文献資料上、引田城に関わる記述が見えるのは、江戸時代編さんの軍記物語「南海通記」に応仁年間に国人・寒川氏が領したとあるのが初見です。引田は讃岐国の東端にあることから、戦国時代には阿波三好氏との攻防があり、引田の城主は何度か替わりました。
天正11年、土佐国の長宗我部元親による讃岐侵攻の際、長宗我部軍と豊臣秀吉方の仙石秀久がこの地で戦いました。その後、「生駒記」によれば天正15年に豊臣秀吉の家臣である生駒親正が播磨国赤穂から讃岐国に入部した折、引田城に入ったが、ほどなく引田を離れ、高松に高松城を築城したとあります。
引田城へのアクセス JR高徳線引田駅から徒歩約20分 車では高松自動車道引田ICから約10分
讃州井筒屋敷(水曜定休日)で「続日本100名城」スタンプをゲットし、車で5分程走ったところにある引田港登山口から登城。登城口から10分程で、本丸の石垣(*^^)v本丸・天守台へ続き、天守台から山を下り化粧池へ。化粧池を見て来た道を戻り、南二の丸を堪能し大手門跡、北二の丸を堪能。中でも北二の丸と南二の丸の5m~6m程の高石垣は圧巻ヮ(゚д゚)ォ!こんな山の上に、よくもまあこの石垣を積み上げたものだと関心。この城の見所は、この石垣と、天守台跡から見る風待ちの港だと思います。
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