信長から謙信に送られた、あの洛中洛外図屏風を描いた狩野永徳と血縁関係にあったとされる狩野氏の拠点となったお城
狩野城は狩野氏が足利茶々丸を擁護していた為、伊勢新九郎:後の後北条家初代当主・早雲に落城させられてしまいます
お城は東西に長く、南は山の斜面がキツイものの、北側が全体的に防御力薄い感じがします
実際登城口は北側にありますので
遺構は中心部にある主郭を軸に堀・土塁等が中央に集中しておりました
ちょっと風化で鋭さに欠けるところはありましたが、そんなにガッカリする程では無いかと
主郭まではそこそこの登りになってましたが、それ程急坂は無いので、かなり散策しやすいお城と言えるでしょう
自分降りてきた際、サンダル履きのオバチャンが「この格好で頻繁にここ登ってるよ~」って言ってましたし・・・良いのか?(汗)
公共交通機関での訪問は難しいですし、広い無料駐車場あるので車での訪問推奨ですが・・・修善寺といえば有名な観光地で、時間帯・訪問時期によっては大渋滞します(自分も週末の渋滞にハマった)ので、朝一での訪問等、時間をずらされた方が良さそうです
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