静岡県三島市の百名城の一つ山中城です。小田原の北条氏が1560年代に小田原防備のため築城。1589年豊臣秀吉との間が険悪となると秀吉の小田原攻めに備え、南方台地の岱崎に出丸などを増築し防御態勢を整えます。1590年3月豊臣軍の攻撃が始まると城将松田康長が4千の兵で防備するも17倍の豊臣秀次を総大将とし徳川家康・堀秀政などが率いる豊臣軍7万の攻撃を受け激戦を繰り広げるものの半日で落城、城将松田氏は兵とともに玉砕し廃城となっています。箱根外輪山西斜面標高580mの箱根街道沿いに築かれ、本丸、二の丸、北の丸、西の丸、三の丸、出丸など複数の曲輪を配し東西400m南北800mの規模の堅城とされます。城跡は、各曲輪・土塁・障子堀などが山中城跡公園として整備され北条式中世城郭を体感することができます。
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