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todo94

上天草市の城 (2023/05/04 訪問)

天草上島がすべて上天草市になっているわけではなく、国史跡の棚底城は天草市になります。そして上天草市の中心市街地や市役所は天草五橋の中の大矢野島にあります。その市役所のほど近く、大矢野中学校の脇の小丘に説明板と五輪塔があります。麓の道路は街中の狭隘な道なので路駐は迷惑になるかと。学校の休日ならば坂を上った給食室の前あたりに十分なスペースがあるのでそこに車を停めさせていただくのが良いかと思います。国道266号は車は多かったものの大渋滞には至らず、無事宇土半島にわたれたので、世界遺産の三角西港を散策し、三角バーガーの昼食をいただきました。

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朝田 辰兵衛

葛尾城の磯部口登城口から徒歩で… (2023/05/04 訪問)

葛尾城の磯部口登城口へ下山してきた理由は,そのまま徒歩で荒砥城を目指すため。気温は30℃を軽く超えているというのに,イイ休憩場所が見当たらず。結局,荒砥城登城口すぐのホテルプラトン前の自販機ワキで休憩。ウィルキンソンレモンで生き返りました。
GWだというのに,この周辺の温泉街に,あまり活気は感じられませんでした…。

赤い城さん,「茶色い穴」に興味を持っていただいたようで,安堵しました。来島城では近づき放題&触り放題です。
能島城では,上陸のクルーズに便乗しないとダメだし,実際に近づいていいのかわかりません。
なお,来島城へマイカー移動なら,波止浜港に駐車場がありますので,利用されると宜しいかと思います。
たぶん,赤い城さんにとって,四国は狭く感じているのかな…って思ってます。
香川県は狭すぎ!
徳島県と合わせても,千葉県には及ばない気がします。
しばらくすると,コンプリートラッシュかな…と。

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ゆき

青葉城 (2023/06/14 訪問)

出張先で時間ができたので行ってきました。
博物館行きたかった( ;∀;)

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庄山城(城びと未登録) 東姫路最大の城&山桃食べ放題 (2023/06/25 訪問)

木内内則著「中世播磨250の山城」に東姫路最大の城と微妙な紹介があり、気になってました。山城探索の季節ではありませんが、行って参りました。
赤松則村(円心)の次男 貞範が姫山に城を築くも2年後に、4kmほど東の庄山城を築き移動。現在の姫路城は、人工的に守りをかためてますが、南〜西側の徹底ぶりに比べて、北〜東は急斜面を利用してわりとあっさりな造りです。貞範の時代は、自然地形主体の守りでしょうから、南〜西に不安があり、近くのそそりたった庄山城を築いたのでしょう。その後、庄山城には、嘉吉の乱で山名氏の家臣が入り、赤松政則が播磨を奪回すると家臣の小寺氏が入り、最後に三木城の別所一族の別所重棟が占領したと。この流れの中で城が拡充されていったのでしょう。
先人のレポートを参照して、城山中学校テニスコート奥にあると言う登城口を目指しました。近くの住人に登城口を尋ねることができ、ゴミステーションから狭い川の向こうに回り込んだところに登城口があると指差して教えてもらいました。尋ねてなければ、発見はまず無理。
城域は、南に開いたコの字型。東尾根の先端に本丸があり、西尾根の付け根に三の丸。コの真ん中の棒部分に二ノ丸。登城道は、本丸の北側の狼煙台に至ります。二ノ丸に石垣がありました。所々に、パウチされた縄張り図と現在位置をマークした表示があります。しかしながら、尾根に郭がたくさん続き、木も繁茂していて、しばしば、自分がどこにいるかわからなくなります。
三の丸や本丸からは、見晴らしが良く、姫路城も見えました。本丸には大きな山ももの木があり、食べ頃でした。誰もおらず食べ放題です。大手道は、南側の小学校裏にあるのですが、登れる状態ではありませんでした。

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カズサン

再訪春日山城6/8 千貫門と空堀編 (2023/06/17 訪問)

 9年振りの春日山城再訪、今回の下城方向、直江屋敷跡の立体褶曲階段虎口を十分堪能して、少し下っていくと搦手の空堀が見えてくる、横堀と竪堀二条が組み合って見所である、千貫門跡、控えの曲輪は上杉少弼入道宅址、通路側の階段横には土塁が控えて守りを固めてる、春日山神社側の土塁切岸も見事である。案内板には本丸と千貫門との外とを区画する重要な地点であったと記されています。
 
 当日は夕刻に成り千貫門跡を終えて、再度春日山神社参拝し、まだ少し陽も有るので高田城を再々登城。夏は陽が長くありがたい。

 続き7/8監物堀と東城砦編へ(翌日の探訪です)
 

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イオ

宍人城(小出館) (2023/05/03 訪問)

(続き)

見学ルートの分岐を北に進むと小出館跡の表示があり、東部の虎口から小出館に入ります。虎口の北には東への張出部があり、虎口に横矢が掛かるようになっています。張出部から北部の虎口まで土塁と横堀が続いていて、虎口には土橋が架かっているのはわかりますが、内側の構造は崩れていてよくわかりません。土塁と横堀は北辺から北西隅の櫓台を経て西辺を南西隅の櫓台へ、さらに南辺を南東隅まで続いています。途中、西辺と南辺に土塁の開口部が見られるのは平入の虎口かもしれません。

…と、東辺を除いて土塁と横堀で囲み、張出部や櫓台からは横矢も掛かるようになってはいますが、土塁は低く堀は浅く狭く、とりあえず形をなぞってみました程度の印象が拭えないのは、豊臣氏滅亡後の平和な時代の仮の居館という先入観によるものでしょうか。

さて、見学ルートは南西隅の櫓台から館外に出て、伝 越前守の墓を経由して登城口に戻ります。小畠氏は幾人かが越前守を称しているようなので小畠氏の墓所なんでしょうね。時間があれば詰の城にも行きたいところでしたが、この後の予定もあり、この日はここまで。見学ルートに沿ってのため思う存分とはいきませんが、両館ともに遺構は状態良く遺っていて、充分に見応えがありました。
 

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赤い城

東京の城振り返りとクイズの答え

朝田さん、来島城でしたか。残念!
茶色の穴に興味津々です。行ってみたい!

私のクイズはさすがに瞬殺でしたね。
にのまるさん、朝田さんの解答通り八王子城です。
朝田さん仰る通り金子曲輪を支える石垣でした。

さて、東京の城ですが例によって100と続100以外で振り返ります。
大都会東京ですが多摩エリアには良い山城が残っています。
檜原城の三重堀切や長い竪堀、浄福寺城の畝状竪堀など。
滝山三城の高月城や戸吹城も良いです。
ただし戸吹城は崩落の危険があり、主郭への細尾根は立入禁止。
青梅エリアにも勝沼城、今井城など素敵な城が。
辛垣城から尾根続きの桝形山城も未登録ですが堀切が残ります。
さすがに23区内はほぼ寺社廻りになりました。
それでも志村城、赤塚城、世田谷城、奥沢城とわずかですが遺構が残る城もあります。
石神井城は年1回の文化財ウィークで内部が公開されます。
あとは浜御殿ですかね。
浜離宮として公園になっていますが江戸城の出城の役割を担い、どう見ても城の装備が沢山施されています。

最後に伊豆大島にも行きましたがここも東京。
品川ナンバーの軽トラがイカした感じでした。

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小城小次郎

模擬建築に目を奪われるが (2023/01/08 訪問)

絵になる模擬建築群があるのでついついそちらに気を取られるが、模擬建築群の周囲は切り立っているしところどころに石積みも残る。堀で仕切られた多くの曲輪を持つ広大なお城であったことが現地に立つと推察できる。

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todo94

天草の城⑤ (2023/05/04 訪問)

今回の天草行きで最も期待していたのが、この城です。国史跡に指定されたばかりの時はどこに所在するのか、探すだけでも骨が折れたものでした。幸いにも、朝方に降っていた雨は上がっていました。数多くの郭が連なり、主郭の後背には三重横堀。2023年初攻城の城では文句なしの№1になりそうです。期待を大きく上回る素晴らしい城でした。

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チェブ

関城は、お城の関城なの? (2023/05/13 訪問)

こちらの「関城」も、前回 投稿した「駒城」と同じく、南北朝時代に活躍しました。
南朝方の北畠 親房さんの挙兵に呼応しましたが、北朝方の高 師冬さんに攻められ落城しました。
城主の、関 宗祐さん親子は討死します。

「関城」は田畑と住宅街。工場の駐車場でしょうか、トラックが停めてある橫に、「関城」用の駐車場がありました。
雨がザーザー降りなのと、人がいないので「関城」の説明板の前まで車で向かいました。普通に道路が通ってます。
「関城」は道路沿いにあります。
勇ましく散ったであろ、関 宗祐さん親子のお墓と伝わる塔がありました。
説明板の反対側の道路沿いは、堀のようにも見えます。

ちょっと脱線します。
私の親戚に、通称「関城」がいます。
『関城から梨が届いた』とか『関城から電話があった』等々、私は幼い頃から『関城』とは、その親戚の名前かと思ってました。
現在、合併し筑西市になりましたが、以前は『関城町』だったようです。
親戚は皆、姓ではなく町名で名乗ります。
多分、誰よりも「関城」という言葉を発していたに違いありません。
そうそう、「関城」近くは梨畑もありました。

実は、すごく身近だった「関城」でした。

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カズサン

再訪春日山城5/8 直江屋敷編 (2023/06/17 訪問)

 9年振りの再訪春日山城、護摩堂・毘沙門堂・御花畑の探訪を終えて、直江屋敷へ直江屋敷は曲輪が三段の構え、下段の虎口が見所です、立体的に階段が褶曲して大変守りの堅い虎口です。
 また直江屋敷の下、虎口階段横から帯曲輪が控えて守りを固めています。

 続き6/8千貫門と空堀編へ
 

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カズサン

再訪春日山城4/8 護摩堂・毘沙門堂・御花畑編 (2023/06/17 訪問)

 9年振りの春日山城再訪、本丸跡、天守台跡、井戸曲輪を終えて、景勝屋敷跡、柿崎屋敷跡の案内板標識を振り切り、下城方向の護摩堂、毘沙門堂、御花畑へ、謙信公が出陣前に毘沙門堂に籠ったと伝わる宗教施設が建っていた、毘沙門堂から一段下がって御花畑が有る、現在は平坦地ですが、往時はどんな花が咲いていたのでしょうか?ロマンを感じます。
 また御花畑曲輪より直下に大竪堀を見下ろすことが出来ます。

 続き5/8直江屋敷編へ
 

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朝田 辰兵衛

トクさんへ~しまなみライナー~

福山駅前の「瀬戸内交通窓口」が,4月1日で閉鎖されていたとのこと。対策はあります。
しまなみライナーの利用は(能島城攻城に続き)2度目となりますが,今回も前回も,チケットを車内購入されている方がおられました。
乗車時に降車停留所を伝え,往復チケットを購入されている方。降車時に回数券を購入されている方。どちらかにならえば宜しいかと思います。

前回の能島城攻城時は,大島BSまで「しまなみライナー」片道利用。この時は券売機が存在しておりました。
能島城攻城後,大島BSへ向かう途中,石文化公園バス停から今治方向に(結構な頻度で)路線バスが出ていましたので,これを利用し今治桟橋まで。そして,今治城攻城。
復路は,今治桟橋から福山駅前まで「しまなみライナー」片道利用。チケットは,今治桟橋近くのお土産屋さんで購入できました。現在は購入できるかどうか怪しいですね…。

ご参考までに。

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イオ

宍人城(小畠館) (2023/05/03 訪問)

宍人城(ししうどじょう・京都府南丹市園部町宍人・城びと未登録)は、築城時期は不明ながら丹波国衆の小畠氏代々の居城とされ、明智光秀の丹波攻めではいち早く光秀に従って所領を安堵されています。江戸初期に小出吉親が入封すると、小畠氏を頼って宍人城に逗留しましたが、完成した園部陣屋に移ると小畠氏も小出吉親に仕えて園部に移り、宍人城は廃城となりました。

宍人城は本梅川西岸の段丘上の居館(宍人館)と、南西後背のシロヤマの詰の城(宍人城)からなり、宍人館は本梅川に面する小畠館と谷を挟んだ北側の小出館に大別され、小畠館と宍人城は小畠氏の城、小出館は小出吉親が園部に移るまでの2年間の仮館と考えられています。

公民館の脇が登城口ですが、150m北に駐車場がある旨の案内表示に従って車を駐め、登城口まで戻って登城開始。登城口の説明板によれば、城跡は私有地のため見学ルート内で見学して下さい、とのことで、縄張図に見学ルートが示されています。自由に見て回りたいのは山々なれど、私有地を見学させてもらえるだけでもありがたいことですよね。説明板の下のメールボックスには説明板記載の縄張図が収納されていて、この縄張図を参照しつつ見学しましたが、縄張図だけで見学ルートは記載されていないため、何度か間違ってルートを外れてしまいました。すみません。

さて、登城口から丘陵を登って行くと右手の谷の向こうに水天宮があり、さらに進むと水をたたえた水路(?)がありました。かつての水の手でしょうか。いずれにせよ水の豊かな地のようです。水場を過ぎて分岐を左に進むと小畠館に至ります。横堀の向こうに土塁が続き、その奥が本丸のようですが、ルートでは横堀沿いに東に進み、坂虎口から北ノ丸に入ります。北ノ丸の北側は幅広く深い堀切で北ノ出丸との間を遮断しています。北ノ出丸は南北に四段の曲輪で構成されているようです。北ノ丸北辺の土塁上を歩いて東端で南に折れると、本丸との間の横堀の東端の土橋から本丸へ。

本丸東辺は段丘の先端であり、眼下に宍人の集落を見下ろす位置です(眺望は限られますが)。途中、いくらか東に張り出した部分があり、横矢掛けの標示が立てられていました。そして本丸の南東隅には櫓台があり、そこから南辺を経て西辺まで土塁が続いています。本丸西部には二ノ丸へと至る虎口が開口し、南北にのびる横堀の間に土橋が通っていました。

本丸の西側には本丸に劣らぬ規模の二ノ丸が広がっており、土橋を渡ってすぐのところに井戸跡が、井戸跡の北側に二ノ丸を南北に区画する中央土塁があり、その奥の西辺には折れを設けた横矢掛けの土塁が見られる……はずですが、見学ルートから外れてしまうので我慢我慢…。ただ、ルート外のためか二ノ丸は本丸に比べて整備されておらず、見に行っても藪に沈んでいてよくわからなかったに違いない、と思うことにします(酸っぱいブドウ)。

見学ルートを登城口に戻る途中、水場のあたりから北への分岐を進むと小出館に至ります(続く)。
 

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上ちゃん

土塁がたまらん (2023/06/04 訪問)

何と言っても土塁

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todo94

天草の城④~14年ぶりの富岡城 (2023/05/04 訪問)

前日の夕刻より雨脚が強くなっていて傘をさしての攻城です。14年前も5月4日の攻城でした。帰路の渋滞を避けるため、ビジターセンターの開館を待たずの朝駆けでしたが、今回初めて大手門跡もチェックできたので十分に満足できました。

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トク

しまなみライナーについて

福山駅前の窓口は、私が行った時には閉鎖されていました(4/1より閉鎖の張り紙が・・・ただの建て替えかも)。よって、アプリをダウンロードしてネットで事前購入するか(詳細はHPで)、またはまだ閉鎖中なら丁度の金額を現金で用意して御乗車下さいね~!(それだけです😊)。私は片道だし、窓口か券売機が前回確かあったと思って行ったら閉鎖されていて、もう時間がなかったので、あわてて前のコンビニでビールを買い、現金でおつりをもらって今治までの2,800円を用意し、飲みながら車窓からず~っと海を眺めてました~!

P.S しまなみ街道の高速道には側道があって、自転車でも福山-今治を渡れるようです。サイクリストをよく見かけました。自転車+城マニアの方にはたまらないかもしれませんね! という事は、歩いても渡れるという事?🤔。 何時間かかるか分かりませんが、我と思わん方、能島城·来島城·因島城へ徒歩または自転車で海を渡り制覇したぞ! という強者(つわもの)いましたら是非体験レポートを!

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朝田 辰兵衛

茶色い穴… (2023/03/19 訪問)

赤い城さんの東京都クイズ,にのまるさんに,ぜひ解答していただきたいと思います。8回も登城されていますので…。●●曲輪のところですよね…。

さて,私のお祝い画像は「能島城」ではなく,「来島城」でした。
福山駅前から,しまなみライナーで今治駅前まで移動しました。事前にチケット購入。福山駅前バス案内所内の「瀬戸内交通窓口」で往復券・回数券などの割安券を購入できます。往復券・回数券でも往復5,000円。
往路は,今治駅前バス乗り場から,43番波方ループ線で,渡し場バス停下車。380円。
渡し場バス停は,波止浜港(はしはまこう)横付け。
波止浜港~来島港までのフェリー料金は,片道160円。待合室内の券売機で購入。
来島城滞在時間を考えると,復路は路線バス時間と乗り継ぎが嚙み合わず…。よって,波止浜港からJR波止浜駅まで歩きました。約2㎞です。JR波止浜駅からJR今治駅までは1駅。
この後,久々に今治城登城を予定していましたが,同行の母が疲弊してしまいましたので,福山駅前のホテルに戻りました。

赤い城さん,四国で岩礁ピットという「茶色い穴」に興味をそそられるかも…と思い,この画像をお祝い画像としました。

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にのまる

赤い城さんの東京クイズ

赤い城さん、東京都制覇おめでとうございます㊗️
クイズに挑戦します。
パッと見、八王子城です。石があんな感じです。
で、山城の方へ登っていく鳥居をくぐって進むと石積みが見えてくるのでそこかなぁと思ったのですが、空が見えているのでそこではないと。
では右側の旧道を登っていくと左側の高いところに見える石積みかと思ったのですが、写真は地面に近いのでそこも違う。
だったら殿の道の方か?と思ったのですが、あそこの石積みはもっと範囲が広くてダイナミックだし木の根っこがあんなじゃない。だから違う。
だとしたら、御主殿に向かう道の右側。木の根っこがすごく張り出していて大丈夫かなぁと心配だったところがありました。あのあたりでしょうか。

今、仕事帰りの揺れるバスの中で、写真の確認も出来なくて、曲輪の名前も何だったかなぁ…と出てこないのですが(^◇^;)八王子城のその辺りではないでしょうか。
こんだけえらそうに書いておいて違ったら笑い飛ばしてね。

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三浦の晃ちゃん

織田家 (2023/06/24 訪問)

織田信長の次男、織田信雄が造った、お庭があります。

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