寺山城は谷大川の南側の山の先端部の丘陵を利用して築かれています。残念ですが、近くに駐車場らしきものは見当たりません。どこに停めたかは企業秘密です。登城道の近くに案内板があり城址に道が続いています。中腹あたりまで来たら南北に尾根が伸びていて北側の小高くなっている箇所が主郭と見られています。主郭には土塁が残り、下段には腰郭が配されています。先ほど来た中腹に戻り今度は南を目指します。
城郭大系には南にも主郭と同じくらいの郭が有るとされていますが柵で塞がれ立ち入りはできません。しかし柵より手前側に段々の扁平地や堀切が残っていました。
寺山城は石井氏によって築かれ、桓武平氏の出である名越太郎が元弘年間(1331~1334)に志芳荘に移り住み石井氏の祖となったとされています。石井氏は天野氏との間で毛利氏によって領土替えが行われため、内村を転出し安芸国内の替りに与えられた領土に移っていったということです。
+ 続きを読む