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カズサン

六分の一殿山名氏故郷の城 (2022/11/13 訪問)

 二年振りに無事本丸登城出来た鷹留城を終えて、昨年10月ナビで山名城直下の駐車場に着けず断念したした山名城に再挑戦、目的の駐車場は昨年と同じ所、ナビは新品に交換、しかし今回も同じ団地に着き二回ほど回るが分からない、団地内で犬の散歩で歩いてる方に山名城と地図を示して訪ねる、徒歩ならここからが近いが車は不可、西山名駅(上信電鉄)を廻る道を行けば着くとの事、有難う感謝です。
 ナビの目的はそのままにして西山名駅ルートに進行、山上碑・山上古墳の看板は大きく出てるし、ナビに従い細いが舗装された道を行くと、目的の駐車場の手前に第二駐車場(36°16'36"N 139°01'50"E)が有り、山上碑登りまで200mとの案内で歩く事にする。ここの駐車場には循環バス停車場にも成って居る。

 200m程歩いて行くと、山上碑山上古墳/根小屋城の案内指示板が有り坂階段を登って行くが山名城の看板は無い、古墳の階段前に山上碑の案内ボランティア、山名城の案内を聞き一安心、「特別史跡・山上碑」の御城印ならぬ山上碑印を頂く、登って古墳前にもボランティアの方、山上碑と山上古墳の案内説明、そこその方が来れれて居ました。
 
 山名城は古墳を回り込んで尾根道を約200m程行くと山名城の案内板と山名城・根小屋城を示す看板が出てる、山名城へは200m程登る(根小屋城へは1100mと案内)、細い人踏道が有り枯葉で滑りやすい、途中に竪堀かな?本丸の西曲輪の堀切、本丸への堀切、その堀切に登城丸太階段が本丸に続き、登ると本丸内部小公園の様、城名石碑、休憩テーブルセット、本丸の東が二の丸、草も樹木も茂って良く確認できない、踏み込みもしなく周辺を眺めてお仕舞。

 山名城へは山名氏の城と言う事で有り、故郷鳥取県因幡の国は守護大名は山名氏であり思い入れも有って是非訪ねたいと長く思って居りました、数年前に麓に駐車場が有るとの情報で登城を狙って居ましたが昨年失敗、今年登る事が出来ました。
 故郷鳥取には小中高と山名姓がそこそこ居り親友も居ます、山名氏は天下60国中10ヶ国の守護の時代が有り、六分の一殿と言われた、故郷鳥取の因幡を始め伯耆、但馬、美作、石見、備前、備後、安芸、播磨、伊賀だったそうです。
 
 歴史と構造:源義家の孫新田義重(1116年~1202年)の子義範は、この城に拠って山名氏と称し、以後8代山名城を護ったという。東西450m南北130m連郭式山城東に張り出してる。
 南北朝時代北信濃南朝方の関東の橋頭堡の一つ、戦国時代木部城の要害城として改築された。
 (山名城入口の案内板に由る)

 登城前に山上碑と山上古墳をボランティアの方の説明と見学をしました、上野三碑の一つ山上碑、そして山付き円墳も見学、これらはユネスコ「世界の記憶」上野三碑に成ってる様です。
 勉強に成りました。

 私が駐車した駐車場よりも登り口近くにアスファルト舗装とトイレの完備した山上碑・山上古墳駐車場が有ります。
 
 情報源は何時もの古城盛衰記さん余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依ります。
 

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赤い城

公園だけで終るのはもったいない (2022/11/13 訪問)

国道294号線から霞ヶ城の案内板に沿って進むと駐車場があります。
さらに上にも駐車場があるようなので時間短縮したい方はそちらが良いと思います。
下の駐車場には説明板があり、登城路に沿って登ると公園に着きました。
途中、尾根道もあり、堀切も施されています。
公園は三郭のようで広く、土塁が残っています。
奥に進むと神社が建つ曲輪があり、ここが二郭。
神社背後には深い堀切があり、主郭との間を分断します。
主郭は藪でした。
主郭の下の堀をさらに進んで行きましたが曲輪が堀切で分断されたなかなかエグい城でした。
那須七党の伊王野氏の城。
まだやや藪だったのでこれからの時季ならじっくり見ることができそうです。
夏は無理かな?
いずれにしても公園部分だけで帰るのはもったいない城です。

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朝田 辰兵衛

土(ひじ)方歳三資料館は長期休館に入りました。 (2022/11/27 訪問)

11月27日をもって,土(ひじ)方歳三資料館は長期休館に入りました。最終日の予約が取れなかったので,館内には入れず。しかし,門前のお土産販売や周囲の撮影はでき,それなりに雰囲気は味わうことができました。熱烈なファンも駆けつけてましたので。
土(ひじ)方歳三墓所も,もたもたしてるとすぐに行列となりました。土(ひじ)方人気,恐るべし…。
表現が適切かわかりませんが,高幡城のtodo94さんへも無事に挨拶を交わすことができました…<笑>。

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零汰

九州発:佐賀・福岡:1日目

10月に入ると天候が落着いてきた。考えがあって4.5名のお客さんに様子見の連絡をしてみた。順調、問題無し・・・オレ居なくてヨシ。続いて弟子たちに連絡。明後日から居ないから、何かあったら各自解決して。その後ホテルを確認、珍しい糸島が空いてる。流れで糸島を中心に佐賀・福岡。だったら3年越しのあそこに行こう、その他はピン付けしている周辺の城を行き当たりばったりしらみ潰しコースと決定。10/20~23の4日間、早朝からガッツリ訪問した。

朝3時に自宅を出発、まずは佐賀県鳥栖にある城ひと登録の鏡城がスタート、・・・・・道路崩落で立入禁止。一発目が不調だと後々響いてくる。済んでの所、本日は鏡城を含め2城が道路崩落で不調に終わった。

10月20日(1日目)
1. 勝尾城東山城(佐賀県鳥栖市)・・・・1時間:1.4km:累計高低差190m(直登)
2.◆若山砦(佐賀県鳥栖市)・・・・・・・1時間10分:1.9km:累計高低差211m
3. 立石館(佐賀県鳥栖市)・・・・・・・PK訪問(住宅地化)
4. 少弐山城
5. 木太刀権現城塞
6. 臥牛城(4~6共に佐賀県三養基郡)・・1時間25分:1.9km:累計高低差183m(3か所同時訪問)
7. 白虎山城(佐賀県三養基郡) ・・・・・40分:0.6km:累計高低差51m
8. 七曲峠城塞(佐賀県三養基郡)・・・・ 30分:1km:累計高低差100m
9.◆一ノ岳城(福岡県那珂川市)・・・・・2時間15分:4km:累計高低差418m
◆は城びと登録城、PK訪問は遺構消滅、案内板のみなどの城跡です。

投稿の少ない城やマイナーな城については、遺構の残る城のみ個別で投稿する気持ちは常に持ってます。

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宗春

紀伊半島中央突破シリーズその3 和歌山城 (2022/11/22 訪問)

紀伊半島中央突破シリーズその3
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。

その友人から渡された「ブラタモリ」和歌山の回で予習。大砂丘に立つお城だったんですね。で、他のお城には無い「砂の丸」てのがあります。
連立式天守はRC造の外観復元天守でしたが、国や市の(重要)文化財に指定されている建造物や石垣・水堀等の遺構もあり、見応え十分でした。流石御三家の城。

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カズサン

再挑戦、長野氏中世の山城 (2022/11/13 訪問)

 箕輪城の完成した本丸・蔵屋敷間木橋を充分堪能して、昨年10月本丸登城を失敗した鷹留城1郭、2郭登城しました。

 鷹留城へは箕輪城から西方直線約6km程の山中、箕輪城駐車場から北側に進み、群馬県立農林大学校を通り四辻交差点を左へ、榛名南麓広域営農団地農道/フルーツラインを道なりに進んで行く、中間辺り途中に榛名十文字うどん店が在る、更に進み小さい指示看板ですが道沿い入口に「鷹留城0.3km」が出ている。
 車は入口へ駐める(36°23'35"N 138°53'28"E)。軽トラの轍があるので幅寄せし軽トラが通れるスペースを残す。
 
 昨年失敗してるので今回は素直に1郭を目指して直登、登ると1郭の石碑が見える、また広い帯曲輪、北側の曲輪との間に幅広い堀切、1郭の東側切岸、斜めに付いてる人踏道を登り1郭に到着、中心に石碑(鷹留城死没者慰霊碑)と城名標柱、案内板、西側に石段が付いてる後世の構造物かも、降りて1郭西側へ、広い帯曲輪、西側が本来の虎口なのでしょう、1郭の隣の2郭へ、1郭・2郭間も広い堀切、2郭も石段が付いて居り、曲輪内に個人の立派な墓石が有る、結構広い曲輪、2郭の東側に大きい竪堀。(郭の名称は余湖図コレクションさん俯瞰図に依る)

 歴史と構造:明応年間(1492年~1500年)長野業尚築城、永禄9年(1566年)9月武田信玄勢のために落城(城主業通)長野氏4代70余年の居城。
 規模は並郭式であり、南北430m、東西300m、本丸高さ、東谷より70m。
 (以上1郭案内板に由る)

 3郭は昨年の失敗ながら大手門跡より竪堀と共に眺めて居るので今回パス、搦手側の土橋は1郭下から人踏道らしきものが無いので踏み込みませんでした。
 土の城で南北に連郭式、広い廓、郭間に広い堀切が有り、周囲には帯曲輪を備え、西方面には多段の曲輪が構えて、東方面の敵への構えの城、素晴らしく遺構も残り中世山城を探訪するのにピッタリの山城で皆さんにも是非とも探訪をお勧めします。
 長野氏は鷹留城から東の箕輪城に拠点を移したようです。(城郭放浪記さんによる)

 今回前回探訪の情報源は城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。(グーグルマップを拡大すると鷹留城史跡マークが出ています)

※ イオさんへ
 白山平泉寺城のコメントありがとうございます。白山神社城郭と平泉寺城郭が先の投稿で結びつき早速の探訪と成りました、私も白山平泉寺城郭探訪はここ数年来内記憶に起こる探訪でした、数拾年の疑問が解決したのは大変大きな事柄でした。
 今後ともよろしくお願いします、投稿を楽しみにしています。
 

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宗春

紀伊半島中央突破シリーズその3 和歌山城(前夜) (2022/11/21 訪問)

紀伊半島中央突破シリーズその3
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。

和歌山市に到着した時には既に暗く、和歌山城はライトアップされていました。宿泊は和歌山城がよく見えるビジネスホテル。部屋はお城を見れる側ではなく残念でしたが、エレベーターホールからは何とか見られました。
ホテルから眺めているだけでは物足りなくなり、折角ライトアップされているので天守まで行ってみる事に。天守や門はライトアップされているとは言え、城内はほの暗く恐怖との闘いでした。まあお城のライトアップってそんなもんですよね。

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イオ

吉野山(南朝ゆかりの地) (2022/10/30 訪問)

吉野といえば何といっても南朝の本拠地であり、南朝ゆかりの史跡が数多く見られますので、吉野城とあわせてめぐってみました。

吉野神宮

吉野神宮は後醍醐天皇を祭神として明治に創建され、吉水院に奉安されていた後醍醐天皇像を御神体としています。広大な境内に立派な社殿が建ち並んでいますが、中心部から少し離れているせいか人影はまばらでした。なお、元弘の乱の吉野城攻防戦ではこのあたり(丈六平)に幕府軍の陣が布かれ、駐車場には丈六平の石碑が建てられています。

村上義光公の墓・村上義隆の墓

吉野城の落城に際して、護良親王を脱出させるべく親王の鎧と直垂を身に付けた村上義光が蔵王堂南側の二天門で親王になりすまして自害し、義光の首は首実検のために運ばれる途中、峰の薬師堂のあたりで見破られて捨て置かれたのを里人が埋葬したと伝わり、道路沿いに石碑と説明板が、そこから石段を上ったところに村上義光公の墓が設けられています。
護良親王は金峯山寺の奥の勝手神社から搦手道を逃れましたが、追手を食い止めるため村上義光の子・義隆が細道に立ち塞がって奮戦し、その間に親王は落ち延びることができたものの、義隆は十数箇所の傷を負って自害。搦手道沿いに義隆の墓が建てられています。

金峯山寺

金峯山寺は飛鳥期に役行者が開創した修験道の総本山で、境内には護良親王が本陣を置いた蔵王堂や村上義光が自害した二天門跡(村上義光公忠死之所の石碑あり)があるほか、西側の一段下は南朝(吉野朝)の行宮となっていた実城寺跡で、跡地に建つ南朝妙法殿には実城寺の本尊が安置され、南朝四代の天皇と忠臣たちが祀られています。また、金峯山寺の南隣には後醍醐天皇導きの稲荷が祀られており、京から吉野に逃れる途中、夜道に迷った後醍醐天皇を導いた稲荷社を勧進したと伝わります。

吉水神社

吉水院は飛鳥期に役行者が開創したと伝わり、鎌倉初期には源義経主従と静御前が潜居し、南北朝期には京を逃れた後醍醐天皇が行宮とし、織豊期には豊臣秀吉が行った吉野の花見の本陣となった寺院で、明治の神仏分離令により後醍醐天皇を祭神とし楠木正成らを合祀する吉水神社となりました。書院には後醍醐天皇玉座が現存し、中庭には後醍醐天皇が京の方角を望んで邪気払いをしたとされる北闕門があります。また、書院内には後醍醐天皇の御宸筆や大塔宮(護良親王)の陣羽織、楠木正成の矢筒などゆかりの品が多数展示されています。

如意輪寺

如意輪寺は平安前期建立の寺院で、南北朝期には後醍醐天皇の、そして南朝の勅願寺となりました。本堂後背の丘には後醍醐天皇御陵が設けられ、後醍醐天皇の遺詔により京を望んで天皇陵で唯一北向きに造られています(通常は南向き)。また、境内には四条畷の戦いに赴く楠木正行と郎党が髻を切って奉納したと伝わる埋髻の墳があります。宝物殿では後醍醐天皇ゆかりの品や楠木正行が辞世の歌を刻んだ本堂の扉などが展示されているようですが、じっくり見学する時間がなかったのでまたの機会に。
 

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todo94

城カード「再建天守シリーズ」ゲット (2022/11/12 訪問)

すっかり震災の被害から立ち直っていた白河小峰城。かつては10時にならないと入れなかった三重櫓でしたが、今は9時開館。この日は9時前に入ることが出来てしまいました。城カードを販売している二の丸茶屋が9:30オープンだったので、会津門跡や雪見櫓のビッグフラワー(ピクミンブルーム)を咲かせて遊んでいました。三重櫓の中の100名城スタンプは旧デザインのゴム印でしたが、二の丸茶屋のスタンプは続100名城規格に準拠したシャチハタの新デザインでした。福山城のスタンプでも気がついていたのですが、さすがに4度目の100名城スタンプラリーに踏み出す気にはまだなっていません。

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小荷駄

葛山城跡 (2022/11/27 訪問)

紅葉をと思い長久保城跡と合わせて散策して来ました。駐車場トイレは仙年寺南側に有ります。駐車場から南東方向に歩いて5分しない位の所に館跡も有ります。私は館跡から散策して通を北に歩いて大手口から登城しました。東西二つの二重堀切や北側の畝状竪堀、大きな竪堀や帯曲輪等本丸二の丸以外にもたくさんの遺構があり尚且つ保存会の皆様方のお手入れが行き届いていますので何度も来ていますが毎回楽しく散策出来ます。保存会の皆様方に感謝いたします。

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小荷駄

長久保城跡 (2022/11/27 訪問)

葛山城に向かう前にちょっと寄り道しました。駐車場は城山神社の西側に有ります。トイレは神社内に有ります。遺構は神社内に土塁、曲輪と国道を北側に渡った小学校の横に土塁が有ります。隣のショッピングモール内に城のイメージ図の案内板がありそこに小さなパンフレットが有ります。 石碑はショッピングモールの北側国道を渡った所に有りますが物流倉庫入口にあるので大型トラックが出入りしていましたので注意が必要かと思います。城山神社から南へ徒歩15分程行ったパン屋さんを左に曲がった所に一柳直末首塚が有ります。

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赤い城

コウヤマキ推し? (2022/11/13 訪問)

那須歴史探訪館の駐車場を利用。
坂道を登ると芦野氏陣屋跡のあった二の丸へ。
広いスペースとなっていて説明板が立っています。
さらに登ると本丸、鉄塔が立っていました。
空堀で区切られた曲輪が並び、一番東側の曲輪には天然記念物のコウヤマキがあります。
築城時からあったとされていて城跡よりはこちらが推されている感じでした。
深い空堀が残っていて城跡も結構見どころありなんですけどね。
ちょうど紅葉シーズンでこちらも見応えありでした。
那須七党の芦野氏の城、整備された良い城でした。

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ぴーかる

東郷槇山城 (2022/11/05 訪問)

【東郷槇山城】
<駐車場他><36.012599, 136.273938>の地点に槙山城跡の表示板があります。東に折れ少し進むとゲートがありますので手動で開閉し車ごと中へ入ります。山頂付近にトイレのある槙山公園の駐車場6台程度があります。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>現地案内板によると東郷槇山城は1388年に朝倉正景によって槇山の地に城砦が築かれます。朝倉孝景が本拠地を黒丸城から一乗谷に移すと東郷槇山城は支城としての役割をします。朝倉氏滅亡後は柴田勝家を経て豊臣秀吉より長谷川秀一が15万石で入部して城下町の整備や城郭の二の丸・千畳敷・城台には石瓦の天守閣を築造しました。文禄の役で長谷川秀一が死去後は丹羽長秀の次男長昌が城主となりますが関ケ原後に改易され城は廃城となります。
 城跡は城台と呼ばれる主要部をはさんで鞍部が駐車場、南に千畳敷と呼ばれる広い曲輪があります。千畳敷は公園化されていますが大きい土塁がドカンと一つあり、すごい迫力です。背後は堀切となっていて尾根を分断しています。更に南に下った所(一乗谷に行ける分岐)にも堀切があります。主郭の切岸にわずかに石垣が残り道路から見ることができます。主郭の東側、道路をはさんで段曲輪が広がっているようですが、少し下まで行きましたが、先が藪化していたので断念しました。

<満足度>◆◆◇

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零汰

終活3:100城・続100、城郭巡り:サンイン 4日目最終日

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?

最終日は夕方4時過ぎに大阪港到着予定。大阪港に向かうまでの正続100城は篠山城と芥川山城の2つ、残りの時間は良く耳にして尚且つ訪問し易い城をチョイスしました。まずは篠山城を5:45に訪問スタート。こちらは建物を見て見たかったが鍵が掛かっていて妻面しか見ることが出来ない。建物は様々な媒体の写真で補完するとして外周を見て廻り亀山城~勝龍寺城へと栄えた街中に向かって行く。

関西に限らずバイクで街中の城に向うのは苦手だ。街中では小回りが利かず、グーグルパップのマニアックなルートでは結構しんどい。時には知らず知らずのうちに一方通行を逆走していたりする。それでも一番苦労するのはバイクの駐車問題。これは自治体だか何か分からないが、土地柄によってだいぶ違いがあるようだ。バイク用を確保している城駐車場や、無条件に停めさせてくれる場所もある。ガッカリするのはバイクを停めさせてくれない駐車場もある。無人駐車場だと隅やデッドゾーンなどに停められるが、有人駐車場では8割方空いていても門前払いされてしまう事も。そんな場合は地元の人達が無断駐車している場所を探して、横に駐車して小走りして訪問している。

山崎城がそうだった、登山口前に公園が有り、地元のお年寄りが自転車やスクーターを停めて集まっていた。これ幸いに横に駐車して訪問。トイレも自販機も、もちろん水道もあったのでとても助かった。バイクを駐車場に停められないデメリットもあるが、さり気なく駐車出来るメリットもあるので良しと考えている。

10月4日(4日目)
1.篠山城(兵庫)・・・・・40分:1.8km
2.亀山城(京都)・・・・・15分:0.6km
3.勝龍寺城(京都)・・・20分:0.7km
4.淀古城(京都)・・・・・PK訪問
5.淀城(京都)・・・・・・・25分:0.6km
6.山崎城(京都)・・・・・1時間:2.2km:累計高低差244m
7.芥川山城(大阪)・・・50分:2km:累計高低差120m
8.高槻城(大阪)・・・・・20分:0.5km

1・7は100城・続100城です。本日分も個別の投稿はしないので、詳細は諸先輩方のレポートをご覧ください

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カズサン

やっと本丸・蔵屋敷間木橋を観れました (2022/11/13 訪問)

 復元された本丸・蔵屋敷間の木橋をやっと観る事が出来ました、昨年10月10日木橋の工事進捗確認し、来春の桜の頃だなと心に決めて半年、4月5月の城廻り探訪の好シーズン、しかし武漢コロナウイルス新株の感染拡大が続き県境越えも儘ならず、夏は城廻りも控えてと為ると秋深し頃、11月に孫の運動会が有り家内と宇都宮へ、孫の運動会を楽しんだ翌日、宇都宮から上野、武蔵未踏の城、再チャレンジの城と城廻りその日の第一弾は待ちに待った箕輪城木造り本丸・蔵屋敷間木橋の見学探訪、にのまるさん他多数投稿も有り焦る気持ちで搦手側駐車場に到着。

 駐車場から箕輪城の案内縄張図の所に本丸・蔵屋敷間木橋通行制限の告知R4年11月1日~R5年2月末R4年度の整備工事実施で通り抜け出来ないと!折角来たのにと思いながら、搦手登城路、二の丸、本丸南虎口、本丸内、本丸西の木橋へ、確かに木橋中央にフェンスガードが置いて有る、通り抜け出来ないがフェンスガードまでは行ける、周辺撮影して、二の丸、三の丸、蔵屋敷跡、蔵屋敷側から木橋に入りフェンスガードまで行く、通り抜けは出来ないがフェンスの幅分除いて木橋を制覇、木橋より周辺撮影して、本丸西堀に降りて木橋を南側から見学観察撮影、周辺撮影して、本丸堀の大きさに驚愕、素晴らしい土の造りの城です、木橋主体の探訪でしたので他は三の丸から大堀切、土橋、郭馬出、郭馬出西虎口櫓門、木俣を通って郭馬出、二の丸の切岸の高さも実感して駐車場へ。

 まあ兎に角完成した木橋を見学一部渡、観察出来ましたこれだけで満足な事です、後は復元計画に在る本丸西虎口門の完成を見届ける事です、何時に成るのかな?
 朝早かったので探訪終わった頃に搦手駐車場に何時ものテントが出て居り資料等頂きました。
 次の再チャレンジ鷹留城に向います。
 

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朝田 辰兵衛

桑都日本遺産センター八王子博物館(東京都八王子市) (2022/11/26 訪問)

「はちはく」行ってきました。指令書がなくならないうちに…と思い,初日に都合をつけて。
八王子城登城までは組み込めなかったので(←気持ちの問題だけかも…),「人の書」によりステッカーをゲットしました。

内容詳細は不明ですが,2023年11月4~5日で「日本遺産フェスティバル」が東京たま未来メッセで開催されるという案内を受けました。

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イオ

吉野城(奈良県吉野郡吉野町吉野山) (2022/10/30 訪問)

吉野城(城びと未登録、金峯山城とも)は、役行者が開いた大峰山への入口として修験道の寺院が建ち並ぶ吉野山を城郭化したもので、鎌倉末期に大塔宮護良親王が十津川から吉野山に入って金峯山寺蔵王堂を本陣として挙兵。北麓を流れる吉野川の南岸に4つの支城を築き、尾根筋に堀切や木戸を設けて幕府軍と対峙しましたが、大峰山に続く宝塔院側から奇襲を受け、護良親王は高野山に落ち延び、吉野山の多くの寺院が焼亡しました。

下千本駐車場に車を駐めて登城開始。道なりに5分ほど歩くと朱塗りの大橋があります。大橋はかつての吉野城の堀切(空堀)に架けられており、幕府軍との激戦地だったことから「攻めが辻」と呼ばれています。大橋から徒歩6分の金峯山寺銅鳥居は江戸中期に再建されたものですが、このあたりも吉野城の曲輪だったようです。銅鳥居から徒歩4分で金峯山寺に到着。蔵王堂(国宝)は金峯山寺の本堂で、護良親王の本陣が置かれました。蔵王堂の前庭の石柵の中に植えられた四本桜は、落城を前に親王が最後の酒宴を開いた地と伝わります。金峯山寺から6分ほど進むと勝手神社があり、手前で搦手道が分岐することから木戸が設けられていました。

勝手神社から徒歩10分、奥千本行きバスのりばの前に天王橋があります。意識していないと見落としてしまいそうなわかりづらい橋ですが、堀切跡に架けられたもので、東詰に石碑が建てられています。天王橋から少し登ったあたりが桜の名所の中千本で、見晴らしの良さから火見櫓と呼ばれるのろし場が設けられていました。また、火見櫓の南下には立派な大塔宮仰德碑が建てられています。

火見櫓から20分あまりひたすら登って行くと上千本の花矢倉展望台に至ります。展望台からは吉野山が一望のもとです! 花矢倉も曲輪だったようで、この眺望の良さから考えると見張台が設けられていたのでしょうか。花矢倉から4分ほど歩いた吉野水分神社も吉野城の曲輪として機能したとされます。吉野水分神社から15分ほど登った先の高城山には、吉野城の詰城としてツツジが城が築かれました。頂部に平場が広がり、北端には休憩所(展望台)が建てられています。

高城山から20分ほど歩いたあたりが奥千本です。宝塔院と呼ばれる吉野山最奥の一帯には、かつて安禅寺蔵王堂や四方正面堂、多宝塔などが建ち並び、吉野城の一部となっていました。奥千本の先には大峰山を経て熊野まで続く大峯奥駈道が続いていて、護良親王はこの地から吉野山に入り、吉野城を陥落させた幕府軍もここから攻め込んでいます。現在では奥千本まで車で上がることもできますが、そもそもは修験道の修行のための道なので、往時は大変に険しい道だったと思われます。

…ということで、わかりやすく城郭! という箇所はほとんどありませんが(大橋の堀切くらい?)、位置関係や眺望などから、曲輪があったと言われればそうかも、と感じるところはいくつもありました。

# カズサンさん、白山平泉寺の投稿が何がしかのお役に立てたようで何よりです。私の場合は不勉強のため現地に行くまでその存在を知りませんでしたが、今年訪れた中でも屈指の印象に残った城となりました。発掘調査が進めばまだまだいろいろと見つかりそうですし、今後も楽しみなことですね。
 

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todo94

白河小峰城に行く前に (2022/11/12 訪問)

県外遠征第2弾は、移転してからまだ訪れることが出来ていない郡山駅前献血ルームでの献血を目的に福島県にしてみました。城カードも2枚ゲットの予定です。そのうちの一つ、白河小峰城に行く前に立ち寄ってみました。班宗寺の裏手の山が高助館だとのこと。登城路が判然とせず、城に関する表示は何もありませんでしたが、多分此処で間違いないのかなと思います。

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カズサン

福島藩板倉家の飛地陣屋 (2022/11/06 訪問)

 知立古城、知立神社を終えて南西に約3km程の近くの城びと登録未登城の重原陣屋を目指す、ナビの目的地は近くの刈谷市重原市民館に定めて進行。
 駐車場は重原市民館北裏の駐車場(34°59'19"N 137°01'12"E)を利用。

 城びとの重原陣屋は重原市民館南の広場にマークが付いています、南は段丘で落ち込んでおりそれなりの適地と成ってる、史跡マークの重原陣屋は浄福寺南門前の重原陣屋跡石碑、福島領の石碑、案内板の有る所と成ってる、浄福寺一帯が陣屋跡なのでしょう。
 案内板に由ると陸奥福島藩板倉家の三河の国飛び地、寛政の一揆によって刈谷藩は幕府から村替えの処分を受け福島藩と天領の一部との交換となった。
 
 近くの願行寺に移築門、十応寺に移築玄関が残っているようですが立ち寄らず帰路につきました。
 
 

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YUMI

夕日 (2022/11/06 訪問)

城から見る夕日が最高でした。昔の城主もこの夕日を見たのかな。

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