室町前期に富島氏が築城し、戦国末期には浅井氏と織田氏の境目の城となりましたが、織田氏が美濃と近江を領したことで役割を終えて廃城。関ケ原の戦いに際して、西軍総大将・毛利輝元の本陣とすべく石田三成の命により大垣城主・伊藤盛正が改修するも、輝元は大坂城から動かず、小早川秀秋が盛正を追いやって布陣しました。松尾山からの小早川隊の東軍への参戦が勝敗を左右したのはご承知のとおりです。
急ごしらえの陣城かと思いきや、山頂の主郭から北東、東、南、南西にのびる各尾根筋に曲輪を設けた大規模な山城で、各曲輪(南西の曲輪を除く)の周囲を土塁がめぐり、主郭の南部には土塁で枡形虎口が築かれていて、北側には竪堀が長く伸びています。そして主郭からは関ケ原の主戦場が一望のもとに見渡せます。北東の曲輪の土塁には折れが設けられ、南の曲輪には堀切と土橋の先に虎口があります。西の曲輪と南西の曲輪の間には大きな堀切、南西の曲輪の南端尾根筋には堀切が交互に3本並んでいます。また、曲輪間の斜面などに階段状に曲輪が設けられ、大軍の収容を想定していたものと思われます。
前々から関ケ原古戦場に行ってみたいとは思っていましたが、昨秋の山城サミットでガイドマップをもらって行きたい思いに火がつき、ニッポン城めぐりの関ヶ原イベントにあわせて訪れることができました。…と言っても、松尾山城については「関ケ原の戦いの転機となった地でもあるし、せっかくだから登ってみるかな。遺構もあるようだし」程度でさほど期待してなかったんですが、まさか遺構がこれほどの規模で状態よく残っていたとは! 北麓の登城口駐車場から主郭まで約30分を要しますが、特に急登でもなく歩きやすい道ですし、時間が許せばぜひ登ってみて下さい。ただ、松尾山はヤマビルが出るらしいのでご注意を。この日は真冬だったので遭遇せずに済みましたが…。
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