天正13年豊臣秀長公の大和郡山入部に伴い秀吉の家臣である伊藤義之が秋山城に入った。以後、豊臣家配下の大名により大規模な改修が行われ、少なくとも虎の口、帯郭、大御殿郭、本丸、天守郭は高石垣で構築され大規模かつ複雑な枡形虎口の採用、礎石建ち瓦葺建物構築など近世初期城郭の特徴を良好に保持されています。
春日神社からの登城口は倒木の為、登城できず続百名城のスタンプが置いてあるまちづくりセンター「千軒舎」横から登城しました。
本丸西虎口横に「危険立ち入り禁止」の看板が(°д°) 「えーいままよっ」ってことで、ロープを乗り越え西帯郭へ足を踏み入れ愕然(°д°)
台風の影響で大規模な崩落が2箇所認められ、よく見ると石垣も崩れているのが見える(´・ω・`)ガッカリ・・・。
大規模崩落の横を、恐る恐る忍び足で通り過ぎ南東虎口へ(大門跡)南東虎口横の苔むした石垣を見て心が躍った(((o(*゚▽゚*)o))) この苔むした石垣も戦国後期には大門を支え幾多の戦国大名がこの石垣横を通り過ぎたのだろうと時を忘れ、ただ眺めていました。
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