みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

とばつびしゃもん

斎藤道三隠居の城 (2024/01/01 訪問)

鷺山公民館の駐車場に車を駐車し、鷺山公園と看板のある入口から登城開始。
散策路を5分ほど登ると山頂へ。そこから南にある東屋からは岐阜城と金華山がよく見えます。斎藤道三の隠居城との伝承が残る城。隠居した道三もここから義龍を見上げて何を思ったか?案内板の解説によれば、城域は山上だけでなく東の山麓に巨大な方形の館があったとか。
遺構らしいものを確認できず30分ほど攻城して撤退。

+ 続きを読む

赤い城

3ヶ月連続で・・・ (2024/02/11 訪問)

また登城してしまいました。
12月から3ヶ月連続(1月分はレポート無し)ですが城友さんが遠方よりいらっしゃるとのことで。

今回も資料館前の無料駐車場から搦手方面へ。
搦手は延寿閣別館の城泊工事中につきまだ通行止めです。
仕方なく野面積みの石垣へご案内、と思いながら進むと月見櫓下から石垣沿いに道が。
これまで見逃していました。
下から見上げる石垣、ここも圧巻です。

引き返し野面積みの石垣を見学後大手門へ。
堀は水量が少なくなっていました。
香川は水不足が最大の災害といわれています。
大丈夫なんだろうか・・・。

2時間経ってもまだ天守には行けません。
で、ここから天守へご案内、見返り坂、生駒坂から三の丸を経て本丸へ。
現存天守の中にも入りました。
この日はややもやっていて眺望は今ひとつ。
ですが喜んでいただけたようでよかったです。
約3時間、所用がありここで終了しましたがまだ見てないところもあるような。

またレポートします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

とばつびしゃもん

2024年初攻城の城 (2024/01/01 訪問)

2010年以来の登城。初日の出を天守から眺める特別開館に事前応募したがハズレ。初日の出の人混みを避けて、朝ゆっくり目にロープウェイで登城開始。
山頂駅から一の門、二の門を通って模擬天守へ。青空に鯱や瓦の金色の輝きがとても美しく見える。天守では先の応募ハズレに漏れなく配布されるグッズをいただく。天気が良く、最上階からの市内や山々を一望の眺めは気持ちいい。
頂上エリアを攻城しロープウェイで山麓駅へ降りる。以前の攻城時にはなかった居館庭園の一画にある滝の再現実験。興味があったが機材不調で休止中。居館跡を見て回り2時間の攻城。

+ 続きを読む

枡形ともき

坂本城現地説明会 (2024/02/10 訪問)

画像1は坂本城三の丸の堀と石垣だそうです。
堀は水堀で石積み遺構は舟入だそうです。
舟入は高瀬舟くらいの船が出入りするくらいらしいです。
個人的にかなりボリュームもあったので埋めずに残してほしいです。
PS根来寺で森可成(森蘭丸の父)のお墓に行きました。

+ 続きを読む

イオ

る! (2024/02/17 訪問)

るの門なう!(笑)

+ 続きを読む

takashi

姫路城初登城 (2023/12/13 訪問)

関西弾丸旅行で姫路を訪れました。
さすがに国宝で立派な御城ですね。
完成当時はどんな感じだったでしょうか?
西への睨みをきかせていた巨大城郭ですね!
素晴らしかったです。。

+ 続きを読む

にのまる

稲荷曲輪の櫓台は初でした。 (2023/12/16 訪問)

1年半ぶり、5度目になります。
今回は大手尾根口から登城しました。
箕輪城は複数の登城口のどこから入ってもワンダーランドが待っている!というワクワク感を得られますが、大手尾根口の竹に覆われたひっそり感も堪らなくよかったです。
といっても10年前の初登城時は搦手口から上がった二の丸で「イノシシに注意」の張り紙にビビッてその先に進めなかったという苦い経験があるのですが、リベンジから回を重ねていくうちにどんどん好きになってきました。

木俣から下界を眺め、郭馬出西虎口門をあちこちから観察し、二の丸、本丸へと進みます。
木橋は通行止め(HPによると3月中旬まで)でしたが、2022年春の完成時にはりきって渡りに来ているのでOKです。
御前曲輪から稲荷曲輪へ下りました。ここの高低差は惚れ惚れします。
前回訪問時に躊躇して行かなかった稲荷山へ今回は行ってみました。稲荷社のある櫓台で、たった今通ってきたところが丸見え。これは討たれます。
新曲輪へ渡り、堀底道を歩いて木橋の下まで。見上げる木橋、かっこいいです。周辺整備が完了して近道の木橋が通れるようになってもここに下りて見上げたくなるだろうなと思います。
三の丸石垣、鍛冶曲輪の石垣を見ながら虎韜門へ向かいました。
帰りのバスの時間が迫っていましたが、大堀切を見上げていると(行かなかったらきっと後悔する……)と思ったので駆け上がりました。郭馬出が見えてきて、これで一周!の拍手を自分に送ってまた駆け下りて。
そして最後の最後に白川口埋門をチェックしておしまいです。
お気に入りのお城のお気に入りの風景を見て、新しい発見をして。
城歩きの楽しい思い出をまたひとつ重ねられました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

京都御所 畏れ多くも城館扱いしちゃいます (2016/07/31 訪問)

京都御所は京都市上京区に存在します。建武4年(1337)から明治2年(1869)まで長らく帝(みかど)および一族の住まうところで、いわゆる宮中(内裏・禁中・禁裏)というやつです。日本の歴史の中でもとりわけ特別な場所なのですが、居館の中でも最上級に位置することから城郭の仲間であると言えるでしょう。さすがの城びともここは登録してはいませんね。
普段は非公開ですが、たまに一般公開しています。特に予約なしで普通に入ることが出来ました。こんな私でも紫宸殿を見た時は「おおっ」となりますね。天皇がいなくなって久しいですが厳かな雰囲気は漂っています。
桂離宮や仙洞御所などと同じくインターネットで予約して拝観することが可能です。拝観料かかんないのでお得感ありますよ。何と言っても御館日の丸ですからね。ちなみに紫宸殿の左手にあるのが右近の橘で、右手にあるのが左近の桜です。毎日こればっかり見ているとさすがに飽きると思うけど‥

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

国衡館(くにひらたて) 泰衡の兄で奥州合戦では大将軍を務める (2017/05/02 訪問)

国衡館は城びとの城ではありませんが岩手県平泉町平泉にある藤原国衡の館跡とされています。平泉小学校が館跡で土塁が残っています。
この時は普通に近くまで行けたので写真を撮らせていただきました。GWの最中でお断りを入れようにも近くに誰もいないんですね。
藤原三代秀衡の長子ですが庶子であったため跡取りにはなれませんでした。四代目泰衡の兄なのですが、亡父の正室(義理のお母さん)を妻としたため泰衡とは義理の父子になるようです。‥‥‥なかなかに狂ってますね。やだなあそんなの。
庶子という立場からか泰衡と他の兄弟たちの争いを防ぎきれず、義経のみならず頼衡(6男)・忠衡-3・通衡-5も泰衡に殺害されてしまいます。文治5年(1189)の奥州合戦では兄弟歯抜けの状態で大将軍を務めますが敗れ、出羽国に逃れる途中で和田義盛の矢に倒れ畠山重忠の家臣・大串次郎に打ち取られてしまったそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

♬栄光に向かって走る🚊あの列車に乗って行こう♬ (2024/01/08 訪問)

トーマスランド25周年記念号に乗って行きました。天気が良く🗻を期待できる日には,テンション上げてくれます。さらに都留市役所には,植木のアート作品がありましたが,これに関してはシュールな気分となりました…。
なお,パネルを読むと,勝山城(都留)とはもともとセットだったようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

そもそも籠城戦、考えてないでしょ (2017/12/10 訪問)

要害山城は武田信玄の父・信虎が築いた詰めの城で信玄公の時代にも存在していました。武田信玄生誕の地とされており麓には東郷平八郎の書による石碑もあります。東西に伸びる尾根上に築かれており西の大手から段状に郭が続いており要所を守る門には石垣が礎石として積まれていたようです。竪堀や堀切なども備え、それなりの山城ではあると思いますが、武田信玄の詰めの城にしては少々物足りなくもあります。上杉謙信や織田信長、今川義元らの本城を訪ねてみると未完成だったり、防御が甘かったりと感じることも多々あるのですが、この方々の頭の中には籠城という発想は無いのかもしれません。戦というものは他人の地でやるものだと思っているのではないでしょうか。
いい気なものだなと思いますが、上杉家以外の子孫たちが悲惨な目に合っているのを見ると、それ見たことかと思わなくもないです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

蘆名盛氏が隠居のために築いた城なんだけど (2015/05/02 訪問)

向羽黒山城は永禄4年(1561)に葦名盛氏によって築かれたとされています。隠居のために築いたのですが嫡子・盛興が亡くなると二階堂盛義の子・盛隆に盛興の未亡人を嫁がせて後見人として黒川城に移ったそうです。
盛氏さんは隠居したと言いながらも元気に戦をしまくっていたらしいので隠居城といってもかなりの規模の城ですね。東日本でもかなり大きい山城です。岩崎山の山頂に本丸(実城)が築かれ周囲にかなり大きい竪堀があります。東に弁天曲輪、北に二の丸、北曲輪、三の丸が配され周囲に多数の曲輪が配されているようです。隠居した時は、まだ40ぐらいだったようで戦に集中したかっただけなんじゃないかって思ってしまいますね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

野府城だよね。 (2024/01/03 訪問)

織田 信長さんの弟、信治さんの居城「野府城」。
夜の7時30分頃 到着しました。

皆さんの投稿で、開明小学校の正門の中に石碑と説明板があるとの情報で、一つでも『行った』をポチりたかったので目指しました。

さすがに暗いです。
正門も開いているわけありません。左手に石碑等のシルエットが見えます。正門外からパチッ。退陣です。

よく、『古戦場や廃城に行ったら落武者オバケが出るんじゃない?』と聞かれます。
こんなんじゃー、オバケもあきれて出てこれないでしょって思った「野府城」攻めでした。

+ 続きを読む

トク

93【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (佐土原城③-登城路) (2023/11/04 訪問)

(25人目)島津豊久の続き⑥です。関ケ原当時の居城「佐土原城」に登城してきました。その登城路の様子です。鶴松館の横から登ります。

大手道はまだ通れないとは書かれていましたが、ロープなどによる規制もされてなかったので、行ける所まで行ってみようと思い入ってみました(写真①)。イノシシに注意??(写真②)。確かに秋は猪が餌を求めて現れる季節なのでここは注意して登ります(注:訪れたのは秋です)。

途中の土壁に囲まれた登城路は結構な迫力がありました(写真④)。少し風化されていてVの字になっていますが、当時は垂直に掘られていたと思います(垂直に深く掘るのが島津の特徴です)。家久・豊久もこの道を何度も通ったのかと思うと、ちょっと感慨深かったです。

途中ブルーシートがかけられた崩落個所がありましたが(写真⑤)、特にロープもなく何も問題なく通れそうだったで通ってしまいました(すいません。簡単に通れたので。そしてこの一箇所だけでした。)。

帰りは中の道の方から下りました(写真⑩)。途中虎口の跡(写真⑥⑦)や城門の痕跡(写真⑧⑨)も残っていました。

次は、(豊久と日本最南端の天守台)へ続きます。


【余談】熊と猪(イノシシ)
九州には野生の熊はいません。熊本にぬぐるみを着た公務員の熊が一匹いるだけです(笑)。しかし野生のイノシシは住宅地に近い山間部でもいる事があります。私も親の大きなイノシシに遭遇した事はまだありませんが、子のイノシシ(うり坊)には何度か遭遇した事があります。例えば、大野城のキャンプ場でキャンプをしていた時、うり坊が私の足元まで来て焼けた肉を盗み食いしていきました。この時、威嚇したり攻撃したりしてはいけません。必ず近くに親のイノシシが潜んで見ているかもしれないと思った方がいいです。うり坊は人間を攻撃してはきませんので、あわてずに少し離れて距離をおき、だまって好きなようにさせて見送る事です。焼肉のたれも好きなようで、たれの皿まできれいに舐めて帰っていきました。でも内心は「俺の肉返して~😭」です。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

鉄櫓情景それぞれ (2024/02/10 訪問)

 「総堀土塁」のつづきです。 

 戦後復興のシンボルとして昭和29年に城戸博士の設計で復元されてた模擬鉄櫓も今年で70歳を迎えます、吉田城のシンボルとしての鉄櫓はいろいろの角度で撮影されて写真投稿されていますが、4年振りの登城で写真を撮り鉄櫓に限って各角度からの写真を投稿致します。
 豊川の北対岸からの写真はグラウンドゴルフ場から若干位置を変えて撮りました、駐車場はグラウンドゴルフ場側に駐めて撮影、当日プレーしてた人より14時に閉めるから言われ、10分程眺めて撮影しました。プレー日以外ゲートは鎖で閉められて利用できません。
 
 浜松への帰路へ山道国道362号線利用で約45km程です。

 今回9編に分けて長々と投稿させて頂きましたが、千貫櫓台の石垣修復復元、南御多門東脇多聞櫓台の修復復元の確認、三の丸口門の鏡石確認、惣堀北東の残存総堀土塁の確認が今回の見所で新たな感動も有りました、名残は吉田宿東惣門、西惣門の跡の確認と1/2縮小門の確認、後日機会をみて訪ねたいと思います。
 
 長々の投稿ご覧いただきありがとうございました。
  

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

千々石ミゲルの父が城主 (2023/12/27 訪問)

島原城から諫早に引き返す途次の攻城です。近くの雲仙市役所千々石支所にある千々石ミゲルの像はチェックしたことがあるのですが、この城のことは全く知らずにいました。城主・千々石大和守直員の遺子が千々石清左衛門・千々石ミゲルとのことです。千々石清左衛門の碑がありました。千々石中学校隣の橘神社脇の道を上っていくとグランドが広がっており、その奥に釜蓋城跡展望台が鎮座しています。千々石支所の千々石ミゲル像もチェックしておきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

高峠城主の居館 (2024/02/09 訪問)

国道194号線から細い道に入ったところにあります。
駐車場はありませんが隣接する倉庫のようなところに車を置きました。
跡地には民家が建ち、今でも住人がいらっしゃいます。
二段になった石垣で守られた立派なお家です。
石垣の前の水路が堀跡のようです。
北側にも門の跡のような遺構がありますが畑越しに眺めるのみとしました。

河野通道が居館として築いたあと、代々高峠城主の居館として使用されました。
住民の方に迷惑がかからないよう見学しましょう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

バナー広告

画面一杯に広がるバナー広告なんとかしませんか

+ 続きを読む

観栖寺台公園 (2024/02/15 訪問)

 観栖寺台公園よりイノシシ対策の柵を開けて登城しました。遺構としては曲輪跡、土塁、空堀の跡でしょうか。

 高尾駅北口よりバスに乗りタウン入口バス停下車。徒歩3分くらいで観栖寺台公園に行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

高尾天神社より (2024/02/15 訪問)

 高雄天神社より主郭までの道は整備されていて所々に曲輪跡と思われる削平地があります。縄張り図を見ると主郭の北側の尾根に堀切があるとのことで降りて行こうとしたが、よくわからず断念しました。また下山してネットを見てみると高尾みころも霊堂近くに説明板があるらしいですね。まったく気が付きませんでした。

 高尾駅より徒歩にて登城しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ299