静岡県掛川市の百名城の一つ掛川城です。城は1467年頃今川氏の命により重臣朝比奈氏が築いたのが始まりとされます(掛川古城)。その後、古城から少し南東の現在の位置に1513年頃移ったとされます。今川義元亡き後、武田信玄に駿河を奪われた今川氏真が掛川城主朝比奈氏に迎えられますが、優勢な徳川家康の攻撃に対して兵3千で半年間防戦後、城を明け渡し北条氏を頼っています。掛川城には徳川家臣石川家成が城主として入りますが、家康の関東移封に伴い秀吉配下の山内一豊が5万石で城主となり、大改修し現在の形になったとされます。関ヶ原の戦いの功により山内氏は土佐20万石に移封となり、その後は徳川譜代大名11家26代が城主となり、最後は1746年太田氏が城主となり明治維新まで続いています。城は逆川北岸の龍頭山に築かれた平山城で本丸を中心に北に天守のある天守丸・竹之丸、東に二の丸・三の丸、西に中の丸、南に松尾曲輪を配したとされます。現在は本丸、天守丸、二の丸・三の丸の一部などが掛川城公園として整備され、遺構としては1861年再建された二の丸御殿・移築された太鼓櫓、石垣・土塁・堀の一部、平成に入り再建された木造天守・城門などがあり、公園から逆川を渡った大手門駐車場傍に再建された大手門と1859年に建てられた大手門番所があります。
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