みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

朝田 辰兵衛

季節がら,とても空気がキレイでした。 (2020/02/15 訪問)

謙信が関東に出陣の際,この直峰城下を往還しました。計13回。景勝時代には,重要な軍事拠点として機能していたようです。
標高:344m,比高:250m。とても空気が澄んでいて,気持ちのイイ登城でした。
私は麓から徒歩での登城でした。車での登城の場合は安塚貯水槽付近に路駐して,約1km歩かれた方が無難です。駐車場まで完全に雪解けするのは…もう数週間を要すると思われます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くっしー

ちょっと舐めてました( ̄▽ ̄;) (2020/02/15 訪問)

まあ、陣城なのでぱっと行ってぱっと帰ってこられるやろうと思ったのですが、結構きつかった。
駐車場から頂上まで約一時間ですね。

言わずと知れた「関ケ原の戦い」における小早川秀秋の陣があった場所ですが、築城は室町時代初めで、織田氏と浅井氏が国境で争いあった場所なんですね。

麓の辺りは自然地形と中世の作事か近代の改変かよくわからない地形でしたが、陣跡周辺はがっつり遺構が残っていました。土塁がしっかり作られてたのと枡形虎口になっていたのが印象に残りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

よっぴー

大和郡山城に行ってきました (2019/08/13 訪問)

大和郡山城に行ってきました。立派な石垣がありました。すぐ近くを近鉄が走っています。きれいな櫓がありました。続百名城のスタンプの場所が分かりにくいので注意してください。

+ 続きを読む

くっしー

石垣が素敵 (2020/02/15 訪問)

関ケ原インターから自動車で約40分、国道365号を南に行くと、自然豊かな土地に陣屋があります。

この陣屋は、江戸幕府の旗本・高木家のもので、現在は長屋門や石垣が残っています。長屋門の中には主屋が残るそうですが一般公開はされていません。また、「高木家文書」と呼ばれる江戸時代の貴重な古文書が残っているそうで、名古屋大学附属図書館が所蔵しているそうです。

陣屋の隣に「大垣市上石津郷土資料館」があり、車はそこに駐車することができます。
入館料は100円で、今は「明智光秀」関連の展示がしてありました。それだけではなく、「関ケ原の戦い(島津関連)」や「牧田古墳群」「上石津の自然・動植物」「上石津の民俗芸能」など盛りだくさんの展示があり、陣屋目的の人も是非見学することをお勧めします!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

よっぴー

山下城に行ってきました

山下城に行きました。道は登りやすかったです。途中で神社がありました。                           小さな木を育てていました。 

+ 続きを読む

カルビン

ものすごい遠回り (2014/04/02 訪問)

本格的にお城巡り始めた頃に行った勝沼城。

当時は地図を持ち歩いていなかった為、またざっと情報確認して現地で探すことが普通だった為に、光明寺の裏手の墓地から登城する事を知らず、そこから更に北にある青梅ゴルフクラブの入口まで行ってしまいましたw

ゴルフクラブ入口脇に丁度勝沼城森林域に入れる場所があったので、そこから侵入したものの、今度は吹上しょうぶ公園に出てしまう始末(苦笑)
実際しょうぶ公園の端も城域だったようで、ちょっとした土塁や虎口、曲輪と思われる地形が見る事が出来、更に森林道を南下した所にお城の解説や浅くなったもののやはり土塁等の遺構を見る事が出来ました。

ずいぶん歩いた感があった・・・のも当然で、まっすぐ光明寺から登城すれば最寄り駅の東青梅駅に1/3の滞在時間で済む所だったわけで。。。やっちまった(笑)


ちなみにここから歩いて20分くらいの所に塩船観音寺がありますが、そこの地形もお城っぽさを感じさせます。
もしかしたら勝沼城の支城とか何らかの関係があったかもしれません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しーげ

道がない? (2020/02/15 訪問)

麓まで車で行き、徒歩で登城することにしました。山が荒れており、途中から登山道が分からなくなりました。うね伝いに歩き、南曲輪にたどり着きました。そこから、いったん、竹林寺に行き、本丸へ。井戸の跡を見た後、土塁石積を見ました。その後、道なき道を下山。自動車で竹林寺に行き、お城に行く方が良いと思いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

八木城 (2020/01/13 訪問)

【八木城】
<駐車場他>八木春日神社駐車場6台程度
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切
<感想>日帰り京都城攻めの旅5城目。内藤氏・松永氏の城でここも丹波攻めの光秀によって落城した。落城後は光秀が亀山城の支城麓の登城口から少し行くと、居館跡が広がり、山頂の城跡は中世の連郭式の山城です。山頂までは合目の表示はあるが、距離表示はない。私の感覚では居館跡から600~700㍍くらいかと思います。整備されているので苦ではないです。
 本丸跡に縄張り図の案内板があり、見れる遺構は登山道があるルートは整備されているようだが、道が無い郭群は樹木で未整備な箇所もある。本丸⇔金の間という郭への本丸虎口には石垣遺構も見られた。
 これにて光秀に絡んだ京都城攻めの旅終了。141㎞無事走破

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

wako

松本城! (2020/01/18 訪問)

年願の松本城に登城しました☺️
初の現存天守登城です!朝早く行ったのですが、やっぱりそこそこ人がいました。
松本城は戦国時代に作られた天守と櫓(大天守なと)、江戸時代に作られた天守と櫓(月見櫓など)が合体したそうです。

大天守には火縄銃などの鉄砲関連の展示が充実していました。また蕪懸魚も展示されており、中々近くで見ることもないため、実際の大きさなどが分かり面白かったです☺️事前にホームページなどて情報を予習しておくと、実際行ったときに細かい見所にも気付けるのでいいですね!

月見櫓はほんとにthe平和って感じでした!ここで月見とかお茶会をしてみたい…☺️

そして季節的にもそうなのですが、お城の中、特に床が冷たい……足にカイロを貼っていたのに全く意味がなく(笑)暖かい季節にまた訪れたいですね!

+ 続きを読む

todo94

藤沢公民館 (2020/02/08 訪問)

藤沢公民館に説明板がありました。にのまるさんの投稿を読んでいなかったので、周辺の散策はせずじまい。このあとは一気にさいたま市まで移動となるので時間の余裕はなかったのですが、ちょっと心残りです。

+ 続きを読む

モト

夏は遺構がわかりずらいかも (2019/09/05 訪問)

主郭までは比較的短い時間で辿り着けます。
お寺の横にある登城口から登って行けます。
土塁、横堀があるようです。
実は夏真っ盛りに行ってしまった為、主郭もそこまでの道も草に覆われてしまってなんとなくしかわからない状態でした。
ぜひ、再度秋冬に行きたいと思ってます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

直線の搦め手は結構きつい (2020/02/11 訪問)

高尾駅からバス便があります。
車だったので浄福寺さんの駐車場に停めさせて頂きました。
墓地の奥から登城、少し登ると観音堂があります。
ここからほぼ直線の急坂、こちらが搦め手のようです。
上の方ほど急、結構きついです。
主郭には祠があります。
そこから北に伸びる尾根を進むと堀切が連続して切ってあり、先端の郭の辺りには畝状の竪堀もあります。
他にもいくつかの尾根上に遺構があるようです。
この辺りの名城、八王子城だけではありませんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

寿能城

太田資正の子・潮田資忠が守ったこの城に、子孫の方が墓碑を建てた。城は開発でほぼほぼ消滅したが、墓碑のおかげで主郭の空間だけは公園として残された。

+ 続きを読む

にのまる

真田氏平時の居館 (2020/01/21 訪問)

 真田本城から下山し、1.5㎞くらい。出陣広場にも建物の礎石などのような石があり、わくわくしてきました。
 土塁の残る東門から土の遺構を楽しみつつ進み、館跡(御屋敷公園)へは一度退出して大手門から入り直しました。
 昌幸さんが上田城に移る際に屋敷が荒廃することをおそれて伊勢から勧進したと伝えられる皇大神社の六連銭の幕には風格を感じ、信之さんの妻、小松姫の実家から送られたという御手水石には真田丸のお稲ちゃんを思い出し、お北さんが亡夫、信綱さんを偲んで植えたと伝わる御北の松にはずっと枯れずにいてほしいと思い…。
 そして昌幸さんの願いどおり(?)屋敷は荒廃せず、土塁もそのまま生かしたマレットゴルフ城…チガウ!…ゴルフ場として真田の郷の人々の暮らしに生かされているようでした。厩跡の小区画などかなり使える遺構っぽい⁈しかし、館跡が破壊されたという感じはせず、幸綱さんと昌幸さんの時代を、真田本城と合わせて堪能できました。
 搦手を出たところの親水公園の小川と石垣は堀の名残?と思いつつ未確認です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くっしー

大須賀氏が築城した横須賀城!? (2020/02/11 訪問)

名前がややこしいですが、大須賀康高が徳川家康に命じられて建てた城です。武田氏が守る高天神城を攻めるための拠点ですね。

さて、この城の特徴は何といっても石垣。天竜川の玉石を使っているのです。こんな石垣初めて見ました。

「縄張り」は小さいですが、高低差のある曲輪が複数残っていて、なかなか良いお城だと思います。

市も掛川三城(掛川・高天神・横須賀)の一つとしてPRしていますね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くっしー

武田と徳川が争った城 (2020/02/11 訪問)

いかにも戦国の城という感じがします。
強烈な竪堀と高低差のある曲輪群が特徴的なお城です。

築城は不明ですが、戦国時代には今川氏の支配下にあり、「桶狭間の戦い」の後に徳川家康が支配をします。
その後、武田勝頼が徳川家康から奪って支配するも、武田氏滅亡で廃城となります。

天然の要害で攻略の難しい城なのですが、西側に弱点があり、その弱点を突いて武田勝頼がこの城を奪ったそうです。
で、その弱点を補うために勝頼が作らせた「空堀」が残っています。
こういうストーリー性があるとまた城を見るのが楽しくなりますね!!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

三浦正幸先生と巡る福山城VR解説会&福山城巡り

日 時:3月1日(日) 10:00~12:00(受付9:30)

場 所:福山城湯殿
三浦正幸先生による福山城VR解説会 10:00~10:40
福山城巡り 10:50~12:00

応募方法:電話・FAX・またはURLにあります応募フォームから必要事項をご記入の上送信をお願いします。

定 員:50名(先着順)

参加協力金:1,000円(全額、福山城築城400年記念基金へ寄附します)

※必ず通信環境のあるスマートフォンもしくはタブレットをお持ちください。


詳しくはこちら→https://fukuyama400.jp/event/2020021240

+ 続きを読む

チェブ

泥道にはまる。 (2020/01/03 訪問)

「花沢城」の入口近くです。
今川家の家臣、関口 氏録さんが初代城主です。
今川 義元さんが討死して今川家から離れて行く家臣が多い中、大原 資良さんは「花沢城」に残りました。
信玄さんの駿河侵攻、「花沢城」は激戦地です。
正月4日に武田 信廉さん、勝頼さん、長坂 長関さんにより攻撃開始、27日に落城しました。

まず車を停める場所がありません。
花沢城入口は見つけたのですが、写真④が入口だったら草木が茂っていて覚悟が必要です。
道が二股になっている場所があり、車を停められるか進んだら、ぬかるみにはまりスリップして怖い思いをしました。
と、言うことで退陣です。
山の中腹、ミカンの木が、たくさんありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

関ケ原古戦場(東軍編) (2020/02/01 訪問)

関ケ原古戦場めぐり、東軍編です。

松平忠吉・井伊直政陣跡

松平忠吉とその舅の井伊直政は現在の関ケ原駅あたりに布陣し、先鋒の福島正則隊を出し抜いて宇喜多秀家隊に発砲したり、決死の敵中突破を図る島津義弘隊に追いすがり島津豊久を討ち取るなど奮戦しましたが、両名ともその際の負傷がもとで早逝することになりました。
関ケ原駅西側の東首塚敷地内に石碑と説明板があります。駐車場はありませんが、東首塚西側の唐門前の空きスペースに駐車可能です。

福島正則陣跡

福島正則は松尾付近に布陣し、松平忠吉・井伊直政隊に抜け駆けされはしたものの、東軍の先鋒として宇喜多秀家隊を激戦の末突き崩すなどの功をあげました。
陣跡の春日神社には、石碑と関ケ原合戦図屏風にも描かれている樹齢800年余の大杉があります。住宅地で周辺の道も狭いですが、春日神社前に無料駐車場が設けられているので助かります。

京極高知・藤堂高虎陣跡

京極高知と藤堂高虎は現在の関ケ原中学校付近に布陣し、開戦すると不破関跡まで進んで大谷吉継隊と交戦しました。また、勝敗を決定づけた脇坂安治らの寝返りは高虎の調略によるもののようです。
陣跡の石碑と説明板は中学校の敷地内にあり、立ち入るのは少々ためらわれましたが、遠慮せずに入ってくださいとの案内もあり、ありがたく駐車場に駐めさせてもらいました。

細川忠興陣跡

細川忠興は岡山の麓、相川の南に布陣し、石田三成隊と激戦を繰り広げました。
相川南岸の公園内に石碑と説明板があり、石碑には忠興が関ケ原の戦いにおいて被っていたとされる越中頭形兜があしらわれています。駐車場はないので、公園前の角に路駐しました。

岡山烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡

黒田長政と竹中重門は、関ケ原の戦況がよく見渡せる岡山に布陣し、開戦すると攻撃の合図の烽火を上げ、石田三成隊と交戦しました。
車道脇の無料駐車場から道向かいを3分ほど登っていくと、石碑と説明板があります。

本多忠勝陣跡

本多忠勝は軍監として前線と桃配山の徳川家康本陣の中間に布陣しましたが、家康が本陣を進めたことに伴って戦闘参加、寡兵ながらも島津義弘隊の敵中突破を追撃するなどの活躍を見せました。
住宅地の細い路地を入っていったところに石碑と説明板がありますが、道は狭く駐車場もないため、近くの空きスペースに駐めて駆け足での訪問となりました。

山内一豊陣跡

山内一豊は中山道・関ケ原宿の東に布陣し、南宮山の諸隊に備えましたが、徳川家康が本陣を進めたことに伴い、現在の関ケ原中学校付近まで前進して戦いました。
石碑はありませんが、出世松と呼ばれる松の横に説明板が建てられています。駐車場は無く、東隣の空き地に駐車させてもらいました。

桃配山 徳川家康最初陣跡

徳川家康は最初、壬申の乱での大海人皇子(後の天武天皇)の戦勝にあやかって桃配山を本陣としましたが、前線から離れていて戦況が掴みづらいことに加え、西軍の予想外の善戦に業を煮やして、本陣を笹尾山の前まで進めることとしました。
桃配山中腹に、家康が軍議の際に使用したと伝わる机石と腰掛石があり、その傍らに石碑と説明板があります。国道の道向かいに無料駐車場があり、ガソリンスタンドの横から2分ほどの登りです。

徳川家康最後陣跡

徳川家康は戦局を好転させるべく桃配山から陣を進め、笹尾山の石田三成陣正面に布陣して全軍を指揮しました。また、戦勝後はこの本陣で首実検を行いました。
陣場野公園北部には家康が首実検した床几場があり、江戸末期に築かれた土壇と土塁が見られます。近くの歴史民俗資料館の駐車場に駐めて…と思っていましたが、現在改装中のため利用できず、今年7月の岐阜関ケ原古戦場記念館のオープンまでは他をあたるしかなさそうです。

田中吉政陣跡

田中吉政は現在の歴史民俗資料館の南側あたりに布陣し、石田三成隊と交戦、合戦後には旧知の間柄だった三成を捕らえる大功を挙げました。
陣場野公園の南に石碑と説明板があるので、徳川家康最後陣跡と併せてどうぞ。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

よっぴー

篠山城に行ってきました (2020/01/04 訪問)

篠山城に行きました。最近、大書院が復元されたようで、中も見れたのでよかったです。堀が二重になっていて、立派でした。    篠山城に行くなら、大書院と歴史美術館と青山歴史村と安間家史料館がすべて入れるチケットがおすすめです。

+ 続きを読む

ページ1480