みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

飛騨市

歴史講座「飛越の戦国時代と江馬氏の城」開催!

戦国時代、富山まで進出した飛騨の武将たち。

飛騨と越中は古来より繋がりの深い地域でした。戦国時代、北飛騨の領主・江馬氏は一時期、越中に進出していたという記録があります。関連して、富山県南部には中地山城など、江馬氏築城と伝わる山城が残りますが、実態は謎に包まれています。
そこで今回は、富山市と飛騨市の学芸員が、それぞれの地域の戦国時代の歴史を発表します。さらに討論の中で当時の飛越の繋がりを整理し、城館がどのような役割を果たしたか議論します。

開催概要
日時
3月3日(日曜日)13時30分~16時30分

会場
神岡町公民館 3階会議室(飛騨市神岡町東町378)

参加
無料・予約不要(定員100名)

内容(発表時間は目安)
開場:13時00分~
挨拶・趣旨説明:13時30分~13時40分

<講演1>越中の戦国時代と城館 13時40分~14時40分
講師:萩原 大輔(富山市郷土博物館 主査学芸員)

<講演2>飛騨の戦国時代と飛越の江馬氏関連の城館 14時40分~15時20分
講師:大下 永(飛騨市教育委員会 学芸員)

<対談>飛越の歴史と城から江馬氏の越中進出について考える 15時35分~16時25分
講師:萩原大輔・大下永 コーディネーター:三好清超(飛騨市教育委員会 学芸員)

参加特典
イベントに参加いただいた限定で、過去の歴史講座「天地を翔ける」の参加者に限定配布したPRマンガ&江馬氏城館跡調査成果資料集をプレゼントします!昨年参加できなかった方は入手のチャンスです!

※ 資料集の配布は参加者1名につき1部となります。あらかじめご了承ください。



『天地を翔ける―江馬氏城館跡のすべて―』(PRマンガ&歴史講座資料集)

武将・江馬輝盛を題材とした歴史マンガ「天地を翔ける」と歴史講座資料集を収録したA4サイズ、100頁以上の豪華版冊子です。

+ 続きを読む

トク

SL人吉号-ラストランへ (2021/11/21 訪問)

3月のダイヤ改正をもって、現在西日本で唯一動いている蒸気機関車「SL人吉号」がいよいよラストランを迎えます。最初は、人吉城などへの観光用として、熊本-人吉間を走っていましたが、4年前の九州豪雨で肥薩線が不通になって以来(現在も不通)、熊本-鳥栖間を土日祝に走っていました。しかし、車体の老朽化や運転や整備ができる人がいなくなったなどの理由で廃止になる事が決定したようです。最後にもう一回乗りたかったのですが、もうラストランまで満席になっているようなのであきらめました。よって、3年前に実際に乗車した時の写真を投稿させていただきます。

私事ですが、大分に住んでいた幼稚園から小学校低学年の頃、当時日豊本線は電化されて電車が走っていましたが、久大本線と豊肥本線はまだ蒸気機関車が走っていました。大友館の近くにこれらの踏切があり、通学でどうしてもここを渡らなければいけないのですが、自分の背丈よりでっかい蒸気機関車の車輪や、間近で聞く心臓が止まるくらいの大きな汽笛の音が恐くて、泣きながら渡った記憶があります(笑)。

もうおそらく走るSLは永遠に見る事はできないのかと思うと、私のような昭和世代の人間はとてもさびしいですね。並行して走る九州新幹線と比べると、これも時代の流れなので仕方ないのかなと感じます。

人吉号よ、お疲れ様でした。
(お城に関係ない話ですいません)
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

三の丸石垣保存へ

昨日来 報じられているとおり、坂本城の三の丸跡から検出した石垣や堀が保存される方向で大津市と事業者が大筋合意したとのことで、先日見学した遺構をこれからも見られると思うと、城好き・歴史好きとして本当に嬉しいニュースでした。事業者さんには様々な葛藤もあったでしょうが、かけがえのない文化財を後世に伝える決断をしていただいたことにはひたすら感謝しかありません。今後は追加調査をして国史跡指定を目指すとのことで、今後の保存整備を楽しみにしています。

それと、先日の発掘調査現地説明会の資料が大津市文化財保護課にUPされていますので、こちらもどうぞ。
https://www.city.otsu.lg.jp/soshiki/010/2406/g/1501725900306.html
 

+ 続きを読む

Tokyobay

街の歴史を感じた (2024/01/19 訪問)

城下町は思ったより広く、街並み保存にも力を入れているようでそれなりの風情がある。平日にもかかわらず「ひな祭り」で観光客が結構いた。この街は戦時中に「力」を入れていたのか、戦前の「皇紀」を示す碑がいくつかあるのだが、負の遺産扱いされているのか現在では作り変えられたりぞんざいな扱いをされており、ある種の「歴史修正」を感じる部分もあり。ただし、神武天皇遥拝殿を中心とする祭事は現在でも行われており、「歴史のジレンマ」もあるのかもしれない。筑波鉄道筑波線の廃線跡はサイクリングロードになっているのだが、旧真壁駅の桜の説明に「多くの出征や集団就職を見送った」とあり、こういう記述に街の歴史を感じた次第。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tokyobay

見どころは本丸に通じる2つの虎口 (2024/02/19 訪問)

本丸の裏手には二の丸や中城といった発掘調査中の部分が整備されているものの、見どころは本丸に通じる2つの虎口。正面ルートは本丸にある体育館に続く道としてそのまま残っていて感動する。搦め手の方は道は無くなってはいるものの、防衛的な変わった形状(横浜にある「象の鼻」みたいな作り)になっており大変興味深い。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

菜の花に誘われて田原城登城 (2024/02/20 訪問)

 二十数年振りに田原城へ三度目か?の登城、菜種梅雨の晴れの一日(20日)菜の花咲き匂う渥美半島へ浜松からは地道の浜名BP、蒲郡BP経由がスムーズで近道、国道259号線で田原城へ、伊良湖岬の道の駅へ退職して久しぶりの訪問、ぐるっと回って国道42号線へ菜の花は伊良湖岬に近づくほど両街道沿いに咲き誇ってます窓を開けると菜の花の匂いが飛び込んできます春を感じる匂いです。

 駐車場:本丸西側の専用駐車場利用小型乗用車は約50台、バスは4~5台可能でトイレ完備。

 駐車場から博物館入口の冠木門を潜り本丸と二の丸間の大空堀、八つ橋状の堀底橋を渡り本丸土橋西石垣に当たり石段を登ると昭和32年復興の二の丸隅櫓が聳えてる、北奥に土橋を挟んで本丸で現在は巴江神社が鎮座、二の丸隅櫓の奥に二の丸跡には田原市博物館が開設されている、南に有名な平成4年復興の桜門、両サイドに東の袖池水堀、西の桝池水堀が有り田原城跡のシンボル写真と成っています。

 歴史的には、戸田氏によって土の城として築かれ、今川氏勢力時には城代が置かれ、また徳川氏時代には本多氏、豊臣政権時には吉田城の池田輝政の城代が置かれ、関ケ原後戸田氏が3代続き寛文4年(1664年)三宅氏が入封されて12代明治まで継承された。(田原城パンフレットによる)

 デジカメ撮影は初、沢山撮りましたのでポイントを絞って投稿続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

2023年の城納め (2023/12/27 訪問)

年末の長崎、城攻めの締めは伊賀峰城となりました。諫早市の中心地からさほど離れた場所ではないのですが、所在地は大村市になります。長崎道の側道からのアプローチで、登城口に表示板があるので迷うことなく、登城することができるかと思います。眺望は開けていませんが、中世山城の趣は十分に味わうことができました。この後はレンタカーを返却して長崎市にて泊をとり、長崎の最終日28日は眼鏡橋→大浦天主堂→グラバー園→出島と鉄板の長崎観光を楽しみました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

本堂がホテルの中に (2024/02/15 訪問)

心斎橋で所用を済ませたあとに訪問しました。
御堂筋沿いにあり、当然遺構はありません。
石山本願寺の支城で三津寺に築かれました。

跡地には立派なホテルが建っていて三津寺本堂はその1階にあります。
こんなお寺、他にはなさそう?

久しぶりにこの辺りに来たので道頓堀をうろうろ、やっぱり香川と違って人多い。
インバウンドが戻ってきたを実感。
そういえば春節シーズンでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

二の丸への入り方 (2023/05/13 訪問)

前回訪城時点には理解できていなかった山頂部への登城路が、現在のように二の丸の山頂側を通るのではなく、いったん二の丸下段を迂回して尾根側から入るのだということを教えて頂き、目からうろこだった。

+ 続きを読む

Tokyobay

南東虎口は手つかずの状態で必見 (2024/02/19 訪問)

「館」と呼ばれる本丸は公園や宅地となっているものの、他の曲輪の境界である土橋や内堀等遺構はそれなりに確認可能。本丸への登城口は当時と同じ位置で残っているようだが、特に南東虎口は手つかずの状態で必見。結城秀康という著名な武将の居城だったワリには注目度がイマイチなのが残念。地元にやる気がないのだろうか。

尚、少し離れたところには水野忠邦の墓があり驚かされる。案内板によると菩提寺である万松寺は明治初頭(市のwebでは江戸末期)に火事で焼失し、その後は再建されなかったようで、水野家の墓地だけが残る異様な光景ではある。水野家は家康母方系のガチ徳川系でもあるし、廃仏毀釈等もあって放火されたのではないかと妄想してしまった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tokyobay

鈴木貫太郎を生んだ関宿藩 (2024/02/18 訪問)

河川工事で殆ど破壊されてしまったが、模擬天守の南方に僅かに城址の痕跡あり。城下を散策すると、藩校跡や大手門跡や関所跡の案内等があるが、こちらも城下の風情がわずかながらにあるものの面影は殆どなし。
とは言え、鈴木貫太郎を生んだ関宿藩は戦後日本にとってもっとも重要な藩であると言えるのかもしれない。
※ちなみに鈴木貫太郎が実際に「産まれた」のは関宿藩の飛地である堺のようです

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tokyobay

やや「作り物感」が漂うものの・・・ (2024/02/18 訪問)

入口近辺はやや「作り物感」が漂うし、城内ではゲートボールが盛んに行われており、「市民公園的」な風情があるものの、奥の方まで行くと、それなりに土塁や堀等の遺構が確認できて満足はする。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tokyobay

遺構が素晴らしく見応えあり (2024/02/18 訪問)

「城址公園」という名称なので、近所の子供たちが遊具や球技を楽しむホノボノとした場所なのかと思いウロウロしていたら、奥の方に遺構が素晴らしい見応えある城があった。現地には手作り感のある案内表示は多々あるものの、駐車場からの案内が不親切。もっとうまく宣伝すればいいのにと思う。これだけの遺構があるのにもったいない。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

コケコッコー共和国 (2024/02/18 訪問)

コケコッコー共和国を知っていますか? 伊勢自動車道勢和多気ICのすぐ近くにその国は存在します。
国民の数は50~60名。ニワトリの数は10~14万羽。彼らは主にニワトリで生計を立てています。
平日のとり焼肉ランチは720円。安いなあ‥でも訪問した時は日曜日でした。パスポート無しで入国できますが車のタイヤの消毒が必要です。注意書きにもあるように平飼いの親鳥の肉は非常に固いです。だいたい砂肝と同じくらいの固さですね。弾力があって面白い。
ただ噛む力と飲み込む力の弱い人や、お子さんは柔らかい若鳥の肉を食べた方が良さそうです。喉につかえてしまったら大変ですからね。せっかくなので、だし巻卵も頼んでみました。でかっ!家族で食べるやつだコレ! 結局おいしくいただきました。お土産は有精卵のプリンです。
ハローワークで応募すればコケコッコー共和国の国民になれるかもしれません。でも国籍は日本のままですよ。

コケコッコー共和国‥三重県多気郡多気町丹生4409

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

帰路に余裕を持たせたご褒美でした😊 (2024/01/08 訪問)

帰路に余裕を持たせたら,チョイ寄りでどこか行けそうなことに気づきました。キャリーバッグを引きずりながら行けそうな,駅近物件を思い浮かべると,ここが自己主張してきました😊
JR西川越駅から,徒歩約20分で南東側の碑に到着。こんな表現になった理由は,北西側にも碑があったためです。理由はなんとなく想像がつきます。どちらかが先に碑を設置したら,反対側は裏になる。どちらも「表」を主張したためでしょう。さいたま市の中心は浦和か大宮かという論争に酷似しています。理解不能な方は「翔んで埼玉」を鑑賞してください。作者は越後人ですが…<笑>。
河越館は子連れのママさんたちの憩いの場となっておりました。一方で,少し離れると昭和系ヤンキーを目にし,その希少さに驚きました。こんなところに潜伏してたのか…😱

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

地下に中世城館では最も古いとされる石垣が眠っている。 (2024/02/18 訪問)

北畠氏館は北畠神社の境内になっています。祭神は初代の伊勢国司の北畠顕能で境内には花将軍として知られる北畠顕家公の像があります。平成9年夏の発掘調査では長さ15m以上、高さ3mの石垣が見つかったようです。中世の城館の石垣としては最も古い物であるようです。今では埋め戻されたようですが、その後に行われた地中レーダーによる調査では長さは80mにもおよぶ可能性があるようです。
坂本城の石垣のように公開してもらえたらいいのになと考えますが、国の史跡の地下であれば上に変な建物を造られたりして史跡が損壊してしまうことはないでしょう。
庭園はあいかわらず見事なものです。冬のわびしい季節でも良い味を出していますね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

枡形ともき

道に迷いました (2023/08/18 訪問)

幻の屋嶋城に行ける!と喜び勇んでいったのですが山頂についてどっちに行けばいいのかわからず結局一周してしまいました。
暑かった…
やっとたどり着いたと思ったら山上に石垣があってびっくりきれいな景色も見れて良かったです。
写真はないですがかき氷🍧を食べました。
ふわふわでほんっとに美味しかったです。

+ 続きを読む

しんちゃん

廬山寺 紫式部屋敷(邸宅)跡 (2016/07/31 訪問)

廬山寺は京都市上京区寺町通広小路にある寺院で紫式部の邸宅跡として知られています。
本堂は寛政6年(1794)に仙洞御所の一部を移築したもので、枯山水の庭園「源氏庭」が良い雰囲気を出しています。庭の名前の通り桔梗の紫色(青色?)の花が咲いています。源氏物語を執筆した場所とも言われていて今の大河ドラマに合っているのでは無いでしょうか?
境内には廬山寺陵があり明治天皇の高祖父であり、光格天皇の実父である閑院宮典仁親王(慶光天皇)の陵墓があります。慶光天皇陵の大きな石碑が門前にありますが実際に天皇として即位したわけでは無いようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長岡京 京都府向日市鶏冠井町 (2016/07/31 訪問)

長岡京は向日市鶏冠井町に存在した都城で国の史跡に指定されています。
延暦3年(784)に桓武天皇によって平城京より遷都が行われ、延暦13年に平安京に都が移されるまでここが日本の中心でした。
この近くは桂川と宇治川、そしてグーグルマップに名前の出てこない大きな川が合流して淀川となる場所で水運も良く、水の恩恵も受けられたようです。しかし水の恵みが仇となり川の氾濫で大きな被害が出てしまったようです。また桓武天皇の弟・早良親王が反逆の罪で配流となり、その途上で死去し、同時期に多発した飢饉・疫病の流行、皇后などの死や皇太子の発病など数々の災いが早良親王の怨念であるとされ、わずか10年で平安京への遷都が決まったようです。
長岡京跡は公園として整備され大極殿や法幢の跡があり、また築地が再現されているようです。
平城京と平安京の間にわずか10年の間存在した都城ですが、難波宮や平城京の建物も移築され、かなりの規模を持っていたようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/17 訪問)

長崎県の城制覇4日目の行程
※前日、平戸にあるホテル泊

7時前より平戸散策
 ※教会と寺院が見える坂、ザビエル教会、オランダ坂、旧オランダ商館などを散策
  朝焼けの平戸城や海越しの平戸城が見れるのでお勧め

 平戸城(百名城スタンプ:8:30-16:30)

10:14猶興館高校前(路線バス)、11:44,12:15佐世保駅前(路線バス)、14:00,15:10長崎空港(航空機)、16:45羽田空港

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ296