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佐原十郎義連 (2023/07/13 訪問)

 所々、道に案内がありわかりやすくはなっていますが、石碑に気が付かず行き過ぎてしまいました。もう少し奥の方と思い込んでいました。畑作業をしてみえた親切な地元の方に聞いて戻って来て石碑と小さな説明板を見つけることができました。

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後北条氏の水軍拠点のひとつ (2023/07/13 訪問)

 京急浦賀駅より徒歩にて東叶神社を経由して登城しました。赤い城さんの投稿で堀切等もあるとの情報もありましたが、夏場であることに加えてこの日は雨が降ったりして天候が不安定なこともあり周囲の散策は行わずに撤退しました。

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ぴーかる

古市城 (2023/06/17 訪問)

【古市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅6城目。古市城の築城は定かではありませんが、室町時代の初期にはあったようです。築城者の古市氏は興福寺の衆徒で筒井氏と衆徒の棟梁の座を争います。1497年に筒井勢によって攻められ落城します。その後2回ほど再建されますが、1543年に筒井順慶の祖父筒井順興に攻められた際に古市氏によって城は焼かれます。
 現在城跡は小学校になっています。校門前まで行きまして周囲を散策しました。台地状になっていて南側の切岸が城跡の痕跡になっているように感じました。更に南の古市高山城も少し散策しました。主に竹藪になってしまっていますが、堀切と曲輪は明瞭に残っていました。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

お世話になった佐竹氏に。 (2023/07/10 訪問)

関東では常陸の城が最も印象的でした。
深い堀底道、高い土塁、これでもか、というくらい。
その佐竹氏が移封後に築いた久保田城へ行ってきました。
秋田駅近くのホテルに宿泊したので徒歩で行けます。
千秋公園として地元でも親しまれているようで、この日は平日早朝の登城でしたがランニングやウォーキングをされている方も多かったです。
例によってまずは外周をと思ったのですが広くて断念、とりあえず黒門から入城しました。
高い土塁に植えられた紫陽花が見頃でした。
二の丸を横切り、一旦松下門から下に降ります。
穴門跡周辺の土塁を見学し、二の丸に戻ります。
長坂から主郭へ登って行きました。
表門が復元されており、その先が主郭です。
主郭にも土塁がついていて佐竹義堯公の銅像が建っています。
ぶらり散策すると埋門、個人的にはここが一つの見どころでした。
トイレが邪魔(失礼)でしたがいい感じの土塁に萌えます。
土の城を実感できるポイントですかね。
角櫓は開館前だったので外観のみ(後でスタンプ押しに再訪しました)、北側に降りて行きました。
個人的なもう一つの推しポイントが帯曲輪です。
帯曲輪なんですがどう見ても常陸名物の堀底道、佐竹感が満載でした。
常陸で大変お世話になった佐竹氏の居城を満喫できました!
東国の締めとして相応しい秋田遠征でした。
(この後もう一つ秋田城にも行きましたが)

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イオ

城址碑のみ (2023/05/21 訪問)

西国街道・芥川宿を拠点とした芥川氏が鎌倉期に築いたとされ、室町期には芥川山城の平地の居館として機能したともされますが、詳細は不明です。

西国街道がクランク状に屈折するあたり(JTの研究所から殿町付近)が推定地とされますが、宅地化により遺構は消滅しており、殿町の民家の植込みに城址碑が立てられているくらいですので、紫町ポケットパーク沿いの道路脇に路駐して、ささっと写真を撮って即撤収しました。
 

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todo94

国史跡 (2023/05/05 訪問)

黒渕城からの転戦です。県道105号から梅林神社脇の林道を延々と進んでいきます。舗装されているとはいえ、スリップしやすい路面状況の薄暗く細い道はなかなかの心細さでした。攻城後に発売された九州の名城を歩く~熊本大分編を見て国史跡であることを知りました。主郭からきれいに見える郭へは土砂崩落でたどり着けませんでした。連続堀切群など、もう少しでも手を入れていただければ、魅力度が急上昇、地域の財産となること間違いなしと思えるのですが。この後は通潤橋に向かって観光放水を楽しませていただきました。

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にのまる

無事に行けました。 (2023/04/23 訪問)

鳥取城本丸(久松山山頂)を出立してから約1時間。
ようやく深い山を抜け出しました。
目の前には端が見えないほど大きな土塁。
遺構図を頭に入れ、足を踏み入れます。
「ヒドイことした陣城」と思うと怖くなってくるので、ここまでずっと鳴らしていた熊鈴アプリを切って、YouTubeで嵐メドレーをかけて歌いながら歩きました😘

引き締まって見える窪地状突出部、大手虎口から見渡す広々とした城内。攻撃態勢も抜かりない土塁上の櫓台。目に映る光景が隅々までかっこいい。感動するくらい生き生きとして見えて全く色褪せた風には感じませんでした。
しかし、周辺の段々も全て曲輪で2万の兵が詰めていたと想像すると、かっこいいのだけれど、何もここまで……と恐ろしくなってきます。
“末代までの誉れ”と自刃した吉川経家の言葉に偽りはないと思えども、朝田さんの「かるた」に、城にはその時代に生きた人々の悲しい歴史もたくさん詰まっているということを思いました。

下りはGoogleさんの言うことを素直に聞いてアスファルトの道を下りました。途中に展望台や休憩所もあります。鳥取駅まで歩いて1時間半くらいでした。

2泊3日の山陰城めぐりはここで終了です。
カズサンさん、赤い城さんの故郷めぐりをさせていただきました。
(元祖カープ女子的には大野さんと川口さんの故郷めぐり。福士さんは城内の西高出身!)
6城すべて楽しかったです。また行きたいです。

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しんしんちゃん

かなりの広さを持つ、古代山城。 (2023/01/02 訪問)

鞠智城には2023年の1月2日に立ち寄ったのですが、当然営業して
いるわけもなく、シンボルの八角型鼓楼も閉じたままでした。
紙に印刷されていたスタンプを頂戴して立ち去ったので、
2014年に訪問した際の写真を加えて、掲載させていただきます。
日本の古代山城とされており国の史跡にも登録されています。
城の城壁は自然地形を含めて3.5kmとされ面積は55ヘクタールとされる
広大な城です。(1ヘクタール=1万平方メートル)
道路からすぐアクセスでき、温故創生館の北側にいくつかエリアがあって
復元建物や建造物礎石群が配置されています。
2014年に訪問した際は北側のお寺のような形状をした展望広場休憩所(長者原)
まで行ったのですが、さらにその先に郭のような段々の平地が見えました。
休憩所から尾池門、堀切門、深追門を回る遊歩道へ行くことができるようです。



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しんしんちゃん

小泉八雲熊本旧居 (2014/01/09 訪問)

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧宅といえば島根県の松江市に
ある物が有名ですが、熊本市にも旧宅があります。
明治24年(1891)、大五高等中学校(現在の熊本大学)の英語教師として
熊本に赴任した際、最初の一年を過ごした住居とのことです。
昭和35年に解体の危機にさらされましたが、地元の有志により
現在の地に移築され公開されています。
中は当然和室で、小ぶりですが趣の良い庭があります。
地元有志の方々に感謝いたします。

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しんしんちゃん

続百名城にはならなかった、総石垣の山上の城。 (2014/01/09 訪問)

ちょっと古い写真になります。
佐敷城は加藤清正の加藤与左衛門重次が城代を務めたとあります。
築城は天正17年(1588)ごろとあります。
山上まで車で行くことができ、北から本丸、二の丸、三の丸と続きます。
二の丸東門と追手門(大手門)が東側にあり、二の丸東門は枡形になっています。
搦手門が北側にあり二の丸に通じているようです。
本丸には東西に門があるようです。
総石垣の立派な城ですが、続百名城には入りませんでした。
正直、入って来るかと思ってはいたのですが、なかなか続百名城も
狭き門のようです。


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朝田 辰兵衛

松尾古城散策 2/2(主郭背後→遠見番所)を。 (2023/05/06 訪問)

上田駅から路線バスが出ています。最寄りバス停は「横沢」ですが,本数の多い「真田」バス停から歩いてもたいした距離ではありません。
この城をチョイスした理由は標高です。パネルのある登城口付近で,822m。主郭では,1033m。その奥の遠見番所では,1440m。あくまで主郭の対比なら御坂城に軍配が上がりますが,遠見番所は御坂城とほぼ同等レベルの領域となるためです。
登城道はとにかく岩場の連続です。主郭~遠見番所間はさらに傾斜もきつくなります。中間地点に送電鉄塔が建っています。「東信新北信線15号」との名称でした。ここからの眺望が一番かと思います。
天気予報はいつ雨が降ってきてもおかしくなかったのですが,雨は降らずにムシムシしていました。下山したころには気温が急上昇。この日,上田市は全国1番の暑さとなりました。
岩場の登城疲労は,登りも下りもふくらはぎに顕著でした。何度もつりそうになったので,この後のスケジュールを取り止めました。
個人的な「砥石崩れ」です…<笑>。

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朝田 辰兵衛

松尾古城散策 1/2(登城口→主郭部)を。 (2023/05/06 訪問)

上田駅から路線バスが出ています。最寄りバス停は「横沢」ですが,本数の多い「真田」バス停から歩いてもたいした距離ではありません。
この城をチョイスした理由は標高です。パネルのある登城口付近で,822m。主郭では,1033m。その奥の遠見番所では,1440m。あくまで主郭の対比なら御坂城に軍配が上がりますが,遠見番所は御坂城とほぼ同等レベルの領域となるためです。
登城道はとにかく岩場の連続です。主郭~遠見番所間はさらに傾斜もきつくなります。中間地点に送電鉄塔が建っています。「東信新北信線15号」との名称でした。ここからの眺望が一番かと思います。
天気予報はいつ雨が降ってきてもおかしくなかったのですが,雨は降らずにムシムシしていました。下山したころには気温が急上昇。この日,上田市は全国1番の暑さとなりました。
岩場の登城疲労は,登りも下りもふくらはぎに顕著でした。何度もつりそうになったので,この後のスケジュールを取り止めました。
個人的な「砥石崩れ」です…<笑>。

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しんしんちゃん

十年の 先にて逢おう 宇土櫓  「かるた」 (2014/01/09 訪問)

このたびは少し古い写真になります。
熊本城も天守の修復が終了して、公開が始まってると思います。
私は2023の正月の九州遠征では熊本城はスルーいたしました。
阿蘇山を見にいったり忙しかったのもあるのですが
石垣や櫓が傷ついて、痛ましい姿になった熊本城を見たいとは
思わなかったのです。
宇土櫓も立ち入り禁止になり12月から周囲を覆われ
10年におよぶ解体工事にかかるらしいです。
10年も長いですね‥。さらに全体の修復はさらにその先になるらしいので
だいぶイイ年になってしまいます。
わたしは2013年に城の魅力にハマり、2014年には熊本城を訪問しています。
石垣や宇土櫓、復元櫓など圧倒的なスケールと魅力を持った城で
私の中では姫路城と双璧を成す城でした。
2時間半ほどかけてじっくり場内を見て回ったのは、おそらく生涯の宝に
なると思います。

宇土櫓 ああ宇土櫓 宇土櫓。(ボツネタ)

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ぴーかる

辰市城 (2023/06/17 訪問)

【辰市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅5城目。辰市城は1571年に松永久秀攻略のために筒井順慶が家臣の井戸良弘に命じて築城しました。8月には辰市城の戦いが始まり、松永久秀・久通父子と三好義継連合軍が攻め寄せます。当初松永軍が優勢でしたが、筒井軍各城から後詰めが次々に到着してついに松永軍は崩れます。この戦いで筒井順慶は筒井城を奪還します。廃城年は不明になっていますが1580年信長の破城令によって廃城となったのかもしれません。
 現地には遺構も説明板も石碑もないとのことで、さらに駐車できそうな場所もなさそうでしたがとりあえず車で現地にいってみました。やっぱり、ストリートビューで確認した通り停車すら出来なかったので車から1枚撮影したのみとなりました。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

47都道府県の最後は。 (2023/07/09 訪問)

城びと登録後はまだ行っていないところも多いですが相方と結婚後、秋田だけ未訪でした。
竿燈や大曲の花火にも行きたかったですが関東を離れる前にとりあえずコンプリートしようと遠征しました。
がラストスパートこれが結構遠い。
東北地方の広さを実感しました。
初日は男鹿周辺、脇本城に登城しました。
梅雨空で天候はいまいちでしたが駐車場から登って行きます。
菅原神社を経て案内所でスタンプとパンフをゲットし、まずは生鼻崎へ。
いくつかの曲輪が区切られていて北側には土塁が続きます。
晴れていたら日本海の眺望が素敵かと。
この日は霞んでました。内館と呼ばれる主郭部に戻ります。
ここには大土塁や4箇所の井戸、空堀も見ることができます。
下草は伸びてましたが見学路は草刈りされていて歩きやすかったです。
が、この日はスニーカー登城。
足下に違和感が、なんと靴底部分がパッくりと、初日なのに南樽市場試練。
引きずりながら馬乗り場も見学し、本明寺に降りました。
広大な城域で晴れていたらもっと楽しめたかな、とも思いましたが充分満喫できました。
この後なまはげ館を見学、秋田名物のババヘラアイスをおいしく頂きました。
それにしても売り子の方、85歳だとか。
話好きのイカしたおばあちゃんでした。

イオさん、メッセージありがとうございます。
高槻も迷ったのですが高松に決めました。
四国でも関西でも良いのでご一緒できる日を楽しみにしています。

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イオ

転用石垣石めぐり (2023/05/21 訪問)

(続き)

前回に城下はひとめぐりしていますが、見落としや遠方で行けずにいたところもあるので、市内にある(転用)石垣石をめぐってみました。

しろあと歴史館(高槻市城内町)
入口脇に二の丸跡での発掘調査で発見された高山期の石垣石が展示されています。前回、歴史館前の思案石(外堀沿いの石垣石)は確認しているんですが……むしろどうして見落としたんだろう?

高槻城公園(高槻市城内町)
北西口を出たところにも高槻城の石垣石が移設されています。こちらは見落としではありませんが、前回は道路工事の器材が置かれていてよく見られなかったので再訪です。

上宮天満宮(高槻市天神町)
参道の石垣に高槻城の石垣石が転用されている…らしいんですが、現地には案内等は何もなく、矢穴などのわかりやすい痕跡も見当たらず、結局どれがそうなのかはよくわかりませんでした。

JR京都線(高槻市川西町)
清水池公園の北側からJRの線路の下をくぐるレンガアーチ橋には高槻城の石垣石が転用されており、矢穴のある石垣石も多く見られます(高槻まちかど遺産番号H29-3)。また、芥川に架かる橋脚にも高槻城の石垣石が転用されているそうですが……よくわかりませんでした。

…で、ひと通り行けたかな、と思いつつ帰宅して城びとを覗いてみると、ちょうど赤い城さんの高槻城の投稿があり、槻の木高校内の石垣石を見落としていたことに気付きました。すぐ目の前まで行っていたのに……やれやれ。


# 赤い城さん
高槻でなく高松に決まったんですね。私は四国はほぼ未踏の地なので、四国の城の投稿も楽しみにしております。
 

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シャンシャン

木造復元天守 (2023/07/06 訪問)

宇和島城とセットで訪問。
木造復元天守なので、中はほとんど現存天守と変わらない雰囲気。
吹き抜けがあり広々した空間で、心柱が天守を支えている構造がよく分かる。
少し離れたところにある2つの現存櫓も見所。
周辺を歩くと、東京ラブストーリーの撮影があったという昔ながらの街並みも残っており、タイムスリップしたような感覚を味わえる。

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シャンシャン

現存12天守5城目!! (2023/07/06 訪問)

少し険しい山道を登っていくと天守が現れる。
天守はそんなに高さはないけど、破風が立派で凛々しい姿。
石同士の隙間がピッタリした切込接の石垣も見事。
木造天守は、木の匂いや歩いたときの木の軋みなどが感じられてやっぱりいい!

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todo94

黒渕河川自然公園 (2023/05/05 訪問)

レンタカーを借り受けてまず向かったのが黒渕城。黒渕河川自然公園としてきれいに整備されていて眺望もなかなかのものです。山城跡展望広場が主郭に当たるようですが、説明板によると削平の度合いが荒く、堀切も観察されず、顕著な遺構は山頂周囲斜面の削り落しのみで、黒渕の集落に関連した砦跡の感が濃いとのことです。

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しんしんちゃん

中生と近世の郭が階層的に重なる。ミルフィーユのようなおいしい城。 (2023/01/08 訪問)

高山城は伊東氏四十八城の一つで、江戸時代には高鍋藩の藩庁になっています。
現在は舞鶴公園となっており、
麓には三の丸、その南の資料館が二の丸跡、その上に本丸と奥御殿が築かれ
現在、舞鶴神社となっている三の丸跡は近代的な石積みの上に築かれています。
面白いのは本丸の上にかつての詰めの城が階層的に重なっていて
詰めの丸跡の上に、かつて三重櫓のあった郭があり、野面積の高石垣の上に築かれています。
さらに高台に太鼓櫓跡があって東手にも郭が築かれ
一部に土塁も残ります。
近世の平山城の上に中世の平山城が築かれたようなミルフィーユ的な
構造になっており、まるで郭の天守閣のようです。
一度の訪問で近世の城と中世の城を両方味わえたようで、ちょっと
得したような気分になりました。

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