みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

Tokyobay

やや「作り物感」が漂うものの・・・ (2024/02/18 訪問)

入口近辺はやや「作り物感」が漂うし、城内ではゲートボールが盛んに行われており、「市民公園的」な風情があるものの、奥の方まで行くと、それなりに土塁や堀等の遺構が確認できて満足はする。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tokyobay

遺構が素晴らしく見応えあり (2024/02/18 訪問)

「城址公園」という名称なので、近所の子供たちが遊具や球技を楽しむホノボノとした場所なのかと思いウロウロしていたら、奥の方に遺構が素晴らしい見応えある城があった。現地には手作り感のある案内表示は多々あるものの、駐車場からの案内が不親切。もっとうまく宣伝すればいいのにと思う。これだけの遺構があるのにもったいない。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

コケコッコー共和国 (2024/02/18 訪問)

コケコッコー共和国を知っていますか? 伊勢自動車道勢和多気ICのすぐ近くにその国は存在します。
国民の数は50~60名。ニワトリの数は10~14万羽。彼らは主にニワトリで生計を立てています。
平日のとり焼肉ランチは720円。安いなあ‥でも訪問した時は日曜日でした。パスポート無しで入国できますが車のタイヤの消毒が必要です。注意書きにもあるように平飼いの親鳥の肉は非常に固いです。だいたい砂肝と同じくらいの固さですね。弾力があって面白い。
ただ噛む力と飲み込む力の弱い人や、お子さんは柔らかい若鳥の肉を食べた方が良さそうです。喉につかえてしまったら大変ですからね。せっかくなので、だし巻卵も頼んでみました。でかっ!家族で食べるやつだコレ! 結局おいしくいただきました。お土産は有精卵のプリンです。
ハローワークで応募すればコケコッコー共和国の国民になれるかもしれません。でも国籍は日本のままですよ。

コケコッコー共和国‥三重県多気郡多気町丹生4409

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

帰路に余裕を持たせたご褒美でした😊 (2024/01/08 訪問)

帰路に余裕を持たせたら,チョイ寄りでどこか行けそうなことに気づきました。キャリーバッグを引きずりながら行けそうな,駅近物件を思い浮かべると,ここが自己主張してきました😊
JR西川越駅から,徒歩約20分で南東側の碑に到着。こんな表現になった理由は,北西側にも碑があったためです。理由はなんとなく想像がつきます。どちらかが先に碑を設置したら,反対側は裏になる。どちらも「表」を主張したためでしょう。さいたま市の中心は浦和か大宮かという論争に酷似しています。理解不能な方は「翔んで埼玉」を鑑賞してください。作者は越後人ですが…<笑>。
河越館は子連れのママさんたちの憩いの場となっておりました。一方で,少し離れると昭和系ヤンキーを目にし,その希少さに驚きました。こんなところに潜伏してたのか…😱

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

地下に中世城館では最も古いとされる石垣が眠っている。 (2024/02/18 訪問)

北畠氏館は北畠神社の境内になっています。祭神は初代の伊勢国司の北畠顕能で境内には花将軍として知られる北畠顕家公の像があります。平成9年夏の発掘調査では長さ15m以上、高さ3mの石垣が見つかったようです。中世の城館の石垣としては最も古い物であるようです。今では埋め戻されたようですが、その後に行われた地中レーダーによる調査では長さは80mにもおよぶ可能性があるようです。
坂本城の石垣のように公開してもらえたらいいのになと考えますが、国の史跡の地下であれば上に変な建物を造られたりして史跡が損壊してしまうことはないでしょう。
庭園はあいかわらず見事なものです。冬のわびしい季節でも良い味を出していますね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

枡形ともき

道に迷いました (2023/08/18 訪問)

幻の屋嶋城に行ける!と喜び勇んでいったのですが山頂についてどっちに行けばいいのかわからず結局一周してしまいました。
暑かった…
やっとたどり着いたと思ったら山上に石垣があってびっくりきれいな景色も見れて良かったです。
写真はないですがかき氷🍧を食べました。
ふわふわでほんっとに美味しかったです。

+ 続きを読む

しんちゃん

廬山寺 紫式部屋敷(邸宅)跡 (2016/07/31 訪問)

廬山寺は京都市上京区寺町通広小路にある寺院で紫式部の邸宅跡として知られています。
本堂は寛政6年(1794)に仙洞御所の一部を移築したもので、枯山水の庭園「源氏庭」が良い雰囲気を出しています。庭の名前の通り桔梗の紫色(青色?)の花が咲いています。源氏物語を執筆した場所とも言われていて今の大河ドラマに合っているのでは無いでしょうか?
境内には廬山寺陵があり明治天皇の高祖父であり、光格天皇の実父である閑院宮典仁親王(慶光天皇)の陵墓があります。慶光天皇陵の大きな石碑が門前にありますが実際に天皇として即位したわけでは無いようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長岡京 京都府向日市鶏冠井町 (2016/07/31 訪問)

長岡京は向日市鶏冠井町に存在した都城で国の史跡に指定されています。
延暦3年(784)に桓武天皇によって平城京より遷都が行われ、延暦13年に平安京に都が移されるまでここが日本の中心でした。
この近くは桂川と宇治川、そしてグーグルマップに名前の出てこない大きな川が合流して淀川となる場所で水運も良く、水の恩恵も受けられたようです。しかし水の恵みが仇となり川の氾濫で大きな被害が出てしまったようです。また桓武天皇の弟・早良親王が反逆の罪で配流となり、その途上で死去し、同時期に多発した飢饉・疫病の流行、皇后などの死や皇太子の発病など数々の災いが早良親王の怨念であるとされ、わずか10年で平安京への遷都が決まったようです。
長岡京跡は公園として整備され大極殿や法幢の跡があり、また築地が再現されているようです。
平城京と平安京の間にわずか10年の間存在した都城ですが、難波宮や平城京の建物も移築され、かなりの規模を持っていたようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/17 訪問)

長崎県の城制覇4日目の行程
※前日、平戸にあるホテル泊

7時前より平戸散策
 ※教会と寺院が見える坂、ザビエル教会、オランダ坂、旧オランダ商館などを散策
  朝焼けの平戸城や海越しの平戸城が見れるのでお勧め

 平戸城(百名城スタンプ:8:30-16:30)

10:14猶興館高校前(路線バス)、11:44,12:15佐世保駅前(路線バス)、14:00,15:10長崎空港(航空機)、16:45羽田空港

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/16 訪問)

長崎県の城制覇3日目の行程
※前日、諫早駅にあるホテル泊
※原城とともに登城

7:44諫早(島原鉄道)、8:55島原,9:05島原駅前(路線バス)、10:00原城前
 (徒歩12分)原城跡(続百名城スタンプ:原城跡総合案内所9:30-16:30) ※有馬キリシタン遺産記念館も押印可(9:00-18:00:木休)

11:48原城前(路線バス)、12:47大手 
 (徒歩9分)島原城(百名城スタンプ:9:00-17:00最終入場:無休) 

15:14島原(島原鉄道)、16:19,16:35諫早(JR)、17:56佐世保(徒歩3分),18:51駅前バスターミナル(路線バス)、20:19猶興館高校入口
 ※ライトアップされた平戸城を散策
  城内は神社辺り以外は街灯がなく参道は暗いので明かりの用意を

 泊:平戸

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

枡形ともき

ことでんと高松城 (2023/08/18 訪問)

高松城はお掘りの隣にことでんが走っていていい写真が撮れました。
広々としてかなりゆったりできました。
天守台は思ってたより大きく高かったです。
PS矢穴発見!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

頑固一徹、本丸を背にして走る。 (2024/01/04 訪問)

「大垣城」の後に「曽根城」に転戦しました。
稲葉 一鉄さんの居城です。
その後、西尾 光教さんが入りました。関ヶ原の戦では西尾さん、東軍。「大垣城」を攻めた功績で転封し、「曽根城」は廃城しました。
「大垣城」と「曽根城」の関係が敵対してたとは思いませんでした。
両城は、車で15分の距離です。西尾さんも敵方の進軍に緊張が続いたんでしょね。

『曽根城公園』に到着です。岐阜県で一番 大きな公園なんだそうです。大きな池と小さな池がありました。芝生の広場に誰かの銅像があり、奥は土塁のように見え、ダッシュしました。
『梁川 星厳と妻の像』
誰、、、?
調べてみたら、吉田 松陰さんや西郷 隆盛さんとも交友がある漢詩人でした。
安政の大獄で捕らえられる3日前に、コレラで亡くなったそうです。幕末の偉人に出会いました。
奥は土塁ではありませんでした。平野井川が流れているので、土手ですかね。サイクリングロードでした。
池をぐるっと回り退陣しました。
華渓寺を隔てた塀の前に写真①の説明板があります。
そこから振り向き、広場を本丸と勘違いし、土手を土塁と想像してしまいました。

それでも、素晴らしい「曽根城」だと思うのは、勝手に遺構に変換できる、頑固一徹な頭なんだもん。と、今更 言い訳がましい「曽根城」攻めでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/16 訪問)

長崎県の城制覇3日目の行程
※前日、諫早駅にあるホテル泊
※島原城とともに登城

7:44諫早(島原鉄道)、8:55島原,9:05島原駅前(路線バス)、10:00原城前
 (徒歩12分)原城跡(続百名城スタンプ:原城跡総合案内所9:30-16:30) ※有馬キリシタン遺産記念館も押印可(9:00-18:00:木休)

11:48原城前(路線バス)、12:47大手 
 (徒歩9分)島原城(百名城スタンプ:9:00-17:00最終入場:無休) 

15:14島原(島原鉄道)、16:19,16:35諫早(JR)、17:56佐世保(徒歩3分),18:51駅前バスターミナル(路線バス)、20:19猶興館高校入口
 ※ライトアップされた平戸城を散策
  城内は神社辺り以外は街灯がなく参道は暗いので明かりの用意を

 泊:平戸

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/15 訪問)

長崎県の城制覇2日目の行程
※前日、対馬の厳原にあるホテル泊
※清水山城、金石城とともに登城

※対馬への交通手段は、長崎空港-対馬空港の往復航空機と対馬内ホテル宿泊がついて22,000円のフリープランツアー(長崎空港トラベルサービス)を利用、お得感がありました
※対馬内移動は、観光タクシー半額キャンペーンがあったので、7時間貸切ました

7:00頃から8:00 清水山城を登城
8:00頃から8:45 金石城を登城
        ※清水山登城口から徒歩5分程度
8:45頃から9:00  観光情報館ふれあい処つしま(8:45-17:39)にて金田城スタンプをゲット

※ここから観光タクシー利用
9:00-9:30 厳原から金田城登山口へ移動
      金田城(続百名城)散策
       ※登山口から山頂まで50分(健脚ではないです)
       ※山頂付近に明治以降の砲台跡などがあります
12:45-13:00 タクシー移動、昼食
14:00-15:00 姫神山砲台跡散策
       ※明治以降の戦争遺構。砲台跡や弾薬庫跡があります
15:00-15:30 タクシー移動
       万関展望台
        ※対馬を東西に通れるように掘削した海峡に架かる橋近くの展望台
15:45-16:00 タクシー移動、温泉施設へ(観光タクシー終了)

※観光タクシーは時間内なら行先や滞在時間は融通が利きます

20:00対馬空港発の航空機で長崎に戻り、諫早泊

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/15 訪問)

長崎県の城制覇2日目の行程
※前日、対馬の厳原にあるホテル泊
※金石城、金田城とともに登城

※対馬への交通手段は、長崎空港-対馬空港の往復航空機と対馬内ホテル宿泊がついて22,000円のフリープランツアー(長崎空港トラベルサービス)を利用、お得感がありました
※対馬内移動は、観光タクシー半額キャンペーンがあったので、7時間貸切ました

7:00頃から8:00 清水山城を登城
8:00頃から8:45 金石城を登城
        ※清水山登城口から徒歩5分程度
8:45頃から9:00  観光情報館ふれあい処つしま(8:45-17:39)にて金田城スタンプをゲット

※ここから観光タクシー利用
9:00-9:30 厳原から金田城登山口へ移動
      金田城(続百名城)散策
       ※登山口から山頂まで50分(健脚ではないです)
       ※山頂付近に明治以降の砲台跡などがあります
12:45-13:00 タクシー移動、昼食
14:00-15:00 姫神山砲台跡散策
       ※明治以降の戦争遺構。砲台跡や弾薬庫跡があります
15:00-15:30 タクシー移動
       万関展望台
        ※対馬を東西に通れるように掘削した海峡に架かる橋近くの展望台
15:45-16:00 タクシー移動、温泉施設へ(観光タクシー終了)

※観光タクシーは時間内なら行先や滞在時間は融通が利きます

20:00対馬空港発の航空機で長崎に戻り、諫早泊

+ 続きを読む

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/15 訪問)

長崎県の城制覇2日目の行程
※前日、対馬の厳原にあるホテル泊
※清水山城、金田城とともに登城

※対馬への交通手段は、長崎空港-対馬空港の往復航空機と対馬内ホテル宿泊がついて22,000円のフリープランツアー(長崎空港トラベルサービス)を利用、お得感がありました
※対馬内移動は、観光タクシー半額キャンペーンがあったので、7時間貸切ました

7:00頃から8:00 清水山城を登城
8:00頃から8:45 金石城を登城
        ※清水山登城口から徒歩5分程度
8:45頃から9:00  観光情報館ふれあい処つしま(8:45-17:39)にて金田城スタンプをゲット

※ここから観光タクシー利用
9:00-9:30 厳原から金田城登山口へ移動
      金田城(続百名城)散策
       ※登山口から山頂まで50分(健脚ではないです)
       ※山頂付近に明治以降の砲台跡などがあります
12:45-13:00 タクシー移動、昼食
14:00-15:00 姫神山砲台跡散策
       ※明治以降の戦争遺構。砲台跡や弾薬庫跡があります
15:00-15:30 タクシー移動
       万関展望台
        ※対馬を東西に通れるように掘削した海峡に架かる橋近くの展望台
15:45-16:00 タクシー移動、温泉施設へ(観光タクシー終了)

※観光タクシーは時間内なら行先や滞在時間は融通が利きます

20:00対馬空港発の航空機で長崎に戻り、諫早泊

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/14 訪問)

長崎県の城制覇1日目の行程

8:30羽田空港(航空機)、10:35,11:40長崎空港(航空機)、12:10,12:15福江空港(路線バス)、12:33福江港ターミナル
 ※ターミナルでレンタル自転車あります(今回は雨模様なので借りませんでした)
 ※徒歩9分 常灯鼻:福江城築城時の灯台と防波堤
 ※徒歩5分 福江城(石田城):五島観光歴史資料館(9:00-16:30)
   当日は庭園が休園日(水曜)で入園できませんでした
16:55カンパナホテル前(路線バス)、17:07,17:45福江空港(航空機)、18:15,18:55長崎空港(航空機)、19:30,19:45対馬空港(路線バス)、20:12厳原

※時間があれば宿泊して翌日に教会めぐりがおすすめ(堂崎教会、貝津教会、井持浦教会、水之浦教会など)
 (以前行きましたが、ステンドグラスの光などすてきでした)
※大瀬崎は夕陽の時間に行くと夕陽と海と岬と灯台がマッチした景色が楽しめます
※椿茶屋での食事(ランチもあり)はお勧めです。いろりを囲んで海鮮焼き、五島牛などを頂けます

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

西小天守特別公開 (2024/02/17 訪問)

姫路城の西小天守特別公開に行ってきました。坂本城の発掘調査現地説明会のために予定より一週遅れになりましたが、西小天守は初公開とあっては行かないわけにはいきません。菱の門からの登城道も大天守も急ぎ足で通り抜けて(後で改めて見て回りました)、イの渡櫓から特別公開エリアの2階に上り、東小天守、ロの渡櫓、乾小天守を経てハの渡櫓から西小天守の2階へ。

西小天守は連立式天守群を構成する望楼型の三重櫓で、地上3階・地下2階からなり地下2階は水の六門、地下1階は水の六門の渡櫓にあたります。2階から3階に上ると棹縁天井が張られていて、東辺には武具掛や火縄掛が、西辺には破風の間が設けられています。北辺の窓からはハの渡櫓の屋根の先に乾小天守の三重南面の火灯窓が見えました。2階に下り今度は1階へ。1階から東に続くニの渡櫓(立入不可)の奥には大天守への扉が見えます。ニの渡櫓は二重櫓門である水の五門にあたり、右手の鉄格子窓からは水の五門前の枡形を見下ろすことができる…はずです。

西小天守は現在の登城ルートでもある「上道」を見渡し、直下には水の二門から水の六門にかけて連続する枡形状の空間を見下ろす位置にあり、格子窓や狭間、石落としからは大天守へと押し寄せる人々を狙い撃ちし放題です。「うはははは、ここから先は一兵たりとも通さぬぞ!」 石落としを覗き込みながら城兵の気分に浸っていて、ふと気が付きました。何の気なしに水の各門を通り抜けてきた自分自身も、知らぬ間に西小天守から狙い撃ちにされていたであろうことを…。

…ということで、西小天守の内部を見学できたことはもちろん大いに収穫でしたが、西小天守から周囲や眼下を見渡すことで、水の各門が西小天守の西辺から南辺、さらには東辺をめぐるように設けられ、連動して大天守への最終防衛ラインを構成していることを体感できたのが一番の収穫でした。西小天守特別公開の謳い文句に「美しいだけではない、防衛拠点としての姫路城の姿」とありますが、西小天守に充分な兵力と武器と弾薬を備えれば、水の各門を突破して大天守に至るのはどう考えても不可能で、火灯窓を備えた優美華麗な外観に反して、寄手の殲滅を企図して築かれたであろう恐ろしい西小天守でした。「美しい花には棘がある」どころではありませんね。

この日は、西小天守以外にも有料エリア内をとことんめぐっていますが(るの門とか)、その辺はまた後日に。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

年神社 (2023/12/23 訪問)

島原半島の城めぐりを終え、諫早に戻ってきての攻城です。長崎本線の車窓からもよく見えます。十二支公園の戌・久山城山公園になっています。年神社拝殿脇に公園の標柱が建っているので迷わず登城することができるでしょう。山頂からは諫早湾をバッチリ望むことができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

94【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (佐土原城④-豊久と日本最南端の天守台) (2023/11/04 訪問)

(25人目)島津豊久の続き⑦です。佐土原城の本丸に到着しました。

ここは日本最南端の天守台で有名です(写真①②③④)。ここにはいったいどんな天守が建っていたのでしょうか? 古絵図には天守が描かれており金箔瓦も出土されたため(写真⑤)、ここに天守が建っていた事は間違えないようです。しかし、その天守が二層であったか三層であったかなどの詳細はまだ解っていないそうです。金箔瓦は秀吉から許された者にしか使えないので・・・となると🤔? 発見された瓦は、家久か豊久の時代の瓦という事になるのでしょうか? 見ているだけでなぜか想像をかき立てられます。

島津豊久は、根白坂の戦いの翌年に死んだ父の家久の跡を継ぎ、18才で城主となります。そしてここから叔父の義弘と共に秀吉の命で二度朝鮮へ出兵して行きました。そして二度目の慶長の役から帰国後しばらくして、1599年大坂へ参勤中に島津家の内乱「庄内の乱」が勃発します。豊久は家康から「薩摩の当主義久とよく相談しながらこの乱を鎮めよ!」と命じられ佐土原へ戻ってから薩摩へ行き、義久とともにこの乱の鎮圧にあたります。

そして1600年5月には乱も鎮圧し、当主義久(当時67才)に代わって家康へその報告をするため再び大坂へ戻ります。しかし、そこで何と関ケ原に巻き込まれてしまう事になるのです。

私は、佐土原城の本丸から佐土原城下を眺め考えてみました(写真⑦)。義久とともに乱を鎮圧した豊久は、大坂へ旅立つ前日、どんな思いでここにあった天守から、同じようにこの城下を眺めていたのでしょうか? この後、まさか関ケ原で戦が起こり、自分がそこに巻き込まれるとは、まして生きて再びこの佐土原の地へ帰る事ができぬとは、思ってもいなかったのではないでしょうか?

乱の状況やいきさつを、どのように家康様に報告し、どうやって内乱を起こした島津家の恥を詫びればいいのか? その事で頭がいっぱいのまま、大坂へ旅立って行ったのではないでしょうか?・・・

次は、豊久が関ケ原へ巻き込まれる事になった要因で、庄内の乱の舞台となった「都之城」を訪れます。


【余談】宮崎名物「チキン南蛮と冷汁」
宮崎駅前で、以前から気になっていた宮崎名物「チキン南蛮と冷汁」の定食を食べてみました(写真⑩)。冷たい冷汁に薬味をのせてごはんの上にぶっかけ、タルタルのチキン南蛮と合わせて食べるようですが、食べてみると(うわ最高!)。歩き疲れた体に冷汁がしみわたり胃も元気回復、さらに少し揚げた南蛮に甘酸っぱいタルタルが口の中に広がり・・・思わずビールをもう一杯おかわりしてしまいました(😊笑)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ297