栃木県宇都宮市の宇都宮城です。関東七名城の一つで平安時代後期に宇都宮氏がこの地に館を置いたのが始まりとされます。益子氏を中心とする紀党武士団、芳賀氏を中心とする清党武士団を家臣に組み入れ勢力を拡大したとされます。戦国時代に入ると17代当主宇都宮成綱は反抗的な家臣を討伐して家臣団を再編、西の鹿沼城を攻略し領土を拡大、北の塩原の地をめぐり芦名氏と争い片角原の戦いで破り自領としてます。1514年佐竹・岩城氏連合軍が2万の大軍で宇都宮氏の下野国に侵攻するも撃退。さらに1516年再度佐竹・岩城氏は大軍を率いて侵攻。宇都宮氏は大いに破り逆に佐竹領へ侵攻。北関東の実力者となっています。しかし、成綱死後、跡を継いだ忠綱は無謀な戦いを行うようになり家臣の謀反が起こり家中は混乱。家臣の壬生氏が宇都宮城を占領。これに対して宇都宮氏は忠臣芳賀氏に支えられ1557年宇都宮城を奪還。1558年には上杉謙信が、1572年には北条氏政、1574年には武田勝頼が攻撃してきますが、これらをすべて撃退。その後小田原北条氏に対抗するため佐竹氏・結城氏らとともに反北条連合を結成、北条軍と戦っています。そして、1590年豊臣秀吉の北条征伐に参陣、本領を安堵されています。その後理由は不明ですが1597年突如宇都宮氏は改易処分を受け、宇都宮領には蒲生氏が入封。1601年には奥平氏、さらに1619年には本多正純が15万5千石で城主となり、城を大改修しています。しかし、1622年釣天井事件と呼ばれる謀反の疑いにより改易。その後、城主はめまぐるしく替わり江戸時代後期戸田氏が城主となり明治維新を迎えています。戊辰戦争では官軍の攻撃により城は炎上灰燼に帰しています。城は本丸を中心に堀を廻らし二の丸、三の丸、外曲輪を配した東西・南北1kmの規模の平城で、現在城跡は開発により市街地となり、本丸の一部が宇都宮城址公園として富士見櫓、清明台櫓、土塀、土塁などか復元されています。今後も、復元計画があるようです。
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