二年振りに無事本丸登城出来た鷹留城を終えて、昨年10月ナビで山名城直下の駐車場に着けず断念したした山名城に再挑戦、目的の駐車場は昨年と同じ所、ナビは新品に交換、しかし今回も同じ団地に着き二回ほど回るが分からない、団地内で犬の散歩で歩いてる方に山名城と地図を示して訪ねる、徒歩ならここからが近いが車は不可、西山名駅(上信電鉄)を廻る道を行けば着くとの事、有難う感謝です。
ナビの目的はそのままにして西山名駅ルートに進行、山上碑・山上古墳の看板は大きく出てるし、ナビに従い細いが舗装された道を行くと、目的の駐車場の手前に第二駐車場(36°16'36"N 139°01'50"E)が有り、山上碑登りまで200mとの案内で歩く事にする。ここの駐車場には循環バス停車場にも成って居る。
200m程歩いて行くと、山上碑山上古墳/根小屋城の案内指示板が有り坂階段を登って行くが山名城の看板は無い、古墳の階段前に山上碑の案内ボランティア、山名城の案内を聞き一安心、「特別史跡・山上碑」の御城印ならぬ山上碑印を頂く、登って古墳前にもボランティアの方、山上碑と山上古墳の案内説明、そこその方が来れれて居ました。
山名城は古墳を回り込んで尾根道を約200m程行くと山名城の案内板と山名城・根小屋城を示す看板が出てる、山名城へは200m程登る(根小屋城へは1100mと案内)、細い人踏道が有り枯葉で滑りやすい、途中に竪堀かな?本丸の西曲輪の堀切、本丸への堀切、その堀切に登城丸太階段が本丸に続き、登ると本丸内部小公園の様、城名石碑、休憩テーブルセット、本丸の東が二の丸、草も樹木も茂って良く確認できない、踏み込みもしなく周辺を眺めてお仕舞。
山名城へは山名氏の城と言う事で有り、故郷鳥取県因幡の国は守護大名は山名氏であり思い入れも有って是非訪ねたいと長く思って居りました、数年前に麓に駐車場が有るとの情報で登城を狙って居ましたが昨年失敗、今年登る事が出来ました。
故郷鳥取には小中高と山名姓がそこそこ居り親友も居ます、山名氏は天下60国中10ヶ国の守護の時代が有り、六分の一殿と言われた、故郷鳥取の因幡を始め伯耆、但馬、美作、石見、備前、備後、安芸、播磨、伊賀だったそうです。
歴史と構造:源義家の孫新田義重(1116年~1202年)の子義範は、この城に拠って山名氏と称し、以後8代山名城を護ったという。東西450m南北130m連郭式山城東に張り出してる。
南北朝時代北信濃南朝方の関東の橋頭堡の一つ、戦国時代木部城の要害城として改築された。
(山名城入口の案内板に由る)
登城前に山上碑と山上古墳をボランティアの方の説明と見学をしました、上野三碑の一つ山上碑、そして山付き円墳も見学、これらはユネスコ「世界の記憶」上野三碑に成ってる様です。
勉強に成りました。
私が駐車した駐車場よりも登り口近くにアスファルト舗装とトイレの完備した山上碑・山上古墳駐車場が有ります。
情報源は何時もの古城盛衰記さん余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依ります。
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