三の郭の先に堀切が有り土橋がかかっています。この城は尾根上に堀切と土橋の組み合わせが結構多く配置されており、いずれも遺構や形状が良く残っています。切岸は急で土塁などは残っていないようです。よほど切岸の守りに自信があるのか、南の中腹部にのこる居館も同様に切岸の側には土塁が有りませんでした。二の郭の先に土盛り(石垣)があって、その先が主郭になります。奥の石積みの上は櫓台と見られますが、石垣はいつの時代のものか解りません(おそらく後世)。櫓台の上には城址碑がありました。
主郭の背後は堀切で仕切られ、その先の尾根にも堀切があり土橋がかかっています。その先を南西に降りていくと居館跡になりますが、勘違いして南の尾根をまっすぐ進みました。とはいえ、そのあたりも城址には違いないと思うのですが。
+ 続きを読む











