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コバトン

大和大納言家100万石の居城 (2019/10/27 訪問)

豊臣秀吉の弟である大和大納言秀長の居城。100万石に相応しい総構えの城で立派な天守があったと言われるが、今は天守台を残すのみ。一部の城門と櫓が再建されている。
石垣の特徴は寺社仏閣などからの転用石の多さ。天守台にはお地蔵様まで使われており(逆さ地蔵)、荒々しい野づら積みであることなどからも完成を急いでいた感がする。

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やまじろう

初熊本城!だけど・・・ (2018/05/06 訪問)

地震の後だったので、くずれていた。
ぜんぶは見れなかった。

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コバトン

壮大な石垣群を誇る最強の山城 (2019/10/27 訪問)

壺阪寺のバス停から入口まで歩いて40分、そこから山道をさらに20分くらい。壮大な石垣群が見えてくる。豊臣秀長の大和支配時に本多氏によって近世城郭として整備されたが、明治時代に取り壊されて今は石垣が残るのみである。しかしながらこの石垣群は圧巻の一言。近世の山城としては類を見ない規模で至る所に櫓跡と石垣による虎口があり、山頂の地形も相まって難攻不落と思われる。盛んに最強の城というフレーズが出てくるが、それも頷ける要塞っぷり。オーバースペックな気もするが、これは大阪防衛の最終ラインを考えてのことか、不穏な寺社勢力に目を光らせるめか。秀長の兄秀吉への想いも感じる。

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カズサン

掛川城隣接の掛川古城 (2017/01/26 訪問)

 掛川城の北東400m程に樹木に覆われた小山が在ります、今川氏が遠江攻略の要として朝比奈氏に築城させた掛川古城です、本丸には龍華院家光の霊屋、北東に土塁が残り、その北東には大堀切、更に二の丸は公園、更に北東三の丸は削られ掛川市消防署ですが、本丸二の丸間の大堀切は圧巻です、掛川城にお越しで時間が有れば是非ともご探訪を!!
 車は大手門パーキング(有料)、本丸の龍華院傍に数台可能。
 朝比奈氏は最後今川氏当主今川氏真を守り家康との攻防籠城半年、氏真を嫁の里北条氏へ落ちのばす。
 写真は一昨年の1月末です。

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コバトン

お城が見える街 (2019/09/09 訪問)

東海道の要所・掛川城。山内一豊が築城した際のものを資料になぞって復元した白壁がきれいな木造天守。織豊時代のお城だけあって見せ方が上手い。小高い平山城で街のどこからでもお城が見える景観は単純に羨ましい。

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コバトン

武田流築城術・三日月堀と丸馬出 (2019/09/08 訪問)

金谷駅から旧東海道の石畳を登った所にある。武田四名臣の一人で不死身の鬼美濃と呼ばれた馬場信春が築城したという。城の東側は絶壁になっており、緩やかな西側を守るように三日月堀と丸馬出が配備されている。三日月堀は一つ一つが深く、丸馬出の曲線が美しい。武田流の築城は土塁と堀が特徴だが、土ゆえに現存するものが少なく、ここまではっきりとしたものは圧巻である(※夏場に行ったため草ぼーぼーで写真では少し分かりづらいけど)。発掘・整備が進められている最中のようなので今後の復元が楽しみ。

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コバトン

世にも珍しい玉石の石垣 (2019/09/08 訪問)

横須賀城は高天神城を包囲するための付城と築城された。当時は海に面した水城だったという。なんといってもその特徴は丸石を積み上げた石垣である。なんか日本じゃないような雰囲気さえあり不思議な感じにさせてくれる。この丸石は近くの天竜川の川石を使ったらしい。当時は石垣に使えるような大きさの石も貴重だったんだろう。運ぶの大変だし。

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コバトン

栄華を極めた朝倉氏の小京都 (2019/08/14 訪問)

応仁の乱で名を上げ一気に越前国主の地位に登り詰めた朝倉氏の本拠地。京都からも公家や文化人が集まり戦国時代を通じて平和と繁栄を極めたが、織田信長の侵攻によって灰燼に帰した。その上、信長から越前を任せられた柴田勝家は拠点を北ノ庄に置いたので一乗谷の存在は忘れ去られ、いつしか田畑に埋もれてしまった。しかし、そのために遺構が現代まで良好な状態で残ることになったのだから世の中分からないものである。
いまだ至る所で発掘が行われている段階であり、すべて復元されたら壮大な歴史遺構になると思う。谷全体が一つの城であり街であり、当時の朝倉氏の軍事面・文化面での栄華が感じられる。

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スプラNNNN

倉敷美観地区 (2019/11/03 訪問)

駐車場がほとんど満車でやっとみつけて倉敷美観地区まで歩きやっと着いた。
とても人がいたが、町並みが美しく、食べ歩きもたくさんあり、広いので、満足できた。
コロッケおいしいです。きびだんごもおいしいよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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コバトン

風流人 金森長近のお城 (2019/08/14 訪問)

天空の城として有名な越前大野城。シーズンではないので雲海は見れないが、山頂にそびえる天守は遠景の方が映える気がする。築城したのは82歳で子供をもうけるスーパーお爺ちゃんこと金森長近。茶の湯にも造詣が深い当時一流の風流人ということもあって天守に至る道中の曲輪、階段、門などからなんとなく趣を感じる。ただ、天守自体はコンクリ製の復興天守でしかも小天守が史実とは違う位置にあるなど少し残念なことになっている。街並みもきれいなので散策にもおすすめ。

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スプラNNNN

備中国分寺 (2019/11/03 訪問)

五重塔、迫力ある。江戸時代ぐらいに再建されたもので国の重要文化財になっている。
フォローよろしくぅぅぅぅ。

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スプラNNNN

水攻めで有名らしい (2019/11/03 訪問)

吉備津神社に行ったついでによった。
水攻めで有名なので、歴史ファンが多いです。

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コバトン

武田と徳川が争った遠江の重要拠点 (2019/09/08 訪問)

炎天下の中、茶畑の中の道を進んで行くと高天神城が見えてくる(外観からはただの山にしか見えないけど)。武田信玄すら攻め落とすのを諦めた難攻不落の城。遠江の重要拠点であり武田と徳川の間で幾度となく死闘が繰り広げられた。そんなに高い山ではないが急斜面が多くて登城するには細い山道を進むしかなく、しかも防御のための掘割が至る所に設けられている。当然大軍を展開するのは難しく包囲して持久戦に持ち込まざるを得ない。頂上には連結した曲輪があり、山城の魅力が充分に堪能できる遠州一の名に恥じない名城です。

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スプラNNNN

赤穂浪士ってなんですか? (2019/11/03 訪問)

赤穂城は赤穂浪士で有名らしいけど、それを知っているひとはどうかフォローよろしく。
名勝の庭園があります。

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スプラNNNN

吉備津神社 (2019/11/03 訪問)

回廊すごい長い。本殿は国宝です。
桃太郎発祥の地らしい。(きびだんごの名前の由来はここからきているらしい。)
フォローよろしくぅぅぅぅ

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コバトン

最古と言われた現存天守‥ (2019/08/13 訪問)

お盆休みを利用して現存12天守で唯一行ったことがなかった丸岡城を訪問。最古の現存天守と言われていたが、近年の調査によって寛永年間に建造と分かり、その肩書を失ってしまった。
とはいえ貴重な最古級の現存天守であることには変わらない。特に望楼型の天守は二重三階と大きくはないものの石垣とのバランスが良く荘厳に感じる。破風も見事で夏空によく映える美しいお城。ベーシックな天守の造りを感じられる。なお、麓の休憩所も充実しているし、福井市内や東尋坊などの観光スポットとバス一本で繋がっていてアクセスは良い(と思う)。

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チェブ

想像力。 (2019/09/22 訪問)

山梨県の「若神子城」に行きました。
北城、南城、大城で構成されていて、ナビの目的地周辺は大城の 「須玉町 ふるさと公園」でした。
駐車場、あります。

公園入口近くに案内板があります。
新羅三郎義光により築かれたそうです、、、!!!。
と、言う事は甲斐源氏の始祖の新羅三郎義光ですよね。
武田氏の家宝「楯無」の持ち主ですか?
武田氏の出陣前のセリフ「御旗楯無も御照覧あれ!」にワクワクします。
ただ、遺構は分かりません。整備された公園です。
奥に北条氏が天正壬午の乱で築き、途中放置した「薬研掘」があります。
また更に奥に武田氏の狼煙台があるので時代が行ったり来たりしました。
「若神子城」は武田氏が諏訪、佐久方面に攻め込む時の中継所だったんでしょうね。
諏訪氏と戦った時や川中島の戦いの時も本拠地に連絡する為に狼煙を使ったのかな。
と、説明板には書いてませんが、想像力で楽しむ事ができる「若神子城」でした。

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todo94

国史跡 (2019/11/02 訪問)

この日は富山県の城めぐりに勤しみましたが、富山県に入る前に立ち寄っていきました。本当にここで良いのかわからないまま、細い鉄製の階段を上って直登しましたが、帰りに鉄製の階段の脇に朽ち果てた標柱を発見できました。かつては川に面した城だったはずですが国道41号の開鑿で大きく削り取られてコンクリートが吹き付けられています。遺構もよくわからないし滑落の危険が多分にある恐ろしい城ですので無理して踏み込む事はおすすめしません。

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アナキン

とにかく歩きました (2019/11/03 訪問)

いつものように、夜から車で出発して朝から城巡り。今回は山城が多く最初は越前大野城の雲海を見ようと、山に登り(雲海はみれませんでした)
それから越前大野城→郡上八幡城→美濃金山城→岩村城→苗木城と…。車で移動して山道歩いての繰り返しでした。疲れたけども予定通り5城廻り、御城印も買えて満喫しました。どこ行っても熊注意、でした(笑)

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カズサン

【南部氏館】山梨県巨摩郡 南部氏の故郷 (2017/05/05 訪問)

 一昨年の5月連休山梨県未踏の城廻りの最終に中部縦断道を通って身延道を南下し身延山久遠寺を途中参拝し山梨県の一番南の南部町に在る南部氏に故郷、南部氏館を探訪、何時もの城郭放浪記さん案内図で近くまで来てるのですが特に案内板も無く、近くの方に聞き込みし現地まで案内して頂き、車もご自宅の駐車場に停めさせて頂いた。
 現地には案内板が有るのみ遺構らしきものは有りません、南部城山麓に在る菩提寺の妙浄寺、南部氏先祖の新羅三郎を祀った新羅神社を参拝。
 南部氏は甲斐源氏の流れ頼朝の奥州征伐の功に依り新羅三郎義光4代孫南部光行が陸奥に領地を与えら奥州南部氏の祖、甲斐南部氏は光行の3男が残り地頭職に就く。

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