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dougen

2017.2.11登城 (2017/02/11 訪問)

芥川城からJR京都線で茨木駅へ。駅から徒歩で15分ぐらいの場所にある茨木小学校周辺が茨木城址となります。
市街化により遺構は残っていませんが、城門が各地に移築されて残っています。

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丹羽長重

久しぶりに投稿しまーす! (2018/11/23 訪問)

いろいろあって投稿できてませんでしたが時間ができたので投稿しまーす!先月とある歌手のコンサートをききに東京に行った時にこのサイトで渋谷にお城があることを知り寄り道してきました。(けっして暇だった訳ではありません)
駅からそう遠くはないし、行くのに苦労はしないだろうと思って行ったのですが、さすが都会🏢渋谷駅がすごく混んでいて人混みに酔いました。さらに駅前が工事中で遠回りしながらやっとたどり着きました。
渋谷城はいま金王八幡宮という立派な神社になっていて、遺構はお城の石だけしかありませんが、歴史は古く源頼朝の父の義朝に仕えていた金王丸一族「渋谷氏」の居城で、城内には源頼朝が金王丸一族の忠節をしのび鎌倉から移植された金王桜という桜が立っています。あまり詳しくは知らないですが珍しい桜だそうです。すみません知らなくて……春に訪れてみたいですね。

ということでぜひ渋谷に来たら訪れてみてください!

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ぴちょまる

淀城 (2018/11/23 訪問)

結構立派な天守台が残っている
殆どの人は京都競馬場へ向かってしまうと思うけども

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ぴちょまる

伏見桃山城 (2018/11/23 訪問)

桃山城とは関係ない、レジャーランドの天守。
今は運動公園が主で、老朽化した天守には近付けない。
取り壊されるかもと思って、いまのうちに写真を撮っておこうと思い立った次第

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にのまる

里山散策 (2018/12/07 訪問)

多摩丘陵の原風景の残る小野路宿に小野路城はあります。
里山交流館と小野神社の脇の坂道を登っていくと右手に里山の風景が広がり、左手にはハーブの匂いの牛舎。
牛舎の奥の細い道を入っていくと5分くらいで写真⑦の地点にたどり着きます。
ここから10分くらいで写真⑧に到着、ゴールは間近です。
⑧の分岐を左に行くと、左手に小町井戸があります。(写真⑤⑥)
本丸(と言っていいのかわかりませんが便宜上)へは⑧を右に行っても左に行っても辿りつけます。右に行くと写真⑨の案内につられてさらに右方向に行ってしまいそうになりますが、この案内は城址への案内ではありませんので惑わされたらアウトです。親切な方が手書きで貼ってくださっているとおり、「←スグソコ、小野路城」です。

分岐がたくさんありますが、案内表示はほとんどありません。
意外とどの道を通っても行きつくのではないかと思います。推奨ルートがなく、表示があるとかえって混乱してしまうとか。全体図はポイントごとにありました。
畑が広がっていますが、本丸周辺は改変された様子もなく、土塁や曲輪が確認できました。目につく遺構がたくさんあるわけではありませんが、振り返って考えると、巨大な迷路のようだったので、山全体が罠のような気もしてきました。鬼ごっこしたら、迷路を知り尽くしているほうが絶対有利な感じの。

かつての旅籠を改修した「里山交流館」がほっこり、ゆったりくつろげるところでした。地場野菜の販売や喫茶コーナーもあります。小野路うどんを注文している人がたくさんいらしたので、名物っぽいです。

交流館の向かいには新選組に関する資料を保存、公開している小島資料館があります。開館日は第1・3日曜日の午後で、日野の土 方歳三資料館と同じですが、こちらは1・2月は休館のようです。

小田急線の鶴川からバスで行きました。北口のバスターミナルには4番乗り場までしかなく、小野神社に行く5番乗り場は横浜銀行を左折してから100メートル走でした=3=3=3

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詰の城 (2018/12/08 訪問)

 北畠神社の横から登城しました。道は比較的歩きやすく、城址も整備されていて見やすいと思います。主郭へ行く途中にも曲輪だったと思われる平坦な地が多くあります。かなり高い山(標高約560m)の上にありますが、水の手はどうなっているのか気になりました。

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吉野の東 (2018/12/08 訪問)

伊勢でもかなり山奥にあります。ここを本拠地にしなければならなったことが、当時の北畠氏の立場を表しているような気がします。北畠神社周辺と六田館を散策しました。

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たかりん

幻の蝦夷共和国 (2011/07/24 訪問)

国内のお城としては完全に異色の存在である西洋式の稜堡要塞。19世紀における火力の急速な進歩により、本場の西洋では既に時代遅れの存在だったようですが、西洋の知識が入るにもタイムラグがあった時代でしたからね。箱館戦争により、予想もしない形で実戦の機会を得たわけですが、新政府軍の優勢な火力(艦砲含む)、兵力を前に結果は周知のとおり。でも、石垣の高さ、堀の広さ、死角のない縄張りなど防御の基本は地味に抑えており、薩軍に対し熊本城が通用したように、無意味な仮定ながら一時代前の火器相手であれば相当強靭な防御力を発揮できたと思います。なお、大手口に残る半月堡は本来、各稜堡の間に設ける予定が、予算の都合で元々ここだけしかなかったそうです。中央の箱館奉行所は2010年の復元で、建物が何もないと「お城がない」という一般の観光客にも取りつき易くなったとか。

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ヒロケン

武田信玄公生誕の城 (2018/12/01 訪問)

要害山城は信玄公の父、武田信虎公が築いた山城です。居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立てこもる詰の城としての役割を担っていました。信虎、信玄、勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されましたが、慶長5年に廃城となりました。

城には山腹から主郭に至る通路に沿って、枡形虎口や郭が複雑かつ連続的に付設されているほか、竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めています。山頂に置かれた長方形の主郭は、東西73m、南北22mと広く比較的規模の大きな建物が存在したものと推定されています。

武田氏館の紅葉を横目に武田氏館を通り過ぎ、7分~10分程度登ったところにある、要害山登山口の駐車スペースに車を止め登城開始。登り始めて直ぐに、石積みがありますが当時のものなのか、近世にできたものなのかよく分からない。ただ、登山道ににある石段は当時のものと思いたい(((o(*゚▽゚*)o))) 
今回の登城目的は、もちろん続100名城のスタンプ集めもあるが、前回訪問した時に見逃した諏訪水と呼ばれる井戸の確認をすることでしたが、雑草と笹に邪魔され入口さえ見つかりませんでした(>_<)
ただ、自分の好きな石垣がいたるところに点在している。しかも、大きな石を多用しており見応え充分。
次回の訪問は、雑草の少ない2月か3月に訪問し諏訪水(井戸跡)を確認したいと思っています。

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カルビン

JRの線路を挟んだ向こうは城主館&上杉景勝公母のお花畑 (2015/05/23 訪問)

2015年5月に、坂戸城・雲洞庵と合わせて上杉景勝に纏わる史跡を回った際に樺沢城にも訪問致しました。

登城口には上杉景勝誕生寺とされる龍澤寺があり、そのすぐ傍にある龍澤寺・樺沢城訪問者用無料駐車場に車を停めて早速登城。
登城口エリアは当時工事中で、最初登れないのかと思ってドキドキしてましたw


山城ではありますが、道がそんなに急では無く、比高もそれほどでは無かった為、登るのにそれ程体力は必要無いと思います。

が、新潟県とはいえ5月下旬には既に城域の道という道に熊蜂が縄張りを主張していて、歩く度に嫌な羽音が聞こえて騒がしい登城になりました(汗)
同様に雑草も思っていた以上に生えてしまっていて、結構散策し辛く、遺構が見辛い状態になってました。。。残念orz

ただ、それを差し引いても立派な遺構(横堀・深堀・堀切等々)が沢山見られましたので、もう少し早い時期に再訪したいと思ってます。
同様に龍澤寺もスルーしてしまった為、合わせて再訪しないといけませんなw


樺沢城はすぐ近くにJR上越国際スキー場前駅がありますが、訪問した時には日中にもかかわらず人気が無かったので、もしかしたらスキーシーズンしか開いていないのかと思いきや・・・一応通過列車は多いものの、常時止まる列車はちゃんとあるそうです。
もし電車利用での登城の場合は、時刻表を事前に確認して行かれると良いでしょう。

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たかりん

近世三大山城の筆頭格 (2015/10/24 訪問)

現存12天守の中で唯一「山城」に区分され、当然、最高所にある現存天守にもなります。事前に調べたとおり城見橋駐車場に車をとめてシャトルバスで登城口のある、ふいご峠まで移動。徒歩15分ほどの中太鼓櫓あたりから眺望が開け、さらに5分ほど歩いた大手門櫓跡周辺の石垣群は岩盤も巧みに利用して築かれ、凄い威圧感、これだけでもお金とっていいレベルです(笑)。三の丸、二の丸を通って本丸に到着。復元の南御門をくぐると「高さ」という意味では11mで現存最小の二重二階の天守がありました。既存の岩盤を削り出し、そのまま台座にして築かれてます、スゴい…。天守奥につながる二重櫓も現存遺構とのこと。天気も良かったので高梁川沿いに広がる高梁市街も一望できました。

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todo94

雪中の攻城 (2018/12/01 訪問)

大人の休日倶楽部パスを使って新青森駅に到着。レンタカーを借り受け、コンビニで昼食を済ませて横内城に赴く。天気予報通り、しっかりと雪が降っていた。常福院がその故地で城址碑はすぐに見つかった。湿って重たい雪が結構積もっており、靴が濡れてしまうことは必定だったので城址碑のみで退散しようかとも思ったが、念のため寺の裏手に回ってみるとかなり立派な空堀が巡っていた。住宅街の中の寺だったので意外だった。

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dougen

2017.211登城 (2017/02/11 訪問)

高槻駅近くの住宅地の中に芥川城址があります。
城址と言っても、宅地化のため遺構は残っていませんが、個人の民家の植え込みに城址の石碑が設置されています。

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dougen

2017.2.11登城 (2017/02/11 訪問)

山崎城からJR京都線高槻駅へ移動し、バスで塚脇バス停へ。バス停のところに解説板が設置されており、
解説板の案内図の通り進んで行くと搦手登城口となります。
そこから案内表示通りに進むと三好山にある芥川山城址に辿り着けます。
三好氏の居城だったこともあり、規模の大きい山城で石垣もあちらこちらに残っています。
石垣以外の遺構も郭や堀切も良い状態で残っているため城址散策が楽しめます。
遺構が多く残っているにも関わらず、史跡指定がされていないため、恐らく地元の有志の方々が整備してくれていると思われますが、国や自治体が史跡指定して整備するとさらに楽しめる城址になるかと思います。

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たかりん

愛姫生誕450年記念事業 (2018/06/16 訪問)

三春といえば自分的には滝桜と愛姫ですが、桜の方は昔、渋滞かきわけて行ったし、そもそも時期でないので、今回はスルー。まずは役場脇の狭隘な急坂上った先にある歴史民俗資料館で情報収集。愛姫生誕450年記念事業とかで萌えキャラ化された愛姫でPRしてました。まあまあ可愛かったです(笑)。資料館の向かいの小山が城山公園ということで、時間の都合もあり、入手したパンフをたよりに再び狭隘な急坂を不安になりながら上り本丸付近の駐車場まで車で移動し登城。中世、戦国期の城主は田村氏(愛姫の実家ですね)、江戸期は秋田氏が明治維新まで城主で近世城郭に改修されたとか書いてありましたが、現場での遺構の説明案内板等がほとんどないのが残念でした。

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にのまる

二つ引き紋コレクション (2018/12/02 訪問)

2代目古河公方、足利政氏の居館跡とされています。
政氏は嫡男の高基と仲が悪く、親子ゲンカが絶えなかったのだけれど、一般家庭ではなくTop of 関東のゴタゴタなので影響を及ぼす範囲も広くて、揉めている隙に小田原北条氏にまんまと入り込まれてしまい、結局この地に隠居した、というのが大体のところのようです。
ちなみに久喜と古河は電車で3駅14分。県境を越えますがそんなに遠くないです。馬なら…どのくらいでしょう?

現在立派なお寺(甘棠院)となっています。政氏の時代から続いているお寺のようですが、ここの前に寄った久喜陣屋とは600メートル程しか離れておらず、戦国期にはここも陣屋か何かだったかもしれません。

明瞭な土塁が残っており、入れませんでしたが政氏のお墓があるのだそうです。
分倍河原の高安寺城にもたくさんありましたが、ここにも足利氏の二つ引き紋があちこちにありました。

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カルビン

道が解り辛いんですよ (2015/05/01 訪問)

長野県には立派な石積みが残るお城が多くありますが、2015年のGWには、中でも散策しやすいと聞いていた平賀城に行ってみました。

当時の自車にはナビついておらず、更に事前に車を停める場所や登城場所を確認していなかった為に、路駐してお城への入口を探していたところ、丁度地元の老夫婦が散歩されていて、挨拶がてらお城の場所と登城口を伺ったところ快く教えて下さいましたm(_ _)m
やはり挨拶は大事です(-ω-)b

結果大回りして南西側にある住宅街を通ってお城のこれまた城山南西・道路の突当りにある水道関連の施設のところに2、3台車止められるスペースがあるので、そこに駐車して軽い藪に突っ込みました(注意)

北側に向かうと主郭へ向かう道にすぐに合流出来ますが、あえて藪の中を北東に進むと、ラフに積まれた石積み群を見る事が出来ます。
かと言ってそれだけ見て満足して主郭行かないのは勿体ないので忘れずに主郭にも向かいましょう。
注・血迷って石積みの急坂を直登しようとして、途中から登れない程に急坂になって、戻ろうにも戻れない状態になって立ち往生しましたので、よゐこは絶対にマネしない様にしましょうwww

緩いくねった坂道の先の虎口のところに平賀城の石碑と解説があり、そこから三ノ丸⇒二ノ丸⇒本丸と段曲輪になってます。
本丸手前にも石積み(石垣?)見られますが、こちらは後世に積まれたような感じで、ワイルドさが感じられませんでした(笑)


藪に突っ込んだ成果はありましたが、そのかわり着衣全身にありえないくらいの植物がへばりついてました(汗)

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チェブ

神聖なる新府城。 (2018/11/03 訪問)

続100名城は山城がメインとありましたが、階段かぁと見上げてしまいました。
とぼとぼ上り、インターバル地点で乙女坂を発見!迷わす階段から乙女坂に変更して行くと、ぜーんぜん可愛くない坂です。
到達すると本丸があり、勝頼公と家臣のお墓が見えます。
ここから岩殿城に向かう時、どんな気持ちで新府城に火を放ったか、考えてしまいます。

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イオ

腹が減っては戦ができぬ (2018/12/02 訪問)

山麓の居館と山上の詰城からなる中世山城ながら、随所に特徴の異なる石垣が見られ、次第に石の城に改修されていった様子が覗えます。

山麓から本丸までは600メートル、30分弱の行程ですが、急な斜面をつづら折りに一気に登ること、本丸からの眺望を楽しみながら食べようと思っていた昼食のおにぎりを買いそびれ、空腹を抱えての登城だったため、下山した頃には疲労と空腹でふらふらになり、この後行くつもりだった小浜城と後瀬山城はあきらめて退却することに…。さすがは10年にわたり朝倉勢の侵攻を退けた「難攻不落」の城ですね!(ちょっと違う)

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にのまる

御陣山公園 (2018/12/02 訪問)

街中の小さな児童公園です。
公園内に祠のある小山がありますが、これは陣屋とは関係なさそうです。
たくさんの子供たちが遊んでいたので写真は自粛しました。
陣屋跡の雰囲気は全くありませんが、地下には遺構があり、隣接する中央公民館に出土品が展示されているとのことです。
ノーマークの城址でしたが、東大宮まで用事で来たついでにちょっと足を延ばしてみました。これもご縁ということで。

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