てらやまじょう

寺山城

広島県東広島市

別名 : 寺崎城、石井城、岸の城
旧国名 : 安芸

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左手の丘が主郭のようだ
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しんちゃん

南側の城域は柵の向こうは立ち入ることが出来ない。 (2023/12/31 訪問)

寺山城は谷大川の南側の山の先端部の丘陵を利用して築かれています。残念ですが、近くに駐車場らしきものは見当たりません。どこに停めたかは企業秘密です。登城道の近くに案内板があり城址に道が続いています。中腹あたりまで来たら南北に尾根が伸びていて北側の小高くなっている箇所が主郭と見られています。主郭には土塁が残り、下段には腰郭が配されています。先ほど来た中腹に戻り今度は南を目指します。
城郭大系には南にも主郭と同じくらいの郭が有るとされていますが柵で塞がれ立ち入りはできません。しかし柵より手前側に段々の扁平地や堀切が残っていました。
寺山城は石井氏によって築かれ、桓武平氏の出である名越太郎が元弘年間(1331~1334)に志芳荘に移り住み石井氏の祖となったとされています。石井氏は天野氏との間で毛利氏によって領土替えが行われため、内村を転出し安芸国内の替りに与えられた領土に移っていったということです。

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独眼竜

思った以上の堀切がすばらしい (2019/03/14 訪問)

なかなか登城口のわかりにくいお城でしたが、
当時大河ドラマ「毛利元就」に合わせて
東広島市が立てた小さな案内板が
唯一の目印です。
(かなり薄汚れているのでよーく見ないと何が書いてあるか分かりません。)

駐車スペースがないので
近くの少し広めの路肩に駐車しての登城となります。

案内板より
「志和内村を拠点とした黒人領主石井氏の居城、
大内氏に属して各地で活躍したが、
天文23(1554)年、陶晴賢について岩見津和野に
出陣中の留守を陶晴賢と断交した毛利元就に攻められ
落城しました。」との事。

急斜面を登りますが、地域の方の整備のお陰でしょうか
ある程度、整備されております。

Ⅰ郭とⅡ郭でしょうか、間の堀切の大きさには
感動ですね。
その他、竪堀、曲輪など分かり易かったです。
入口以外には石碑や案内看板がありませんが、
見どころはありますのでお勧めのお城です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 石井氏
築城年 不明
主な城主 石井氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
再建造物 説明板
住所 広島県東広島市志和町内