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朝田 辰兵衛

岩手城(新潟県上越市) (2024/05/25 訪問)

【いわで じょう】標高:115m,比高:約60m。上越市柿崎区岩手字城山に位置します。ここも猿毛城と同様に,主郭の塚に祠があります。『温古之栞』によると,承久3(1221)年の承久の乱の際,順徳上皇方であった宮崎定範の居城であったとあり,貞治3(1364)年には守護上杉憲顕が重臣宇佐美氏に岩手城を守らせたとありますが,真偽のほどはわからなく,謎に包まれています。
見どころは主郭東側の堀切だと思います。眺望は北側に米山,南側に春日山城ですが,この日は草木の繫茂で南側の眺望は開けていませんでした。猿毛城登城のウォーミングアップにちょうど良いです。

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しんちゃん

家康公の鷹狩りのための御殿‥の一画にあった陣屋 (2024/05/25 訪問)

中泉御殿は徳川家康が鷹狩りの際に用いる宿泊所として中泉村に築いたとされ、中泉陣屋は御殿の一角に置かれ「中泉代官所」とも呼ばれました。陣屋のあった場所は御殿遺跡公園として整備されています。周辺に遺構は有りませんが、御殿の裏門が西願寺に、表門が西光寺に移築され、案内板が建てられています。
また磐田市の民家には陣屋の表門が移築されているようです。

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びーこ

ホントに5日で掘ったの〜? (2024/05/19 訪問)

本来だったら、信長らしい一直線の大手道をグイグイ登っていくのが醍醐味なのかもしれないが、
まずは小牧山城史跡情報館「れきしるこまき」に立ち寄って情報収集することをお勧めする。
石垣模型や城郭シアターなど様々なコンテンツを備えているが、これらは後でゆっくり見るとして、トイレ脇のレクチャールームでひっそりと上映されていた春風亭昇太師匠の「小牧山散歩!信長の城コース、家康の城コース」が面白いし、分かり易かった。ぜひこちらを視聴してから登城して欲しい。

◆土塁
今回一番楽しみにしていたのはこの土塁。「どうする家康」で榊原康政が5日で掘ったというアレである。写真だと分かり難いかもしれないが、とにかく深くて広い土塁。堀に降り立ってみたかったが、立ち入り禁止。残念・・・

◆大手道
真っすぐに伸びる大手道があるのは、小牧山城と安土城だけらしい。安土城のような立派な石造りではないが、十分存在感はある。一番の下から一気に登ろうとしたが、やっぱり途中で息切れ・・体力不足を痛感。

◆石垣
岩盤の上に積み上げられた野面積の復元石垣は、なかなかの迫力!石垣の崩壊で落ちた転落石が落ちたままの場所に転がっているのも面白い。

◆模擬天守(小牧山歴史館)
1年前にリニューアルしたということで、映像を使った斬新な展示が多く、楽しみながら見学することができた。また、展望室は犬山城ほどではないが開放的で、風を感じながらしばし遠い昔に思いを馳せる・・・

◆土塁断面展示
文字通り土塁の断面をそのまま展示してある。これは面白い!他では見たことない。大手口とは反対側にあるのでちょっと歩く必要があるが、これはぜひ見て欲しい。

それにしても、小牧山歴史館と小牧山城史跡情報館の2館見学で200円というのは破格!リニューアルもしているのに大丈夫か?と心配になってしまった。
それからフレンドリーなスタッフの方々の対応にも感謝したい。掃除も行き届いており、気持ち良く見学することができた。

小牧山城でのランチは市役所の食堂を予定していただが、残念ながらこの日はに日曜日ということでお休み。本来なら6階の食堂からお城と土塁を眺めながらランチができたはず。

代わりに愛知県民のソウルフード「スガキヤ」でラーメンとチャーハンを頂いた。普通に美味しかったが、登城後のビールにありつけなかったのが残念・・・フードコートにビールなし。覚えておこう。

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しんちゃん

夕方訪問なので写真が暗い。 (2023/01/04 訪問)

串木野城は串木野氏の城で南北朝の合戦の際には五代・串木野忠秋は南朝方に味方しますが、島津貞久に敗れ、忠秋は知覧に逃れたそうです。以来当地は島津氏の支配下に置かれ、島津義久が弟の家久を串木野・隈之城の地頭に任じ、嫡男・豊久がここで生まれたとされています。
零汰さんの投稿にもありますが、私も「ドリフターズ」の島津豊久の印象が強いです。「ヘルシング」も好きなのですが、独特のケレン味たっぷりの平野節というセリフ回しがクセになるんですね。私が「城びと」を投稿する半年ほど前から投稿が途絶えてしまっているのが残念な限り。
多くの人が入ってきて(もちろん若い人も)城びとがもっと盛り上がり、長く続いてくれればと思っています。城びとを初めて一年を過ぎた私の感想です。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/17 訪問)

福岡・佐賀のお城廻第一日目その3

水城へは太宰府駅からのレンタサイクルを利用して大宰府政庁跡などと共に登城。
大野城から水城館までの下り道は暴走族対策でところどころ凸部があり、自転車でもスピードの出し過ぎは注意です。大野城、大宰府政庁跡などをめぐるのは自転車が便利です。
水城館のすぐ上にも展望台があるのですが、そこから徒歩20分かけてさらに上の展望台にいくと水城全体が良く見えます。私は電動アシスト自転車だったので、上の展望台に行く別のルートが住宅街脇階段からあるのでそこまで自転車で行き楽しました。

本日の行程は以下の通り
※基肄城、大野城と共に登城

6:25羽田(航空機)、8:20,8:30福岡空港(地下鉄)、8:35,8:40博多(JR)、9:13基山
 (徒歩17分)基山町民会館(9:00-20:00 続百名城スタンプ)
9:55基山町役場(コミュバス)、10:06丸林
 (徒歩15分水門跡)基肄城跡

(水門跡から徒歩30分)12:44JRけやき台、12:53二日市(徒歩14分)13:17西鉄二日市、13:25太宰府
 ※駅レンタサイクル(9時-18時:電動アシスト800円)約7㎞走行
 (約4.2㎞上り)大野城跡 焼米ヶ原駐車場
 (約1.0km)県民の森センター(百名城スタンプ)

 (約7.9km)水城館(9:00-16:30月休 続百名城スタンプ)
  水城

 (約2km)大宰府政庁跡見学
  ※政庁跡側の太宰府展示館でもスタンプ押印可
 (約1.9km自転車返却)18:02太宰府、18:24西鉄福岡(天神)
 泊:博多

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/17 訪問)

福岡・佐賀のお城廻第一日目その2

大野城跡は、公共交通機関では行きづらく、想像以上に広かったです。
ネットの記事で太宰府駅から電動アシスト自転車で行ったという記事がいくつかあったので、私もチャレンジ・・・、が、これが甘かった。
駅から焼米ヶ原駐車場まではずっと上りが続き、途中岩屋城跡を経て約30分くらいで行けました。ただこの時点で自転車のバッテリーは50%、スタンプのある県民の森センターについたころには40数%。百間石垣まで行く予定だったが、どれだけ上りかわからず、ここで大野城を下ることにしました。
次の水城館まではほとんど下りで自転車バッテリーは充電され、水城館につく頃には50%越えに復活。百間石垣まで行けたかなと半分後悔してます。水城館以降はほぼ平坦ですが、結構後から足に来たので、大野城跡内は自動車で回るのが良いかと。

本日の行程は以下の通り
※基肄城、水城と共に登城

6:25羽田(航空機)、8:20,8:30福岡空港(地下鉄)、8:35,8:40博多(JR)、9:13基山
 (徒歩17分)基山町民会館(9:00-20:00 続百名城スタンプ)
9:55基山町役場(コミュバス)、10:06丸林
 (徒歩15分水門跡)基肄城跡

(水門跡から徒歩30分)12:44JRけやき台、12:53二日市(徒歩14分)13:17西鉄二日市、13:25太宰府
 ※駅レンタサイクル(9時-18時:電動アシスト800円)約7㎞走行
 (約4.2㎞上り)大野城跡 焼米ヶ原駐車場
 (約1.0km)県民の森センター(百名城スタンプ)

 (約7.9km)水城館(9:00-16:30月休 続百名城スタンプ)
  水城

 (約2km)大宰府政庁跡見学
  ※政庁跡側の太宰府展示館でもスタンプ押印可
 (約1.9km自転車返却)18:02太宰府、18:24西鉄福岡(天神)
 泊:博多

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/17 訪問)

福岡・佐賀のお城廻第一日目

基肄城跡は、公共交通機関では行きづらいとこですが、コミュニティバスなど使って行きました。
水門跡から東北門跡、基山山頂までぐるっと回る予定でしたが、東北門跡過ぎたあたりで電話がかかってきて話しながら歩いていると道を間違えて城跡エリアの真ん中を流れる筒川に出てしまい、上る元気もなかったのでそのまま川沿いに水門跡までショートカット。それでもこの時点で1万7千歩くらい(朝からですが)歩いていました。
ぐるっと回るコースでも約2時間くらいではないでしょうか。とにかく歩くので、トレッキングシューズなどちょっとした山歩きの装備がおすすめです。

本日の行程は以下の通り
※大野城、水城と共に登城

6:25羽田(航空機)、8:20,8:30福岡空港(地下鉄)、8:35,8:40博多(JR)、9:13基山
 (徒歩17分)基山町民会館(9:00-20:00 続百名城スタンプ)
9:55基山町役場(コミュバス)、10:06丸林
 (徒歩15分水門跡)基肄城跡

(水門跡から徒歩30分)12:44JRけやき台、12:53二日市(徒歩14分)13:17西鉄二日市、13:25太宰府
 ※駅レンタサイクル(9時-18時:電動アシスト800円)約7㎞走行
 (約4.2㎞上り)大野城跡 焼米ヶ原駐車場
 (約1.0km)県民の森センター(百名城スタンプ)

 (約7.9km)水城館(9:00-16:30月休 続百名城スタンプ)
  水城

 (約2km)大宰府政庁跡見学
  ※政庁跡側の太宰府展示館でもスタンプ押印可
 (約1.9km自転車返却)18:02太宰府、18:24西鉄福岡(天神)
 泊:博多

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トク

三方ヶ原(2/2)-崔ヶ崖(でどうする家康の名場面を振り返る) (2024/02/13 訪問)

三方ヶ原の戦いで最後の激戦となった崔ヶ崖(さいががけ)を訪れてきました。三方ヶ原墓園からまた同じバスで戻り浜松城の少し手前「さいが崖」バス停で下車しました。バス停の前には、夏目広次の碑がありました(写真⑤⑥⑦)。またその向かい側には、本多忠真の碑(写真⑧⑨)と崔ヶ崖資料館(写真①)がありました

まず資料館へ入ってみました(無料です)。小じんまりしていますが、手作りの人形で合戦シーンが作られているなど(写真②③)、資料も結構わかりやすく内容も充実していました。それもそのはず磯田先生の監修だそうです(写真④)。気さくなボランティアの方々もいらっしゃり、資料を見ながらドラマのシーンなどの質問をすると、いやあれは実はね・・・などととても熱心にの解説して下さり、え~!そうだったんですか? などと話が盛り上がってしまいました(笑)。

次に、本多忠真と夏目広次の碑の前に立ってみました。この二人は家康を逃がすために、自ら犠牲になりましたよね。ここに立っていると、大河ドラマ「どうする家康」でのこの二人の名セリフが思わず浮かんでしまいました。

【本多忠真の名セリフ】
叔父上とともに戦うと泣き叫ぶ本多平八郎(忠勝)に対し

「行け平八郎~!」
「お前の死に場所はここじゃねえ!」
「お前はお前の好きな殿を守れ~!!」

そしてぐいと酒を飲み、武田軍に向かって
「ここから先は一歩も通さん!」

【夏目広次の名セリフ】
「そなたは幼い頃、わしとよう遊んでくれたあの吉信じゃ」
「いえ広次にございます、さあ殿、早くお逃げ下され」
「うそじゃ、死ぬな吉信、死ぬな~!」
と泣き叫ぶ若き家康に対し、家康の身代わりとなるべく金の鎧兜を身につけながら、うっすらと笑みを浮かべ

「殿、殿はきっと大丈夫・・・」

思い出しただけで、また泣けてしまいました😭~。


さあ次は【関ケ原の26人】いよいよ最後(26人目)の旅を、この三方ヶ原の祝田(ほうだ)の地から始めたいと思います。できれば最後まで、またよろしくお願いいたします!
 

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刑部

元春の隠居城 (2024/05/21 訪問)

元春は帰国することなく小倉城で没した為、広家の時代に完成した館。その後廃城なので周りは山の中城下町はありません。資料館をまず見てから城址を見学、石垣が綺麗でした!

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カズサン

初登城にて毒沢城初番投稿 (2024/05/22 訪問)

 未投稿に成っていた寺林城に続き毒沢城も初登城して毒沢城初投稿致します。
 平成29年(2017年)5月には花巻市土沢城、遠野市鍋倉城探訪し毒沢城はパスした経緯の有る城跡です。

 住所:岩手県花巻市東和町中内9区
 駐車場:県道284線沿い毒沢城登城口前駐車場(39°20'49"N 141°14'06"E h=170m)、小型車2台可能、グーグルマップに駐車場マークが載っています。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 寺林城を終えて東北道経由釜石道東和ICを出て県道39号線を南下し県道284号線へ国道456号線手前400m程に駐車場、標柱、案内板が有り良く分かりました。
 駐車場に毒沢城跡周辺案内図(平成5年4月15日毒沢城跡保存会作成)が有り本丸までのポイントポイントの距離が記載されて、登城口を登ると、本丸まで400mの指示板、320m、300m、250m、200m、100mと記載あり、県道沿いに毒沢城跡案内解説板縄張図付き(平成13年9月東和町教育委員会作成)が有り、隣スロープ登城口に毒沢城跡入口の標柱が在ります。
 
 駐車場側の丸太階段を登って本丸まで400mの表示板、踊り場過ぎて第二段の丸太階段、踊り場、第三段目の丸太階段上ると本丸まで320mの表示板、近づいてくる誘惑で登城を誘われます、その後は、山寺の水、池、水芭蕉池と続き平場の遊歩道、本丸まで100mに来てロープ付き手摺、二段階の登り丸太階段が続き本丸到着です、本丸手前右手に本丸切岸と曲輪案内図では二の丸?とある、登って左手に曲輪三の丸?とある、西側から北側に廻り込んでる三の丸、北側には東屋、本丸内部は草叢状態、他の二の丸三の丸も同じ状態、本丸中心に毒沢城跡の標柱、本丸一段下がった東曲輪に毒沢館の由来案内板、草叢状態であまり歩き回れませんでした。
 本丸まで100m辺りに低い堀が有り南側の東に伸びた尾根曲輪の様子が窺える。また平場の遊歩道本丸まで250m~200m辺りは北郭の南裾に当たるようです。
 北郭が北東方向に有るようですが草が茂り道もわからず、本曲輪のみで終了しました。
 遊歩道は草もあまりないが100m手前から左右の曲輪本丸は草叢状態、この時期ですからしょうがないのでしょう、山城は晩秋から春先まででしょうかね?

 歴史は案内板によると、毒沢氏の築城、源氏流れの和賀氏族、天正18年の秀吉奥州仕置きで毒沢氏は追放、毒沢氏一族の毒沢一忠は末子作十郎(藤吉)を伊達政宗に願い出て小姓に奉公その折、毒沢氏から只野氏に改めて、その後中新田に1200石を給わった。一女は政宗の側室に成り政宗第10子宗勝を産み後に一関藩主(3万石)となる。(案内板抜粋)

 
 毒沢城を認識してから7年振りの登城と成りました、熊を警戒しての登城ですがここには熊注意の看板は無く少しは安心でした。
 

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イオ

復元も模擬もこれはこれで (2024/04/06 訪問)

五月山南麓の台地辺縁部に位置し、西は崖地、北は杉ヶ谷川が天然の堀切、東と南に堀と土塁をめぐらせた城で、南北朝期に池田教依が築いて居城としました。応仁の乱では東軍について大内政弘に攻められ、戦国前期の細川氏の内紛では細川高国に攻められて落城。大物崩れの後、堀を拡げ土塁を設け曲輪を拡張して強化するも、今度は織田信長に攻められて落城。池田勝正は信長に仕えて、虎口を強化し能勢街道を取り込んだ惣構の織豊系城郭に改修しました。勝正が弟の池田知正や荒木村重らにより追放されると村重が城主となるも、伊丹城(有岡城)に居城を移したことにより廃城となりました。その後、信長の有岡城攻めの際に陣城として改修され、信長もたびたび在陣しています。

阪急宝塚線・池田駅から登城(池田城跡公園まで徒歩約15分)。主郭は池田城跡公園として整備される一方で大きく改変されてもいますが、発掘調査の成果に基づき、公園内に礎石、井戸、枯山水、排水溝、虎口、土塁が復元されています。木造の櫓風展望休憩舎の一階は池田城についてのパネル展示、二階の廻縁からは公園内と池田の街を見渡すことができます。この日は池田五月山さくらまつりが開催されていて、枝垂桜も満開、芝生地には野点の席が設けられ、櫓前のステージでは邦楽演奏も行われていました。南門を出て東側に下りて行くと堀切があり、空堀散策路(堀底道)を北に向かうと、東門への木橋が架かっていました。池田城跡公園を出た後は惣構の跡をたどってみましたが、高低差や細道にそれらしい雰囲気を感じはしても、明瞭な痕跡は見られませんでした。

明瞭な遺構は主郭東側の堀切くらいのものですが、発掘調査に基づいていろいろと復元されており、櫓も門も木橋も模擬ながらもそれらしい雰囲気があるので、街中の城としてはこれはこれでヨシ! という感じでした。
 

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刑部

毛利元就の居城 (2024/05/21 訪問)

元就・隆元のお墓参りと城址の探索ができる一石二鳥の山城、最初に元就及び親族のお墓参りそこから本丸を目指しました。石垣はほとんど崩れてましたが曲輪ひとつひとつがしっかり残されていて歩くたびに感動の連続です。下山は尾崎丸経由で戻りましたが途中獣臭が凄くヤバイ雰囲気で歩いているとゴソゴソと大きな音が・・・猪?熊? 城びとグッズの熊よけ鈴を大きく鳴らしながら下山。そんなこともあり毛利元就の銅像へ行くのを忘れて帰り。資料館は休みだったので御城印は買えませんでした残念。

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T-Shionoya

長篠城 丸馬出のある姿を見てみたい (2024/01/29 訪問)

立派な堀と土塁に興味があり1月末に訪れた愛知県新城市の長篠城。

豊橋平野から北東に進んだ平地の最奥部、豊川と宇連川の合流点に築かれた城。
南側は50mの断崖がその2つの川に落ち、本丸北西部も碁石川が天然の要害となる地形。
山を越えれば、東は遠江、北は信濃に繋がる要衝。

1508年に菅沼元成が築城し、長篠菅沼氏は今川氏&徳川氏に従属。
一時期は武田氏に服従するが、信玄の死後に徳川が奪還すると奥平貞昌(信昌)が城主に就任。そして長篠・設楽原の戦いを迎えます。

訪問時は対岸の牛渕橋より崖の様子を眺めてから入城。主郭、弾正曲輪土塁、瓢曲輪東の搦手門跡まで巡り、最後に史跡保存館へ。
主郭の折れを備えた堀と土塁は見応えがあり、パンフレットによると主郭の土橋は虎口に対してオフセットしていたとのこと。
一方、駐車場や史跡保存館が建つ帯曲輪は土塁や堀を失っている点が残念で、他の史跡指定エリアも民家が建つなど多くが侵入不可。各所に標柱が建つものの、100名城としては遺構が少なくマニアックな印象。

それでも滞在時間は2時間半。
丸馬出のある姿を見てみたいと感じた、私の城郭巡りの174城目でした。

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小城小次郎

迷わず登れば城がある (2023/11/05 訪問)

城まで繋がる西山遊歩道は居館跡と伝わる一角をかすめた先で隣の山へと登って行くのでちと焦るが迷わず登ればぐるっと回って本之脇城に到達する。峠道の切通(堀切)にベンチが二つあったらその裏に入ればそこがお城。

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しんちゃん

清水邸庭園 掛川市西大渕 (2024/05/25 訪問)

清水邸庭園は江戸時代に横須賀藩の御用達を務めていた廻船問屋「清水八十郎」の邸宅の庭園です。清水家は代々「八十郎」を襲名していて「八十様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と俗謡にも歌われるほどの繁栄ぶりだったようです。
清水家は非公開ですが、江戸時代から残るとされる回遊式庭園を無料で鑑賞することが出来ます。茶屋では抹茶ラテ(300円)ほか呈茶サービス(510円)も行っており、御茶室の貸出(有料)も行っています。池の水は湧水を巧みに取り入れていて、人面魚はいませんが鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。

人面魚は山形県善寳寺の池に七体存在していました。今でもいるようで龍の化身と言われているとかいないとか。最後の写真は3年前に山形県で撮影したものなので、茶屋の人に人面魚がいないと苦情を出さないようにお願いします(まぎらわしい‥)。

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朝田 辰兵衛

【再訪】5月25日の天候はチャンスだったので… (2024/05/25 訪問)

5月25日の天候はチャンス(晴れ,最高気温19℃)だったので,城びと未登録の岩手城登城でウォーミングアップしてから攻城しました。ハチの周回ナシ。蛇の出現ナシ(カナヘビがチョロっと横切ったくらい)。熊やイノシシとの遭遇も当然ありませんでした。帰りに楞厳寺の柿崎景家の墓所にも立ち寄りました。柿崎景家の墓所の画像は,移築門と合わせて柿崎城の投稿でアップしておりますので割愛いたします。
山城くんさん,貴重な情報ありがとうございました。もしかして,柿崎のまちづくり振興会の方でしょうか…?
ボロボロで傾いていた登城口の標柱が新しくなっていました。ロープも不具合箇所ありませんでした。急傾斜なので,登りよりも下りで助かります。
さすがに季節がら主郭は草ボーボーでした。虎口もかろうじてわかる程度で,塚の上の祠も草の中に埋もれていました。しかし,尾神岳から飛び立ったパラグライダーが上空を楽しそうに泳いでいました。春日山城も遠く眺望できませんでしたので,パラグライダーが最高の癒しになりました。
これで,「城びと登録城新潟県コンプリート」の胸のつっかえが取れました。

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赤い城

かつては海に浮かぶ島の城 (2024/05/02 訪問)

延岡城からの転戦です。
フェリー乗船までかなり早く着いたので登城することができました。
臼杵市観光交流プラザでスタンプ押印、古橋口から登ろうと思いましたがまずは周囲を歩いてみることにしました。
海城だったので周りにはあまり見る所はなく、半周周った卯寅口門脇櫓のところから登城。
登ると本丸になります。
本丸には天守台があり、堀で守られていました。
石垣もなかなかのものです。

土橋を渡ると二の丸。
グラウンドになっています。
北側の石垣を見ながら時鐘櫓跡を経て大門櫓跡まで。
再度二の丸へ、臼杵護国神社が鎮座しています。

井楼櫓から臼杵市内を見渡した後畳櫓、中門跡を経て古橋口へ。
あまり期待していなかったですが素敵な城でした。

さらにトイレのところに城びとの看板も発見!
初めて見ました。
ここだけなんでしょうか。他にもある?
皆さん、見かけたらご報告お願いします!

このあとフェリーで八幡浜港経由で無事に帰陣、満足の九州旅でした。

todo94さん、昼寝城のレポート、お役に立ったようで嬉しいです。
私も四国の城廻りの際はtodo94さんのレポートを参考にしています!

ぴーかるさん、尼子十旗コンプリート、素敵です。
私も達成したい。
夕景城のレポート参考にしますね。
実家が三沢城徒歩圏内なので満足度Maxつけて頂き嬉しいです。

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しんちゃん

満足度の高い土の城 (2024/01/25 訪問)

山中城はすばらしい。何が素晴らしいって、北条氏の築城の粋を凝らした縄張りや障子掘、広大な縄張りに、なんといっても富士山が良く見える。こんな素晴らしい土の城はめったにないです。それほど高低差も無いので時間をかければ、多くの人に楽しんでもらえます。この日は天候にも恵まれ、雪をかぶった美しい富士山を十分に堪能できました。気分はブラボーです。
三の丸堀→田尻池→西の丸・障子掘→北の丸→本丸→二の丸→箱井戸と訪問して帰りました。岱先出丸は以前訪問しているので今回はパス。本丸周辺も良い遺構がいっぱい残っていますが、最大の見どころは何と言っても西の丸の障子掘と富士山の組み合わせでしょう。ただでさえ素晴らしい遺構なのに富士山はちょっとズルいですよ。

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チェブ

大川に海老。 (2024/04/13 訪問)

1461年、結城氏が築いた「海老ヶ島城」。
結城氏と小田氏の奪い合いのお城だったようです。

県道14号をドライブしていると、海老ヶ島の地名が出てきました。
海老ヶ島を過ぎた所で『目的地は右側です。』と、ナビ。お隣の松原に「海老ヶ島城」はありました。
『新善光寺』は「海老ヶ島城」の1部のようです。
遺構は所々にあるようです。因みに土塁は、今 通って来た県道を作る為、埋め立てに使われたんだとか。

写真③の道沿いに『新善光寺』があります。
路駐をして写真を写しました。
近くに細い川があり、堀だったのかもしれません。

茨城県の内陸に位置するのに『海老ヶ島』。川にエビがいたのかな?
堀かもしれないと思った細い川の名は『大川』。
、、、いたのかも。
いろんな所で、名字を与えた 源 頼朝さんが名付けても なさそうです。
赤茶けた色を『えび色』と言ったそうです。

どうしてここが、海老の付く地名になったのか、気になってしょうがない「海老ヶ島城」攻めでした。

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「日本100名城かるた」取り、1城挑戦!

現在、Makuakeにて商品化プロジェクト実施中の「日本100名城かるた」。
実際にかるた取りの感じをお伝えする動画を公開しました。
とあるお城の読み札を読み上げるので、ランダムに並べられた10枚の絵札から探してみてください。

https://www.canva.com/design/DAGGRIcB85U/h3WI3dmb5JLtpfehgjJCjQ/watch?utm_content=DAGGRIcB85U&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=editor

余裕でしたか? それとも難しかった?
100城でやると壮観&お手付きに次ぐお手付きです!
すでに多くの皆さまに情報拡散のご協力をいただいておりますが、
今一度、周囲の方に「こんなかるたあるよ!」とお知らせいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いもうしあげます。

応援ページはこちら→https://www.makuake.com/project/oshiro_karuta/




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