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カズサン

再訪春日山城4/8 護摩堂・毘沙門堂・御花畑編 (2023/06/17 訪問)

 9年振りの春日山城再訪、本丸跡、天守台跡、井戸曲輪を終えて、景勝屋敷跡、柿崎屋敷跡の案内板標識を振り切り、下城方向の護摩堂、毘沙門堂、御花畑へ、謙信公が出陣前に毘沙門堂に籠ったと伝わる宗教施設が建っていた、毘沙門堂から一段下がって御花畑が有る、現在は平坦地ですが、往時はどんな花が咲いていたのでしょうか?ロマンを感じます。
 また御花畑曲輪より直下に大竪堀を見下ろすことが出来ます。

 続き5/8直江屋敷編へ
 

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朝田 辰兵衛

トクさんへ~しまなみライナー~

福山駅前の「瀬戸内交通窓口」が,4月1日で閉鎖されていたとのこと。対策はあります。
しまなみライナーの利用は(能島城攻城に続き)2度目となりますが,今回も前回も,チケットを車内購入されている方がおられました。
乗車時に降車停留所を伝え,往復チケットを購入されている方。降車時に回数券を購入されている方。どちらかにならえば宜しいかと思います。

前回の能島城攻城時は,大島BSまで「しまなみライナー」片道利用。この時は券売機が存在しておりました。
能島城攻城後,大島BSへ向かう途中,石文化公園バス停から今治方向に(結構な頻度で)路線バスが出ていましたので,これを利用し今治桟橋まで。そして,今治城攻城。
復路は,今治桟橋から福山駅前まで「しまなみライナー」片道利用。チケットは,今治桟橋近くのお土産屋さんで購入できました。現在は購入できるかどうか怪しいですね…。

ご参考までに。

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イオ

宍人城(小畠館) (2023/05/03 訪問)

宍人城(ししうどじょう・京都府南丹市園部町宍人・城びと未登録)は、築城時期は不明ながら丹波国衆の小畠氏代々の居城とされ、明智光秀の丹波攻めではいち早く光秀に従って所領を安堵されています。江戸初期に小出吉親が入封すると、小畠氏を頼って宍人城に逗留しましたが、完成した園部陣屋に移ると小畠氏も小出吉親に仕えて園部に移り、宍人城は廃城となりました。

宍人城は本梅川西岸の段丘上の居館(宍人館)と、南西後背のシロヤマの詰の城(宍人城)からなり、宍人館は本梅川に面する小畠館と谷を挟んだ北側の小出館に大別され、小畠館と宍人城は小畠氏の城、小出館は小出吉親が園部に移るまでの2年間の仮館と考えられています。

公民館の脇が登城口ですが、150m北に駐車場がある旨の案内表示に従って車を駐め、登城口まで戻って登城開始。登城口の説明板によれば、城跡は私有地のため見学ルート内で見学して下さい、とのことで、縄張図に見学ルートが示されています。自由に見て回りたいのは山々なれど、私有地を見学させてもらえるだけでもありがたいことですよね。説明板の下のメールボックスには説明板記載の縄張図が収納されていて、この縄張図を参照しつつ見学しましたが、縄張図だけで見学ルートは記載されていないため、何度か間違ってルートを外れてしまいました。すみません。

さて、登城口から丘陵を登って行くと右手の谷の向こうに水天宮があり、さらに進むと水をたたえた水路(?)がありました。かつての水の手でしょうか。いずれにせよ水の豊かな地のようです。水場を過ぎて分岐を左に進むと小畠館に至ります。横堀の向こうに土塁が続き、その奥が本丸のようですが、ルートでは横堀沿いに東に進み、坂虎口から北ノ丸に入ります。北ノ丸の北側は幅広く深い堀切で北ノ出丸との間を遮断しています。北ノ出丸は南北に四段の曲輪で構成されているようです。北ノ丸北辺の土塁上を歩いて東端で南に折れると、本丸との間の横堀の東端の土橋から本丸へ。

本丸東辺は段丘の先端であり、眼下に宍人の集落を見下ろす位置です(眺望は限られますが)。途中、いくらか東に張り出した部分があり、横矢掛けの標示が立てられていました。そして本丸の南東隅には櫓台があり、そこから南辺を経て西辺まで土塁が続いています。本丸西部には二ノ丸へと至る虎口が開口し、南北にのびる横堀の間に土橋が通っていました。

本丸の西側には本丸に劣らぬ規模の二ノ丸が広がっており、土橋を渡ってすぐのところに井戸跡が、井戸跡の北側に二ノ丸を南北に区画する中央土塁があり、その奥の西辺には折れを設けた横矢掛けの土塁が見られる……はずですが、見学ルートから外れてしまうので我慢我慢…。ただ、ルート外のためか二ノ丸は本丸に比べて整備されておらず、見に行っても藪に沈んでいてよくわからなかったに違いない、と思うことにします(酸っぱいブドウ)。

見学ルートを登城口に戻る途中、水場のあたりから北への分岐を進むと小出館に至ります(続く)。
 

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上ちゃん

土塁がたまらん (2023/06/04 訪問)

何と言っても土塁

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todo94

天草の城④~14年ぶりの富岡城 (2023/05/04 訪問)

前日の夕刻より雨脚が強くなっていて傘をさしての攻城です。14年前も5月4日の攻城でした。帰路の渋滞を避けるため、ビジターセンターの開館を待たずの朝駆けでしたが、今回初めて大手門跡もチェックできたので十分に満足できました。

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トク

しまなみライナーについて

福山駅前の窓口は、私が行った時には閉鎖されていました(4/1より閉鎖の張り紙が・・・ただの建て替えかも)。よって、アプリをダウンロードしてネットで事前購入するか(詳細はHPで)、またはまだ閉鎖中なら丁度の金額を現金で用意して御乗車下さいね~!(それだけです😊)。私は片道だし、窓口か券売機が前回確かあったと思って行ったら閉鎖されていて、もう時間がなかったので、あわてて前のコンビニでビールを買い、現金でおつりをもらって今治までの2,800円を用意し、飲みながら車窓からず~っと海を眺めてました~!

P.S しまなみ街道の高速道には側道があって、自転車でも福山-今治を渡れるようです。サイクリストをよく見かけました。自転車+城マニアの方にはたまらないかもしれませんね! という事は、歩いても渡れるという事?🤔。 何時間かかるか分かりませんが、我と思わん方、能島城·来島城·因島城へ徒歩または自転車で海を渡り制覇したぞ! という強者(つわもの)いましたら是非体験レポートを!

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朝田 辰兵衛

茶色い穴… (2023/03/19 訪問)

赤い城さんの東京都クイズ,にのまるさんに,ぜひ解答していただきたいと思います。8回も登城されていますので…。●●曲輪のところですよね…。

さて,私のお祝い画像は「能島城」ではなく,「来島城」でした。
福山駅前から,しまなみライナーで今治駅前まで移動しました。事前にチケット購入。福山駅前バス案内所内の「瀬戸内交通窓口」で往復券・回数券などの割安券を購入できます。往復券・回数券でも往復5,000円。
往路は,今治駅前バス乗り場から,43番波方ループ線で,渡し場バス停下車。380円。
渡し場バス停は,波止浜港(はしはまこう)横付け。
波止浜港~来島港までのフェリー料金は,片道160円。待合室内の券売機で購入。
来島城滞在時間を考えると,復路は路線バス時間と乗り継ぎが嚙み合わず…。よって,波止浜港からJR波止浜駅まで歩きました。約2㎞です。JR波止浜駅からJR今治駅までは1駅。
この後,久々に今治城登城を予定していましたが,同行の母が疲弊してしまいましたので,福山駅前のホテルに戻りました。

赤い城さん,四国で岩礁ピットという「茶色い穴」に興味をそそられるかも…と思い,この画像をお祝い画像としました。

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にのまる

赤い城さんの東京クイズ

赤い城さん、東京都制覇おめでとうございます㊗️
クイズに挑戦します。
パッと見、八王子城です。石があんな感じです。
で、山城の方へ登っていく鳥居をくぐって進むと石積みが見えてくるのでそこかなぁと思ったのですが、空が見えているのでそこではないと。
では右側の旧道を登っていくと左側の高いところに見える石積みかと思ったのですが、写真は地面に近いのでそこも違う。
だったら殿の道の方か?と思ったのですが、あそこの石積みはもっと範囲が広くてダイナミックだし木の根っこがあんなじゃない。だから違う。
だとしたら、御主殿に向かう道の右側。木の根っこがすごく張り出していて大丈夫かなぁと心配だったところがありました。あのあたりでしょうか。

今、仕事帰りの揺れるバスの中で、写真の確認も出来なくて、曲輪の名前も何だったかなぁ…と出てこないのですが(^◇^;)八王子城のその辺りではないでしょうか。
こんだけえらそうに書いておいて違ったら笑い飛ばしてね。

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三浦の晃ちゃん

織田家 (2023/06/24 訪問)

織田信長の次男、織田信雄が造った、お庭があります。

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三浦の晃ちゃん

暑かった (2023/06/24 訪問)

写真を、たくさん撮ったつもりだったのですが、暑くて、カメラの調子が良くなかったようで、ほとんど写っていませんでした。

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三浦の晃ちゃん

土塁が見事です (2023/06/24 訪問)

敷地は、群馬県庁になっています。土塁が見事です。

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赤い城

為朝館 東京都大島町 (2023/06/22 訪問)

元町港から徒歩で数分のホテル赤門が館跡です。
ホテルの前に赤門が建っていて説明板もあります。
赤門から奥に進むと抜け穴とされる穴があります。
隣接する為朝神社似はなぜかシーサーが鎮座、鳥居も小さなものでした。
祀られる源為朝は平安時代の武将で保元の乱で敗れ大島に流されました。
この日の発着港である岡田港の前にも碑が立っていました。
お昼には名物のべっこう丼を頂きました。
青唐辛子と醤油に漬けた白身魚が乗っています。
ちょっと醤油辛いですが歩き疲れた身体には程よい感じでした。

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カズサン

再訪春日山城3/8 本丸周辺編 (2023/06/17 訪問)

 伐採されて明るくなった三の丸、前回と同じ二の丸を終えて本丸へ登る、本丸は天守台と堀で別れ、奥下に井戸曲輪に大井戸が有る。
 天守台からは曇り霞で妙高山は良く見えない、本丸と合わせ見晴らしは絶景、上越市頸城平野が一望です、謙信公との時空を超えた遭遇を夢想したり、天下を取った気分になるのでしょうか?圧巻の景色です。
 当日は上越市の人材派遣作業で草刈り、虎ロープ、支柱の点検補強をされて居ました、また本丸の隅に、本丸及び周辺の土の流失被害の為に「土の一袋運動」の保管仕切りエリアの整備をされて居ました、聞くと一袋運動の土は三の丸登城口の少し奥にあると事、知ってるとリュクサックを背負って居ましたので協力できたのにと少し会話をしましたが、作業は大変ありがたいことです。
 多くの方が登っており、サンダル履きの女性連れも、少し会話を楽しみました、さすが天下の名城、謙信公の城です。
 
 続き4/8護摩堂・毘沙門堂・御花畑編へ
 

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カズサン

再訪春日山城2/8 三の丸~二の丸編 (2023/06/17 訪問)

 平成26年4月初登城以来9年振りの再登城、前回は搦手道、千貫門ルートを登りましたが、今回は本丸ルートが閉鎖されて居ましたので、三の丸ルートから攻城としました。

 三の丸下の甘粕近江守宅址から入ります、前回は既に甘粕宅址は樹木伐採されて見通し良好、三の丸に登ると樹木が伐採されて、鬱蒼とした曲輪が明るく成って居ました、三の丸は景虎屋敷跡で案内板と石碑が景虎の存在を伝えています、同じく続き内の曲輪に米蔵跡が在り土塁が周辺を守っています、ここも樹木伐採されて明るく成って居ました。
 三の丸上の帯曲輪を通過登って二の丸へ、案内板と石碑があり、以前には樹木伐採されて同じ明るさ見晴らしも良好。本丸下で切岸が良く分かります。

 続き3/8本丸周辺編へ
 
 
 

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イオ

埴生城(京都府南丹市園部町埴生) (2023/05/03 訪問)

埴生城(はぶじょう・城びと未登録)は、室町期に野々口親永が築いた城で、神尾山城の支城として機能しました。明智光秀の丹波攻めでは、親永の子の野々口清親(西蔵坊)は光秀に従って八上城攻めに加わり、本能寺の変にも従軍しています。山崎の戦いの後は羽柴秀吉に従って丹波に在住し、丹波衆を率いて小牧長久手の戦いにも参加していますが、その後の消息は不明です。

埴生コミュニティセンターの駐車場が登城者に開放されているので、そこから登城開始。駐車場前に埴生城址参道ルートの案内板があり、あちこちに案内表示もあるため、迷うことなく登城口に到着。小川に架かる橋を渡ったところに説明板が立てられ、背後の土塁跡を巻いて進むと山麓の屋敷跡が広がっています(現況は畑)。屋敷跡から左にそれて山に入って行くと城門跡の表示があり、中に入ると土塁で周囲を囲んだ枡形状の空間になっていて、突き当たって右手に虎口が開口しています。

城門跡から山道を登ること10分弱で主郭部です。主郭部は樹木が大規模に伐採されて往時の姿を取り戻しており、北西部の虎口脇には石垣も見られました。虎口を入ったところが二曲輪で、尾根の突端にあたるため、眼下に篠山街道を見下ろし周囲の眺望が開けています。二曲輪の南側一段上には一曲輪が広がり、南端ののろし台はかなりの規模です。のろし台から南に続く尾根筋は堀切で断ち切っていて、堀切を越えて振り返るとのろし台の頂部に石垣が施されていました。西裾にも石垣が見られ、明智光秀の影響下で改修されたのか、単郭の小さな山城ながらなかなか見応えがありました。

なお、登城口近くの最福寺の山門は、埴生城城門の移築と伝わりますので、あわせてどうぞ。
 

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城好きのメガネ

「二宮城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
二宮氏館は、大石氏中興の祖とされる大石信重が館を築いたとされる。戦国時代には後北条氏の支配され廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR東秋留駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「畠山氏館」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
畠山氏館は、桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族で、畠山氏の祖・畠山重能(畠山重忠の父)が築いたとされる。畠山重忠は、源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従。知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称される。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
秩父鉄道 永田駅 徒歩25分

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赤い城

東京の城クイズ

ぴーかるさん、メッセージありがとうございます。
関西にも度々お邪魔すると思いますので引き続きよろしくお願いします。

とりあえず次に東京の城クイズを。
意外なところに石垣がありました。

朝田さん、多分能島城かな?
行ったことないです。
これからもV字茶色を探してレポートしたいです。
引き続きよろしくお願いします。

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カズサン

再訪春日山城1/8 謙信公像周辺編 (2023/06/17 訪問)

 平成26年4月初登城以来9年振りの再登城、今回の直峰城と箕冠城、虫川城、雁金城初登城後の空き時間に、春日山城、高田城に寄りました。

 駐車場:春日山神社の階段前駐車場を利用、トイレ完備。当日の駐車場は8割方の入り。

 登城は春日山神社階段から、階段前に春日山城跡巡りパンフ有り、春日山城絵図も大型パエルで設置、前回はスロープの車道を登ったのですが、今回は階段に挑戦何回か休憩しながらやっとの登り、春日山神社参拝、神社、馬場跡の売店を覗いて、謙信公の立像に挨拶、時間的に像は逆光で映りが暗い。
 謙信公像を回り込むと春日山城の大竪堀、実城は草が刈られて大変見やすく景観抜群、前回は春日山神社裏から搦手道を登りましたが、今回は本丸に近い大竪堀横の登城路を選択したのですが、閉鎖されており、甘粕近江守宅址、三の丸方向からの登城路へ、真近に大竪堀の観察、三の丸登城路の切岸あたりも草が刈られて大変観察しやすくなっている、三の丸下の段曲輪の草刈もされて居る。
 上越市の人材派遣事業の作業者が当日も多く草刈り、虎ロープ、支柱の保全作業をされて居ました、皆さんのおかげで気持ちよく探訪が出来ます、感謝申し上げます。

 続き2/8 三の丸~二の丸編へ
 
 、

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ぴーかる

桑名城 (2023/05/03 訪問)

【桑名城】
<駐車場他>柿安コミュニティパーク駐車場250円
<交通手段>車

<見所>三の丸堀石垣(桑名城城壁)・二の丸堀石垣・櫓台跡・復元櫓
<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅ラスト10城目。桑名城の起源は戦国時代に伊藤氏という土豪がここに居館を築いたのが始まりとされます。織田信長の支配時は滝川一益がこの地を治め、豊臣秀吉時代には一柳可遊や織田信孝が治めます。関ヶ原の戦い後に本田忠勝が10万石で入封して桑名城の大普請と町割りを行います。2代目忠政が転封になり以降は松平氏が入れ替わり入封し、幕末明治政府軍との戦いで無血開城します。
 桑名駅前の観光案内所で御城印を購入し駐車場へ向かうと大渋滞、桑名城跡でGWに金魚まつり(金魚の神輿を子供たちが担ぐ祭り)を開催していて桑名駅から1時間かかってやっと駐車でました。まず三の丸跡を通り外観復元された蟠龍櫓・七里の渡し跡⇒三の丸石垣(桑名城城壁)・堀⇒桒名宗社⇒主要部へ行きました。蟠龍櫓復元とはいえ揖斐川を背にして見る様はなかなか良いたたずまい、城壁石垣堀は500mも現存していて見応えあります。桒名宗社の青銅鳥居は1667年に藩主によって建てられダイナミックです。
 主要部には刻印のある石、二の丸の曲輪石垣、主郭に神戸櫓跡・辰巳櫓跡はほんの一部石垣が残されています。主要部の主郭・二の丸は曲輪の形状が一部改変されていますが現地説明板の縄張り図と照らし合わせても大まかには変わっていないので、城跡の縄張りを体感できます。史跡と遺構が色々巡り散策できるなかなか楽しい城跡で2時間以上滞在しました。走行距離360㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

<追記>赤い城さん東京都・関東地方の城びとコンプリートおめでとうございます!高松に移住されるそうで、また未攻略のお城の版図が広がりますね。楽しんでください(*^^)v
 

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