお会いして、お礼がしたい!と、朝 家を飛び出しました。

4回目の登城。初めて電車で来ました。
みなとみらい線の新高島駅から10分弱です。出口を間違えたのと、工事中で通れない道があり20分近く携帯と標識を見ながら進みました。

でもって、当日券を入口付近で買えるかと思い、入城する例に並んでいたらチケットは別の場所とのこと。でも係の方が売場まで案内してくれました。ありがとうございます。
パシフィコ横浜ノースでのお城EXPOが初めてで、まごまごしてしまいました(゚д゚;)

と、一直線に城びとブースへ。
『チェブです』と遠慮がちに名乗ったら、『チェブさんっ』と。
すぐに私の投稿の話になり、読んでいただいている事に嬉しくなりました。ありがとうございます。
それから、あの例のカルタが展示してありました。
もう、城びと 『みんなの投稿☆オールスター』の方々のお名前がたくさんあり、『さすが~』『やっぱりな~』の連発です。
あっ、私のも絵札を1枚見つけましたよ。
カルタ大会が楽しみです(((o(*゚∀゚*)o)))

その後は、いろいろなブースで『必ず行きます。』と言いながら歩きました。

いつも、話せないお城のお話。
今日は、思う存分に話せました。
そして、いろいろな お城関係者に、お礼を言う場所だと思った「お城EXPO城」攻めでした。
本当に、ありがとうございました。楽しかったです。

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しんちゃん

福井市の中心。 (2023/12/10 訪問)

福井城は福井平野のほぼ中心に築かれています。越前十三郡68万石の領主としてこの地に入った結城秀康が築き、本丸・二の丸は家康自らが縄張りをしたとされています。(一説ですが)慶長11年に落成しますが、翌12年に秀康は無くなってしまいます。本丸北西に天守台が築かれ他の三隅部にも櫓が建てられていました。かつては中央に御殿が置かれ、西に御廊下橋が架かり、南に大手門が置かれ御本城橋が架かっていました。今はすっかり近代化していますが石垣は健在で、御廊下橋や山里口門が再建されています。
この季節4時を過ぎるとだいぶ暗くなってきていて写真も全体的に暗めです。

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くうくう

モニュメントとして駅南市街地の公園に

天正15年(1587)徳川家康が伊奈忠次に命じ鷹狩用宿泊施設と作らせた中泉御殿が始まり。ここに隣接するように江戸初期に中泉陣屋が置かれたらしい。西に表門を構え外回りの延長が約571m。遠江三河にわたる天領の支配は幕末には7万6千石余りに及ぶ。49代の代官が就任した。
現在は御殿遺跡公園となり、案内板があるくらいで遺構は無い。そこには、かつてここに遠江国府があったことを記している。「御陣屋跡 軍兵稲荷道」の道標が残る。小さな家康らしい石像があった。

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とばつびしゃもん

石垣を導入した先駆的な城 (2022/05/04 訪問)

中山道番場宿にある鎌刃城跡駐車場に車を駐車し番場資料館へ。資料館には城の模型などの展示があり、ガイドの方に解説していただきました。続日本100名城スタンプポン。
資料館から登城開始。高速道路の高架をくぐると「クマ出没注意」の看板にぞっとする。鎌刃城大手口の案内板を通って整備された登城道を進むと、北の大堀切、北大櫓跡、段々に続く北曲輪群、大石垣とたくさんの見どころが続く。資料館から40分ほどで主郭へ。石を使った枡形の虎口がきれいに整備されている。
水の手、清龍の滝へ向かうのは断念し、南曲輪から西曲輪の畝状竪堀群を段々に下り、滝谷林道へ出て下城。

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天守無しがアツい

豊島泰経 (2023/12/10 訪問)

(東京都の御城印URL)
https://gojyoin-meguri.com/category/gojyoin-castle/tokyo/

現地に着いてみて…ここは平地の中…しかも石神井公園の一環という位置にありました。画像1枚目には空堀と土塁が写ってるかと思います

フェンスで囲まれているのは、人が誰しも立ち入れないようにしないと史跡を守れないから。公園の管理局から許可を得た…学術調査を目的とした人間とかでない限り、この中には入れないわけです

(石神井城のwikipedia)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E4%BA%95%E5%9F%8E

かつてこの城は豊島泰経という大名(?)が治めていたそう。しかし扇谷上杉氏の家臣である太田道灌に攻め込まれ、1477年に落城…泰経は小机城に逃走…それ以降の足取りは記録にない…つまり彼は没年不詳と思われます

画像3枚に渡る石神井城の写真…他にも候補として浮かぶものはあったのですが、(あまり撮りすぎるとスマホの残量が厳しくなるかもなので)とりあえず制限し、他は目に焼き付けるのみにしました👀

ここにも天守の類は無く、堀に土塁が残るだけの防御施設…時期的に言えば北条早雲の頃でしょう。予想よりあっさりと城跡見学は終わったので、石神井公園の池を一周🚶

池には鴨がたくさん泳いでおり、餌をあげている子供がいました。画像4枚目に写るはキンクロハジロ…体は黒くて目は黄色…久しぶりにその姿を目にするので、衝動的に撮影

ボートを漕ぐ方もあり、ここはカップルもしくはファミリー向けの、長閑な場所…戦国時代にこの辺りに城があり、戦闘がおこなわれ死人も出た…なんて面影はもはやありません🚣

ボート乗り場や休憩所の先にパティスリーカシュカシュというケーキ屋があり、そこで御城印の販売がありました(そもそも何故扱うのが洋菓子店?関係性が全く感じられないのだが😅)

3種類ありスタンダードタイプを選んだ私。「いっぺんに3つ買わなくていいや。また来ることがあるかもしれないから、もし別のを買う時はその時のお楽しみで…」と考えたのです

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tp.etsu

多少天気が悪く (2023/12/16 訪問)

上からの眺めは、近場まででした。
しかし、山にかかる雲もまたいいですね。
駅前に、こんな城趾があるとは、面白いですよね!

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tp.etsu

今は (2023/12/16 訪問)

館跡地に武田神社が建っていますが、敷地内のあちらこちらに曲輪跡などが残っているので、想像を膨らませて楽しめました。

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tp.etsu

暗い… (2023/12/15 訪問)

時間が遅くなってしまったので、書院の中に入ることはできず外観だけでしたが、スッキリしたスタイリッシュな佇まいでした。

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しんちゃん

広大な城域に良好な遺構。そして‥‥ (2023/12/09 訪問)

大聖寺城は標高70mほどの錦城山一帯に築かれていて本丸を中心に広大な城域を持ち、遺構も良好に残っています。関ヶ原の合戦の際には小早川秀秋の家臣・山口玄蕃宗永が居城とし東軍の前田利長の大軍2万5000に攻められ一日で落城しています。江戸時代加賀藩主三代利常の三子・利治が大聖寺藩7万石で入りますが城山に居を置かず御止め山として入山を禁じたため遺構が良好に残っています。
遊歩道を周遊すれば一通り見ることが可能で、東出丸からは白山が眺望でき、鐘が丸には櫓台を備えた土塁が残ります。土塁の北側は骨が谷と呼ばれ、かつて前田軍に攻められたとき最大の激戦地となり多くの屍が放置されたそうです。本丸北側の通路は局谷と呼ばれ、落城の際、城内の女中が本丸より身を投げたのが名の由来だそうです。西の丸の南側には馬洗い池があり今でも水をたたえています。後述の熊はここへ水を飲みにきている可能性があります。
南東の郭・戸次丸へ向かう途中に熊のフンがありました。山家城や東北の城で見たものより小さいですね。まだ若いクマのようですが小熊ではなさそうです。こんな町に近いところにも普通に出るんですね。もう慣れっこになってしまったのでそのまま散策を続行。
せちがらい人間社会より熊のいる城山の方が落ち着く‥‥いやいや周囲の警戒を怠らず慎重に進みます。本丸には櫓台や高土塁が残り土塁の上から局谷を覗き込みます。本丸をでて馬出曲輪に到着。周囲が良く見渡せます。柿の木が有ります。先ほどのフンの主はこのあたりまで足を延ばしているかもしれません。山家城と違ってここの熊は住みついている可能性があるので朝方や夕方は特に気を付けていただきたいと思います。そういえばこの城址公園、こんなうってつけの散歩コースなのに人の姿を全く見てない。
やはりそういうことなんですかね。

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キンヤ

小牧長久手の戦いで徳川家康が改修した陣城 (2023/12/03 訪問)

山頂の主郭部に続きまして、それ以外の山麓〜山の中腹を投稿させて頂きます。

小牧長久手の戦いでは織田信雄・徳川家康の陣城となり、家康は榊原康政に命じて、堀・土塁・虎口などを改修したとされます。
山麓〜山の中腹に今見られる堀・土塁・虎口は、主にその改修時の遺構と考えられるそうです。 

山麓には、二重の土塁と堀が取り巻いていたとされます。
山麓の外側の土塁は、西側と南西側以外は消滅してましたが、内側は良く残されています。

山麓の1番の見所は、南側に復元された堀・土塁だと思います。
上から見ると深い堀で、下から見上げると高い土塁で壁のようです。
土塁の間の堀は敵の秀吉軍には見えないため、家康軍はこの堀を通って、三河中入り軍に奇襲をかけたとの説があり、大河ドラマ「どうする家康」でもそう描かれてました。

今回は西側曲輪地区は素通りして、主郭地区の中腹を見て廻りましたが、土塁・堀・曲輪・虎口が良く残されています。

中腹の1番の見所は主郭地区と西側曲輪地区を分断する堀だと思います。
長大で折れた竪堀から横堀に続き見応えがありました。

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しんちゃん

街中の すぐ近くにある わが天守。 (2023/12/09 訪問)

丸岡城は標高17(20)mの丘陵に築かれている平山城で現存12天守の一つで、柴田勝家の甥・伊賀守勝豊によって築かれたと伝わります。天守の築城時期はよくわからず、かつては国宝の指定を受けていました。現在は天守のある本丸が残っており石垣が残っています。天守は石瓦で葺かれていて、地元で取れた笏谷石を使用していて、これらの石瓦は江戸初期に葺かれたものと推測されています。小ぶりな天守ですが比高も低いので街中のすぐ近くにその姿を見ることが出来ます。非常にコンパクトで手のひら感のある城址ですが、れっきとした現存十二天守で日本百名城の一つです。

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金シャチ事業部

天下様もかなわぬものは 金の鯱ほこ 雨晒し (2020/04/01 訪問)

天下様(江戸の将軍様)もかなわぬものは 金の鯱ほこ 雨晒し(K18で88kg、時価6億6千万円を天守で雨晒しにする程の尾張の殿様)

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しんちゃん

ちょっとだけ天空の城。越前大野城 (2023/12/08 訪問)

戌山城・天空の城鑑賞スポットからの眺めです。この日は周囲はけっこう霧がかかっていたのですが、肝心の大野城はこんな感じです。夜中の2時から夜通し走ってきたのですが展望所に登ったころは朝8時近くになっていました。べつに朝霧を期待していたのではなかったのですが周囲が霧に囲まれてくるとつい期待してしまうものです。よほど霧が濃い日でないかぎり天空の城みたいにはならないようですが、雰囲気は感じとれました。日が高くなってくると朝もやがたちこめて、なんちゃって天空の城みたいになります。地元であればちょくちょく通ったりするのですが今回はこれでよしとして大野城に向かいました。(オチが先についてますが)

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しんちゃん

越前大野城遺構 (2023/12/08 訪問)

大野市には大野城にまつわるいろいろな遺構が残っています。
藩主隠居所・時鐘‥大野城駐車場近く、隠居所は今は休憩所として使用されています。
鳩門‥光明寺・大野市犬山
不明門‥真乗寺・大野市中丁
土井利忠像・金森長近像‥大野城址
大野城は現在冬期休館中で続百名城スタンプは武家屋敷旧内山家に設置されており、近くには旧田村家があり、田村家には大野城の外堀の一部が残っていて築山として利用されています。
武家屋敷旧内山家‥大野市城町10-7
武家屋敷旧田村家‥大野市城町7-12

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カズサン

現存巽三重櫓 (2023/11/27 訪問)

 現存坤三重櫓の続きです。

 現存巽三重櫓は本丸南東角に存在し大堀切越しの二の丸虎口も合わせて睨みを効かせています、展望デッキからは明石大橋を遠くに眺めてのツーショット写真を撮る事も出来ますが、この日は採光が良く無く曇りの雨の降りそうな天気で写真は今一。
 本丸の西と東に現存三重櫓が存在する事は明石城だけです、大変貴重な存在です、築城当時は北側に乾三重櫓と艮三重櫓があり、本丸を4基の三重櫓で護っていた豪華な造りでした、大天守が無い分を大いにカバーしていた事でしょう。
 グルーと巡って撮った巽三重櫓の写真を投稿します。
 
 次は二の丸登虎口周辺に続きます。
 

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