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おしなり3

白石城 (2023/05/04 訪問)

白石城に行ってみた

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トク

㊱【関ケ原の26人】(16)黒田長政 (中津城:黒田の石垣2) (2023/01/05 訪問)

(16人目)黒田長政(中津城)の続きです。
中津城の石垣の話を続けます。

私の一番好きなのはこの石垣です(写真①)。城の北東部(河口に最も近い所)は最も軟弱な地盤の部分であるため、横向きに長い石をこのように奥深く入れる事で、強度を増すようにしていたようです。少なくとも2m以上はありそうです。

また、南側の内堀沿いの石垣(穴太積)には「輪どり」と言い、中央を少しふくらませる事により、負荷を分散し強度を増すようにしていたようです。(写真②)これ、よ~く見ないとなかなか気づきませんよね!

どちらも、あの時代にしては、すばらしい発想だと思いました。さすがは官兵衛様!お見事でござる🤔!

城の南側の内堀沿いにある「中津市歴史博物館」では、「輪どり」のある見事な穴太積の石垣を眺めながら、シアターで石垣の解説を聞き、カフェを楽しむ事ができます(写真③④)。私も見学で疲れた後、ゆっくり石垣を眺め、当時の石垣職人がどんな風にしてこのように積んだのか? そんな姿を想像ながらコーヒーを飲み、タイムスリップした時間を過ごしました。

次は関ケ原(黒田長政陣跡)へ続きます。
 

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刑部

景色がいい城址 (2023/05/06 訪問)

上り口に駐車場とトイレがあります。
そこからかなり急な坂を登れば絶景です!
氷見海鮮料理は最高でした。

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カズサン

巨岩に覆われた山城・富士の眺望も最高 (2023/05/04 訪問)

 連休天候等条件が合わず連泊の遠出は諦めて日帰りの甲州路城探訪へ、2~3年前に整備復元された新府城丸馬出・三日月堀を是非見たい事と、数年前から登らな成らないかな?との湯村山城を目指して早朝浜松を新東名、中部横断道、中央道、双葉SICを走行し湯村山城の登城口である、甲府市緑が丘スポーツ公園西奥の駐車場に車を駐める。駐車場の緯度経度(35°40'59"N 138°32'26"E H=290m)

 比高は湯村山446mなので290mを差引くと156mと成ります、私としては登城は一大決心、大勢のハイカーが登っていました、子供連れの団体、老若男女、奥の車道から入り50m程行くと車進入禁止のアスファルト舗装の登城路へ、烽火台まで約25分と案内あり。道は護岸に石垣と成り、クヌギ林?の木漏れ日、やっや風あり、新緑若葉と素晴らしい樹林、森林浴です、根気、脚力に自信の無い我が身ですので1歩1歩ゆっくりと周辺を見ながら登りました、道は6曲がり位で新しく復元整備されて烽火台に到着45分程掛かりました。
 
 烽火台は案内板によると、信玄公の生誕500年を迎える整備事業として令和4年10月建てられた様です、案内解説板に甲州の主な城郭、烽火台砦跡も記されて湯村山城を築いた信玄の父信虎、信玄時代の烽火リレーション、情報伝達の仕組みを語っていました。

 烽火台からは湯村山城には分岐点が有り東コースと西コースが有り本丸南側で合流します、私は東コースの石垣が見える方を選び、石垣を見ながら本丸方向へ、石垣の時代は良く分かりません、湯村山城整備の近代かもしれません、巨岩に覆われて、巨岩が石垣の様、岩の上に石積、本丸頂上部に東屋が在りますがその手前から曲輪部分に入り込み、曲輪の痕跡、堀跡、土塁跡、井戸跡、石積などを余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに探訪、東屋に着き、皆さんが絶景を投稿されてる富士山を遠望、足は筋肉痛ですがほっとした時間を頂きました、大勢のハイカーさんと若干話したり、東屋は本丸部南東角、湯村山頂上の標柱446mが光ります。
 
 標柱と富士山を一緒の撮るのですがコントラスト比が大きくて、標柱に合わせると富士山が飛んでしまいしまい、富士山に合わせると標柱が暗く、別々に撮りました。

 東屋から西コース登城路へ、南端に別の段曲輪が在ります、上から見るだけ、中ほどに石積の祠・湯村山金毘羅宮が道沿いに鎮座、井戸跡の標識有り訪ねる、北西角辺りから坂にて下り道、その辺りの岩、巨岩が本丸虎口門のような気がしましたが?その東側に本丸群の切岸、その下に横堀が確認できます、二股分岐点に合流して1周した事に、烽火台に戻りました。

 健脚の方は積石塚の湯村山1号墳辺りの曲がり角から巨岩に覆われた樹林の中を登る道が在ります、本丸部の東屋辺りにつながっていました。
 
 登りたい城に印を付けて3年程ですが所要時間2時間、やっと登れました。
 情報とガイドは、何時もの古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。
 
 続きに登城路編を投稿します。
 

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びーこ

涌谷城の石垣にわくわく♪ (2023/05/01 訪問)

前日まで開催していた桜まつりの後片付けの真っ只中に登城。お仕事中、お邪魔致します・・
博物館になっている模擬天守の横には現存太鼓堂(隅櫓)がある。そして涌谷城最大の見どころは、この隅櫓の下に少し残っている石垣!反り立った石垣に隅櫓、そして隅櫓の屋根には可愛らしい鯱と青空。今日イチのベストショットである。満足満足〜

ランチは登米にある道の駅で、名物の油麩丼(油麩を甘辛く煮て卵とじしたもの)とハット汁(かつお節出汁に薄く伸ばしたすいとん)を頂いた。なんて落ち着く味。日本人はみんな大好きでしょう。こちらも満足満足〜

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肉球

3度目の訪問でした (2023/04/28 訪問)

再々訪問なので見ていないものを下調べして訪問しました。
城跡から西へ1キロくらいの所に相生町枡形の石垣が残っているようなので
ここを目当てに訪問しました。
説明書きによりますと東西七間三尺(13.6m)南北十一間五寸(20m)の規模で
枡形が整備されていたようです。石垣の一部は江戸時代に築かれたもののようです。
藩医馬島家は訪問した日、休館していて見れませんでした。
カズサンさんわざわざコメントありがとうございます。
先に高遠城に訪問していたのに後出しになってしまいすみません。🙇

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肉球

江戸幕府天領陣屋 (2023/04/28 訪問)

幕府天領を治めるため設置された陣屋です。
跡地に復元され歴史民俗資料館として公開されています。
入館料300円無料駐車場完備。
2度目の訪問でしたが今回も係の人が親切な説明をしてくれました。

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イオ

【かるた】備中松山城の読み札と絵札

雲海の 現存天守 備中松山城

「天空の城」と呼ばれる城はいくつかあれど、雲海に浮かぶ現存天守は備中松山城ならではですので…。

真田丸 脳裏に描く 備中松山城

そそり立つ岩盤を組み込んだ石垣は備中松山城の見どころのひとつですが、脳裏ではどうしても真田丸オープニングの曲と映像を重ね合わせてしまいました(笑)

猫城主 堂々闊歩 備中松山城

人に囲まれても嫌がるそぶりもなく、家来(職員さん)を従えて堂々と城内を巡検するさんじゅーろーに感銘を受けました。さすがは猫城主さま。堂々と闊歩する良さげな写真がないので、読み札のみです。
 

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:割ヶ嶽城 (2023/04/21 訪問)

髻山城から転戦。登り口先(36.807013、138.242956)に路駐し、登り口(36.807022、138.242956)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、在地豪族の柴津為信の城ともいわれています。
1561年(永禄4年)武田軍が鰐ヶ岳城を攻め落としており、これがこの割ヶ岳城とも考えられているようです。

登山道入口は南の県道沿いにあり、道標の西側から北の民家へと向かって歩き、民家と民家の間を抜けて山へ入ると道が付いています。
民家の方が登城口を教えてくれました。
ポイント、ポイントで標識があり迷うことなく辿り着けます。
山頂が主郭で、北東から南西に伸びた尾根に曲輪があります。主郭の北西側に土塁があり、南西に向かって三段程の曲輪があります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=飯山城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:髻山城 (2023/04/21 訪問)

若槻山城から転戦。県道60号線髻山登山道入口(36.725217、138.250183)から小道に入り、登り口付近(36.719924、138.244962)に路駐しました。

上杉謙信が、川中島の戦いに備えて築いたとされています。
1564年(永禄7年)上杉謙信の家臣・直江実綱が、堀江宗親・岩船長忠両氏に武田軍の状況を通報させたとする古文書に、「敵もと々り山江、小旗四、五本にて、毎日武具致すよし候」と記され、武田・上杉氏の川中島の戦いに際し、武田氏の使用が確認されているようです。
髻山城は、長沼城が築城された1563年(永禄6年)頃以降、特に重要視され、その構造から武田氏滅亡後、川中島四郡を支配した上杉景勝とも深く関わったことが想定されています。

県道60号線髻山登山道入口から小道に入り、登り口付近と思われるところから歩きはじめましたが、登城路がみつけられません。
しばらく山の中を歩きましたが、結局、攻城を断念しました。
どこで間違ったのか、いまだに不明です。方向音痴の自分がイヤになります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=割ヶ嶽城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:若槻山城 (2023/04/21 訪問)

葛山城から転戦。この付近(36.695161、138.205474)から林道に入り、「若槻山城跡」登り口付近(36.696038、138.216337)に路駐しました。

詳細は不明のようですが、鎌倉時代の若槻氏の城とも云われていますが、若槻氏に関しては詳らかではありません。
1404年(応永11年)大塔合戦の後、幕府方の市川氏幸が若槻下芋河之要害を攻め落とすことに成功しています。
この頃、若槻のあたりは高梨氏一族の知行であることから、若槻山城は高梨氏の支城と考えられているようです。

主郭は土塁が巡る大きな曲輪です。主郭から南東の尾根に向かって数段の大きな段曲輪が続いており、北側に土塁があります。
若槻山城の北側に若槻山城番所、南側に若槻山城堂沢番所があるようですが、時間の都合で攻城を諦めました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=髻山城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:葛山城 (2023/04/21 訪問)

篠ノ井駅から長野駅に向かい、長野駅のレンタカー会社から、葛山城入口(36.675929、138.164675)に向かいました。

1555年(弘治元年)上杉謙信によって築かれた。 1555年7月善光寺平に出陣した上杉謙信は横山城に着陣した後、葛山城を築いて武田氏方の善光寺別当栗山氏の籠もる旭山城と対峙しました。
上杉氏と武田氏の対峙は長期にわたり今川義元の仲裁によって和議となり、旭山城は破却されました。
1557年(弘治3年)2月落合備中守ら葛山衆の籠もる葛山城を武田の家臣馬場信春が急襲して落城しました。
これに対して上杉謙信は旭山城を修復して拠点として葛山城を攻略しますが、1561年(永禄4年)の川中島合戦の後、上杉氏らは善光寺平から退き、葛山城は武田氏の属城として長沼城の葛山衆が在番していました。


葛山城は善光寺の北西にある葛山山頂に築かれています。裾花川を挟んで南側に旭山城があり、北東には大峰城があります。
山頂の主郭は大きくはありませんが、東西両側を二重堀切で遮断されており、西側は幅が狭く深く鋭い堀切になっています。
ぬかるみに足を滑らせ転倒。リュックが泥だらけになりました。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=若槻山城に向かいました。

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刑部

雨の中の城址巡り (2023/05/06 訪問)

大気が不安定で急に雨が強く降り出す中の小丸山城を歩きました。
昨日の能登地震の警報に悩ませながらの城址探訪。
人気は余りありませんでした。

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美夢

【かるた】五稜郭の読み札

スタンプは マナーを守って 五稜郭

半月堡 大手を示す 五稜郭

五稜郭 タワーで楽しむ 鳥視点


読み札のみの投稿です
一句目
五稜郭タワーのスタンプが廃止となった事を、詠まずにいられませんでした
悲しい気持ちです

二句目
半月堡は大手口に造られています
予算が無くてひとつだけになったそうですが
上から見た時に何処が大手口かすぐに分かりやすいですね

三句目
五稜郭は是非、上から見たいです
五稜郭タワーに行けば手軽に鳥視点の五稜郭を楽しむ事が出来るのは
本当に有り難いかぎりです

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おしなり3

仙台城 (2023/05/03 訪問)

仙台城

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todo94

【かるた】松山城の読み札 (2017/09/18 訪問)

並び立つ 文武の俊秀 松山城

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おにぎり

石仏 (2023/05/06 訪問)

信長が築城した安土城には仏まで石垣などに使われているんですね〜 信長は無宗教だったとしても…すごいですね。

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トク

㉟【関ケ原の26人】(16)黒田長政 (中津城:黒田の石垣1) (2023/01/05 訪問)

(16人目)黒田長政(中津城)の続きです。

関ケ原から話はちょっとそれますが、中津城の石垣の話をちょっとさせて下さい。まずは有名なYの石垣から。ではここで問題です!

【問題】
中津城の北面では、2つの異なった石垣が見られる事で有名です(写真①)。Yの部分を境に右と左で異なった石垣である事がお分かりになると思います。どちらが最初の築いた黒田官兵衛の石垣で、どちらが後に入った細川忠興の石垣でしょうか?🤔

【解答】
右の四角く削って整えた方が黒田の石垣、左の一見雑に野面風に積んでいる方が細川の石垣です。何か時代的に見て逆のような気もしますが、黒田時代の石垣は、川の上流にある7世紀の古代遺跡「唐原山城」の神籠石にあった角を削られた石をそのまま使ったのでこのようになったそうです(写真③)。

この他にも、城の西側(川沿い)にある黒田時代の石垣にはL字型の切り込みが入っているところがたくさんあります(写真②)。ここも唐原山にあった石を使っているようです。この不思議なL字が何を意味するのか? 実は私もわかりません😩すいません(説明写真④⑤)

次は中津城の中でも私の好きな石垣の話です。
(中津城:黒田の石垣2)へ続きます。
 

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猿飛佐助のふるさと (2023/05/11 訪問)

 織田信長が観音寺城を攻めたときに六角義賢、義治親子が逃れてきたと伝わる城です。
見どころは枡形虎口、山頂部、主郭北・東辺の三カ所の石垣、井戸等でしょうか。石垣には予想より大きな石が使われていました。竪堀群の標識がありましたが、草が多くよくわかりませんでした。散策路は整備されていて概ね歩きやすい城址です。

 落ちそうで落ちない合格祈願の岩となっている八丈岩はJR草津線の車窓からも見ることができます。またこの岩は猿飛佐助が修行した岩ともいわれています。城址に来るまでに「猿飛佐助のふるさと 三雲城址」と書かれたのぼりが多く立っていました。はるか昔に読んだので忘れていましたが、司馬遼太郎の「風神の門」には「佐助は伝説の英雄ではなく実在していた」「佐助はただしくは三雲佐助賢春という」と書かれています。真偽のほどはともかく、こういう話は結構好きです。

 山の上にある登城口まで車で行くことができますが、自分はJR三雲駅より徒歩にて登城しました。天候もよくのんびり歩いていたら約50分かかってしまいました。

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びーこ

城跡?というかトレーニングに最適な公園 (2023/04/30 訪問)

釣山公園の入り口から登城開始。といっても城感は殆どない。結構な坂道だが、綺麗に整備されているので、雨上がりでも安全に登ることができる。緑がいっぱいでマイナスイオンたっぷり。野生のつつじも満開♪息を切らしながら頂上まで行くとなかなかの眺め(写真撮り忘れた・・)ということで、大した写真はございません。

ちょっと不完全燃焼であったが、グルメはしっかり味わった。造り酒屋が営んでいるレストランで、利きクラフトビールとアイスバインのランチ。生まれて初めてマンガ肉というものを食べた。大満足!美味しかった〜

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