高根城があった「城高山」の台地中段にある民家の周りを取り巻くように、土塁と空堀がめぐっている。ここは東と北側が特に顕著であるが、四方を土塁が取り巻いて一つの郭をなし、土塁は2mから3mほどの高さで空堀の深さも3m位ある。その民家の南から西、さらに北へ取り巻くように続く道は、あるいは堀底道の可能性がある。また、その道の民家から見て西南隅の外側に、土塁の残欠がある。
台地上段には城の主郭と思われる場所があり、「番場」という屋号の家がある。 高根城は、小金城主高城氏の一族である高城山城守の居城とも、高城氏の家臣である高城右京亮の陣屋であったともいうが、何れにせよ高城氏系の城と考えられる。
城高山の谷津を挟んだ西側には、曹洞宗の高根寺があり、ここも城の出城というような場所であった可能性がある。
高根寺は十一面観音を本尊とし、天福元年(1233)に尼僧がこの地に来て小山寺としたものを、高城山城守の一族高源院殿和仲昌誾大禅定門の菩提を弔うために高城山城守が再興した、あるいは高城山城守が奥方の菩提を弔うために十一面観音を安置した寺だといい、寺の紋は千葉氏と同じ九曜である。
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