しおつじょう

塩津城

滋賀県長浜市

別名 : 塩津城山城
旧国名 : 近江

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①堀1
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昌官忠

(東海&関西)遠征4日目:塩津城 (2025/05/18 訪問)

応昌寺城(城びと未登録 滋賀県長浜市)から徒歩15分くらいで、道路西側登り口(35.523790、136.166083)に着きました。

築城者ははっきりしないようですが、地頭としてこの地に入った熊谷兵庫直高の居城と云われています。

道路西側登り口のフェンス越え場所を捜しました。前日の雨で滑る状態で、丘陵は注意しながら上り下りしました。
上りきると堀切、空堀、土塁が見えてきます。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=田上山城に向かう為、塩津北口バス停からバスで木ノ本バスターミナルに向かいました。

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ぴーかる

塩津城 (2024/12/01 訪問)

【塩津城】
<駐車場他>道の駅あぢかまの里に駐車しました。城跡東側の道路<35.523677, 136.166036>に退避所2台分があります。
<交通手段>車

<見所>空堀・曲輪
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅1城目。塩津城は鎌倉時代に熊谷直高が築城したとされます。現地の城跡を見て遺構の感じから鎌倉時代に打ち捨てられているのではなく、戦国期に改変、使われていたように思いました。
 城跡は上記の道路から皆が入ったために金網が下がっている場所から簡単に入れます。上記の道路がかつての堀切だったようで、東側からの山脈の突き出た尾根に堀切を設けて全体を城としたようです。東側以外の方向に段曲輪を無数に設けて麓から全体に高い切岸で削っているので麓から山に取り付くのは難しい。また現在は周囲は畑になっていますが、かつては湿地帯だったようにも感じました。
 山頂の主要部は主郭の東側に南北に大きい空堀が縦断しています。空堀の東側が副郭になっています。主郭は中程度の広さで、東の空堀側に沿って土塁が南北に真っすぐあります。多聞櫓でも建ってたような雰囲気があります。主郭から西側へ向かっては綺麗に曲輪が3段連段となって落ちています。城跡の南側一帯が竹の倒竹で散策があまりできないですが、丘陵地全体の曲輪がよく残っていて見応えがありました。

<満足度>◆◆◇
<周辺観光>朝7時前の夜明け頃に高島市のマキノ町メタセコイア並木をみてから登城しました。ここから一番近いのは城びと登録城の田屋城ですが昨年田屋城に行った時、今年行こうと思っていました。朝早くにもかかわらず車は満車ぎみでした。日中国道303号まで渋滞でした。

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主郭を囲む郭群と急峻な切岸遺構 (2019/04/15 訪問)

やや荒れてますが、遺構はよく残されています。比高はないが切岸が急峻です。東側の山側に近年の切通があり、元は堀切であったのでしょう。切通の東側に、山側に向かって段々畑状の平削地がありますが、近くの段々畑状の墓地と同じ感じであり、城跡ではないと思われます。城跡近くに道の駅 あぢかまの里があります。猪肉を使ったコロッケを買いました。皆で食べて猪を減らして欲しい。城跡に猪を取る罠がありました。
琵琶湖北端の海津大崎の桜並木を訪れました。湖越しの眺めや並木の花吹雪もとてもよかったです。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 熊谷直高
築城年 鎌倉時代
主な城主 熊谷氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
住所 滋賀県長浜市西浅井町塩津浜