宮城県仙台市の岩切城です。「別冊歴史REAL日本の山城100名城」に掲載されていたので、訪れてみました。平泉藤原氏の滅亡後、源頼朝が重臣伊沢氏を陸奥国留守職に任命、伊沢氏は留守性を名乗り岩切城を築き居城としたとされます。七北田川の水運に恵まれたこの地はこの地域の政治経済の中心地として大いに栄えたとされます。1346年足利尊氏が奥州管領として吉良氏・畠山氏を任命しますが、足利氏内部で兄尊氏と弟直義の対立が激化、吉良氏と畠山氏も二派に分かれ争い、留守氏は畠山氏と共に尊氏側に加担し、1351年岩切城に籠城するも、直義側の吉良氏・和賀氏等の攻撃を受け岩切城は落城、留守氏の勢力は衰えたとされます。その後留守氏は奥州管領となった大崎氏に従い勢力の回復を図ります。戦国時代になると勢力が強くなった伊達氏と結び1567年伊達晴宗の三男政景を養子に迎えます。政景は留守氏家中の反伊達派を撃ち、北方の大崎氏や葛西氏に備えるため北東にある利府城に1570年居城を移し岩切城は廃城となっています。岩切城は標高106mの高森山を中心に高森山頂部に本丸、その東南に二の丸、それに続き三の丸が配されています。さらにその東側の尾根にも多数の郭が配されて、規模の大きな山城となっています。城は県民の森にあり、道路沿いに城址碑がありそこが入口となっています。
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