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ヒカミ

岩村城 足助城 田峰城 登城 (2023/05/02 訪問)

GW 出掛けてみました。

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城とマスク

GWお城探検秋田 (2023/05/04 訪問)

横手城の後秋田市に移動して久保田城を見学しました。展望台から見た景色がとても素晴らしいですね。

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カズサン

松下期の久野城復元イラストがHPで公開

 袋井市ホームページで昨年久野城の大手に案内板掲示された「松下期の久野城復元イラスト」(城主:松下之綱・重綱 天正18年~元和5年・1590~1619年)作画:香川元太郎氏 監修:加藤理文氏・袋井市教育委員会の力作です。
 所有権の話し合いがついて公開の運びと成った様です、HPを開いて資料保管、イラストに往時の城郭景観、雰囲気を感じて楽しみたいと思います、皆さんも宜しかったらHPを開き実感してください。

 HPは袋井市ホームページを開き→観光・文化・スポーツ→文化財→指定文化財について→久野城についてを開きましたら、久野城の紹介、松下期の久野城復元イラストが有りその下に、PDF久野城のイラストファイルが添付されています。
 https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/material/files/group/84/kunojyofukugenpdf.pdf

 私も3月末に訪ねて松下期の久野城復元イラスト案内板掲示されていたので袋井市の文化財係にHPを通じて問い合わせし同イラストのPDF公開の希望を伝え、所有権者との交渉中との返事の後、公開されましたと4月下旬返事が有りました。
 大変ありがたいことで感謝する次第です「ありがとうございました。」

 大変立派な城郭だったと分かります、瓦を用いた二階天守、南の丸の石垣と櫓群、現在の大手は濠の中、昔の大手は舟入で船で行き来、陸地との繋がりは唯一搦手側より、北の丸は現在消滅して現在の北の丸跡は北の丸下曲輪だったのですね?大きな濠もよく理解できます。
 松下氏も華やかな織豊期城郭を築き、瓦屋根の天守、櫓、石垣と上方の城郭を手伝い普請をしながら大いに見分を広め自慢の城郭だったことでしょう、拾数年で改易に成ったのは惜しまれます、廃城も早すぎました。
 

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城とマスク

GWお城探検 (2023/05/04 訪問)

今年のGWは横手城に行きました、横手やきそばがもちもちしてて美味しかったです。

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トク

㉝【関ケ原の26人】(16)黒田長政 (黒田長政と中津城) (2023/01/05 訪問)

(16人目)は「黒田長政」です。
関ケ原当時の居城「中津城」を訪れてきました。

長政は城主といっても形だけで、ほとんどは伏見城で家康に付き従っていたため、中津にはあまり戻っていません。実質は、父の黒田官兵衛(如水)が築城しその後も支配していました。(しかし黒田軍主力はこの中津城から出陣しています)

しかし唯一、長政に関係する遺構があります。それは城内にある「城井神社」(きいじんじゃ)です(写真⑤⑥)。ここには「宇都宮鎮房」(うつのみやしげふさ)という人物(写真⑦)が祀られています。鎌倉時代から400年、この地域一帯は宇都宮氏が支配していましたが、九州征伐後に秀吉の命で今治への移封が下されるも、先祖伝来の地を離れる事を拒み、黒田氏になかなか明け渡そうとしません。逆に反旗を翻し黒田を攻めたため、長政は官兵衛の居ぬ間に和睦と称して鎮房を中津城へ呼び出し、だまし打ちにして殺してしまいました。なぜかその鎮房を城の守護神として祀っています。大河ドラマ「軍師官兵衛」の中で、長政役だった松坂桃季さんが、ここで鎮房を殺した後に不敵に笑いながら酒を飲んでいたシーンがあったのを今でも思い出します。

関ケ原後、黒田長政は筑前52万石へ加増転封。その後の中津城は、細川氏、小笠原氏を経て、譜代の奥平氏が入り幕末まで続きます。奥平氏と言えばあの長篠の戦いで長篠城を死守した事で有名になったあの奥平氏です。現在の中津城はその奥平氏の子孫が中心となって呼びかけ昭和39年に築城されました。城内は奥平家の家宝が展示されています。奥平信昌(貞昌)が長篠の戦いの時に着用していた鎧兜や、長篠合戦図屏風、そしてなぜかヒーロー鳥居強右衛門の掛軸が飾られています(城の守り神でしょうか?)(写真⑦⑧⑨⑩)。 「どうする家康」では奥平信昌が長篠の戦いから登場するようです(白洲迅さんが演じられるようです)。ここにも注目ですね!

次も、中津城(黒田官兵衛資料館)へ続きます。
 

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todo94

どうする家康浜松大河ドラマ館 (2023/04/01 訪問)

どうする家康浜松大河ドラマ館の開館前に城内を一巡り。天守のリニューアル、大河ドラマ館のグランドオープンからまだ日が浅く、浜松城公園さくらまつりの開催中とあってたいそうな混雑でした。金網の外れた天守からの眺望にも惹かれましたが、天守はスルー。そして、大河ドラマ館ではチケット購入と入館それぞれでかなりの行列ができてしまっていました。ぴあなどを利用せずとも、静岡のように時間指定のWebチケットが購入できると便利なのになと感じました。正直言って大河ドラマ館よりもその隣の本丸北東隅石垣の展示のほうが萌えるものがありました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:真田本城 (2023/04/19 訪問)

天白城から転戦。本城駐車場(36.441150、138.324209)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、 海野氏の庶流とされる真田氏の拠点があった所で、規模や構造が真田氏の本城に相応しいとの理由から真田本城と呼ばれているようです。
角間にある松屋古城に対して、こちらを松尾新城とも呼んでいます。
真田氏は1583年(天正11年)真田昌幸のときに上田城を築いて居城としています。

現在は公園として整備されています。
最高所に主郭を置き、北に二の曲輪、三の曲輪を連ねています。
主郭は南背後に土塁があり、南側にも曲輪や堀切があったようですが、よくわかりません。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=松尾古城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:天白城 (2023/04/19 訪問)

真田氏館から転戦。赤井集会所駐車場(36.432383、138.323415)に駐車し、城址入口(36.433749、138.323104)に向かいました。

詳細は不明のようです。真田氏の支城と伝わっています。

虎口付近に石垣、西へ伸びた尾根に連なる曲輪、東土塁背後に堀切が確認できます。
主郭以外が笹薮に覆われており、よく確認できませんでした。
木の階段が本丸まで続いているので、迷うことはありません。
全日の雨で落葉が濡れ、下山時、何度も滑りましたが、トレッキングシューズ、杖、手袋でケガはありません。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=真田本城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:真田氏館 (2023/04/19 訪問)

矢沢城(城びと未登録 長野県上田市)から転戦。真田氏歴史館第1駐車場(36.431239、138.318569)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、伝承によれば真田信綱の居館とされます。
真田氏累代の居館と考えられており、1583年(天正11年)真田昌幸が上田城を築いて居城を移すまでの居館だったようです。
昌幸が上田城に移ったあとに、屋敷跡に勧請したのが皇太神社と伝えられています。

真田館は現在御屋敷公園として整備されています。
周囲を土塁が巡り、南が大手、北が搦手になっています。
攻城時間は20分(真田氏歴史館は開いていませんでした)くらいでした。次の攻城先=天白城に向かいました。

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小城小次郎

およそ130年の歴史の中で (2022/12/11 訪問)

130年に及ぶこのお城の歴史は前半が上総武田氏、後半が里見氏(正木氏)とほぼ半々に別れていたらしい。安房・上総でよく見かける垂直立ち割り系の素晴らしい遺構が随所に眠っているがその全貌を見るには根性?が必要なのかも。

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美夢

【かるた】犬山城の読み札

廻縁 城下見渡す 犬山城

桃瓦 犬山城の 守り神


一句目
現存天守の廻縁、高さもあり少し傾いていて、怖くもありましたが
ぐるりと一周、城下を見渡す事が出来て
成瀬氏の気分が味わえました

二句目
犬山城と言えば桃瓦🍑
縁起を担いでの桃のデザインですが、
実際に留蓋として、雨からお城を守っています
犬山には桃太郎神社もありますね

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赤い城

茨城県の城振り返り

朝田さん、にのまるさん、
クイズの回答ありがとうございます。
筑波山を望める整備された城、真壁城でもちろん正解です。
皆さんには失礼な問題でした。
にのまるさんのクイズですが拡大して標識の文字を確認しようとしましたが読めず。
街中にある黒い天守のシュッとした城、松本城でしょうか?
全く自信はありませんが間違っても笑い飛ばす感じで。

さて、茨城県の振り返りです。
先日も書きましたが近年調査や整備が進んでいるようです。
常陸なので佐竹氏メインとなりますが北部は那須氏や岩城氏に備えた山城が多く、最近発見された城もあります。
常陸大宮市の美和地区の城、高部館や檜沢城など未登録ですが駐車場も完備、整備されて見やすいです。
中でもおすすめは常陸太田市の久米城、地元の管理人さんが10年以上かけて整備されています。
ここは是非行って欲しい。
茨城県は平地が多いので基本的に深く掘った城も多いです。
小幡城が代表格ですかね。
見川城や河和田城、木原城もこれに当たるでしょうか。
南方三十三館の城たちもこれにあたり、攻めるよりは呼び出して殺しちゃう戦略は当時としては効率的であることも納得できます。
島崎城や中居城、鹿嶋城、他にも未登録の山田城など。
北関東3県は城好きにとっては魅力度の高い素敵なエリアだと思います。
それでは茶色とV字の写真集をどうぞ。

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ゆき

障子堀 (2023/05/03 訪問)

圧巻でした!

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて12 (2023/05/04 訪問)

桜本数250種類1万本、日本さくら名所100選に選ばれています。私が訪問した時には遅咲きの桜が満開でした。令和5年4月22日から5月7日まで桜まつりが行われています。松前城は異国船からの海防強化のために江戸幕府が松前氏に命じて造らせた城です。居城の福山館を拡張する形で築城されて1854年完成、三層の天守を持ち日本で最後に造られた日本式城郭となりました。国宝に指定されていましたが昭和24年に焼失、現在の天守は昭和36年に資料館として建てられたものです。戊辰戦争の一つ函館戦争では、旧幕府軍に攻められ短期間で落城しています。元々海かの攻めを想定していた為、陸からの攻めには弱かったと考えられています。しかしながら翌年には新政府軍により奪還されています。

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アイナサハリン

しろいし (2023/05/04 訪問)

近くにあるミュージアムシアターは見た方がいいです。

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ゆいと

壊された置塩城 (2023/04/30 訪問)

置塩城は秀吉に壊されてしまいました。しかし、本丸跡からの景色は素晴らしいです。でも備中松山城は本丸(天守)が残っていて置塩城の本丸跡の大きさと似ていました。しかし、置塩城が壊されたのは歴史なので歴史を変えることはできません。でも山城は本丸が残っているのが1つだからこそ楽しいのです。

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三浦の晃ちゃん

中世の姿が復元 (2023/05/03 訪問)

江戸時代の姿を復元しているお城は、だいぶ見ているのですが、中世の姿を復元しているお城は久しぶりに訪問しました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:矢沢城(城びと未登録 長野県上田市) (2023/04/19 訪問)

車は矢沢城跡公園駐車場(36.413368、138.308029)にそのまま置いて、矢沢陣屋(城びと未登録 長野県上田市)から徒歩で公園入口案内板付近(36.412590、138.308750)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、矢沢氏によって築かれたと云われています。

戦国時代には真田頼昌の三男で幸隆の弟である頼綱(はじめ綱頼)が矢沢家の養子となって家督を継いでいます。
矢沢氏は武田氏に従い、やがて真田昌幸が真田家の家督を継ぐ頃になると真田氏を補佐し、やがてその重臣となっていきます。
1583年(天正11年)矢沢頼綱は真田昌幸から沼田城代に任ぜられ、北条氏から沼田領を守り抜きました。
頼綱の子頼幸は真田信幸が沼田へ入部するとこれに仕え、上野国猿ヶ京城代となっている。

現在は公園として整備されています。
堀切、石積、帯曲輪を見ることができます。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=真田氏館に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:矢沢陣屋(城びと未登録 長野県上田市) (2023/04/19 訪問)

上田城から転戦。矢沢城跡公園駐車場(36.413368、138.308029)に駐車しました。

1669年(寛文9年)上田藩二代藩主仙石政俊が隠居したとき、弟政勝に二千石を分与しました。
これによって仙石政勝は旗本となり、知行地の矢沢に館を構えます。
政勝は旗本として江戸に居たことから、この地は代官を置いて管理しました。
上田藩仙石氏は、三代政明のときに但馬国出石へ転封となりますが、この旗本仙石氏は明治まで代々続いているようです。

別名=矢沢仙石氏館と云います。
現在、個人宅となっていますが、石垣や隅櫓風の蔵があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=矢沢城(城びと未登録 長野県上田市)に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:上田城 (2023/04/19 訪問)

上田藩主居館(城びと未登録 長野県上田市)から転戦。上田城城門前(36.403159、138.245118)に着きました。

上田城は4回目の攻城になります。
①2017/04/08 クラブツーリズム「信州桜吹雪」ツアーでの攻城
②2018/06/24 電車&レンタサイクルを使って日帰りで、富士見城/小諸城/龍岡城や田口城などを一人で巡りました。
③2020/10/13 自宅(千葉県)から車を使って妻と二人での攻城。
④2023/04/19(今回) (長野県&岐阜県城巡り)一人での攻城。

真田昌幸と黒田官兵衛が好きなおじさんにとって何度攻城してもいいお城です。
朝早く、霧がかかっているので、写真は見ずらいかもしれません。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=矢沢陣屋(城びと未登録 長野県上田市)に向かう前にホテルに戻って朝食をとります。

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