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海老名氏霊堂 (2023/06/24 訪問)

 小田急線厚木駅から徒歩にて登城しました。15分くらいでした。海老名氏霊堂、有鹿神社、海老名氏記念碑を散策しました。

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山中陣屋跡史跡公園 (2023/06/24 訪問)

 本厚木駅よりバスに乗り枡割バス停下車、徒歩約5分で山中陣屋跡史跡公園に行くことができます。城址碑等がありました。途中の山中稲荷神社にも標柱があります。

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初芽

本丸から眺める若狭湾が最高! (2023/06/18 訪問)

玄蕃尾城の後に登城。滞在時間1時間ほど。

「守りやすく攻めにくい城」と書いてあり登る前からワクワク☺️
パンフレットも入手して大丈夫だろうと歩いていましたが、
伝二ノ丸後の喰違い虎口の写真を撮り忘れたり、段の高低差が有名な北西曲輪群をスルーしてしまうなど大反省会しました。
元々地図を見るのが苦手(東西南北が分からなくなる)→縄張図も見るのが苦手でしたが、事前の予習と地図の確認の大切さを学んだ城巡りになりました( ;∀;)

ただ本丸からの眺めは本当に最高!
若狭湾と空の青、田んぼと山の緑がよく映えて、信長公も感嘆したのは分かる😌
涼しい風も吹いて、しばらく海を眺めておりました。

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こげら

竹田城周遊 (2023/06/24 訪問)

竹田城を寺町通りから攻めてみました。
行きは駅裏登山道を約30分かけて竹田城入口まで登り、帰りは表米神社登山道を約15分かけて表米神社まで降りてきました。
竹田城での滞在時間は約40分、約2時間の城攻めでした。

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赤い城

背中を押されて (2023/06/22 訪問)

訪れる予定は無かったのですが朝田さんのコメントに背中を押されて機会を伺っていました。
転居にあたってのtodoが1日空いたので思い立ってしまいました。
当日朝、東海汽船のホームページからジェット船を予約(2割引きになります)しました。
8:50竹芝港発、帰りは15:30大島発の日帰りです。
発着時間は時季によって違うかもです。
この日は梅雨空で発着港は岡田港でした。
これは当日にならないと分かりませんが天候がよい日は元町港になるようです。
屋敷跡は元町港が近いのですがやむを得ません。
岡田港から元町港までは路線バスを利用、片道370円で20分くらいかかります。
屋敷跡までは元町港から徒歩で30分くらい。
にのまるさんのレポートにあるように大黒屋酒店の裏手の石碑を確認しました。
遺構は無さそうです。
近くの墓地の中に供養塔もありました。
これから行かれる方がいらっしゃるかどうかは分かりませんが折角なので三原山をはじめとする大島の自然をゆっくりと味わうのがよいと思います。

で、東京都並びに関東地方の登録城をコンプできました!
本当に良い思い出になりました。

チェブさん、トクさんメッセージありがとうございます。
四国からもレポートできるよう無理なくチャレンジしますね。
引き続きよろしくお願いします。

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カズサン

上越市未踏の城廻Ⅳ 春日山城への狼煙台 (2023/06/18 訪問)

 虫川城を終えて、国道253号線を上越市街地直江津方向へ、県道253号線に入り約1.5km程で案内看板が有り、舗装された林道を約900m程進むと、登城口と砂利舗装駐車場に着く。手前に車1台の駐車場が有り登城口の案内も有るが少し進む広い駐車場を利用。
 駐車場:(37°10'18"N 138°22'37"E h=120m) 詰めれば10台は可能かな? 登城口に雁金城のパンフレット在り頂く。

 登城口を登ると比高10mほどの尾根の鞍部に案内板左本丸跡70m、右狼煙台100mと表示、分岐点と成っている。先ずは本丸を目指すが急な階段、側溝蓋の金属グレーチングを使いり両サイドには虎ロープが張られて、足ひざの不都合の私には大変助かり、三段に分かれたグレーチング階段を登って最高所の平削智に着く、少し南に進んで本丸へ、周囲は土塁囲み、二の郭、三の郭、空堀が控えてる、通路階段以外は草が茂り、二の郭三の郭空堀も草木の中、本丸は草木は刈られていました。
 戻って鞍部分岐点より狼煙台へ、ここも急なグレーチングの階段と尾根の細いところは金属のグレーチングの橋で補強し両サイド虎ロープが張ってあり登りやすくなっている、狼煙台は広く西側の大池が真下に見えて眺望が良い。

 登城口に有ったパンフレットによると、春日山城の支城の一つで春日山城に狼煙を使って連絡するための最後の拠点であったと、地理不案内で狼煙台から春日山城を確認することはできませんでした。
 上越市未踏の城廻、直峰城を始め、箕冠城、虫川城と最後の雁金城の狼煙台からの大池、上越平野の眺望で膝の痛さも癒された様です。

 折角上越市に来ましたので、春日山城、高田城の探訪を後日投稿致します。
 

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初芽

遺構がとてもきれい! (2023/06/18 訪問)

初登城しました!滞在時間は1時間ほど。
11時くらいに駐車場に着きましたが、偶々空いており駐車することができました(駐車スペースは5台程度で、訪問時はすでに2台駐車されていました)。

登城して空堀の深さ、土塁の高さに圧倒。
張出郭は初めて生で見たので面白かったです。ここに見張台を建てて敵を監視していたのか〜。
攻撃&守備に備えた城だったんだなあと感動しながら歩いていました。
案内板の縄張図のとおり、遺構がとても綺麗に残っている城跡でした。
何百年経ってもちゃんと残っているのはすごい。

駐車場からの帰り道、お猿さん🐒が1匹飛び出してきました😳
城跡では遭遇しませんでしたが、念の為注意かも?

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チェブ

土塁だけでも守る! (2023/05/13 訪問)

南北朝時代のお城が たくさん残っている茨城県。
全てのお城にお邪魔してないので、一概には言えませんが。よく南朝方の、北畠 親房さんのお名前に出会います。
「駒城」は中御門少将 藤原 実寛さんが城主として立て籠ったそうです。
この方、御公家さんですかね?
北朝方の、足利 尊氏さんの家臣 高 師冬さんが攻めて来ました。実寛さんは捕えられ「駒城」は落城しました。

「駒城」はお城の北西部のみ残ってます。
公園でもなく、土塁と思われる遺構を囲い説明板が当時の緊迫した様子を伝えてます。
中に入り石碑の前でパチリ。
この日は、ザーザー降りの雨で、足元は落ち葉の層で滑ります。
どちらから北朝方が攻めて来たのか分かりませんが、土塁上で睨みます。
、、、足元が滑りやすくなってますので(^_^;)

南北朝時代、興味が出て来ました。
まずは、大河ドラマで取り上げてくれないかなーと、何年後かに、期待する「駒城」攻めでした。

*追伸*
赤い城さん、お引っ越しと転職おめでとうございます。
どこのお城に行っても、赤い城さんの投稿があり参考になりました。
四国の投稿も楽しみにしてます。
とは言っても同世代。お体、あちこち痛くなる予報。
ゆっくり待ってますね('ー')/

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むらちょ

復元でわかりやすい (2015/10/06 訪問)

案内してくれたオジさんが親切丁寧に説明してくれます。

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むらちょ

謙信公は間違いなく此処にいます。 (2023/06/17 訪問)

謙信公に見られている気分になりました。
伊達政宗の生誕地としても、もっと宣伝してほしい。
是非、近くのデカい博物館にも行って下さい。展示物は中々の物が多いのに、神社に比べたら人が少なすぎます。人混みにウンザリしたらホっとできます。

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むらちょ

最高な復元度合い! (2023/06/16 訪問)

現状の復元度合いも凄いですが、復元予定になっている所、発掘調査中の所もまだまだあるので今後も期待できます。

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トク

交通機関で能島城へアクセスする方法

村上水軍の能島城(続100名城)には、車で行くのであれば簡単に行けますが、交通機関で行く方(私のような飲旅族🍺など)には、瀬戸内海のまん中にあるこの島へはどうやって行ったらいいの? と悩む方がいると思います。そこで、私が以前に行った方法を御紹介します。

今治城に行く時に「しまなみ海道」を走る高速バス(しまなみライナー:1時間毎)で福山駅前から今治行に乗り、途中下車すれば能島城まで行けますよという話をちょっとしました。その続きです。

能島城へ行くには、途中の「大島」で下車して下さい。降りたバス停に島内タクシ-の電話番号が書いてあるので呼んで、「村上水軍博物館(海賊ミュージアム)」へ行かれて下さい(約15分)。島内バスもありますが、一日数本(3~4本)しかないので時間的に余裕がないと難しいです。スタンプはここ博物館内です。館内見学は約30分くらいです。村上武吉の石像があり、かつての村上水軍の強さの秘密や、秀吉と対立した歴史などが展示説明されていました。

博物館のすぐ前から潮流体験の船が約1時間毎に出ています。これはぜひ必見です! これに乗らずして何しに来たの?という感じです。ガイドさんの案内を聞きながら村上水軍の気持ちになってスリル満点の潮流体験をして下さい! そして能島城の真近まで行って1周してくれます。所要40分です。上陸はできません。どうしても上陸したい方は、土日祝など環境保護のため期間を限定して上陸ツアーもあるようです。

帰りはまた元の大島バス停まで戻って高速バスに乗ってもいいですが、私は博物館前からたまたま友浦行のバスが来たので、「友浦港」へ行きました(約15分)。実はここから今治行の高速船が出ています。わずか20分で今治港へ着きます(1日7便)。港を降りると、今治城が見えます(徒歩10分です)。港から今治駅行のバスもあります(歩くと20分)。

潮流体験や高速船やバスの時間などに合わせて、スケジュールを組まれたらいいかと思います。

でも博物館前には海鮮バーベキューの店などもあったので、今度はゆっくり訪問し、海を見ながらおいしい物を味わってみたいな~(これは一人言です😩)。


【注】高速バス「しまなみライナー」
以前は福山駅前に券売機や窓口がありましたが今はありません。よってスマホで事前購入できるアプリがあるのでそれを利用されるか、降車時に現金を直接運賃箱に入れて下さい。車内では1万円5千円の両替はできません。全国共通の交通系ICカードも使えません。丁度のお金を準備し乗って下さいね!😊 予約不要・先着順乗車です。時刻・運賃の詳細はホームページで確認されたし! 今治港・今治駅からも福山駅行(大島下車可)に乗車できます。

南四国の究極の鉄道旅もしてきましたので、次(20人目)の後にまた御紹介します。

P.S 赤い城さん、四国での新たな人生がんばって下さい。私も現在四国の城を開拓中です。四国の後はぜひ九州へも、西日本には楽しい城がいっぱいありますよ-!
 

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しんしんちゃん

この城で島津軍と幕府軍が戦ったら?おそらくどっちも大惨事。 (2023/01/06 訪問)

建昌城は標高100m比高90mの広い扁平地にまるで平城のような縄張りで
築かれています。車で簡単に行くことが出来、山城と平山城と平城のすべての
特徴を備えています。東西は300m以上あり(周囲2km以上)本丸の左に二の丸、前の丸、
胡麻ケ城と続きます。本丸の西には櫓の丸、西の丸と続き、南には南の丸、常見の丸、
東の丸が存在します。非常にたくさんの郭があって、それぞれが十分に広いのですが
その間を堀切が仕切っていて本丸、二の丸の周辺には土塁が残っています。
南北を仕切る堀切は非常に大きく、まるでトラクターの通路かと錯覚してしまうほどです。
関ヶ原の合戦後、空き城だった建昌城を徳川軍の襲来に備えて島津氏が防備を強化したらしいですが
この巨城に無敵の島津軍が籠って戦ったら、さすがの幕府軍もさぞかし手を焼いたことでしょう。

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しんしんちゃん

島津義弘最後の居館と詰めの城。鉄砲を最初に使用した伝説が残る。 (2023/01/06 訪問)

加治木城は天文18年(1549)日本で初めて種子島銃が実戦で使われたと伝わります。(諸説あり)
城主肝付氏は島津氏に降伏し重臣となります。
その後、豊臣秀吉の蔵入り地となり、慶長12年(1607)島津義弘がこの地に入ります。
加治木城を詰めの城として、義弘は麓の居館に居住し、元和5年(1619)生涯を終えます。
だいぶ藪がひどいのですが、入れそうなところは拝見させていただこうと思います。
本丸は家屋があるので簡単に確認し撤収、二の丸は畑地になっていたと思います。
お馬場は急な斜面を登れば現状を一望できます(藪ですが)。
北側の通路を進みながらかつての馬場(犬馬場?)と高城を確認します。
これでだいたい城跡は確認できました。島津義弘の居館跡は加治木高等学校や
柁小学校になっており、近くに郷土館もあります。


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しんしんちゃん

南北朝島津氏飛躍の城。天気が良ければ桜島を一望できる。 (2023/01/06 訪問)

南北朝時代、島津氏は出水に拠点を構えていましたが、5代貞久は北朝に属し
南朝方の鹿児島郡司矢上氏の東福寺城を攻め落としました。
東福寺城に拠点を移した島津氏は、やがて清水城、内城、鹿児島城と拠点を移していきます。
東福寺城は今は公園になっており簡単に登れるようになっています。
最初の郭がかつて浜崎城と呼ばれていたあたりのようで、その周辺に東郷平八郎の像と
墓があります。天気が良ければ桜島が一望できるのですが、あいにくの曇空です。
2014年に来たときは桜島が良く見えたのですが、2023年は阿蘇山を訪問して
非常に晴天にめぐまれたので、どちらかが良ければどちらかが悪いということでしょうか。
東福寺城の石碑のある郭からさらに上まで行けるようです。
最上部に突き当たるのですが、かつてはその上の丘陵地も城域に含まれていたようですが、
ここまでで、かつての城域の8割は確認できただろうと思ったので
あえて無理はせず、ここで引き返しました。
海側は絶壁だとのことで、情報が不足していると危険だと判断しました。





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しんしんちゃん

島津義弘のかつての居館跡。石垣はいつの時代のものなのか。 (2023/01/06 訪問)

平松城は現在、重富小学校になっています。天文23年(1554)蒲生方の岩剣城
を落城させたあと、島津義弘が城番となり麓に平時の居館として築かれました。
江戸時代の天文2年(1737)藩主島津継豊は弟、忠期に越前島津家を再興させ
重富郷の領主居館として機能しました。
小学校の周囲は石垣で囲まれ往時をしのばせます。北側から東に移動し
そこから南側に緩い坂を上って石垣が続いていくのですが、周囲にも石垣があり
どこまでかつての遺構なのかはわかりません。

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ぴーかる

長島城 (2023/05/03 訪問)

【長島城】
<駐車場他>やすらぎパーク駐車場30台程度
<交通手段>車

<見所>移築門
<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅9城目。現地説明板によると、長島城は文明年間(1469~1487年)に伊勢国安濃郡の長野一族と伝えられる伊藤重晴によって築城されたとされます。1570年頃に長島北部の杉江にある願証寺が浄土真宗の一大拠点となると伊藤氏は滅ぼされ長島一向一揆の拠点となります。1574年に織田信長の攻撃で落城します。江戸時代に入ると菅沼氏・松平氏が長島藩主となりましたが、4代将軍徳川家綱の生母宝樹院の弟増山正利の子である増山正弥が藩主となると明治維新まで続きました。
 上記駐車場に駐車して先の投稿の願證寺に行きました。次に蓮正寺にある移築大手門の一部の高麗門を見て、長島川(堀川か?)・長島橋を通り城跡の小中学校にある説明板、先達の方々に教えてもらった大手橋に残る石垣を見て終了しました。

<満足度>◆◇◇

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ゆいと

少しきつい山城登り (2023/06/25 訪問)

篠の丸城の山の名前はもみじ山です。山登りは少しきついのでつえを持っていくことをおすすめします。本丸跡には説明板があって篠の丸城の歴史が読み取れます。  

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しんしんちゃん

鹿児島城に移る前の島津氏の本城らしいけど‥。 (2023/01/06 訪問)

内城は天文19年(1550)島津貴久によって築かれ、平安時代より使われている
東福寺城を詰めの城としました。
慶長7年(1602)城主、忠恒の命により島津氏の本城は鹿児島城に移り、跡地には大龍寺が
建てられ、明治時代の廃仏毀釈によって、跡地に大龍小学校が立てられました。
遺構は残ってはいないのですが、手水鉢と庭石がわずかに現存していると言います。

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朝田 辰兵衛

葛尾城散策 2/2(山頂部石垣→磯部口登城口)を。 (2023/05/04 訪問)

GW遠征の一番の楽しみは,葛尾城散策でした。雨男ゆえに,雨を心配しておりましたが,猛暑に見舞われました…<苦笑>。
往路は,坂城神社登城口から,徒歩約55分で山頂部到着。東屋にノートがあったので記帳。そして,北側尾根に向かって散策開始。大小6~7本(たぶん)の堀切を経て,石垣にたどり着きました。見どころは,この石垣だと思います。
東屋に戻り小休憩。復路は,西側尾根を伝い,徒歩約55分で磯部口登城口へと。坂城神社ルートに比べると「ワイルド」です。途中に岩崎城があるハズだったのですが,とくにパネルも碑もなく,確定に至りませんでした。ただ,この堀跡と土塁は間違いないだろうというポイントは撮影しました。それなりに楽しめた西側尾根ですが,夏場や雨天時はお勧めできません。

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