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刑部

城と桜 2024 (2024/04/15 訪問)

桜咲く時期に一度は来たいと思って念願かないました! さすが桜の日本三大名所でした、そしてソースかつ丼! 少食なので小さめのかつ丼にしました。

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T-Shionoya

古宮城 小山を彫刻したアート作品 (2024/01/14 訪問)

以前から愛知の魅力的な中世城跡と聞いていた新城市の古宮城。
1月中旬、ついにその古宮城を訪問。

作手盆地の宮山と呼ばれる比高約20mの小山全体を城郭とし、西側以外の3方は湿地帯が天然の要害であった城。

武田信玄の徳川領侵攻の拠点として家臣の馬場信春が1572年に築いたと伝わるが、奥平氏の謀反に伴い徳川軍が翌年攻略。
その後の廃城時期は定かでない模様。

現在は、土の遺構が良好に残る続100名城の城跡で、南麓の白鳥神社が入城口。

訪問時、概ね案内図の矢印の順で廻ったが、逆回りの方が徐々に中心部へ進んで行く雰囲気となりお勧めかも。
城は大堀切を境に西と東に分かれており、それぞれの頂部に位置する平坦部のみが曲輪らしい曲輪で、どちらも仕切土塁が存在。
土塁のコンディションが良く、西曲輪の3重4重の堀&土塁と本郭南の桝形虎口がメインの見どころでしょうか。

堀を端から端まで行ったり来たりで滞在時間は2時間半。
アート作品のような古宮城が、私の城郭巡りの171城目となりました。

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カズサン

名残の桜ごろ (2024/04/11 訪問)

 桜を廻って遠州路城廻、桜が終わりごろに成ってしまった時期に二俣城に続いて隣の鳥羽山城も登城しました、鳥羽山城には染井吉野桜は其れなりに多く植わってます。
 本丸下の南の丸Ⅰ駐車場に車を駐めて、大手道より登城開始、大手道先に本丸東石垣の前に桜が有り大手道から見るビュースポット、東の丸Ⅰ、東の丸Ⅱ、大手門枡形にも桜が植わっているがすでに桜が終わり名残の桜、チラホラ桜の花が見える程度、時期を失ってしまいました。本丸内部もしかり、小振りの八重桜だけは頑張って居ましたが、東門、搦手口から出て元笹の丸・西の丸Ⅰへモチツツジが咲き、句碑も文字が刻まれていますが良く読めない、本丸西側下を通り腰巻石垣、此処の桜も名残の桜。

 二俣城、鳥羽山城とも桜の旬の頃を見逃してしまいましたが新緑の芽吹きを体全体で感じる事が出来ました。
 

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カズサン

桜が終わって新録の芽吹き (2024/04/11 訪問)

 桜を廻って後回しに成っていた二俣城に登城しましたが、桜は終り葉桜、新緑の芽吹き時期と成っていました、二俣城の本丸には天守台の奥に大島桜と染井吉野桜が各1本あり既に終わって居ました、本丸中仕切門辺りに伸びた染井吉野桜と小振りの八重桜が各1本、染井吉野桜の上部は桜の花が残っており、八重桜は盛り頃、二の丸は楓が新緑で眩しい、大手門石垣越しに新緑が眩しく芽吹いている。
 元蔵屋敷、南の丸Ⅰより二の丸土塁の桜を見渡すが葉桜で花のカゲ無し、本丸東側の石垣が樹木、竹林が若干伐採されて見通すことが出来ました、麓には山野草か蘭の仲間か、ランの花が群生していました。

 駐車場は何時もの、北の丸下の専用駐車場

 本日は芽吹き頃の新緑眩しい二俣城を桜の代わりに堪能しました。今回は登城者私のみで静かな探訪も楽しみました。
 

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朝田 辰兵衛

ホテルから朝駆け…🐾 (2024/02/25 訪問)

小雨の中,高崎のホテルから朝駆けしました。寒さで吐く息が白かったですが,ホテルに戻って飲んだコーヒーがとてもおいしかったです☕
todo94さんの生まれ育った庭を荒らした感があります…。

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WEST

勝龍寺城探訪 (2024/04/12 訪問)

勝龍寺城を訪問しました。石清水八幡宮参拝の帰りに淀駅から長岡京行きのバスに乗り、久貝バス停を下車して徒歩で向かいました。
(淀駅から長岡京行きのバスは、昼間の時間は1時間に一本です)
細川藤孝の時代には天守を備えた近世城郭とのことですが、当時のものは北門の一部の石垣のみのようです。

現在は勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓等が建てられています。ここは桜の名所であり、春の訪問がお勧めですね。
帰りは、JR長岡京駅に向かいましたが、その途中に勝龍寺城の惣構の土塁・空堀が復元されています。立ち寄ってみてください。

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チェブ

夏も丸裸。 (2024/04/20 訪問)

毎日、1万歩を歩く父を誘って「滝山城」に向かいました。
桜の季節が終わり「滝山城」は新緑色でした。

観光駐車場から本丸への木橋を目指し歩きました。
堀やら虎口やら父に説明していると、ガイドさんに声をかけられ談笑。私は『滝山城と言えば、二ノ丸』と、言った所で それならばと、ガイドをしていただきました。
お城巡りは冬がシーズン(?)ですが「滝山城」は少々、木を切り倒し遺構を見やすくしたとの事です。草刈りも1ヶ月弱でするそうです。
今回ビックリしたのは『滝山城は北条家の城なのに、障子堀がないんですね?』との問に『ありますよ。二ノ丸の堀は広い所が障子。狭くなっている所が畝です。埋まってます。』
知らなかった、、、、。
やはり、どこのお城もガイドさん、すばらしい情報を教えてくれます。

最後に桝形虎口から堀と土橋を眺めて、北条家の日常は、ここで どのような会話をしたのだろうと、立ち話。とても楽しい時間を過ごす事ができました。
ガイドの皆さん、ありがとうございました。

これから夏にかけて、雑草やら藪やらが 遺構を隠してしまいます。
しかーし「滝山城」はオールシーズン、整備を整えて待ってくれてます。

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sorato

修理中の守礼門 (2023/02/20 訪問)

令和5年の守礼門です

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さといも

スミレ咲く (2024/04/21 訪問)

 低い土塁に囲まれた基本方形の館跡です。周囲の空堀や土塁の中にスミレが咲いてきれいでした。

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天守無しがアツい

世田谷城公園 (2024/04/20 訪問)

豪徳寺(井伊家の菩提寺、井伊直弼の墓もある)の門を出てすぐの場所に城跡(世田谷城跡)があります。と言っても城の入口は反対側にあるため、ぐるっと回る必要はありますけどね(1枚目の地図を見ると分かりやすいかと)

3分ほど歩くと子供の遊ぶ公園がありました…見た目は公園⛲️ にしか見えない…でもそこが世田谷城なのです🤣 石垣のようなブロック(2枚目に写ってる)くらいしか「そう言えば城跡かも?」と思わせるものはありません(しかもこれも当時…戦国時代に造られたのではなく、現代になってからだと思う…多分🪨🪨🪨)

(2枚目にあるように)城跡の案内板はあります…他にももっとカラフルな城跡および周辺史跡を紹介した案内板も立ってます。城跡の中にはそれさえ無い…遺構のまるで無い所もあるため、それよりはマシかもしれませんね🏯

丸ごと公園…子供の遊び場にできるほど規模の小さい城跡…なので逆に言うなら1回の訪問で全部見回れる…と言うことで通路や階段はほぼ全部歩き回りました🚶‍♂️ そういう意味では楽勝な城跡とも思えましたね😅

(世田谷城Wikipedia)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E5%9F%8E

室町時代に世田谷城およびその一帯を治めていたのは吉良氏…(おそらく歴史書にもほとんど出てこないので、参考サイトにも情報が乏しいと思われます)近隣諸国の北条氏と婚姻関係を結んだりして長きに渡り存続していたそうですが、天正十八年(1590年)の秀吉による天下統一の際に豊臣氏勢に接収→廃城

廃城後には石材が江戸城の改修に使われたりしたそうです。その江戸城も遺構は天守台や門…櫓くらいしかないけど、もしかしたらその中に元世田谷城のもあるのかな?🏯

空堀(3枚目)が存在しており、ここでも子供が遊んでおり、母親どうしで雑談しながら見守る姿が見られました。彼らを写してしまうと肖像権的に申し訳ないので、写らないアングルで(なおかつ空堀は写るように)撮影したのが3枚目になります

これが唯一現代にまで残る…世田谷城が戦国時代からあった時の遺構…なのでしょう。ちなみに豪徳寺はかつて世田谷城の城域内であり、しかも本丸だったそうです。つまりここも「昔は城、今は寺」の範疇に入ると思われます

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小城小次郎

江戸時代にも城郭機能が維持されていた (2023/10/28 訪問)

本能寺の変を知らず、本能寺の変の翌日に10名以上の城将が耳に名札を付けて自刃したとされる、壮絶なる「魚津城の戦い」の舞台。実は江戸時代を通じて名目上「米蔵」として高岡城と同様に城郭機能も維持されていたのだそうだ。

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WEST

淀城探訪 (2024/04/12 訪問)

京阪本線淀駅での乗り換え時間を使って、近くの淀城を訪問しました。駅からは徒歩5分程度です。豊臣時代の淀古城とは異なり、淀城は江戸時代に築城されたお城とのこと。
このお城は廃城となった伏見城の資材と二条城の天守が移築されたそうですが、残念ながら建物の遺構はありません。
現在、お城は淀城跡公園として、天守台等の石垣や内堀の一部が残っています。コンパクトな城址ですので、全体を回っても短時間ですみ、お勧めします。
なお、訪問時、天守台入口には柵があり、中に入ることができませんでした。

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WEST

伏見桃山城探訪 (2024/04/12 訪問)

伏見城を訪問しました。伏見城の本丸跡は明治天皇陵となっていますが、今回行く先はお花畑山荘跡にある模擬天守や門がある場所です。京阪本線丹波橋駅を降り、徒歩15分程度で着きます。(緩やかな坂道を登ります)
天守は観光用で建てられたのもので、現在は耐震の関係で内部に入ることはできません。しかし、天守や門は荘厳でなかなか見ごたえがあります。
訪問時は桜が綺麗に咲いており、天守も映えますね。
お城訪問後、伏見城の遺構の一部がある御香宮神社を参拝しました。この神社の神門が伏見城大手門とのことです。お城から徒歩10分程度ですので、是非訪問してみてください。

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ぴーかる

尼子十砦3城目 (2024/02/23 訪問)

【神庭横山城】
<駐車場他>神庭町生活改善センターに駐車しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日尼子十砦の旅3城目。神庭横山城、調べましたが情報が少なくよく分かりません。城びとの城郭情報では築城年・築城主は不明で主な城主が川井信濃守となっています。
 登城口は<35.390598,133.189896>に京羅木山登山道の矢印板があります。北側の道の最奥の柵を外して山に入ります。踏み跡程度の道がありますので10分程で登れます。現地は木野山社古墳群になっており、墳丘がいくつかありますが墳丘上が削平地になっているのかどうかのレベルで城跡感はありませんでした。Googleマップの位置と城びとフラッグが若干東にずれてあるので、位置確認はしませんでしたが、フラッグの位置にあるかもしれません。

<満足度>◆◇◇

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WEST

丹波亀山城探訪 (2024/04/10 訪問)

明智光秀ゆかりのお城、丹波亀山城を訪問しました。JR嵯峨野線亀岡駅から徒歩10分程度ですので、アクセスし易いお城です。
現在城址敷地は宗教法人が管理しています。お城見学の受付の際に散策ルートの簡単な説明や、希望者には別室での10分程度のビデオ上映もありました。
明治維新後には5重5階の天守がありましたが(受付の建物の中に写真がありました)、明治初期の廃城令により建物や石垣が破壊されたとのこと、非常に残念ですね。
城内には天下普請時の石垣刻印、本丸下の復元石垣をみることができます。その石垣の下部分が明智光秀の築城の時代のものだそうです。なお、本丸跡は禁足地でみることはできません。
丹波亀山城は廃城・破壊されましたが、現在のような形でも整備・散策できるようにして貰えるのはありがたいと思います。
また、駅前の大通りに沿って歩くとお堀手前に明智光秀公像を見ることができます。是非寄ってください。

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イタさん

高尾天神社からの眺めがいい。 (2024/04/19 訪問)

高尾駅から十数分で高尾天神社に着く。急階段を上がり振り返れば、高尾・八王子市街地の眺めが素晴らしい。ハイキングコースのようで、時々人とすれ違う。大きな菅原道真公の銅像左か、社殿裏から山道に入る。上の郭の北から西には帯郭風な地形が見られ、西には堀状の遺構がある。尾根は小さなピークあり意外に疲れる。巻き道を使えば疲労を軽減できるが。主郭近くでは城跡らしい雰囲気があり、見上げれば帯郭らしき段差が見える。主郭は南北に細長く、北奥の西に虎口(元の?)があり、下は南北に長い帯郭状になっている。主郭の南に郭があるが、鞍部に不明瞭だが堀切がある。

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風来坊や

道の駅浅井三姉妹の郷 (2024/04/18 訪問)

浅井三姉妹とは、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間にできた三姉妹。
長女茶々は秀吉の側室、次女初は京極家に嫁ぎ、三女江は徳川二代将軍秀忠の正室(三代将軍家光の母)。
戦国の世を数奇な運命の中生きた浅井家の三姉妹。

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イタさん

遺構はフェンス内に (2024/04/19 訪問)

浄福寺城・千手山山頂でお会いした方に、高尾駅まで乗せて戴いた。途中で小田野城跡を案内します、と言われ甘えることにした。城跡の南に位置する稱讃寺(シュウサンジと読む?)の駐車場に駐めさせて貰い、南東の住宅地の先から、フェンスに設けられた扉を開けて入る。すぐに左上には郭らしき数段の平地が見える。道はやや上り加減で北から主郭に入るが、虎口なのだろうか。主郭は広大で桜などが植えられており、現在は葉桜だが、半月前は綺麗だったらしい。北側は削平せず一段高く、土塁では広過ぎるのでは。案内して戴いていたので、時間を掛けて周囲を確認せず観栖寺台公園側に向かう。左は自然の谷で仕切り、ハッキリしないが、案内板のような土橋・空堀が見て取れる。フェンスの外に出て、住宅地(グリーンタウン)からバス通りに下り立つ。

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風来坊や

重要文化財「多賀城碑」 (2024/04/11 訪問)

多賀城碑は、群馬県の多胡碑(たごひ)、栃木県の那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)とともに日本三古碑のひとつに数えられており、平成10年6月30日に国の重要文化財(古文書)に指定されました。

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イタさん

軽い山登りでした (2024/04/19 訪問)

観音堂裏から尾根歩きになり、竪堀・堀切がわずかに見られる。主郭下の道は折れて虎口へ、主郭は奥が一段高い。北に続く尾根には郭・堀切・竪堀などが残る。東(尾根の向きは南東)には支尾根が二筋あり、遺構が記されている。主郭側の尾根へヤブ状の踏跡が見えたが、時間がなく諦める。

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