知念城から国道331号で半島を回り込む形で進み、佐敷小学校の手前の鳥居の道を上がったところに月代宮があり、佐敷城址となります。
国の史跡に指定されているものの、解説板のみで遺構らしい遺構が見当たりませんでした。
に出て少し茅野方面に戻ったあたりに上原城址へ登る林道があります。
海を見下ろす高台に位置していることが城址だったことを感じられる唯一のものです。
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2018/11/15 00:49
2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)
知念城から国道331号で半島を回り込む形で進み、佐敷小学校の手前の鳥居の道を上がったところに月代宮があり、佐敷城址となります。
国の史跡に指定されているものの、解説板のみで遺構らしい遺構が見当たりませんでした。
に出て少し茅野方面に戻ったあたりに上原城址へ登る林道があります。
海を見下ろす高台に位置していることが城址だったことを感じられる唯一のものです。
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2018/11/15 00:16
所在地となっている「金宝寺」は,蒲原津の底部。 (2018/11/14 訪問)
蒲原津は元来,南側に信濃川河口,北側に阿賀野川河口を合わせ持ち日本海に突出していた河口港であり,水運の拠点でもありました。信濃川の対岸側(左岸)は,新潟津。阿賀野川の対岸側(右岸)は,沼垂湊。蒲原津,新潟津,沼垂湊で「3か津」と呼ばれていました。
南北朝時代,新潟津の覇権は南朝側(天神山城の小国氏)で,沼垂湊の覇権は北朝側(加地城の加地氏)。蒲原津の争奪戦を4回。北朝側勝利。金宝寺は廃棄。
天正9(1581)年,越後平定に動いていた上杉景勝が木場城を造り,占拠していた新発田城の新発田氏を滅ぼしてこの地の制圧に成功を収めます。のちに金宝寺を再建。
これで安泰かと思いきや,新潟市内の土壌は基本砂浜。河口港ということで自然災害のたびに地形変化の憂き目に遭いました。そして,とうとう延暦年間(1673-1681年)に蒲原津は洪水で流され廃港になりました。
近代に入り,阿賀野川河口は約15km北側に変更されてます。また,信濃川は大河津分水で日本海に分流され,さらに関屋分水路で再び日本海に分流されてます。関屋分水路から現在の信濃川河口までは,埋め立て案も浮上したことがありましたが,回避して現在の形になっています。
《参考文献:新潟市「新潟市の歴史」》
ここで,個人的疑問がありまして,南北朝時代の金宝寺,天正9(1581)年再建時の金宝寺,そして現在の金宝寺は同一場所と言えるのかどうか?
新潟在住ということもあり,蒲原津全体を視野に入れた散策を決行しました。
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2018/11/14 23:36
東北三大石垣の城 (2017/05/03 訪問)
ゴールデンウィークに行ってきました。岩手県をいろいろ観光した後、盛岡城に向かいました。
盛岡市街地を走っていると急に立派な石垣が現れて思わず「すげー」ってなりました。さすが東北三大石垣の城と言われるだけあって圧倒されました。(ちなみに後二つは地元福島県の会津若松城と小峰城です)
主な城主は有名な南部氏!後に石川啄木などがこの盛岡で生まれています。築城期間は結構かかっていて、とても難航したそうです。でもその苦労のおかげで今の立派な石垣があるのだと思います。
また、僕の行った時はゴールデンウィークでほぼ桜が散っていたので春に来ると良いのかなと思います。
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2018/11/14 23:32
空には飛行機雲。山からは銃声。 (2018/11/11 訪問)
飯田線「木ノ下」から徒歩20分くらいです。
県道から斜めに入る道から行こうとしたら「福与城コッチ→」の案内板が小学校の横の坂を上がれと示していたので素直に従ったら、ものすごく遠まわりでした。
調略にのらずに自分の信じた道を進むべきだと反省しました。お車の方はどちらも通れますが、住民ルールがあるかもしれないし、遠まわり道の方が広くてよろしいかと思います。
福与城は信玄さんの伊那侵攻で焼かれてしまいました。が、信玄さんはそのまま放置することなくちゃんと鍬立てして復活させています。焼いておしまいじゃ意味ないですものね…。
そのおかげか、素晴らしい遺構に出会えました。屋敷群、南城、二の郭、北城と段々高くなって一番上に主郭。主郭からは下界が全て見渡せます。
主郭を囲む堀はかなり広くて深くて、ここに降りて見上げると、主郭がさらに高いところにあるように見えました。っていうか、高すぎて全然見えません。
土橋には巨大トンネルが貫通しており、どんなに視線を外そうとしてもつい目がいってしまいます。殿島城にも土塁トンネルがあったし、伊那地域は既存のものを転用する発想がきっと豊かなのだと思います。信玄さんの改修魂を受け継いでいるのかも⁉︎
このトンネルをくぐると二の郭につながります。その先には北城。北城から主郭へは階段で登れます。つまり、飽きるまでいつまでもぐるぐると一方通行で城内をまわれます♪
土塁や技巧的な虎口は見当たりませんでした。ほぼ居館っぽいので大堀だけで充分⁈
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2018/11/14 20:18
トレセンの近く (2014/12/28 訪問)
有馬記念で賑わっている2014年12月28日、偶然にもJRA美浦トレセンの近くにある木原城にやってきてました。
地図では近くにバス停が見当たらない為、公共交通機関での訪問は難しいかと。。。そのかわり無料駐車場あるので車なら安心です。
城址は公園化されたエリアとそうでないエリア(田畑等)に分かれていて、公園化されていないほうに深い堀とか土橋とか土塁があり、こちらは見応え十分です。
逆に虎口を抜けた公園側は遊具や展望台(矢倉風展望台・・・て書いてあった(笑))はありますが、公園化の為に堀が埋められて舗装されてしまっております。
(堀のあった場所の表記はされているので・・・親切なんだか、やっちまったんだか・・・w)
ただ、純粋に公園で遊びたい子供にとってはウハウハな場所かもしれません(遊具も結構豪華だった)
家族連れで訪問するのに良い城址ってところでしょうか。
季節問わず見学しやすそうではありましたが、やはり藪蚊と藪化を考えて冬から初春の訪問がオススメかと。
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2018/11/14 20:02
近江高島 (2018/11/13 訪問)
駅周辺がさみしい
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2018/11/14 19:59
2018/11/14 19:57
蒲生氏 (2018/11/14 訪問)
中野(日野)城址寄ったついでに、隣のダムによってカードゲット
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2018/11/14 19:03
木曽義仲の子供時代。 (2018/10/27 訪問)
どこかの城跡に行く途中にあった大蔵館跡。
その時は写真を撮って、散策に時間をかけませんでした。
後で調べてみると木曽義仲公のお父さんの館跡でした。
大蔵合戦があり駒王丸(義仲)は木曽に逃げたそうです。
「平家物語」でも「源平盛衰記」でも「吾妻鏡」でも木曽義仲公の名前は出てきます。
こんな有名人がいたとは!
と、簡単に大蔵館跡を見てしまった事を後悔してます。
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2018/11/14 18:10
城山 案内板 (2018/10/28 訪問)
城址は少し荒れてます。
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2018/11/14 18:08
土塁 (2018/10/28 訪問)
ここ撮影場所の直ぐ後ろは絶壁です、こちらからは攻められないでしょう!
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2018/11/14 12:53
公園にある案内板 (2018/10/28 訪問)
ここに来るのに少し迷いました、ナビにない新しい道を行ってしまったので戻り旧道から行きました。旧道からでないと行けないようです。
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2018/11/14 11:23
2018/11/14 09:15
手軽に土塁、空堀、虎口といった要素が楽しめる城跡 (2018/11/01 訪問)
城跡の規模は小さいですが、本郭を守る土塁や空堀を見ることができます。
車を停めて畑の奥の城跡へ行くと、そこが城跡だと明らかにわかる空堀が見えます。
近づいて空堀を眺めるとこれまたすぐ虎口だとわかる入り口も発見です。
郭の中は所有者の方が整備してくれているのか歩きやすいように整備してくれておりました。
小さいながらにも土塁、空堀、虎口など城跡のよだれが出る要素が揃った城跡でした。
駐車場はない為に集会所の前に少し停めさせてもらって見学してまいりました。
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2018/11/14 06:03
続日本100名城スタンプ65個目 (2018/11/10 訪問)
16時までにスタンプ置き場の高山神社に到着するために、昨年ただ1つ残してしまった「伊賀・亀山・津・松阪・鳥羽 城郭めぐり」の鳥羽城は、スタンプだけ捺して城はパス。松浦武四郎の生家もパスして津城に向かったが、途中、渋滞もあり高山神社の社務所に到着したのは16:03。まだ、鍵を閉められていなかったのでスタンプを無事、捺させて頂くことができた。城内を一通り散策して高山神社に戻ったときには完全に閉まっていた。
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2018/11/14 00:51
2018/11/13 23:02
信玄さん攻める→のち、高遠城の支城か。 (2018/11/11 訪問)
なかなか攻略し難いけれど、沿線にお城がたくさんあって魅力がいっぱいの飯田線をこの日は北(岡谷)から攻めてみました。
1つ目が沢渡駅から徒歩30分くらいの殿島城です。「殿島城址公園」になっていて、入り口に櫓門風の入場ゲートがありました。
この門をくぐる手前に左右に延びる大きな空堀があります。右手ははっきりとわかる二重堀で惚れ惚れ♡萌え萌え♡です。
とりあえず空堀はおいといて門の中へ。土塁にガッチリ守られていました。西側の崖下には帯曲輪もあります。虎口の先は現在は住宅地ですが現役時代は二の丸に続いていたようです。
土塁にはトンネルが通っていました。もしかして宇都宮城的なあれかしら?と思って近づいてみたら🚻でした(^_^;)でも、このトンネルを抜けると空堀に出られます。ドラえもんのタイムトンネルの気分が少しだけ味わえました。
が、これだけでは少し物足りなかったので、二重堀にドボン!
狭い堀底道は反りたつ壁に両側から迫られ、高さがあるので周囲の景色もわからず、しかも下っていくのでだんだん足早になってきて、何から逃げているのかわからないけれど、何者かに追われている気分になってきました。
しばらく逃げ続けると小さな石碑のようなものがいくつも現れました。何と、観音さまの後ろ姿でした。たくさんの観音さまに導かれるように辿っていくと、着いたところはお寺(護国寺)でした。ここから「観音さまの道」が殿島城の二重堀に続いているのでした。先ほどの「物足りない気持ち」はこれでチャラです。今度は観音さまのお顔を正面から見ながら来た道を登って戻りました。
大した距離ではないので、藪漕ぎしなくてもいい時期にお出かけの際はぜひ堀に降りてみてください。
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2018/11/13 22:22
高知城
決死の覚悟で任地に赴いた山内一豊の想いを体現するかの如く、周到に入念に防御が施された、誠にお城らしいお城。完存する本丸建物群を含め、通好みの見どころ満載。
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2018/11/13 22:04
ギラギラ (2018/11/04 訪問)
キラキラの本丸御殿を見れるということで、ワクワクしながら中へ入ってみると、キラキラどころかギッラギラだった。当時と同じ素材と技法を使っての再現ということだが、あのギラギラ感は当時の何割増しかになっているはず(と勝手に思う)。
金ピカの襖に書かれた色鮮やかで表情豊かな動物たちの絵は、いつまでも見ていられるほどの充実ぶり。また、透かし彫りの欄間の細工はとても細かく、思わずため息が出た。でも掃除するの大変そう。
それにしても、これだけの復元をできる名古屋の財力といか程のものなのか?ついつい皮算用してしまう。
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2018/11/13 19:26
良城多在地帯です (2015/10/18 訪問)
太田原と言うと、どうしても超高級牛肉のイメージがありました(笑)
と勝手にヨ〇レ垂らしつつ太田原城に登城しました・・・そういえば大田原牛の名前聞かなくなりましたね。。。
朝一より車で訪問しましたが、どうも周辺は霧が発生しやすいらしく、この日も以前周辺を通った時も運転が危険なくらいの濃霧が立ち込めてました。
良質なお城多在地帯(羽黒城、高館城、佐久山城、川崎城、等々)ですので車で来る事がオススメではありますが、悪天候には注意しましょう。
(JR西那須野駅からバスでも訪問できる模様)
太田原城は大きな曲輪を軸とした、これまた大きな土塁や堀の存在するダイナミックなお城になっております。
しかも山城ではなく、軽い丘程度の高低差しか無いので、ものすごく見やすいお城でした。
(訪問したのは秋ですが、霧がまだ残っていた事もあって、ものすごく寒かった為にゆっくり出来なかったのが心残りですorz)
ちなみにここ太田原城から、先日upしました福島県の棚倉城まで車で1時間ちょっと(42km程度)だったので、頑張って足を延ばすのも良いかもしれません(但し山越えで道は狭かったので要注意)
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