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カズサン

麓は源義経元服の地 (2024/06/24 訪問)

 昨日は梅雨の雨降りで登城路も雨の影響も有り比高100m程ですが頂部主郭まで登る気力もなく、登城口を見て終了するがやけに源義経の幟旗、ここは中山道源義経元服の地とか、道の駅竜王かがみの里には義経元服の地に当たる遺跡が案内板で示されている。

 駐車場:道の駅 竜王かがみの里駐車場、
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依る。

 星ヶ埼城登城口は道の駅駐車場の南山手に案内指示板、害獣除けフェンス扉を開閉して登る、又少し登ると又害獣除けフェンス扉を開閉して登るようです。道の駅麓より星ヶ埼城頂部を見上げる。
 
 道の駅竜王かがみの里のドーム内に「源義経元服の図」絵画が掲げられている、また義経ゆかりの道の駅として周辺の古寺遺跡案内も掲載さてて、義経ムードを醸しさせる、外に出ても周辺の案内MAPに同じく義経ゆかりの遺跡、寺院の紹介、星ヶ埼城もハイキングコースの一つとしてルートが紹介されている。 道の駅を月曜日に訪ねましたので、トイレ、駐車場以外はお休みで観光案内所パンフレット、食べ物などは入手できませんでした。
 
 近くに義経元服の池、烏帽子掛け松、義経宿泊の館(白木屋跡)などが紹介されていましたが現地には行かずにMap、解説を眺めて終わりました。
 星ヶ埼城は中山道を守る要だったのですね!
  

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ぎりょう

付 田口城 (2024/06/29 訪問)

龍岡五稜郭をひと廻りし、ほど近い「五稜郭であいの館」を観覧後、同行した家内に五稜郭の全景を観たいので展望台に登ってくる旨を伝えて一人展望台に向いました。城館に全く興味の無い家内ですが、最近は高齢の夫を心配してか、県外遠征には同行してくれます。「往復一時間かな」と言い残して出発しました。
展望台から五稜郭を望み、写真撮影を終えて周囲を見渡すと、後方には曲輪跡が。ここは中世に田口氏・依田氏が拠った山城跡で、最高所の主曲輪から西と北の尾根伝いに多数の曲輪が連なっています。切岸のところどころには石積が残り、堀切も。遺構の残りの良さに感激し、主曲輪を中心に確認したため予定時間を30分オーバー。五稜郭展望台を目指すことにより、期せずしてこの日二城目となる田口城を目にすることができました。

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朝田 辰兵衛

下関でくじらも見に行きました🐋 (2024/06/21 訪問)

櫛崎城から見えるくじらは「くじら館」で,現在は閉鎖中。モニュメントとして活用されているとのこと。櫛崎城の眺望に,いいアクセントとなっています。
天守台のある公園の北側には,石垣遺構が遺っており,碑とパネルが設置されています。ただし,撮影時は注意です。石垣の上に民家が建っていますので…。

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トク

博多祇園山笠2024(追い山) (2024/07/11 訪問)

いよいよ追い山が動き始め、またじっとしていられず見に行ってしまいました。

この日は「流れ舁」と言って、各山が自分の町内を走って練習する日です。ちょうど博多駅前で東流に遭遇したので、思わず写真を構えましたが、大勢の人人人でさらに雨・・・押されてうまく撮れませんでした(写真②③:すいません)。気を取り直し今度は出発点の櫛田神社に行くと、運よく西流に遭遇しました(写真①)。これらの山は重さが約1トンもあるそうです。それを担いで5kmの距離をわずか30分という猛スピードで走るので、よく走れるものだと思います。その男たちの気合いと熱気がものすごく伝わってきました!

最後にコース途中にある「承天寺」にも行ってきました(写真④)。鎌倉時代にここの和尚「聖一国師」が、当時流行した疫病を、輿に乗り水をまきながら退散祈願をしたのが始まりとされています。その後の太閤秀吉が町割りを定め、その中の7つの町(=流れ)の博多商人が、京都祇園に習って華やかな飾り山で練り歩き、櫛田神社に奉納したそうです。そして江戸時代に入り、練り歩く途中でささいな町どうしのけんかがあり、どちらの町が強いのか担いで競い勝負した姿に皆が熱中して盛り上がり、そして最終的にタイムで順位を競う、現在のような追い山に変わったそうです。

12日の夕方には本番コースでの最終練習「追い山ならし」、13日昼には「集団山見せ」のパレードがあり、15日早朝が本番「追い山」です。博多の街は今1年で最も熱気にあふれ、雨にも負けず、お祭りムードはもう最高潮に達しています!(でも私は明日から仕事で見られず😩残念!)。
 
 

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しんちゃん

芦裏観音寺館 国の史跡 (2024/02/11 訪問)

滋賀県草津市にある芦裏観音寺は聖徳太子開基、秦河勝創建の歴史を持つ古刹で戦国時代に城館に発展したと見られ、石垣や堀が残っています。拝観は予約が必要なようで、門前までの訪問で済ませていますが、雰囲気を味わうことは出来ました。
八世~十世までの住職が三英傑の時代に天下統一事業に積極的に関与されたとされ、九世詮舜は豊臣秀吉から琵琶湖湖上交通の管理・監督を行う船奉行に任命され、以降貞亨2年(1685)に代官職を罷免されるまで船奉行として活躍したとのことです。

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ぴーかる

大浜陣屋 (2024/05/11 訪問)

【羽城】
<駐車場他>駐車場はなし。ドミー大浜店で買い物し駐車しました。
<交通手段>車

<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅11城目。羽城の築城は1576年に舟手・海路を守る砦として徳川家康が築城し家臣の長田重元に守らせます。次男の直勝が継いで永井氏を名乗ります。永井直勝は小牧長久手の戦いで功を挙げすぐ北側にある東端城に移ります。家康が関東移封になり永井直勝もこれに従ったために城は一旦廃城となります。水野忠友は都合1万3千石の大名となり1768年、羽城跡に大浜陣屋を築きます。その後水野忠友は将軍の側用人となり駿河沼津2万石となり転封し大浜藩は廃藩となります。
 現地の大浜陣屋跡は模擬門と模擬塀で囲まれた公園になっています。塀に説明板があります。

<満足度>◆◇◇

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キンヤ

三の丸 御園門跡の刻印・篠島の矢穴石、二の丸 大手二之門北側の刻印 (2024/06/30 訪問)

愛知県南知多町の篠島で名古屋城築城の石丁場巡りをして矢穴石に興味を持ち、今回は名古屋城能楽堂前にある篠島の矢穴石をお目当てで行き、行きに利用した地下鉄 丸の内駅と帰りの名古屋城駅の間にある名古屋城の三の丸・二の丸にも立ち寄りました。

【三の丸 御園門跡の石垣】
2012年に行った時は、そんなに刻印があった覚えはありませんが、愛知県図書館前の御園門跡で特に東側の石垣に多くの刻印が見られました。

【三の丸 南西側・西側の土塁】
名古屋城の中でも高い土塁だと思われ、南西隅の土塁・切岸が高く圧巻です。
今回は初めて西側を見ましたが、こちらも土塁・切岸が高いです。熱田台地の崖を利用しているため高さがあると思います。

【三の丸 名古屋城能楽堂前 加藤清正像・篠島の矢穴石】
篠島の地元の方の話によると、名古屋の河村市長が篠島に来られた際、清正が名古屋城築城のため石垣の石を篠島で採石し船で運んだことを知り、海岸の矢穴石を見られ、名古屋城にぜひ置きたいと言われたそうです。
篠島の小山べた辺りに残る矢穴石が2012年に運び出され、今は清正像の前で展示されています。
篠島で見た矢穴石も見事でしたが、能楽堂前に展示されている矢穴石も見事で大きいです。
清正像もカッコよかったです。

【二の丸 大手二之門北側の石垣】
城巡りを初めた2008年以来、久しぶりに重要文化財の二の丸 大手二之門を見ようと行きましたが、その北側の忠霊碑横の石垣に刻印が多く見られ驚きました。
名古屋城の石垣は西国の20大名によって築かれましたが、大名の分担が書かれた丁場割図によると、この辺りは山内忠義(松平土佐守)が担当だったように書かれています。確かに土佐山内家の家紋「丸に三つ柏」が多いです。
時間都合で途中で切上げましたが、この辺りにはまだ刻印があるかもしれません。
また、ここから大手馬出跡を南側からレアなアングルで見ることができました。

何度も行っている名古屋城ですが、隈なく見れば、また新たな発見がありそうです。

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零汰

(2024/05/12 訪問)

明らかに砦と分かるチャシ跡です。昨日、一昨日に投稿したモリシヤチャシやオタフンベチャシの造りをミニサイズした感じです。先の2か所を上から見なかったですが、おおよそこちらをスケールアップした感じではなかったかと。それにしても主郭を廻る濠が狭いように思えるのは私だけかもしれません。

当初は砦の名前がついていたのでチャシの認識はありませんでした。チャシと知らなければ普通に見かける城郭とそんなに変わりません。アイヌといえども人間が考える事、砦や防御となると似かよった構造になるんだなと妙に納得しました。

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しんちゃん

どこまで広がる?八王子城 (2024/01/28 訪問)

八王子城・詰の城の続きです。とにかく見所が多く、キリがないので無印に移動いての紹介です。ここに至るまでにも崩された石垣の痕跡が大量にあったので、往時は小規模な総石垣の山城のような佇まいだったのではないかと想像します。天守台の北東にも曲輪が連なり、側面にも石垣の痕跡が残ります。この辺は遺構が崩れかかっているので、注意して見学です。天守台の先には大堀切があり富士見台まで至る道が続きますが、自分はここで電池が切れたようで引き返しています。正直どこまで遺構が続いているのか分かりません。
北条に 仇成す敵を 迎え撃つ(川柳)
氏照公が残って指揮を取っていたら、どこまで持ちこたえたでしょうか? それともすでに山城の時代が終わったということを痛感するだけだったのでしょうか?

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しんちゃん

小山田氏 (2024/01/27 訪問)

小野路城は東側より道が続いているので停めれそうな場所に車を駐車して、そこから城址まで歩いていきます。案内板によると小野路城は小山田城主・小山田有重が築いた副城で、その子の次郎重義が守備に当たったとされています。築城は承安年間(1171~1174)とされ、主郭には小さな社が祭られ、北側に土塁が残っています。西側の鉄塔がある扁平地の周辺にも郭があったようで、主郭の北には小野小町ゆかりとされる小町井戸があり、そこから東南へ100mほど行った所にある崖下の「滝つぼ」と呼ばれる湧水と共に貴重な水源になってたようです。

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小城小次郎

築城者夫婦の祖父と祖母 (2024/01/13 訪問)

明石城と福山城はともに元和になってから山陽道に徳川幕府が打ち込んだ楔のようなお城で伏見城の遺材が用いられた点も共通。築城者の小笠原忠真は夫婦ともども徳川家康と織田信長を祖父に持ついとこ同士であることに気がついた。

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カズサン

【近江 妓王屋敷】滋賀県野洲市 平家物語で有名な妓王妓女の屋敷 (2024/06/24 訪問)

 永原御殿(永原城)を終えて、御殿移築門が在る浄専寺に行く途中に、グーグルマップの史跡マークも有る妓王屋敷跡に寄りました。

 住職:滋賀県野洲市中北(グーグルマップの史跡マーク記載あり)
 駐車場:無し。石碑の有る東の細道を北に50m程にビニールハウス東横の空きスペースに路駐し即退散。東屋トイレ有。
 参考資料:グーグルマップに依る。現地案内板。

 妓王屋敷跡には樹木が大きく鬱蒼としている中に大正5年建立の石碑が有り、妓王妓女物語が漢文で刻まて居る、入口東側には平成26年?案内板が有ります。南西奥に東屋風のトイレも有る。

 案内板によると。
 妓王妓女は今から約800年前に橘次郎持長の娘として生まれた、保元の乱で父を亡くしたために母とともに京に出て白拍子に成る、平清盛に仕えて寵愛を受ける、ある時清盛より望みを聞かれて、故郷の水不足を訴え水路の開削がなされて、付近一帯3000反の水不足が解消し有数の米どころとなった。この時妓王は21歳妓女は17歳でした、この水路は袛王井川と呼ばれて今なお役に立っており、村人は感謝して妓王寺が建てられた。
 平家物語では清盛の寵愛を失って妓王妓女は母と嵯峨野の祇王寺で仏門に入ったと、嵯峨野の祇王寺は楓が春、夏の新緑、青葉、秋の紅葉ととても美しい所です。

 永原御殿の北東角に「土保神社」があります、ここは妓王嘆願の水路開削工事が蹉跌したとき、夢に現れた童子が工事の手法を授けた事により完成したもので、上流を妓王井川、下流を童子川となずけ、この童子を土保神社に祀ってあります。(土保神社由緒)
 ※妓王妓女と祇王祇女の違いは良く分かりませんが、案内板、由緒、嵯峨野祇王寺の出典に合わせました。

 妓王寺には寄って居ません。
 
 

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/29 訪問)

沖縄城廻 第三日 最終日

平成の大修理の後で行けないまま正殿等が焼失、大変残念でしたが、今回は修復中の現場も見学できました
来年2025年の完成が待ち遠しいですね
アーチ門のほか相方積みの石垣も素晴らしい、本土にない城の魅力がたくさんありました!!

また、首里城は周りに玉陵など世界遺産構成要素があるのでこちらの見学も合わせるのがおすすめです
帰りは空港近くの温泉施設でで海や飛行機の発着を見ながら風呂で汗を流し、空港内での沖縄料理をたらふく食って帰途につきました

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊

9:02安里(バイパス向)、9:10首里城公園入口 
 (徒歩3分)首里城公園(首里杜館8:30-18:00) +玉陵見学
13:40首里城公園入口(路線バス)、14:19,14:30赤嶺駅(路線バス)、14:43ウミカジテラス
 瀬長島ホテル 瀬長島温泉
18:09ウミカジテラス(路線バス)、18:30那覇空港
20:00那覇空港(航空機)、22:20羽田空港

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/28 訪問)

沖縄城廻 第二日その1

阿麻和利のお城。あまわりパークで勝連城の歴史を予習してから登城
なんといっても石垣の重厚感がすごい。どっしりとして頑丈さも感じます

以前行った時と比べいろいろ整備が進んでおり、カートで登城の途中まで送ってくれました
世界遺産になって観光地化されましたね
あとチケット売り場近くのカフェのパッションフルーツコーヒーがうまかったです、つぶつぶの実入りです!

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※勝連城と共に登城

8:59泊高橋(路線バス)、9:50,10:13コザ、10:34勝連城跡前
 (徒歩1分)勝連城跡
12:01勝連城跡前(路線バス)、12:40,13:00北中城村役場(コミュバスめぐりん)、13:08中城城跡
 (徒歩1分)中城城跡
14:58中城城跡(コミュバスめぐりん)、15:07,15:18石平(路線バス)、16:05泊高橋

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/28 訪問)

沖縄城廻 第二日その1

阿麻和利のお城。あまわりパークで勝連城の歴史を予習してから登城
なんといっても石垣の重厚感がすごい。どっしりとして頑丈さも感じます

以前行った時と比べいろいろ整備が進んでおり、カートで登城の途中まで送ってくれました
世界遺産になって観光地化されましたね

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※中城城と共に登城

8:59泊高橋(路線バス)、9:50,10:13コザ、10:34勝連城跡前
 (徒歩1分)勝連城跡
12:01勝連城跡前(路線バス)、12:40,13:00北中城村役場(コミュバスめぐりん)、13:08中城城跡
 (徒歩1分)中城城跡
14:58中城城跡(コミュバスめぐりん)、15:07,15:18石平(路線バス)、16:05泊高橋

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/27 訪問)

沖縄城廻 第一日その2

なんといっても石垣の中にあるアーチ門が見所ですかね。重厚化なる石垣と、石垣隅部も本土の慶長期の城なら算木積で直角なのが多いが、ここは隅部も丸まっていて、全体的に流線形、丸味を帯びた石垣群でした。それは魔除けの一種と聞くが、沖縄の城の一番の特徴と思える

なお、最寄りのバス停に行くバスはいい時間がなかったので、30分前後歩くことになったが、真夏のような好天の中ではきつかった。もし同様にいかれる際は、熱中症対策をお忘れなく。

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※座喜味城と共に登城

8:53おもろまち一丁目(やんばる急行バス)、10:58今帰仁城跡
 (徒歩1分)今帰仁城跡(今帰仁村グスク交流センター9:00-17:30無休)
13:01今帰仁城跡(やんばる急行バス)、14:04,14:23道の駅許田(路線バス)、15:16親志入口
(徒歩32分)座喜味城跡(ユンタンザミュージアム9:00-17:30 水休)
(徒歩30分)17:41喜名(空港リムジンバス)、19:00泊高橋

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/27 訪問)

沖縄城廻 第一日その1

ちゅら海水族館の北にあり那覇からも遠いが、やはり琉球石灰岩でできた流線的な石垣は見事でした。
スタッフの方に聞いたら優良エリア入口の平郎門左右の穴は鉄砲狭間とのことですが、築城当時のものではなくのちの時代に修復時につけられたものとの話も小耳に挟みました。
築城時の時代的に鉄砲狭間はない気がしますが…

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※座喜味城と共に登城

8:53おもろまち一丁目(やんばる急行バス)、10:58今帰仁城跡
 (徒歩1分)今帰仁城跡(今帰仁村グスク交流センター9:00-17:30無休)
13:01今帰仁城跡(やんばる急行バス)、14:04,14:23道の駅許田(路線バス)、15:16親志入口
(徒歩32分)座喜味城跡(ユンタンザミュージアム9:00-17:30 水休)
(徒歩30分)17:41喜名(空港リムジンバス)、19:00泊高橋

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トベシュン

神岩チャシ跡 (2024/06/27 訪問)

1泊2日で釧路、根室のチャシ跡巡りしてきました。
釧路:モシリヤチャシ、ハルトルチャランケチャシ
根室:神岩チャシ、オンネモトチャシ、ノツカマフ1号・2号チャシ

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カズサン

永原御殿本丸外堀探訪と移築門 (2024/06/24 訪問)

 永原御殿本丸発掘中の続きです。

 永原御殿本丸内部と発掘調査中現場を見学観察して、永原御殿の外堀を見学できる範囲で探訪、入口の東の外堀は埋まっています、北側は駐車場、南側は発掘調査現場作業コンテナ事務所エリア、南の外堀は水田に成っている、北側は集落の道と発掘調査作業機器の置き場倉庫、西側は一面水田ですが、畦道が舗装されて北から南へ伸びて居る、畦道から本丸土塁の間が水堀跡、水堀の半分は埋めれれて水田に成っている、水堀が有る事は判るのですが樹木、草が茂り良くは判らない、水堀が東に折れる南掘り辺りまで確認して戻る。
 北に約600m程の所に浄専寺(野洲市北941)が在り、南側に永原御殿移築門が在ります、が痛みが激しく近くは立入禁止、同南側に「史跡永原御殿御門」の案内板が有るが生垣の新芽の伸びで下半分判読できない。
 車は乗専寺と北自治会館の間の広い道の浄専寺側に幅寄せして路駐可。

 永原御殿本丸内部と水堀の一部復元がされて史跡公園化で今後の保存整備がなされると大変ありがたい。
 当日の真竹伐採作業ボランティアの方々に感謝も仕上げます。
   

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イオ

城内散策とひこにゃん (2024/06/29 訪問)

(続き)

この日は耐震工事により天守内部には入れませんが、彦根城は天守だけでなく天秤櫓や西の丸三重櫓などの現存櫓も内部公開されていますので、天守に入れない代わりに見学しました。…いえ、天守内部公開の有無に関わらず毎回見学しているんですけどね(笑)

天秤櫓ではいつものように表門山道と大堀切を見下ろし、佐和山城を遠望して、佐和口多聞櫓と違って貫が塗り込められていない内壁を眺めていて、柱や梁のちょうな痕に気が付きました。これまでにも視界には入っていたはずですが、見えていても気が付かないこともあるものですね。

この時季は山崎郭周辺がサギの繁殖地になっていることから、7月末まで山崎周回路は通行止めになっていますが、西の丸三重櫓から山崎郭側を見渡すと、樹々の上に遠目にもはっきりわかるサギの群れ…。通行止めはちょっと大袈裟なのでは? とも思っていましたが、なるほどこれなら通行止めも納得です。

内堀に開けた門のうち裏御門だけは周辺立入禁止のため、これまで存在を意識していませんでしたが、玄宮園から戻る際に門跡を確認。ここから着見櫓まで登り石垣がのびているはずですが、木々が生い茂っていてよくわかりませんでした。なお、着見櫓側から見ても登り石垣は草木に覆われてよくわかりません。

そして彦根城で会うのは久しぶりのひこにゃん。この間もお城イベントでは何度か会っていますが、天守の下では初めてかもしれません。写真撮影タイムやひこにゃんにちなんだ〇×クイズが行われる中、夏場だけに合間にごくごくタイムを挟んでお茶缶(のぬいぐるみ)を持ったひこにゃんが水分補給をすすめていました。…いや、我々観客もだけど、ひこにゃん(の中の人)こそ水分補給必須だろ!? と思っていたら、真夏日だったこともあり、予定時間を繰り上げてひこにゃん退場…。ひこにゃん、お疲れさま。この日はニッポン城めぐりのイベントスポット(ひこね街なかプラザ)にあわせて、四番町ダイニング前広場でのステージも観覧しています。ゆるキャラ数あれど、やっぱりひこにゃんの可愛らしさは群を抜いているよなぁ…。

…ということで、特別公開2箇所に加えて城内を(城下も)散策し、お土産にひこどらを買って彦根を後にしました。満足満足。

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