最近、大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で光秀の城としてテレビ出まくってます。
それ以前に、「続日本100名城に行こう公式スタンプ帳つき」の表紙カバーに採用され目に触れるようになりました。
石垣に転用石が多用されていることでも有名となり、増殖中の石垣フェチの方々も惹き付けています。
何かと話題の城跡ですが、光秀が関わったのはたった三年、しかも城代は婿の秀満です。
しかし、亀岡(旧名:亀山)同様、福知山でも光秀は民に愛されまくっています。
光秀没後、城主は目まぐるしく代わりますが、朽木氏となり幕末まで安定します。本丸内には朽木氏時代に作られた本丸内では日本一の深度と言われる井戸が残っています。
朽木氏により、福知(智)山と名付け、善政を敷いた光秀を祀ることが許され、御霊神社の祭神として合祀されました。そんな所縁で家中軍法など数点の文書が残っています。家中軍法は信長の恩を説きまくっていますが、本能寺の変の丁度一年前の6月2日に発布されたとして注目されています。
近くを流れる由良川の氾濫を和らげるため流れを変え堤防を築き竹を植え(明智藪)、合流する土師川をうまく利用し城内に船付場を整備したあたりは坂本城の経験が生きているかも知れません。
こじんまりとした丘陵地を中心に総構えが形成されており、見所満載のお城です。
転用石と併せ、増築時の境目や異なる積み方がされている点など石垣だけでも楽しめる城跡です。
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