田中城(上寺城とも・城びと未登録)は、高島七頭にかぞえられる田中氏が戦国期に松蓋寺跡を改修して築いた城で、近年、永禄9年以前に明智十兵衛が田中城に籠城していたことを示す史料が発見されました。信長公記には、織田信長が朝倉義景を攻める際に浅井氏の勢力下にあった田中城に宿泊したこと、その後、浅井長政の離反により信長の攻撃を受けて落城し、明智光秀に与えられたことが記されています。籠城するなどで田中城のことをよくわかっている光秀に任せた、ということでしょうか。
上寺停留所脇の駐車場から登城開始。駐車場奥の説明板に掲載された縄張図には散策コースと主な遺構が書き込まれていて、大いに参考になりました。また散策コース沿いの民家では、車庫内に田中城跡歴史ハイキングMAPが備え置かれており、こちらも大変役に立ちました(ありがとうございます)。そして田中城跡石碑脇の登城口のゲートから防獣柵を抜けて城内へ。
ゲートをくぐると順路の表示に従って防獣柵沿いに北へ進みます。少し行くと右手に家臣団の屋敷跡と思しき竹藪が見えてきました。ハイキングMAPによれば屋敷跡には土塁があるはずですが、防獣柵越しではよくわかりません。どうしたものかと思っていたら順路の突き当りにゲートがあったので、そこから防獣柵を出て竹藪に踏み込み、屋敷地を区画する土塁をしっかり確認できました。
ゲートに戻るとまた順路をたどって行く…つもりが、分岐を見落として中腹から山麓まで階段状に続く小曲輪群に迷い込んだりもしましたが、何とか順路に復帰して登って行きます。中腹の曲輪群の少し手前、登城道を見下ろす位置には見張所跡と表示された土塁が遺っていました。順路を外れて見張所跡奥の堀切と竪堀にも下りてみましたが、幅も深さもある堀切が尾根を断ち切り、派生した竪堀がはるか下まで落ちていて、大いに見応えがありました。
順路に戻って少し登れば、中腹の曲輪群に到着です(続く)。
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