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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/18 訪問)

福岡・佐賀城廻 第二日目
唐津城は海城なので、最初に城跡脇の橋を渡り海越しの城など約270度くらいの角度から眺めてみた。
本丸には斜行エレベータ(100円)で一気上り、天守から攻略、石垣や虎口を観ながら降りて行った。天守は模擬天守で中は唐津の歴史や唐津焼の展示がある。城内橋辺りからも映えスポットが多くカメラ好きにはたまらない城かと。

本日の行程は以下の通り
※名護屋城と共に登城

7:22西鉄天神高速バスT(高速バス)、8:40唐津城入口
 (徒歩2分)唐津城(9:00-16:40)

11:50(徒歩16分)大手口(路線バス)、12:36名護屋城博物館入口
 (徒歩6分)名護屋城博物館(9:00-16:30月休)

16:19名護屋城博物館入口(路線バス)、16:49,17:01西唐津(JR,地下鉄)、18:13天神
 泊:博多

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モト

見学し易い上に素晴らしい遺構が見られます! (2024/05/22 訪問)

自然公園となっている城跡です。
城跡のある山頂付近まで車で上がれます。
駐車スペースにはすでに別曲輪がありました。
曲輪を眺めながら本丸を目指すと空堀や崩れた石垣、雰囲気のある水の手曲輪がありました。
さらに先にすすんで二の丸に出るとありました、櫓台跡、横矢、石垣のある枡形虎口です。
本丸にも建物礎石後や枡形虎口です。
馬屋と伝わる方の曲輪へ進むと畝状の竪堀跡も見る事ができます。
これは思わず声が出る素晴らしい畝!
個人的にはかなりおすすめなのがいわゆる馬屋跡です。
馬屋は秋月時代の古城とも言われているそうで、この馬屋を見事な石垣が囲んでいます。
これは素晴らしいです!

比較的見やすく整備されつつもしっかりと遺構も見る事ができる素晴らしい城跡だと思います!

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cb50jx1

犬山城

現存天守は迫力があります。

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cb50jx1

小机城 (2023/05/05 訪問)

空堀や土塁が見事に残っていました。

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カズサン

【陸奥・三内丸山遺跡】青森県青森市 縄文世界遺産2/2発掘遺物編 (2024/05/20 訪問)

 三内丸山遺跡、縄文世界遺産1/2復元建物編の続きです。

 縄文三内丸山遺跡の野外展示物を説明員の方の案内と説明で時間延長20分の十二分な説明を受けて、縄文時遊館の常設展示室さんまるミュージアムを見学しました。
 6本柱建物の穴に残って居た栗の木の現物展示約5000年前の物ですすごい事ですね!、縄文土器、土偶、黒曜石の石槍、鏃、耳飾り、装飾具など感激の見学観察でした。

 時間も11時を過ぎて居り、今朝は高速のSAで早い朝飯でしたので時遊館の食事エリアで青森名物ホタテ入り塩ラーメンを頂きました、美味しく頂きましたが写真は撮って居ませんでした。
 
 

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カズサン

【陸奥・三内丸山遺跡】青森県青森市 縄文世界遺産1/2復元建物編 (2024/05/20 訪問)

 今回、以前より訪ねて見たいと思っていた世界遺産にも登録された特別史跡三内丸山遺跡を主目的して東北城探訪5泊6日を企画し浜松より車で出かけました、先に開場時間前でしたので近くの横内城を初登城探訪し開場時間の9時過ぎに縄文時遊館に入館。

 住所:青森県青森市三内字丸山305
 駐車場:同上縄文時遊館西横の第一駐車場を利用、トイレ有、他に北側に第2、第3駐車場有り
 参考資料:ウィキペディア、グーグルマップに依る。

 待望の縄文遺跡三内丸山時遊館に入場、9時20分ごろ見所周遊マップなど係りの方に尋ねたら9時30分より周遊ガイドツアーが開始されると約50分、参加する事にその前の時間に三内丸山遺跡ジオラマが有り見学。
 9時30分には約10人程の参加、時遊館トンネルを出ると広大な三内丸山遺跡が広がっている、やっと来たのだとの感激一入、出た所に環状配石墓が道に沿って数墓、広大な敷地に復元建物が数多く観られて、東方向に成るのか八甲田山が残雪を被り遠望できる、屋内に展示されてる南盛土の発掘トレンチで発掘時の様子が眺められる、復元竪穴建物を外から見学、外部展示の大型竪穴建物跡、大人の墓土坑墓跡、復元掘立柱建物3棟、北の谷(捨て場)の説明、北盛土の屋内展示では多くの土器が広がってる発掘時の様子を見る事が出来ます、六本柱の大型掘立柱建物跡が屋内展示で見学、穴に在る残欠栗の木はレプリカで本物は展示室に展示されている、そしてメインの六本柱の復元大型掘立柱建物栗の大木で建てられています、説明ではロシア産の栗の木だそうです、いよいよ復元大型竪穴建物、長くて広い、此処まで50分の予定が1時間10分程に成り皆さん熱心な見学観察でした。
 ここは約5900年前から4200年前の大規模な縄文集落跡で世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」特別史跡「三内丸山遺跡」です。

 思い切って車で飛ばし訪ねる事が出来願いが叶いました。

 この後常設展示室を見学しましたので、このあと続きを投稿致します。
 
 

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todo94

若狭の城めぐり③ (2024/05/11 訪問)

大倉見城からの転戦です。この城は手ごわそうに思えたので、城郭放浪記さんのサイトで登城口をしっかり確認しておきました。おそらくびーかるさんもここから登城されたのではないでしょうか。道なき道を登っていくのでびーかるさんの詳細な投稿にはとても助けられました。ありがとうございました。ピンクのリボンにたどり着いてからは比較的登城路がはっきりとしていました。堀切などの遺構がしっかり残っていますが、何の表示もないのが少々残念です。

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しんちゃん

代官屋敷としての貫録を残す。 (2024/05/25 訪問)

案内板によりますと黒田家は永禄年間(1558~1570)に当地に居住、四千石の旗本・本多日向守の代官を代々務めたそうです。長屋門は外観公開で主家には現代でも子孫の方が住まわれているようです。屋敷内の敷地は1haほどあるようで周囲には水堀を巡らせてあります。

特に黒田家住宅とは関係ありませんが、近くのコンビニに居住しているツバメのヒナがだいぶ育ってきました。すでに巣からはみ出さんばかりの勢いで、四羽とも万遍なく育っているようです。正直一番右側のヒナは育たないのではないかと思っていましたが、案外ツバメの親も抜かりはないようです。ツバメとはいえ親御さんは立派ですね。

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しんちゃん

ようやく西の丸を脱出 (2024/01/25 訪問)

山中城は北条氏の城郭の一つにしか過ぎないのですが、実に見所の多い城です。自治体が整備、復元に力を入れていて、それがこの城址の魅力を最大限に引き上げていると思います。日本国中の素晴らしい城郭遺構が荒廃しているのを目のあたりにすると、やはり遺構の維持には地方自治体の理解と協力は不可欠だと感じます。
西の丸、角馬出周辺の障子掘は見事ですが、その境目は障子掘りが二列になって整然としており、まるで子供の遊び場のようにも見えてきます。実際の戦国期にはとても、そのような悠長なことは言って居られないのですが。

私は誰かに一つだけ城郭を案内してほしいと言われれば、迷わず姫路城を推薦しますが、もう一つと言われると山中城を推したいと思います。山中城より人気のある近世城郭は幾つも存在しますが、近世城郭で総合的に姫路城に勝る城はないと思いますし(私見)、同じジャンルの城を案内しても仕方がないので、もう一つだけと言われれば、やはり土の城の代表の山中城です。
諏訪原城と八王子城も素晴らしい城址なので迷いますが、八王子城は近世の城郭の要素を含んでいるし、純粋な土の城では私はやはり山中城が気に入っています。

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しんちゃん

興国寺城・無印 (2024/01/25 訪問)

興国寺城の続き、無印投稿です。
北の丸からは富士山がチラ見出来ます。興国寺城は愛鷹山の南麓に築かれているので、富士山の手前に見える山はやはり愛鷹山でしょうか。本丸背後の堀切を移動していくと謎の穴窟が複数存在してます。どうやら太平洋戦争の頃に掘られた防球壕のようです。
さすがに中に入る気にはなりません、そのまま堀切を西に移動して城跡を脱出しました。

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JPN-AZE

As cat paradise (2024/05/04 訪問)

2024年5月4日早朝、唐沢山城址を訪問。この日は、鑁阿寺に行く予定でしたが、その前に、城址に寄ろうと思いました。曲線の多い道を車で登ってましたが、案外徒歩で来てた方もまぁまぁいました。到着したら、車で来てた方もそこそこいました。時期が時期だけに、藤の花も咲いてました。石垣のある唐沢山神社にもお参りしました。山の上だけあって、眺めも良かったです。意外だったのが、猫が多くいた事です。人懐こい猫が多かったです。膝の上に乗った猫までいました。

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ごんぎつね

山頂には壮大な石垣 (2022/06/26 訪問)

桑實寺の方からスタート。

かなり足場の悪い道と多くの虫に囲まれながら進みました。

途中にも石垣や堀切が数か所見受けられました。
かなりハードな山道であったため、山頂の石垣に出会えたときは
本当に感激でした。
これが城=石垣の始まりの場所か…と…。。
六角氏すごすぎる!

現在でも麓がよく見渡せたので当時としては最高の立地であったと思います。

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しんちゃん

伊勢新九郎 (2024/01/25 訪問)

興国寺城は伊勢新九郎盛時(長氏)が今川氏の内紛を鎮圧した功績により富士郡上方荘・下方荘(下方十二郷とも)を与えられ興国寺城を本拠としたとされています。本丸の背後と東西に分厚く高い土塁がそびえ非常に見ごたえがあります。本丸の背後には堀切を挟んで北の丸が配され、南には段々状に二の丸、三の丸が続きます。主要な部分は良くある梯郭式の土の城で東には堀切と蓮池跡を挟んで清水曲輪がありますが、この清水曲輪には訪問したことが有りません。遺構らしき遺構が残っていないのが理由ですが、地図を見ると東の道路沿いから道が続いているようです。
本丸背後の土塁上には天守台が築かれており石垣が残っています。伊勢新九郎盛時(北条早雲)は伊豆侵攻に際し韮山城に移り、重臣の富永政直が城代に任じられたそうです。

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朝田 辰兵衛

猿羽根(さばね)は読めない… (2024/04/13 訪問)

越後にも読みづらい地名がチラホラありますが,山形県も割と多い気がします。ここの猿羽根(さばね)なんかもそう。猿に羽根が生えて天にでも昇った伝説でもあるのかな…?
さて,館跡の東奥に屋敷跡があるので行ってみたら,立派な土塁があり,土塁上が屋敷跡でした。館跡より立派に思えたのは,令和の時代に見ているからなんだろうな…と,遠い昔に思いをはせました。

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ごんぎつね

さんじゅうろうがお出迎え (2023/07/08 訪問)

現存天守で最も標高の高いところに位置する「備中松山城」。
駐車城までもそこそこ山を登りますが、そこからさらに登山。
駐車場下の棚田もとても美しかったです。

櫓台には多くの瓦片が落ちていて、かつての櫓の瓦でしょうか。

本丸には猫のさんじゅうろうくんが出迎えてくれます。

天守は小ぶりですが、出窓型の石落としがあり、
天守奥には二重櫓と実践的な備えがあるように感じました。

二重櫓の裏側には大松山城に続く道がありましたが、
このときは悪天候であったため断念。

再訪したいと思います。

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トク

99【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (井伊谷城①―直政出生の地:祝田) (2024/02/14 訪問)

最後(26人目)は「井伊直政」です。これから直政ゆかりの地を訪れ、直政の人生を追って行こうと思います。よければ最後までまたよろしくお願いいたします。

私は(これはあくまで私の個人的主観なのですいませんが)この井伊直政が、関ケ原勝利の最大の殊勲者であり、江戸幕府安定の礎を築いた最大の功労者であると思っています。しかし直政は、関ケ原から2年後、島津豊久軍から受けた鉄砲傷がもとで、わずか42才の若さで亡くなってしまいます。その亡くなるまでの42年間の人生をこれから追って行こうと思います。そして直政はいったいどこで狙撃されたのか? 最後はいまだ解明されていない、その謎にも迫って行こうと思います。

まずは出生の地、「祝田(ほうだ)」を訪れました。三方ヶ原や崔ヶ崖を訪れた翌日に、また浜松駅前から再び同じ奥山行のバスに乗り50分、三方ヶ原から坂を下った所にある祝田のバス停で下車しました(写真⑩)。さあここからが井伊の領地「井伊谷(いいのや)」です。

虎松(直政の幼名)の父は「井伊直親」、母は奥山(井伊家親戚衆)の娘「ひよ」です。1561年に虎松は、この祝田にあった直親の屋敷で生まれたと伝えられています。でもその屋敷がどこにあったのか、今はその痕跡もなく、よくわかりませんでした。しかし、直親の墓が、目の前を流れる川を渡ったすぐ左の土手沿いにありました(写真①②③)、おそらくこのあたりに屋敷があったものと思われます。さらに1km程行った所にある龍潭寺には、直政出生の地碑もありました(写真④⑤)。

また井伊谷城の麓の地域遺産センターでは、大河ドラマ「おんな城主直虎」(柴咲コウさん主演)のパネル展示もありました(写真⑥⑦)。直虎は直親の従兄弟で幼い頃いいなずけでもあった事は、大河ドラマを見られた方はよく御存知ですよね! ここには井伊谷の歴史の説明や井伊谷城の発掘調査で出土した品々の展示などもされています。見入っていたら親切にいろいろ説明までしていただきました(ありがとうございます)。最後にどこから来られましたか? と聞かれたので、九州の福岡ですと答えたらビックリされました。

今川の家臣であった直虎の父の直盛は、桶狭間で討死してしまいます。唯一残った井伊家男子であった従弟の直親も、松平元康(徳川家康)に内通していると今川氏真より疑いをかけられ、直親は弁明するため駿府へ向かいますが途中で暗殺されてしまいます。そしてその遺体はここ祝田に運ばれて荼毘に伏され、その地にこの墓が立てられたとの事です。幕末には大老「井伊直弼」もこの墓を訪れたようです。

その後も直虎が今川の徳政令に反発した事で、ついに井伊家は今川に滅ぼされてしまいます。しかし直虎が女であったため次郎法師と名乗り龍潭寺へ出家する事で命だけは許されました。2才の虎松(直親の子)は男子であったため命を狙われましたが、密かに家臣の新野親矩によって信濃山奥に今川に分からぬよう匿われ、8才になってからは三河鳳来寺で修業したようです(写真⑧⑨)。

では次は、この先にある(井伊谷城)に登ってみます。
 

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todo94

若狭の城めぐり② (2024/05/11 訪問)

国吉城からの転戦です。登城口となる獣除けフェンスは見つけやすいですが電線は通電しているようで少々ビビります。グーグルマップによると登城路の途中に井崎砦があるようですが、表示は見当たりませんでした。主郭からは三方五湖が遠くに小さく見えました。三方五湖は見たことも行ったこともなかったので、かなりうれしい眺望でした。三方に伸びる尾根に郭が設けられており、びーかるさんのおっしゃる通り、なかなかの城だと感じました。

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しんちゃん

馬場美濃守 (2024/05/25 訪問)

小山城は大井川の西側の東西に伸びる舌状台地の東端に築かれています。二郭跡に三日月堀と模擬天守が配され、東側が主郭跡とされています。主郭と二郭の間には堀切があり橋が架かっています。二郭の西側にも堀が配されその先には三重堀がネイティブな状態のまま残っています。前身となる城郭は今川氏によって築かれたとされ、今川氏が衰退した後には大井川を境界として西を徳川、東を武田で領有されることになりましたが、武田方が協定を破り遠海に侵攻し、小山城を手中に納めます。
元亀元年(1570)に徳川方が小山城を攻め落としますが、翌年には武田方に奪還され、馬場美濃守信春により縄張りが成されたとされています。小山城は、その立地条件から後に徳川家康によって改修を受けている可能性はありますが、その原型は馬場美濃守によるものだと思いたいもので、少なくとも三河から駿河に至って存在する城郭の意義は不変だと思います。
小山城から東に行って程なく、徳川家康が小山城を攻める際に陣を張った八幡神社があります。

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しんちゃん

横須賀城の後詰の城になったか (2024/05/25 訪問)

馬伏塚城は今川氏の重臣、小笠原氏の城で文亀元年、遠江守護斯波氏と今川氏の戦いの舞台の一つにもなっています。天正2年(1574)高天神城を武田勝頼に奪われると、高天神城を奪い返すための重要な拠点として改修を受け大須賀康高が入りますが、新たに築いた横須賀城に康高が入ると、馬伏塚城には高力清長が入りました。
本丸の跡には土塁が残り、諏訪神社が祭られています。それ以外の遺構は開発によって消滅しているようですが、城址北側の住宅の周囲にわずかに名残が見られるようです。しかし、武田を攻めるための城跡に諏訪神社が祭られているのも不思議な気分です。

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ぴーかる

江美城 (2024/03/30 訪問)

【江美城】
<駐車場他>櫓台跡の東側の堀切の上<35.282220, 133.487612>が2台分駐車スペースになっています。東側の台地状の農道から来てゲートを開けて入れます。
<交通手段>車

<見所>櫓台跡・石垣・堀切・切岸
<感想>日帰り尼子十基制覇の旅4城目。現地説明板によると江美城はこの地の国人である蜂塚安房守が文明年間(1469~1487年)に築城され4代にわたってこの地を治めましたとあります。蜂塚氏は尼子氏の支配下に入ったが、1564年に毛利氏によって落城し蜂塚氏は滅びます。その後吉川氏が入り今ある城跡は吉川氏によって改修されたもののようです。城は一国一城令まで存続していたようです。
 上記駐車スペースに駐車しすぐ横に櫓台跡があるのでまず堪能。発掘調査で金箔瓦が出土したそうなのでかなり立派なものであったろう。近畿から中国地方によくみられる長方形で石積みがよく残っています。主郭は畑化されていて曲輪の輪郭しか残っていません。主郭の西側に大堀切を挟んで西の丸は周囲を高さのある切岸に守られています。西の丸の南西下段に模擬櫓があります。現在は閉館しています。主郭の南側帯曲輪の壁面に石垣が多く残っていて見応えがあります。
 大山の噴火による火砕流堆積によって出来た台地地形と日野川によって削られた河岸段丘上の城といっていいでしょう。東海地方や群馬県で見た河岸段丘の城跡が鳥取県で見られるとはまた一つ勉強になりました。深い堀切見応えあります。

<満足度>◆◆◇

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