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雨中の散策 (2019/10/25 訪問)

 神通川と支流である土川の間の台地に築かれた連郭式の城址で北東西は断崖絶壁で囲まれています。圧巻は本丸を囲む大空堀です。登城口から入って本丸に向かうとすぐに見ることができます。大手口へ行き、その後各曲輪や竪堀、空堀、井戸跡などを見ながら城生口へ出て来ました。かなり見ごたえにある城址です。非常に楽しみにしていた城址ですが、訪れたときは気合の入った雨が降っていて傘を差しながらの見学になったのが痛恨の極みです。撮った写真を見てみると傘を持って雨中に撮ったためだと思われますがボケている写真が多く悲しかった。最後に腰曲輪に行きましたが、一人が通ることが何とかできる程度の道を進みます。片側は急峻な崖になっていてかなり怖かった。

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朝田 辰兵衛

根知城散策 2/2(上城山城,栗山城)を。 (2019/10/26 訪問)

根小屋城,詰城の上城山城,館城の栗山城(ウツグラ館)を総称して根知城と呼称しています。
信濃・葛尾城主だった村上義清が武田信玄に領地を奪われ,上杉謙信に救援を求め越後へ。謙信は,村上義清をこの根知城の城主として,信濃国境監視に当たらせました。栗山城(ウツグラ館)登城ルートからちょっと外れたところに,村上義清の墓所もあります。
なお,子の国清は,不動山城を越えた先の徳合城の城主に命じられています。さすがの謙信も,親子で領地が隣接していると良からぬと考えたか…?
上城山城は,標高:527m,比高:420m。根小屋城の南側尾根伝いに徒歩約20分。
登城タイミングが早かったせいか,主郭の標柱を発見できず…<泣>。
しかし,眺望から主郭であると判断しました。
上城山城から栗山城へ抜けるルートも存在してますが,ちょっと危険と判断。ひとまず下山してから栗山城を目指しました。
栗山城は,標高:170m,比高:70m。栗山城の植物の生長ぶりは,土塁の形状も見事に覆いつくしていました。取れ高が少ないのはそのせいだと思ってください。

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朝田 辰兵衛

根知城散策 1/2(根小屋城)を。 (2019/10/26 訪問)

根小屋城,詰城の上城山城,館城の栗山城(ウツグラ館)を総称して根知城と呼称しています。
信濃・葛尾城主だった村上義清が武田信玄に領地を奪われ,上杉謙信に救援を求め越後へ。謙信は,村上義清をこの根知城の城主として,信濃国境監視に当たらせました。栗山城(ウツグラ館)登城ルートからちょっと外れたところに,村上義清の墓所もあります。
なお,子の国清は,不動山城を越えた先の徳合城の城主に命じられています。さすがの謙信も,親子で領地が隣接していると良からぬと考えたか…?
根小屋城は,標高:370m,比高:270m。勝蓮寺の南側に登城口アリ。JR根知駅から徒歩約20分で登城口。登城口から主郭までは徒歩約100分。
私の登城タイミングは,少し早かったな…と感じました。しかし,週末貴重な登城日和に恵まれた上越地方に呼ばれてる気がしたもので…<笑>。

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cafeline

守谷市の原点 (2019/07/28 訪問)

ニュータウンとして栄える守谷市の原点を見ることができます。

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勝興寺 (2019/10/24 訪問)

勝興寺付近が城址です。
櫓かと思う鼓堂が印象的です。外から回ると土塁や空堀が良好に残っていることを確認できるようですが、今回は確認できていいません。

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神保氏の城 (2019/10/24 訪問)

 射水市立放生津小学校が跡地です。北側に案内板があります。土塁がありましたが当時ものではなく、遺構は地下に眠っているようです。

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越中三大山城 猪注意 (2019/10/24 訪問)

 越中三大山城のひとつですが、公園となっていて遺構はあまりありません。曲輪と思われるような平場がいくつかありますが、どこまで当時のものかはわかりませんでした。石垣も一部残っています。頂上入口にも看板がありましたが、地元の方の話では最近は猪が多くなったようで要注意とのことです。早々に退却しました。

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岬の城 (2019/10/24 訪問)

 富山湾の面した半島の独立丘陵にあり海側は断崖絶壁となっています。神社などがあり歩きやすのですが、これといった遺構はありません。いくつかの平場が城の雰囲気を伝えています。

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陣城かも (2019/10/24 訪問)

 「氷見あいやまガーデン」を通り過ぎて森寺方面へ進むと右手に堀底道のような通路があります。標識も案内板もありません。その通路を進んでいくと左手に階段があり登って行った先が城址です。こじんまりしていますが浅くはなっていますが横堀や竪堀、土塁などを見ることができます。草木もある程度見学しやすい城址です。ネットにて何人か述べられているように陣城のような雰囲気があります。

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良好な遺構 (2019/10/24 訪問)

 かんり広い城域があり遺構も見ごたえがあります。主な場所は道も整備されていて歩きやすかった。
初めに搦手へ行き食違い虎口、堀切などを見て、引き返し主郭へ向かいました。牛ヶ窪から百間馬場日向かう途中に左手にいくつもの堀切を確認できます。本丸および二ノ丸周囲にも一部石垣を見ました。カンジャ屋敷から金戸山へ行こうとしましたが倒木などで行くことができませんでした。野崎屋敷の先にある二重堀切等の遺構はすばらしく、この城址の見所の一つでしょう。展望台先にも二重堀切はありましが、西念寺へ降りて行く道から確認できます。ただ西念寺方面へ向かって森寺集落に降りて行くと30分近くかかりました。

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国重

尼子十旗めぐり 3城目 (2019/10/26 訪問)

熊野城は尼子十旗の一つとして富田城攻防の重要拠点であった。城主熊野氏。永禄6年(1563)9月、白鹿城を包囲していた毛利元成は、後方から牽制する熊野久忠を討つため、熊野城を攻撃したが撃退された。元亀元年(1570)布部合戦の後、
牛尾城の落城を見て開城した。かわって富田城の城督だった天野隆重が入城。【須谷地区公園 案内板より】
所在地  松江市八雲町熊野
標 高  280m 比高  180m

熊野城・三笠城・高麻城と三城まわる予定だったか、熊野城主郭でいきなりの雨。今回は熊野城だけになりました。
登山道は、最近草刈りがなされており気持ちよく登れました。曲輪は竹藪になっています。マムシ注意の標識がありました。流石にもういないだろうと思っていましたが、雨に降られ下山中に出くわしてしまいました。蛇が大の苦手な私は、思わず叫んでしまいました。

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織田晃司

干潮時を調べて (2019/10/26 訪問)

舟隠しの内部を見に行こう

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赤い城

大森神社の裏に (2019/10/22 訪問)

大森神社に駐車場があります。パンフレットも置いてありました。
地元の奥村氏によって築かれた城ですが森長可によって落城、その後は美濃金山城の支城となりました。
山頂の主郭からのを中心に堀や土塁が残っていました。

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丹羽長重

🚻古代の水洗トイレ🚻 (2019/08/12 訪問)

夏休みの秋田旅行の2日目。この日は久保田城を見たあと近くの秋田城に行きました。僕は秋田城に何があるのか分からないまま行ったので、正直はやく見終わるんじゃないかなと思っていました。でも、行ってみたらかなり魅力あるお城でした。
まずお城に到着。駐車場の近くにある史跡公園管理棟でスタンプを押し、いざ向かいます。
最初に見えてくるのは東門です。見てすぐにあ~古代って感じだな~と思いました。赤と白のコントラストはとても綺麗でした。また、横に連なる築地塀も現存してるっぽく復元されていました。
さて、ここで少し歴史を紹介します。秋田城は奈良~平安にかけての城柵で出羽(山形県)北部の行政などの中心地だったそうです。ちなみに秋田城は朝廷によって設置された城柵の中で最北にある城柵だそうです「Wikipedia引用」
そうして東門をくぐり秋田城の中へ。池があったり、建物跡があったりきちんと整備されていて非常に見学しやすかったです。
そして、一番といっていい見所古代の水洗トイレを見学!(勝手に一番と言っています😅)初めて見た感想は個室がデカイ!ってところです。なんか今のトイレとは全然違って興味深かったです。今は水を流す体験はできますが、実際にしては行けませんww

そんな感じで魅力ある秋田城でした。
今回は時間がなく秋田城跡歴史資料館は見れなかったのでまた次来たいです。

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まんのすけ

吉田城 鉄櫓 (2019/10/23 訪問)

石垣が素敵な城。

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橋吉

墨俣城 (2010/11/17 訪問)

墨俣(現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣)は、美濃と尾張の国境で、長良川沿いに位置しています。
ここに城を築けば、岐阜城(当時は稲葉山城)まで、船で簡単にアクセスできるので、美濃攻めを目論む織田信長にとって喉から手が出るほどほしい土地ででもありました。

それゆえ、美濃側はこの地に築城することをけっして許さず、信長家臣の佐久間信盛、柴田勝家が試みるもあいつい失敗しました。
しかし、木下藤吉郎が名乗りを上げ、一夜にして見事に築き上げ、後の出世の出発点となったという伝説が残っています。

しかし、この立派な天守閣、そして太閤出世橋。一夜では出来んでしょ?
屋根にはしっかり金のシャチまでのっているし・・・・・!

バブル景気の最中、竹下内閣は「ふるさと創生資金」と銘打って全国の各市町村に1億円ずつバラ撒かれたことがありました。
このときに、史実に基づかない城を立てた自治体もいくつかありました。
墨俣町(当時)も、墨俣城の整備にその資金があてがわれたのでした。
かくして歴史にそぐわないデザイン・規模の天守閣のような建設物は作られ、反対した議員名は瓦に記されたとか・・・・(ニュースで聞いた覚えがあります)

このようないきさつもあり、墨俣城はマニアの間では酷評なのです。

天守閣に見える建物は、大垣市墨俣歴史資料館となっています。
歴史資料館は「墨俣の歴史」「墨俣築城」「豊臣秀吉について」などがわかりやすく展示され、これ自身はなかなかよいものでした。
史実に基づかない天守閣ではなく、地元ゆかりの建築デザイナーなどに設計した建物にすればよかったとおもいます。

資料館によると墨俣城は一夜ではなく数日の昼夜突貫工事で作られたと考えられているそうです。
秀吉が成功した秘訣は、
① 木曽で木を切り出し、木曽川を下降しながら製材・加工・蓄材を
    それぞれ別の場所で行い、現地では組み立てるだけのプレハブ工法を用いた。
② 美濃側に「北勢攻めの準備をしている」とのウソの情報を流した。
③ 失敗に終わった前任者は土塁で敵襲を防ごうとしたが、
    秀吉はまず馬防柵を張り巡らせた。
ことがあげられるようです。

けっきょく、現地で一番史実に基づいているのがこの馬防柵ということでしょうか。


最上階から金華山を臨みました。山頂に岐阜城が確認できます(山麓の建物は岐阜県庁です)。

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todo94

リベンジ成功 (2019/10/13 訪問)

2014年に訪れたときは、携帯不携帯のため電話をかける事が出来ず、模擬天守の国民宿舎だけで撤退していました。今回は、鍵を開けて頂きたくさんの郭を見て回る事が出来ました。帰りは南京錠を自分でかけるよう言われましたので、時間を気にせず、マイペースで散策する事が可能です。

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ヒロケン

野面積みの石垣 (2019/10/19 訪問)

越前大野城は亀山を利用して築かれた城で、梯郭式に分類され、亀山の山頂を削って本丸を造り、亀山の麓に二の丸や三の丸を配し、平山城という形式の城です。

越前大野城は三度目の訪問で主に北陸方面の城を攻略する、行きか帰りに立ち寄る城です。この日は、結ステーションに車を駐車し、南登り口より登城。結ステーションから南登り口まで徒歩5分です。他にも南登城口前と亀山の西側にも駐車場があり、知っている限り全て無料の駐車場です。
南登城口から越前大野城天守閣まではおよそ20分で、この日は雨が降っていましたが、傘をさしての登城でも登城道が整備されており難なく快適に天守閣まで登ることができました。

個人的にですが、この城のお勧めは野面積みの石垣で、高くもなく、広くもなく、大きくもない石垣なのですがどことなく惹かれる石垣です。二層四階の天守閣と付櫓もなかなか姿が良く見所の一つです。そして、竹田城・備中松山城と同じく雲海が見れる城としても有名です。

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赤い城

二重堀切が素敵 (2019/10/22 訪問)

可児郷土歴史館に車をとめ、道路を渡ったところに登城口があります。
久々利氏の居城で結構大規模なものですが森長可によって落城しました。
曲輪や虎口、堀切と遺構は良く残っていて見応え十分でした。
あさイチ雨上がりの堀切でズルっと、この日その後の登城も泥だらけで行うことになりました。

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カルビン

我に七難八苦・・・いらぬw (2019/10/19 訪問)

米子城前の久米町バス停からイエローバスにて市立病院前で下車。
道中子供がずーっと音痴なくせに大声で歌っており気分萎えまくり(この地方全体的にそうでしたが、子供の躾が・・・(怒))

バス停からは尼子経久騎馬像を見つつ安来市立歴史資料館で100名城スタンプと御城印入手、荷物を預けて(300円)いざ月山富田城へ。
・・・悪天候のままだった為か、荷物預ける際に「これから登るんですか?」と聞かれ(美濃金山城でも同じ事聞かれた(笑))

山中鹿之介像、花ノ壇、山中御殿までは距離あったもののスムーズにたどり着きましたが、そこから見上げた三ノ丸以降の高所に絶叫
( ゚Д゚)( Д゚゚)( Д゚)゚(Д)~゚゚

七曲りと呼ばれる九十九折(実際には11曲りあった)の急斜面を行きも絶え絶えで登る。。。
道が整備されていた為、雨模様でも問題無かったのが救いでした。

三ノ丸まで登った後は緩斜面を奥に二ノ丸→本丸と進み、ようやく月山富田城制覇致しましたε=(´Д`;)

御殿から三ノ丸・二ノ丸に石垣があり、二ノ丸と本丸間には大堀切と、流石に元祖100名城に選ばれるだけのお城でした。
ただこの日米子城に続く山城攻略と、雨天での体力消耗に加え、日頃の運動不足及び水分持参忘れたせいで、二ノ丸にあった東屋で結構な時間休憩を余儀なくされましたorz

東屋にあった山中鹿之介の「我に七難八苦を与えたまえ」のフレーズ、、、自分にはノーサンキューでしたwww

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