ぴーかるさん私が以前、椿尾下城の投稿をしたことを覚えていてくれましたか。城びとの城以外の投稿を読んでいただけたとは嬉しい限り。そう‥下城は南側から攻めるとやりやすいんですよ。※
さて‥鰐淵寺の投稿をさせていただきたいと思います。(また城じゃないんかい)島根県出雲市別所町にあるこのお寺、歴史は古く推古天皇の時代に信濃の智春上人が当地の滝に祈って天皇の眼病が回復したことから推古天皇の勅願寺として建立されたとのことです。
鰐(ワニ)はワニザメのことらしく上人が滝つぼに落とした仏具を鰐がエラに引っかけて来てくれたことから寺の名前が来ているそうです。人手は入っているんだけど、この寂れた感じがたまらなく良いです。良い意味で古寺の雰囲気が出まくっています。
武蔵坊弁慶が18歳から3年間、当寺で修行をしていたという伝承があります。松江生まれらしいですね。大山寺から一夜で釣鐘を運んできた(盗んだ)との伝承があり、その時持ち帰ったとされる銅鐘は国の重要文化財に指定されています。
後醍醐天皇の建武の新政の際には南院と北院に分かれ鰐淵寺内で対立が起きたそうです。貞和3年(1347)に両院は和解し唐川から別所に寺を移したそうです。今でも鰐淵寺の配置は山城の縄張りのようにも見えますね。
このお寺の域内に,あの八百屋のお七と若衆小野川吉三郎のお墓が有ります。吉三郎の名は井原西鶴の浮世草子から来ているのかもしれません。実際の名は生田庄之介の方が正しいようですね。お墓の近くに立っている案内板によるとお七を憐れんだ吉三郎は出家して、お七の遺骨を持って全国の寺院を行脚している時に鰐淵寺で行き倒れたと書かれています。
齢16で火あぶりにされたお七の話は悲劇性が強く後世の人が創作した話かもしれませんが、二人のお墓が並んでいるのを見ると何か救われたような気がします。せめて極楽浄土で二人仲良く暮らしていただきたいものです。
※R12に抵触する表現が含まれていた可能性があるので修正いたしました。ヘンな意味は無いんですけどね本当に。
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