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十郎

弁天台場 (2016/04/29 訪問)

跡だけかな。

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十郎

四稜郭 (2016/04/29 訪問)

桜満開一歩手前!

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まんのすけ

美しい天守 (2011/06/22 訪問)

黒く美しい天守

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まんのすけ

富士見櫓跡 (2015/05/20 訪問)

ここに天守に 匹敵する櫓があった。

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じょーうん

見事な土塁

美しい土塁が見れます。

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かっしん

12月の小机城址 (2017/12/02 訪問)

竹林と紅葉がとても素敵でした。

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ふく

大手橋

大手橋の下にある石垣

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東風ふかば!

天守閣前から (2017/12/24 訪問)

思ったより小さく感じました。
城廓の広さは広いですが時間がなく次回はじっくり見たいと思いました。

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のぶりん

駅直結 (2017/12/24 訪問)

イオンモールと比べると、如何に巨大だったかよく解りますな〰(笑)

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影丸

本丸跡 (2017/03/26 訪問)

長岡駅前に本丸跡の石碑があります。

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じょーうん

肥前北部の有力国人の館 (2017/07/02 訪問)

鞠智城から30分ぐらい山手に行った所にあります。
国史跡指定を記念して近くのあんずの丘に、隈部親永公の銅像があります。

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須賀の城じぃ

20170923浦賀城+多々良城 (2017/09/23 訪問)

今回の散策は、北条時代の古城浦賀城と、三浦一族の多々良城。本来は、怒田城から回る予定でしたが、早朝雨があったので午後からスタートにしたので、行ったことがある怒田城は取止め、午後から回ろうと考えていたら、wataさんから同行したいと連絡があり、怒田城址の先の久里浜台の入口の久比里坂バス停で待ち合わせにしたが、久里浜から歩いた方うがよかったかも。

① 左上:浦賀湾を挟んで東西にある叶神社ですが、もともとの浦賀町が東西に分かれた際に(江戸時代)、神社がなくなってしまった東に、西にあった叶神社を勧進したようです、左下:力強い筆ですね、中:拝殿の下にあった東叶神社の地図。⑭の辺りがトップで本丸になります、右下:城址の地図ですが、この辺りを国土地理院の地図を見直してみると、東叶神社の恵仁志坂を登ったところに喫茶店があり、そこから北側に道があり、東林寺の東側を東浦賀2丁目(和光台?)に抜けている。山頂の奥ノ宮の裏側にも歩いた後があり、これを行くと東林寺の東側の道に繋がるかもしれない

② 上左:観音崎に向かう途中にある鴨居港、上中、上右:山城ガールさんがリポート*1 の中に紹介されている醍醐不動院へ立ち寄る。和田氏は、昔はこの和田川の満ち引きで戦勝を占ったとあります。今日は海に流れていました、下左:次は三浦大介の4男義春が館としていたといわれる港の入口にある、下右:八幡神社#義春が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したようだ。西徳寺の浦てには岡もあるので、山城を形成できる可能性もある
*1:山城ガールさんのリポート 「いざ!多々良城へ!」の巻 http://yamajirogirl623.cocolog-nifty.com/…/05/post-273b.html

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須賀の城じぃ

20170919小田原城 +総構 (2017/09/19 訪問)

今日の散策は台風の来襲で3日遅れで、小田原へ。小田原七福神と山城巡りということで、北条氏のお城を巡ぐっている最中ですが、宗家の小田原城へやってきました。もちろん過去に別件では来たことがありますが、今回は北条五代の小田原城の総構(そうがまえ)を巡ってきました。

① 左上:見ずらいですが、薄緑のラインに沿って防衛ラインがあって、今回は中央の①北条早雲像から②12時方向から~⑥8時方向へ反時計回り、左下:その防衛ラインを取り巻くように豊臣側が陣取ります、中下:その防衛ラインが総構(そうがまえ)、一応出会った順にいうと、右上右:山ノ神堀切#明神ヶ岳が見える、中上:稲荷森、右上左:小峰御鐘ノ台大堀西堀、右中:小峰御鐘ノ台大堀東堀、右下:実は一夜城の方向

② 左上左:早川口遺構を回り、左上右:総構と七福神巡りを終え、小田原城へ。銅門を遠望、左下:大手門に繋がるを朱色の学橋、右上:二ノ丸広場ですが、江戸時代には上洛する際の御屋敷があったみたいですが地震で崩壊して、今残っているのは櫓櫓だけみたい、右中:常盤木門は、常盤木門SAMURAI館というイベント開催中、右下:八幡山古郭東曲輪からの城の眺めが素晴らしいというので行ってみたが、ちょっと違う場所だったみたいですが、電線に架からないっていいね!
#常盤木門SAMURAI館というイベント http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/odawaracastle/event/samurai.html

③ その他ですが、上左:小田原駅西口の北条早雲像#これは初めて見ました、下左:小田原高校は山歩き仲間のゆーさんの母校ですが、上中:近くに競輪場があって、レースの模様が結構流れて聞こえちゃいますね、下右:小田原城に隣接する報徳二宮神社へ回って御朱印を頂きましたが、宝船バスツアーがあって、ここも組み込まれているそうです、上右:歩いていると昼が遅くなる傾向が高いのですが、本丸の茶屋で北條うどんというのを食べました。梅干しは合うのか合わないのか?

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須賀の城じぃ

20170904八王子城+松姫古道 (2017/09/04 訪問)

今日の散策は八王子城。町民も城に篭ったため多大な死者が出た呪いの城です

① 左上:宗主氏政の弟で、八王子城の城主氏照の墓。小田原征伐後に切腹している、左中:この日曇ってて涼しいのですが、暗くてカメラ泣かせですが、八王子城址の資料館であるガイダンス施設、左下左:管理棟と呼ばれる城址の入口には武者姿の方が何かされていました、左下右:橋のところに、通行止めの看板ですが、ガイド付きでないと行けないエリアだそうです#この危ない橋の先には傷んだ地蔵堂がありました、中上:ガイドに頼らずに回れるところだけ回ろうと出かけますが、古道を曳橋へ#工事中でしたが、渡れます、中下:虎口、右上:冠木門から入り御主殿跡(居館)へ、右下:一番奥から振り返った写真ですが結構広いです

② 左上左:御主殿から右手に降りれるので、御主殿の滝へ、左上右:太鼓曲輪尾根分岐を探しましたが踏み跡は見つけられず、管理棟へ戻って、八王子神社と本丸跡を目指す、左下:小宮曲輪は南側にショートカットがありそこを登る、右上:城山の本丸跡へ、裏手も崖になっている#が、八王子城は豊臣方の北側の絡め手(下恩方町)の奇襲で突破されたようです。落城は山中城のようにわずか半日、右下左:八王子神社(跡)、右下右:長めのいい松木曲輪

③ 上左:柵門跡に戻り、松竹バス停方面へ降りて行きます。いわゆる松姫古道を辿ります、下左:標識の裏に”松姫古道クラブ”と書いてあります、下中:三叉峠は、氏照の墓を急登してくるとここに合流します、この後薄暗い尾根道を歩いて、上中:向山砦は眺望がいいです、上右:大六天も眺望がよく、下右:秋葉神社経由で心源寺へ#ここは武田信玄の娘である松姫が、織田信長の軍勢から逃れて来て出家した心源院。その後八王子の信松院で生涯を終える。小菅村に松姫峠があるがそこを取って逃亡したかは怪しいらしい

八王子城跡オフィシャルガイドは、http://hshiro.fuma-kotaro.com/

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yaguchi776

曲がり角にちょこんと (2017/12/24 訪問)

お城EXPOの帰り道

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須賀の城じぃ

20170118誰も歩かない鎌倉を行く?住吉城@小坪 (2017/01/18 訪問)

 上左、上中:逗子マリーナの正覚寺の奥には鎌倉時代のお城があった住吉社がある、上右上:トンネルがあるがここ数年で出口はふさがれていている、振り返ると偶然の造形かどうかわからないが江の島と富士山が見える。ちょっと余談になるが、一緒に歩くなら、下左:正覚寺の先を登ってトンネルの先を134号線を超えて、シーサイドコート望洋邸辺りを歩いて、小坪2にはこういう空き地がある。景色が良い!下右:またこのころのドラマのロケ地の旧華頂宮邸を訪れた

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須賀の城じぃ

20080302土肥城 (2008/03/02 訪問)

時系列でいうと、段だらウォーキンングを始めたのが2007年12月末で、1月には衣笠城址を歩き、3月に幕山から土肥城址を歩いています。ろくに自分で計画を立てれるレベルじゃなかったんですが、目的の山への取付きと、経路と高低差から難易度を検討してる頃ですね。

 上は20080302の記事で、上右:幕山梅林の梅を見てから、山頂に周回路がありますが、そこを一周歩いてたら、キジに会いました#逃げないのでびっくり、上左:幕山を下りてしとどの窟へ行って、上中:城跡の碑から下山しましたが、途中猿の軍団に囲まれて、怖い目にあいました。下は20100314の記事で、湯河原から城山登山口までバスで行くという楽な登山。城山からは幕山梅林へ回りましたが、ハイキングコースが崩れたりしていて、最初の楽があだに?

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須賀の城じぃ

20150909山形七福神と霞城@日本100名城 (2015/09/09 訪問)

山形に仕事で行った時に蔵王を登ろうと思ったら雨で、傘さして七福神巡り。ここは寺社だけでなく町のはたごなどにも七福神があった。それから経路上に山形城があり寄ってみた

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須賀の城じぃ

20170826山中城@日本100名城 (2017/08/26 訪問)

山中城址行のバスは事前に調べたら1時間に1本だと思ってましたが、土日は朝の内は30分に1本になってて、しかも特急で楽々到着。北条が秀吉の征伐に備えて強化したというのが山中城ですが、いまや日本百名城ではありますが、韮山城が百日持ったのに、実はたった1日で落城したのがこの山中城。

① 左上:山中城址の地図#本番は箱根峠から来るので、駒形神社~本丸~西ノ丸~田尻の池~宗閑寺~南部。山中城址バス停に戻り旧街道かな?、右上左:西坂の一部に石畳が残っています、右上右、右下:岱崎(たいさき)出丸、左下:一ノ堀、すりばち曲輪#山中城側は一ノ堀~すりばち~岱崎出丸と来るのを想定していましたが、いきなり岱崎出丸を攻め取られています

② 左上:東海道ですが、左中:三ノ丸堀を越えて、左奥が西ノ丸で、西ノ丸畝堀(うねぼり)~西ノ丸堀と考えたようなのですが、中上:実際にはいきなり二ノ丸へ攻められて、中下:あっけなくこの橋を渡られ、右上:本丸へ侵されたようです、右下:天守跡

③ 左:天守下にある駒形神社、今回は下見なので宗閑寺の入口を確認して、三島大吊り橋へよって、右下:三島へ戻って、モリマサさんに教えてもらった老舗そば屋飯嶋で美味しいそばを頂く

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須賀の城じぃ

20170806平山城址周辺の城址巡り (2017/08/06 訪問)

企画では、日野七福神+城址+新選組を巡る散策なんですが、散策のポイントである城址の平山城、川辺堀之内城、高幡城などの情報がほとんどない。これも平山季重が頼朝に従った武将で記録等少ないんでしょうね。それから城址と七福神を結ぶ”路”があるのか?そういうわけで存在や接続が不安な付近を見て来ようと来たわけですが、暑くて予定の半分でギブアップしました。

① 上左:京王堀之内からバスで東京薬大経由で平山城址公園へ。綺麗な地図があり整備されているよう?、上中:多分最高点なので城址なのかと思ったが、標識は全くない#駅名にもなっているのに史実がはっきりしないのだろうか?、上右:コース的にはこの平山季重神社から七福神の宗印寺へ回りたいのだが、標識の裏手に細い道があり抜けれそうだ#その先も公園の方に回ればかなり最短で宗印寺へ行ける、下左:平山城址公園駅に行き、平山氏の館跡を確認できた、下右:実際には歩くんですが、1駅だけ電車で隣の南平駅まで移動して、暑い中、長い長い道を川辺堀之内城のあった堀之内緑地へ

② 上左:平らな様子は、平場かとも思われるが、踏み跡がないので足元は柔らかい。またも確証ないまま先へ、上右:バス通りへ出ると日野七福神の延命寺、下左:裏手に日枝神社があり涼む、下中:境内のムクノキの大木、下右:高尾から流れてくる浅川の土手の道を歩いていくと、前方に高幡不動の山。あそこに高幡城がある

③ 高幡橋で高幡不動に向かう予定でしたが、暑くて…、上左:前方にふれあい橋が見えて来たので、高幡城はパスして、下左、下右:ここはフランケンシュタインの恋でロケ地になっている場所、上右:橋の中央辺りで上流を見ると、堰があって歩いて渡れるかも?、下右:高幡不動駅から分倍河原経由京急川崎で帰宅

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