みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

イオ

ただの陣城にあらず (2020/02/01 訪問)

室町前期に富島氏が築城し、戦国末期には浅井氏と織田氏の境目の城となりましたが、織田氏が美濃と近江を領したことで役割を終えて廃城。関ケ原の戦いに際して、西軍総大将・毛利輝元の本陣とすべく石田三成の命により大垣城主・伊藤盛正が改修するも、輝元は大坂城から動かず、小早川秀秋が盛正を追いやって布陣しました。松尾山からの小早川隊の東軍への参戦が勝敗を左右したのはご承知のとおりです。

急ごしらえの陣城かと思いきや、山頂の主郭から北東、東、南、南西にのびる各尾根筋に曲輪を設けた大規模な山城で、各曲輪(南西の曲輪を除く)の周囲を土塁がめぐり、主郭の南部には土塁で枡形虎口が築かれていて、北側には竪堀が長く伸びています。そして主郭からは関ケ原の主戦場が一望のもとに見渡せます。北東の曲輪の土塁には折れが設けられ、南の曲輪には堀切と土橋の先に虎口があります。西の曲輪と南西の曲輪の間には大きな堀切、南西の曲輪の南端尾根筋には堀切が交互に3本並んでいます。また、曲輪間の斜面などに階段状に曲輪が設けられ、大軍の収容を想定していたものと思われます。

前々から関ケ原古戦場に行ってみたいとは思っていましたが、昨秋の山城サミットでガイドマップをもらって行きたい思いに火がつき、ニッポン城めぐりの関ヶ原イベントにあわせて訪れることができました。…と言っても、松尾山城については「関ケ原の戦いの転機となった地でもあるし、せっかくだから登ってみるかな。遺構もあるようだし」程度でさほど期待してなかったんですが、まさか遺構がこれほどの規模で状態よく残っていたとは! 北麓の登城口駐車場から主郭まで約30分を要しますが、特に急登でもなく歩きやすい道ですし、時間が許せばぜひ登ってみて下さい。ただ、松尾山はヤマビルが出るらしいのでご注意を。この日は真冬だったので遭遇せずに済みましたが…。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

YAICHI

御茶屋御殿跡と合わせて (2020/02/09 訪問)

枚方城は現在の枚方小学校の建っている場所にあったと言われています。遺構はおろか、石碑、案内板もありません。城主は百済王氏の末裔と称する本多内膳正政康なる人物で、娘を秀吉の側室に出しています。秀吉は城址近くに御茶屋御殿を建て、娘をそこに住まわせたと伝わります。御茶屋御殿跡展望広場は綺麗に整備された公園で、眺望もよく、合わせて訪問されるとよいと思います。

+ 続きを読む

tos-M

信濃の名城 国宝・松本城 (2014/08/25 訪問)

松本城はいつも登山帰りに寄りたいと思っていたお城。この日は上高地を目指して国道19号線を車でとばしていたが、天気は下り坂。迷った挙句、登山をあっさりあきらめ行った場所が松本城でした。地味に黒いお城の印象でしたが、お堀端から見る角度で違った顔を見せるお城にうっとり。視覚効果抜群のきれいな現存天守でした。黒門や太鼓門も復元されており、枡形虎口を形成されているため入城時に防御力を体感できるいいお城ですね。

+ 続きを読む

todo94

大善寺 (2020/02/08 訪問)

大善寺の上が衣笠城で大善寺まで車で行けましたが、細い道の上に、限界に近い急坂登でした。麓に駐車場所があるわけではないので仕方ないですけれども。2022年の大河ドラマにこの城が出てくることを期待しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まーやん

現地では河原城(または若鮎城)と呼ばれています (2020/02/02 訪問)

因幡はかつて山名氏が治め、戦国期には山名豊氏が治めていたが、秀吉が鳥取城攻めの際に陣を張り、ここから出陣、帰陣したとのこと。
若桜鬼ヶ城攻めで大満足だったが、いいお城を見つけラッキーだった。
時間が遅く館は閉まっていたが、鮎の名川:千代(せんだい)川や鳥取砂丘が望める展望台だそうな。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まーやん

スタンプも登城もリベンジ (2020/02/02 訪問)

2018年秋、出石・有子山城を攻めた後に向かったが、折からの台風による土砂崩れで登山道が通行止め。わかさ温水プール横グラウンドの方からの登山道があるが危険ですよとは、郷土文化の里のおじさん。
その日は雨天であったためスタンプだけ押して帰ろうと思ったがスタンプは山頂にしかないとのこと。どないせ言うねんこの町(怒)

今回は若桜駅前バスターミナルでスタンプが押せることを知りようやくゲット。「今日もお一人車で向かわれましたから大丈夫ですよー」と2年前とは雲泥の差の対応(個人の経過であり同一人物への感想ではありません(笑))

途中未舗装となる道を馬場跡(駐車場)まで進み、二ノ丸、三ノ丸、本丸、天守台と進みました。
三ノ丸に枡形虎口が開かれていたとのこと。
所々崩れてはいるが、石垣が見事なコンパクトな曲輪配置。
播磨から但馬に抜ける街道沿いに位置し、西には名峰氷ノ山(ひょうのせん)が見える交通の要衝でかつて奪い合いが展開されたとのこと。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tsuchinari

3つの時代を体感できる名城 (2020/02/01 訪問)

鳥取城は中世、近世、近代と3つの時代を体感できる。戦国時代、中国地方の覇者毛利氏の支配下にあった鳥取城は羽柴秀吉の兵糧攻めにあい、開城。当時、山城の本丸がおかれた久松山山頂からは今も鳥取砂丘や鳥取の街並み、日本海まで一望できる。標高263mの本丸までは螺旋階段のような急勾配の登山道が続くが、山頂からの眺めはまさに絶景。是非おすすめしたい。江戸時代には鳥取藩32 万石の居城として山麓に強固な城が築かれる。現在は櫓など建築物は残っていないが、迫力ある石垣が熱意ある維持保存活動のおかげで、今もしっかりとした姿で残されている。日本唯一とされる球体石垣や丈夫な登り石垣も必見だ。また5年前初めて登城した際にはなかった大手登城路が再現工事の真っ最中だった。2023年に完成の予定だそうだ。このような維持保存や史に忠実な再現活動には本当に頭が上がらない。一城ファンとして感謝の気持ちしかない。そしてもうひとつ鳥取城の見所が仁風閣だ。20世紀初頭、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の鳥取行幸に備えて東郷平八郎が建設した西洋風館だ。館内には鳥取の歴史を学べる貴重な資料を見ることができる。あまり知られていないが江戸時代鳥取藩は薩摩長州に先駆けて高性能の反射炉を造り、明治維新につながる技術革新の先端を走っていた。また六代藩主の池田治道は薩摩の島津斉彬と佐賀の鍋島直正の祖父にあたる。鳥取藩はのちに名君と呼ばれる優秀な人材を多く輩出している。戦国時代、天下人と真っ向から戦い、幕末には最先端技術で日本の近代化に大きく貢献した名城からは、力強い鼓動と息吹が今も尚、聞こえてくる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

城址公園となっています (2020/02/09 訪問)

成東駅から徒歩で15分くらい、城跡公園として整備されています。
駐車場もあります。
波切不動尊の西側が城域となります。
城址は公園になっていて整備されています。
愛宕社のある郭が主郭で周囲には土塁、その外側には空堀が巡ります。

成東にはいちご園が沢山あり、いちご狩りでも賑わっています。
美味しかったですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

姫街道

南北朝時代の駿河今川家の城 (2020/02/09 訪問)

南北朝時代、二代目今川範氏が1353年に築城とある。「何でこんな山奥に…」と驚くが、麓には今川館跡など今川氏が四代目で駿府移転するまでは藤枝が今川家の中心地だったようだ。まず、藤枝BP薮田西ICを降りて北上し、花倉川沿いを行く。案内看板が出てくるので従って行くが、じきに農道から山間部の急傾斜地にある茶畑の園内道に。。。延々と続き不安になった頃にやっと山頂付近の登山道入口へ到着。行かれる方はバイクか軽自動車を推奨。城の形は今川時代の素朴な築城形態とあるが、きっとこの築城技術が遠州地方の大平城や千頭峯城などに伝わっていったのだろう。よく見る形だ。遺構は保存状態が良く、しっかりと解る。見晴らしも駿河湾を一望できて満足度は高い。
帰りに、花倉の乱で活躍した岡部氏の朝日山城や、岡部氏に並ぶ武将朝比奈氏の朝比奈城も登城し、南北朝時代の今川氏時代を感じる事が出来た。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

どう

三春城 (2018/07/13 訪問)

途中まで車で行けるけど、雨が降ると登城が難しいと思う。
今回時間がなかったので次回じっくり楽しみたい。
下山中車の底擦ってしまった。
下山のスピード注意。

+ 続きを読む

まーやん

三度雨に祟られ… (2020/02/02 訪問)

鳥取砂丘の後に鳥取城址へ。記憶では3回目の訪問のはず。しかし過去2度大雨の中登城できず。
今回も雨かぁ…と諦めかけたその時、陽光が差してきた✨やっと天球丸に行ける‼️
しかし、子供がお昼を予約してしまっている‼️残された時間は僅か💦
小走りにあちこち見て参りました💦

まずは水堀南側にある吉川経家像と擬宝珠橋を見て北へ。仁風閣を見流し北之御門から登城を図る。
山ノ下丸から二ノ丸を目指す。隅に三階櫓跡がある。
中坂稲荷神社を通り天球丸へ。やっと見れた天球丸石垣!眼下の菱櫓跡も鳥取の街も美しく絶景✨
所々石垣を補修しているほか足元が悪く時間がないので今回も山上はお預けとした。
城域に石切場や個人の墓所もあり面白い。

しかし秀吉の渇え殺しはえげつない。阿鼻叫喚の飢餓地獄だ。えげつない。えげつない。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tos-M

名古屋城本丸御殿再建中 (2013/10/21 訪問)

戦災で焼失してしまった名古屋城の本丸御殿。復元工事が2009年(平成21年)から開始されており、現在一部が公開されています。また建築工事されているところも公開されています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くっしー

岐阜県山県市「戦国・大桑城シンポジウム」 (2020/02/09 訪問)

山県市中央公民館で行われた「戦国・大桑城シンポジウム」に参加してきました。
小学生の研究発表に続き、滋賀県立大学の中井均氏の基調講演。
近畿大学の新谷和之氏・一乗谷朝倉氏遺跡資料館の石川美咲氏・山県市文化財審議会の西村覺良氏の報告。
パネルデスカッションが行われました。

一番面白かったのが、中井先生の基調講演。
中井先生は「岐阜県中世城館跡総合調査」に参加された方で、その調査の中で「大桑城」の調査もされました。
講演の冒頭、出てきたのが、「この城は谷地形のところに曲輪群が続いているが、普通の山城ではありえない。なぜなら尾根から敵に攻撃されてしまうから・・・」という話。
では、なぜそこのような構造になっているのかと考えると、「この構造は山岳寺院の僧房に似ている」
そして、滋賀県の観音寺城など全国によく似た構造の城がいくつかある。
で、そういった城は戦国期に追い詰められた“守護”の城に多い。

全く新しい視点で感動したのですが、
さらに面白かったのが新谷氏が微妙に違った視点を指摘された点。
「曲輪群は寺院ではなく、被官たちの屋敷群である」

結論はでませんが、大河ドラマと相まって「大桑城」が熱いね!!!!!

+ 続きを読む

くっしー

登るのしんどい (2020/02/09 訪問)

選択肢は2つあって、登城時間60分のコースと20分のコースがあって。60分のコースで登り、20分のコースで下りました。
かなり険しくて、しんどかったです。
とても大きな頂上部の尾根は大きく二か所で切られているのですが、主郭跡はその東側とされています。
個人的にはちょっと納得いかないですが、確かに堀切間にある曲輪も小さいので主郭ではないのかな…

それよりもこのお城の特徴はあちこちに石垣が残っていることです。信長以前でこんなに石垣が残っているのは観音寺城ぐらいではないかな。(観音寺城ほど立派ではないけど。)

それから、谷状に曲輪群が続いているのも大きな特徴です。この件については、「戦国・大桑城シンポジュウム」という投稿をするので、そこで説明します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

とりの子

よさこい祭りと高知城! (2019/08/11 訪問)

8月11日に高知城へ行きました。本丸御殿がかっこよかったです。天守高欄からは、城全体と高知市が見えました。本丸の建物がすべて現存していることにびっくりしました。

+ 続きを読む

宗春

新田金山城 (2020/02/08 訪問)

太田駅からガイダンス施設まで徒歩30分程度ですが、その先、百名城スタンプのある休憩所まで山道を登りました。息は切れ、脚はガクガク、冬なのに汗だくになりました。
山城をナメたらあかん。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

BUGTI

コンパクトだけど技巧的縄張の城 (2020/02/08 訪問)

評判通りコンパクトながらいろいろな技巧を詰め込んだ城でした。特に二の郭から主郭へ登るには、方向を変えながら小さな郭を経由しなければならず、攻めるのは困難。山城ながら麓から割と早く城跡までたどり着けて、堀切・虎口・竪堀などを見ることができる、コスパのいい?お城です。

+ 続きを読む

天下布武

明智光秀によって攻略、胡麻大戸(塩貝)城 (2020/02/02 訪問)

南丹方面を訪城、須知城に続いて登城しました。

駐車スペース、アクセス情報はトーダイさん投稿の位置情報を参照しそのままトレースしました。
2つ目の防獣ネットが思いのほかしっかり結ばれており入ってはダメなのか悩みましたが、立入禁止の表示は無い為少し緩めて侵入後に復旧しました。

城址は鍛冶屋敷に土塁、外枡形がしっかり残っており、主郭に向かう尾根上には連続の堀切、二重・連続竪堀等が確認できます。
山頂主郭は中々の広さがあり西に帯曲輪を配置、南背後を堀切で守っています。
コンパクトながら遺構がよく残る山城です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まーやん

城主はハイカラさん⁉️ (2020/02/02 訪問)

日本一危ない国宝「三徳山三佛寺」の投入堂を遥拝後、佐谷峠を通り鳥取砂丘に向かう途中立ち寄った。
山中鹿之介とともに毛利に抗った亀井茲矩は秀吉の鳥取城攻めに加わり、その功により鹿野城主となった。
茲矩は出身地である出雲を与えられないと言われ琉球を所望したり、朱印船貿易で利益をあげたり、朝鮮の役で活躍したりと、結構海外指向の強い御仁の様子。
オランダ櫓や朝鮮櫓なるものがあったほか、鹿野城を王舎城(インド)と呼ばせるなどかぶれまくっている(笑)
現地には内外掘や各櫓、本丸跡が残っていて見ごたえがある。
城下も整備され格子に差された風車が美しく、山中鹿之介のお墓がある幸盛寺は観光案内所から近いので合わせてどうぞ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

芦名荘 (2020/02/08 訪問)

朝4時半前に家を出て直行しました。Googleマップの芦名城跡のポイントはこの小山のようですが、研修センター芦名荘が建っています。

+ 続きを読む

ページ1484