つちじょう

土城

岐阜県飛騨市

別名 : 鬼ヶ城
旧国名 : 飛騨

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帰ってきた!
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しんちゃん

ちゃんと帰って来るまでが「城攻め」 (2024/10/13 訪問)

もう一回だけ土城の投稿をさせてください。もういいじゃんと思われるでしょうが、この城は帰るときが一番重要なのです。
戻ってくるまでが「城攻め」ってやつです。草木が生い茂って見通しが悪いけど、尾根は案外細いです。行き先を間違えると、ズリ落ちる可能性が高いので、来た道を用心深く引き返して行きます。良く見ると先人の残したカラーテープが残っているので見当がつくと思います。南の主郭は削られてコンクリが吹き付けてあるので、正直見に行くほどのものではないと思います。ほどほどで良いのではないでしょうか。
雨の日のあとなど足元が滑りやすい時は無理して訪問しない方が良いと思います。

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しんちゃん

南の郭は危険に見合うほどのものでは無い。 (2024/10/13 訪問)

「おすすめ出来ない城」土城の続き、主郭までです。北側にも郭があるようですが主要部は南にあると判断、そこには二段の扁平地(郭)があるようです。城址に入って目にするのが謎の石積らしきものです。遺構かどうかは不明ですが、このような石積が各所にあります。
尾根は城址の東側についていますが、その先はおそらく断崖絶壁です。草木が生えて来ていて見通しが悪いので安全な場所を選びながら尾根上を南に進みます。
そこから先は登りになっていて南の郭に続いています。東側(左手)をのぞくとそこは天然の断崖絶壁です。落ちたら大ケガです。フェンスで周囲を囲ってはいますが、主郭周辺は比高が高いので落ちたら大変です。ぶっちゃけ登るのは簡単ですが、大事なのは帰るときです。周囲は藪化しているので、うかつに西側に進むと先はコンクリの人口の絶壁です。
どうしても南の郭が見たいという方は、帰りのルートを確認しながら進んで欲しいです。おそらくピンクのリボンが帰り道を教えてくれるはずです。上まで登ると郭らしき扁平地があります。これが二段あるという南の郭の一段目ですが、残念ながらその先の郭は削られてコンクリートの断崖絶壁になっています。高所恐怖症の方は下をのぞかない方が良いですよ(そもそも来ない)。

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しんちゃん

どのくらい危険か確かめに来た (2024/10/13 訪問)

土城は「江馬氏城館跡」を構成する遺跡の一つとして国の史跡に指定されています。城郭大系には記載が無く、一連の支城の中では最も北に位置し、高原川と跡津川が合流する牛首城山の尾根の先端に築かれています。
国道41号線の工事の際に城址の山肌が削り取られコンクリートが吹き付けられています。ただでさえ段階絶壁の要害なのに人手によってさらに危険度がマシマシです。この城はそういった意味で「良くない城」なんですよ。
todo94さんの投稿によると、滑落の危険がある恐ろしい城とのこと。やだやだ‥とりあえず自分の目で見ないと良く判断できないのでやってきました。なんとなく昨日の酒が残っているし、落ちたらやだなあ‥と思いながら車を安全地帯に留め、南端から眺めます。
とてもじゃないが進入できる雰囲気はないので、昌官忠さんの投稿にあったハシゴを探します。だいぶ雑草が伸びて藪化が進んでいますね。これは良くない兆候です。フェンスに頭をすらないように城址に侵入します。足を滑らしたり、危険な箇所に足を踏み入れると大変なことになるので注意深く尾根に取り付き南に進みます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:土城 (2023/04/25 訪問)

金森宗貞邸からの転戦です。市道通行止め空スペース(36.408674、137.296017)に路駐し、鉄階段コンクリート登り口(36.407360、137.297025)に向かいました。

詳細は不明のようです。城主は江馬氏の家臣川上(河上)氏の家臣一の瀬四郎守之と伝えられています。

雨が降り出したので階段を登るのを諦めて撤退しました。
付近に標柱があるとのことで捜しましたが、見つけられませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=東町城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 一の瀬氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(江馬氏城館)
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県飛騨市神岡町牧
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111