近年の史料研究により、これまでの伝承と史実が全く正反対であることがわかったみたいです。
1533年~1534年里見家天文の内乱は、勝者(義尭)が歴史を改竄して、史実をねじ曲げて伝えていた。下剋上を遂げる中で、都合の悪い事実が残ってしまった事が改竄の要因と言われています。(義尭が仇敵である北条家の支援を得て本家・義豊を攻め滅ぼし、家督を奪ったこと) しかもその後、北条家も裏切り、北条家と対立していた小弓公方側に寝返っています!
この内乱以後、稲村城は廃城となり、現在に至るのですが、その当時からの遺構がしっかりと残っています! 土塁、堀切、切通し、切岸、腰曲輪など。
また、標高63mの丘城の主郭から西方向を眺めると国府があった館山平野と館山湾を一望でき、その奥には富士山も拝めます。夕暮れ時は、絶景です。多分。
里見家の歴史は、館山市立博物館の「さとみ物語」に詳しく解説されています。ネットで見れます。
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