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ヒロケン

古代山城 (2024/05/01 訪問)

鬼ノ城は、標高約400mの鬼城山に築かれ、吉備高原の最南端に位置し総社平野は勿論、瀬戸内海を見渡すことが出来る古代山城です。築城年代は文献が乏しく分っていないそうですが、古代の総社平野は吉備の中心として栄え、政治・経済・文化・交通の要衝にあり、その背後に鬼ノ城が築かれていることから、飛鳥・奈良・平安の時代に築かれたものとされています。鬼ノ城は壮大で鬼城山の八合目から九合目を取り囲むよう様にして築かれた城壁で囲まれ、その全周は約2.8kmにもなり、城壁には城門が4カ所、水門が6カ所角楼が1カ所、各種の施設が設けられています。

古代山城にはあまり興味が無かった自分ですが、NHKの「日本最強の城」で紹介されていたのを見て、11年振り2度目の再訪を決めました。登城前から雨が降りしきり、傘をさしての登城となりましたが、よく整備されており足元には苦はありませんでした。見所も随所にあり、復元された西門をはじめ、屏風折れの石垣や水門などが当時を想像させてくれています。

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ごんぎつね

しっかり残る遺構の数々 (2024/05/04 訪問)

ここまで綺麗で巨大な竪堀は見たことない!というほど現地で感動してしまいました。
空堀や曲輪などもしっかりと残っていました。
熊の出没が怖くて、要所を見てさっさと下山してしまいましたが、
また再訪したいと思います。

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しんちゃん

横須賀城遺構の前に立ちふさがる番兵たち ネコ軍団登場!! (2024/05/25 訪問)

ちょっと体調が回復してきたのでリハビリを兼ねて遠州の城跡を日帰りで回ってきました。全部リピートの城ですけど久しぶりに行ってみると新しい気づきがあったり無かったり‥。横須賀城を訪問したついでに掛川市の横須賀城・搦手門を見に行きました。
城門が有るお寺まで、まっすぐ細い道が続いているのですが、そこに立ちふさがるのが門の番兵たち!ネコ軍団の登場です。
ゆっくり車で近づくと、みんなリーダーを見ています。どうやら指示を仰いでいる様子。
番兵1「どうしますリーダー?車が来てますよ。ヤバいんじゃないですかね」
リーダー「お前ら 人間相手に日和ってんじゃねえ!」
なんか令和のヤンキー漫画みたいなやり取りが彼らの表情から伝わってきます。どいてくれません。社山城の道路を占拠していた鹿を思い出します。うう‥通しておくれやす。
なんか門よりこっちの方がメインになってしまいました。ネコたちとしばらくニラめっこしたあとは、じわじわ近づくとイヤそうに一匹づつ道を開けてくれました。ゆーっくりと。‥達者でな!

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カズサン

一遍上人ゆかりの光林寺境内に遺構在り (2024/05/22 訪問)

 国道4号線西側約1.2km程の低い丘陵地に在ります。

 住所:岩手県花巻市石鳥谷町中寺林第12地割(光林寺)
 駐車場:光林寺東脇参拝者ジャリ駐車場を利用、もう一つ南の山門前に舗装参拝者駐車場有り。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 ここは時宗林長山蓮華光院光林寺で時宗の開祖一遍上人ゆかりの寺も有ります、寺林城の遺構は北西側に福祉施設ルンビニー苑・学園南東側境界に隣接して存続しています、松、杉樹木に覆われてこの時期草叢にも覆われて良く観えません北西角を中心に西側、北側に二重土塁、二重堀が繋がっています。
 案内解説板が北西角の土塁上に在り、光林寺由緒書が南西の墓地入り口に在ります。
また、光林寺西側には樹木が茂り土塁・堀が有りそうな感じも見受けられました?
 本堂を参拝し南側の山門辺りは工事中の様でしたので寄りませんでしたが、城郭放浪記さんの写真館では立派な門と構の様です。

 寺林城は伊予河野氏の流れにて築城し光林寺に寄進、一遍上人とのつながりで時宗へ、戦乱の明け暮れで焼失、秀吉の奥州仕置きで浅野氏が陣城し寺領安堵、江戸期には南部氏より70石の寄進。(由緒、案内板抜粋) 由緒書、案内板を写真添付しますのでお読みください。
 
 今回の青森三内丸山遺跡、安倍氏の福島城、13湊遺構を見たいと、車中1泊ホテル4泊6日で青森、岩手、秋田、宮城の未踏、既踏の城・遺跡を探訪し城びと未投稿の城にもなって居ましたので初登城しました。
 

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しんちゃん

中村家住宅 結城秀康 (2015/09/27 訪問)

浜松市西区にある重要文化財・中村家住宅は徳川家康の次男、結城秀康が誕生した家とされています。平成13年から15年にかけて解体復元工事が実施され貞享5年(1688)ごろの状態に戻されています。敷地内には結城秀康公の胞衣塚があり、明治17年に越前松平一門家が建立した石碑があり、由来が書かれているそうです。なんか信憑性がありますね。
石碑の篆額は松平確堂(津山藩7代藩主斉民の隠居名)の染筆で、碑文は松平慶永(福井藩16代藩主)の撰文だそうです。さすが秀康公、なんかすごいですね。
篆額(てんがく)とは石碑などの上部に篆文で書かれた題字だそうな。(byコトバンク)

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ぴーかる

陣屋跡には簡単に行けますよ (2024/03/30 訪問)

【黒坂鏡山城】
<駐車場他>JR黒坂駅に駐車しました。
<案内>駅前の鏡山城への案内が日野高校と光明寺側の2ルートがあります。高校側は分かりませんが、光明寺側は案内板が少し間違っているので案内を。光明寺正面と線路の間に舗装道が伸びているので北に進みます。左手に聖神社、正面に池を見て道なり左に曲がって150m程進むと右手に小屋があります(10枚目)(ここに駐車しても問題なさそう)ので、小屋の横を通り山道(車1台分)に入ってすぐ陣屋跡の削平地に行けます。山城の方へは下記参照。
<交通手段>車

<見所>陣屋跡遺構・虎口跡・土塁
<感想>日帰り尼子十基制覇の旅3城目。現地説明板によると黒坂鏡山城は1610年に伊勢亀山城主の関一政が5万石で加増転封したとあります。当時の黒坂は竹木が生え茂り人の住む場所ではなかったそうで、関氏によって城と町割りが行われたそうです。関氏はわずか8年で世継ぎ争いを理由に改易されてしまい城は破却されてます。後に支配した鳥取藩の池田氏が居館跡に陣屋を設けます。
 陣屋跡には東屋・北東隅に石積みの枡形虎口跡・井戸跡があります。駅からも見える東面の石垣遺構は見事です。井戸跡がありそこから山頂部へは現在は整備されているのでピンクリボンをたどって行けば黒坂城跡に行けます。現地の説明板に50mとありますが、実際はジグザグに250m程登ります。山城跡は中世戦国時代の遺構のような形状・縄張りをしていますが、主郭から南にある連段の虎口遺構は1つ1つしっかりとした折れ虎口になっています。主郭は西側に土塁を付けたバナナ形状で櫓台もありません。主郭の北側にグンと下がってポツンと長方形の郭があります。片側土塁付の虎口跡ありのなかなかいい曲輪で印象に残ります。
 山城跡の方の城びと投稿は私が初めてのようで、簡単に行けるルートも見付け優越感あります。(`・∀・´)エッヘン!!自己満足。夏場陣屋井戸跡の上の谷部が雑草密林になるとルートがロストしてしまいそうなので、冬枯れの時にセットで見るのが良いかと。破却されたとはいえ、しっかりとした遺構が残る城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

天空の城 (2015/07/12 訪問)

秋葉城は南北朝時代に北朝方の天野氏が南朝方への押えとして秋葉山に築城したそうです。現在は秋葉山本宮秋葉神社となっており、遺構は残っていないようです。
というわけで秋葉詣での際の写真をそのまま掲載してます。本殿のあるあたりが、おそらく主郭で参道は登城道でしょうか?金の鳥居が印象的で、そこから下界を見下ろした時の風景は天空感があります。

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甚右衛門

本堀城跡(城びと未掲載) (2024/05/19 訪問)

長野市稲田に所在する本堀氏の館跡です。住宅街の中で遺構は残っていません。近くの若槻山城の一族が治めていた場所です。残念ながら館跡を示す碑と説明しかありません。

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しんちゃん

下品でゴメン (2024/01/03 訪問)

小倉山城の遺構は素晴らしかったですよ。御座所→二の丸→南郭→本丸と散策し、北側の郭を見たあとは三の丸かな~と思っていたら、行きたくなってきたんですね、トイレに‥しかもでかいほう(下品ですみません)
これが山城めぐりのウイークポイントで、なかなかコントロールが難しい。これは判断を間違えると大変です。三の丸は見たかったけど
「もういい‥私はよく戦った。私の戦いは終わったのだ」まるで劇場版のデスラー総統みたいなことを言ってますが、ようはトイレに行って〇〇〇をしたいわけです。迷わず帰ります。そして南の駐車場の施設のトイレは当然のように施錠されているのでありました。
(近場のコンビニまで我慢しました)

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しんちゃん

鶴を護る亀 (2015/05/02 訪問)

ちょ~っと古い写真になりますが、五月の桜の時期の猪苗代城です。本丸の周囲にぐるりと郭が配されているようで別名・亀ヶ城というそうな。縁起が良い名前なので多いですね、亀ヶ城とか鶴ヶ城とか。
ああ、近くに鶴ヶ城ありましたね。会津若松城と合わせて鶴亀なんだ。
佐原義連の孫・大炊助経連が猪苗代氏を名乗ったとされ、猪苗代城は猪苗代氏によって築かれたとされています。豊臣秀吉の奥州仕置により猪苗代氏は同地を離れ、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏(松平)らが会津に入りますが、猪苗代城には、その重臣が配され、会津若松や保科正之の墓所である土津神社を守護する役目を担っていたようです。
石垣や土塁などが良好に残り、本丸からの眺めは最高です。野口英世の少年時代の遊び場だったらしく、野口氏の首像があります。

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甚右衛門

本日二度目の山城攻略、そこには絶景が有りました (2024/05/25 訪問)

栗田城から転進し、朝日山観世音堂駐車場に停めて攻略。舗装されてますが、林道なので狭いので慎重に進みました。ゆっくり歩いても30〜40分くらいで登れますが、途中の後0.3キロの表示からが長かった‥。堀切や本丸の郭跡がよく残っています。ただ何処かにあったはずの本郭石垣に気付かなかったのが少し残念。登ったら展望台まで足を伸ばしてください。善光寺平が広がる絶景がそこにあります。眼下に善光寺が見下ろせるので、上杉謙信が和睦の条件にこの城の破却をいれたのが良くわかります。総時間で70分くらいで攻略。最後に眼下の横山城を攻略して帰宅。

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甚右衛門

水内総社日吉神社の境内にあります (2024/05/25 訪問)

街の中の水内総社日吉神社が城趾です。マツキヨ長野栗田店の駐車場に停めて3分くらいで着きましたが、参拝者用の駐車場があります。神社が建っているのがそのまま土塁の遺構らしく、神社の裏側に周ると土塁の名残がありました。

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横浜英和学院 (2024/05/25 訪問)

 吉良頼康の館として知られています。横浜英和学院が跡地です。遺構はないようですが、校門の横にある成美学園遺跡の説明板には「北側の斜面には腰曲輪の跡とみられるものが残っています」と書いてありました。どこのことかわかりませんでした。近くの勝国寺に吉良氏の館の説明板などがあります。
 横浜市市営地下鉄ブルーライン蒔田駅より徒歩10分くらいで行くことができます。途中、長い階段がありました。

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成就院 (2024/05/25 訪問)

 成就院が跡地です。門の下に「笹下城の空堀跡」の説明板がありました。

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野庭中央公園 (2024/05/25 訪問)

 野庭中央公園が跡地と伝わっています。遺構はないようです。

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甚右衛門

霞城再チャレンジしました (2024/05/25 訪問)

天気が良いので、一念発起して再チャレンジ。大室公民館に駐車して永福寺登山口から登城。いきなり急坂で踏み外し要注意ですが、迷わず15〜20分程度で登れます。石垣はやっぱり見事で必見です。本郭は予想以上に広く驚きました。石門登山口に下城しましたか、ルートがわかりにくく木のリボンとロープを見つけながら下りましたが、虎口は予想以上に大きく、これまた見事で苦労した甲斐がありました。虎口の下のルートが見つけにくいので注意してください。私は向かって右の方に下りましたが落ち葉が深く足を取られて見事に転倒してしまいました。石門口から登る方が迷わないのかもしれません。それでも一時間あれば十分攻略可能。本郭のポストに記念ノートがありますが、併せて城の案内がゲットできます。また、この城の城跡印が松代まち歩きセンターで入手できるらしいです。

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三嶋神社 (2024/05/25 訪問)

 三嶋神社、岡津中学校付近が城址とされています。神社の前に土塁がありました。ただ神奈川中世城郭図鑑には「土塁は神社に相対しており、城郭のものではない可能性が高い」と記載があります。どうなんでしょうね。
 戸塚駅よりバスに乗り岡津バス停下車、バス停から徒歩5分くらいで三嶋神社に行くことができます。

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戸塚高校 (2024/05/25 訪問)

 市立戸塚高校が跡地です。遺構はないようです。
横浜市営地下鉄ブルーライン踊場駅より徒歩にて登城しました。土曜日でしたが、登校している生徒も多くいたので校門付近を撮影し早々に撤退しました。

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しんちゃん

天文19年までの吉川氏の本城 (2024/01/03 訪問)

ぴーかるさんがオススメしてくれた尼子十旗の城は白鹿城、赤穴瀬戸山城、三沢城の三城ですね。私も島根県を訪問した際には、それらの三城は是非訪問したいです。(他の七城は?‥)
それらの三城は是非、訪れたいですね。(他の‥‥)
私も山城の遺構は好きです。空を飛べたらいいのになあ。ドラえもんはいいから、タケコプターだけでも欲しいなあ。そしたら、熊に会っても飛んで逃げれるべ。
いかんいかん、現実に戻ってと‥小倉山城です。私はこの城を訪問するのを楽しみにしてました。吉川氏が駿河丸城に続いて居城とした山城で天文19年(1550)に日野山城に居城を移すまでの間、吉川氏の本城として機能していたようです。見事な山城の遺構で御座所から二の丸と本丸に道が続いていていて、二の丸には土塁が残っています。本丸に向かっていく高低差が十分にあり、いかにも山城といった感じでわくわくしてきます。二段構造になっていて本丸周辺に曲輪が配され、そこからさらに上がった高所に本丸があります。

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しんちゃん

龍潭寺 井伊谷宮 (2024/05/18 訪問)

静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷にある龍潭寺には井伊家御霊屋があり、初代・井伊共保公と22代・井伊直盛公、そして井伊直政公の木像と歴代井伊家の位牌が祭られています。もちろん井伊直弼公の位牌もあり、この日は御霊屋が特別に公開されていました。遠州一(東海一?)とも言われる小堀遠州の庭園の景色の一部としても有名です。
境内には井伊家の墓地もあり、井伊直政公を育て上げた井伊直虎公の墓もかつての許嫁の墓と隣り合って佇んでいます。
龍潭寺墓所から井伊谷宮に道が続いていて、宗良親王の墓所を経由して井伊谷宮に参拝することが出来ます。井伊谷宮は後醍醐天皇の皇子である宗良親王を祭っており、境内には井伊社があり、井伊道政公、井伊高顕公を祭っています。両者とも南北朝のころの武将で宗良親王を助け、北朝方と戦っています。

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