山城巡りは新入生、土木工事は約25年携わってきた私のパッと見た見解ですが、「これは堰堤や貯水槽ではなかろか」です。駐車場から三ノ丸堀→西ノ丸→西櫓→元西櫓→箱井戸→駐車場のコースでしたが、まず地形的に西櫓から元西櫓への高低差が大きく、元西櫓の北側がこの城全体でGHが最も低く急勾配の谷になっており、障子堀や畝堀が無ければ、降った雨は瞬く間にこの谷に流れていったと思います。箱根峠では、雨水は貴重な資源だったはずです。土質についてですが、私は主に静岡県西部の人間で、この地方の土質は詳しくありませんが、扱いずらいのは間違いないと思われます。仮に障子堀等が無いと、堀に流れ込んだ雨水が一気に谷へと走り、堀底や法面が洗われて(削られて)しまい、城に大きなダメージを与えてしまうのではないかと想像します。また、私ならですが、必要以上に掘った悪い土を曲輪に土塁や曲輪形成に盛りたくありません。したがって、「あえて、必要以上に掘らずに格子状に残した」という発想を私見とします。
さて、何故各所台風被害で滑っているのかも私なりに考えてみました。
まず、昭和48年から山中城の復元工事を行なったとありますが、大工事だったと思います。本当に敬意を表したいし、感謝の念しかありません。それまでどうなっていたかわかりませんが、戦国時代からの長い眠りの年月で、木々が力強く根を張り、山城は自然の地形に戻っていた事でしょう。それを伐採抜根し、発掘調査して復元。我々に見やすいように且つ、法面を保護したく、低木を植えて管理してきてくれたと想像します。それが台風等の大雨でしょうか、伐採→発掘→法面張り付け盛土した箇所をいじめ、法面の表土滑りを起こしたと想像します。はっきり言って仕方ありません。山城の法面を当時の資料をもとに復元すべく工事すれば、我々が普段作成する「安定勾配」を無視して作成せざるを得ないからです。「円弧滑り」もあったように見えます。曲輪に溜まった大量の雨水が、行き場を失い法面崩壊に起因する現象です。私的にはですが、崩れたら仕方がないと諦めるので、また本来のままに復元しましょう」と意見したいです!!
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