みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

赤い☆稲妻

二本松城 (2017/08/12 訪問)

夏休みの東北旅行で福島へ。
初日に二本松城〜猪苗代湖〜鶴ヶ城へ。
100名城スタンプは少し離れた歴史資料館へ。
ここも戊辰戦争の予習をしておくと見どころ倍増。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ミッピのパパ

どこでも桜と城も似合います。 (2019/04/07 訪問)

言わずとしれた藤堂高虎の城、津城。本丸を囲う堀と石垣が、かつての城の威厳を残している。

+ 続きを読む

赤い☆稲妻

掛川城 (2018/05/13 訪問)

浜松旅行の帰りに訪問。
大手門駐車場からが便利。
数少ない現存御殿。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

令和隊長

熊本城 (2019/06/05 訪問)

復興途中の熊本城です

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い☆稲妻

松代城 (2018/07/14 訪問)

夏のイベント連戦を前に長野遠征。
小諸城〜善光寺〜松代城と訪問。
真田の里として街をあげて大切に保存されてます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い☆稲妻

小諸城 (2018/07/14 訪問)

夏のイベント連戦を前に長野遠征。
小諸城〜善光寺〜松代城と訪問。
小諸城の石垣は見どころです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

岐阜城登城 (2019/01/12 訪問)

岐阜城は信長が美濃を平定し、天下を視野に入れ始めた頃の城。
天守からの眺めは濃尾平野を一望でき、素晴らしい。
きっとここから如何に天下を取るか、考えていたのだろう。
当時の石垣も残っており、心躍る城である。

+ 続きを読む

赤い☆稲妻

白河小峰城 (2019/06/08 訪問)

会社の仲間にて東北ツアー開催。
白河小峰城〜鶴ヶ城と訪問。
震災からの石垣の補修も進み、集古苑あたりが整備されていました。
白河駅反対側に抜けて、白河ラーメンも堪能できました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い☆稲妻

会津若松城 (2019/06/08 訪問)

会社の仲間にて東北ツアー開催。
白河小峰城〜鶴ヶ城〜飯盛山と巡りました。
戊辰戦争の歴史を追うだけでも見応えあり。
天守や櫓は再築ですが、東北随一の遺構です。
時間があれば二本松城も行きたかった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

獣、出るって(汗) (2014/10/25 訪問)

後北条氏の、対武田用狼煙台ラインの1ヶ所目、檜原城に登城する事に。

熊出没情報が多く、秋も深まってきた頃を狙っての訪問でしたが・・・
駐車する場所が無いので、登城口のある吉祥寺で駐車させて頂く事をお願いし、快く了承して頂いた際に、
「獣が出ますので注意して下さいね~」との事。。。ゑ、まだ出るんですか?と尋ねると、「まだ全然出ますよ~」って(滝の様な汗)

墓地の裏手へ山道が伸びているんですが、結構な急斜面で、そのすぐ傍にある檜原城で有名な山上から麓まで繋がっている竪堀の周辺を九十九折で登っていきます。

角度もキツく、道幅も狭いので、高所恐怖症でメタボな自分には動物遭遇の恐怖も重なって過酷極まりない登城でしたw
もう竪堀見ただけで帰ろうかと本気で思った程です(汗)


やっと登り切ったところにある開けた場所は二ノ丸跡になり、その先に麓へ延びる竪堀に派生している堀切・主郭手前の段曲輪、主郭の小曲輪・堀切・堀切と尾根沿いに遺構が続き、そこで城域は終わりの様でした。

檜原城登城される際には少なくとも靴はしっかりしたものを準備される事様に・・・杖もあると良いかも。。。あと動物除けの鈴ねww


登って来た側と反対の山裾に払沢の滝がある為か、どうも同じ山でも水の手が豊富な場所にやはり熊は生息するみたいですね。。。
なのでお城の北側から西側、特に山道の無い場所からの直登・直降等は足場以上に獣とバッティングする可能性高いのでやらない方が良いでしょう(危)


帰りに車駐車させて頂きまして有難う御座います、と無事生還を吉祥寺に伝えて帰りました。。。

この日戸倉城も攻略するつもりが、檜原城でスタミナを使いきったので後日に回し・・・その後4年経ってやっと登ったというw

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

私の城下町 (2019/06/02 訪問)

今回はサイクリングで城巡りです まずは旧日光街道のお茶屋口からスタート、入って直ぐにの右角にあるお茶屋さんでおまんじゅうを買いました 。100円でとても美味しい! そこから道なりに行くと出城跡 、博物館が出来る前は深い水堀でしたので柵で覆われてましたが今は出城の雰囲気が無いですね。ここから追手口へ途中の百間堀跡は今は住宅地になっていますが昔は蓮沼として百間堀の名残りがありました今は残念!
追手口から遺構を求めてウロウロ最後は土手上サイクリングロードにある城址の石碑へ ここで買ったおまんじゅうを食べながら・・・昔この石碑の裏土手下に古河城の埋め残した水堀があったことを思い出しましたおそらく本丸周りの水堀でしょう。
写真は、今回巡った順番です。最後の写真はおまけで思案橋に立つ静御前の銅像。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

退会済み
ユーザー

コラボ (2019/06/09 訪問)

城とテッポウユリとのコラボです。

+ 続きを読む

小城小次郎

中城城

琉球の英雄・護佐丸渾身の縄張りは東に向けて鉄壁の防御を凝らす(散策路はどういう訳か西から入る)。14世紀まで遡る可能性のある石垣が出たことでも最近話題に。

+ 続きを読む

たにgucci

見つけにくい。

ナビで行くと反対側から案内。
見つけにくかったです

+ 続きを読む

たにgucci

門と石碑 (2019/06/08 訪問)

見つけにくいです、

+ 続きを読む

たにgucci

小雨降る中攻城 (2019/06/08 訪問)

綺麗に整備されていました。

+ 続きを読む

くろもり

忠臣・朝比奈 (2015/05/24 訪問)

全国に4つしか現存していない御殿がある掛川城。
他の3つは、埼玉県の川越城、京都府の二条城、高知県の高知城です。

さらに、木造復元された3重4階の堂々とした天守。
この木造復元天守も全国に5つしかありません(実質天守の三重櫓含む)。
他の4つは福島県の白河小峰城三重櫓、宮城県の白石城三階櫓、新潟県の新発田城三階櫓、愛媛県の大洲城天守です。

天守を木造で復元する意味なんてあるのか?なんて疑問の意見を耳にしますが、木造復元された天守に行ってみて思ったのは、「天守は木造でこそ!本当に素晴らしい」です。なので、名古屋城の木造復元も凄く楽しみにしています。ただ、コンクリートの天守を否定するつもりはありません。鶴ヶ城や名古屋城や熊本城の天守も好きです。コンクリートでも再建してくれた先人の情熱に感謝しています。

後、ここからは武将の話になるのですが、ここ掛川城は東の甲斐・武田氏と西の三河・徳川氏に攻められ駿府館を脱出した今川氏真公を城主・朝比奈泰朝公が半年間程守ったとされる泰朝公の忠義の場所なので、訪れることができて嬉しかったです。掛川の地は、武田・徳川共に喉から手が出るほど欲しい土地だったと思うので、泰朝公もかなりの高待遇でどちらの陣営にも迎え入れられたと思いますが、主君への忠節を選び、掛川城開城後は、主君・氏真公と共に後北条氏の元へ退去したようです。

掛川城から北東に徒歩10分程にある掛川古城には、大堀切跡があり、想像していたよりも迫力あるものでしたので、中世城郭好きな方におすすめです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

スミヤキ

武田三名城 (2019/04/09 訪問)

「甲陽軍艦」によると駿河久能山城と上野岩櫃城とともに武田の三大名城だそうです。

岩殿山城は山梨県大月市にある標高634m の岩殿山に築かれた連郭式山城です。甲斐国都留郡の国衆小山田氏の居城です。相模・武蔵と接する境目の城、軍事的拠点として武田家の重要な役割を担っていました。周囲を切り立った裸岩の絶壁で固め、深い渓谷を作る桂川、葛野川を自然の外堀とした難攻不落の山城です。特に南側の剥き出しの円礫岩からなる垂直にせり上がる高さ100mの絶壁は、視覚効果も抜群の圧倒的な迫力です。

お城までは麓の大月駅から小一時間程のプチ登山で大半、石段を登ります。途中、築坂の大手門や巨大な自然石の間に設けられた揚げ城戸跡など見所も有り、本丸周囲には馬場や狼煙台、物見台跡なども。本丸山頂からは富士山が望め、秀麗富嶽十二景、関東の富士見百景にも選定されています。かつての狼煙台跡地に現在は電波塔が建っており、今も昔も情報通信の拠点に変わりがない事が、面白いですね。訪問時は、桜が満開で見事でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

高島城 (2018/11/04 訪問)

【続百名城22城目】
<駐車場他>天守台西側脇に城公園の無料Pあり。 
<交通手段>車

<見所>冠木門・石垣

<感想>1泊2日信濃攻城の旅3城目。諏訪に宿泊し朝8時に来城する。まず内堀を1周する。内堀は方形で外周は600mもあるかぐらい小さい。堀石垣は野面積みでさほど高くなく苔が付いてて味がある。本丸内は現在は池の庭園や藤棚になっていて北と東側は土居になっている。本丸北側に冠木門と呼ばれるが絵図から堂々とした櫓門を復興して見応えある。西側は今は三の丸の裏門(現存)が移築されている。艮の方角に隅櫓が再建されて茶屋になっている。天守は小天守跡の石垣があり、残念なことに天守出入口のコンクリの渡階段廊下で埋めてしまっていた。連結式の天守だったのだろうか。天守は天守内にある明治初期の古写真の通り良く再建されていて、望楼型の大きな破風、秀麗な感じで湖上の城を連想させる。しかし下見板の色が薄茶なのがあまり自分好みではなかった。当時は何色だったのかな?高島城築城者の日根野高吉、父の弘就という戦国武将も知らなかったのでこちらも興味がわいた。

<満足度>★★☆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

清洲城登城 (2019/01/05 訪問)

信長が生まれ育った城であり、日本の戦国史にとっても極めて重要な意味を持つ城である。
新幹線から見ることが出来る。天守の近くには信長像と濃姫像があり、ロマンを感じさせる城でもある。

+ 続きを読む

ページ1485