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ぴーかる

茨木城 (2020/06/20 訪問)

【茨木城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>バイク

<感想>城跡は現在は小学校・住宅地になっています。校門に復元城門と説明板があります。本丸の位置は小学校の100mほど北に位置していますが、現在は月極め駐車場になっていました。現存移築搦手門が茨木神社にあります。茨木神社には一度訪れたことがありますが、その時は現存移築城門は気にも留めていなかったのです。今回は茨木神社には行かなかった。

<満足度>◆◇◇

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城好きのメガネ

「高崎城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★★★★☆
高崎城は、元々和田城と呼ばれ、平安時代には国衆の和田義信が築城したとされる。和田氏は上杉氏に服属していた。その後、和田信業の代になると後北条氏に属し、小田原征伐では小田原城に籠城した。和田城は前田利家らの猛攻により落城し、廃城となった。徳川家康の関東移封後は箕輪城主となっていた井伊直政が家康の命を受け、和田城を大改修し、近世城郭へと発展させた。1600年の関ヶ原の戦いの後、直政は近江国佐和山城に移封となった。その後は、諏訪氏、酒井氏、戸田氏、松平(藤井)氏、安藤氏、松平(長沢・大河内)氏、間部氏、松平(長沢・大河内)氏と譜代大名が目まぐるしく入れ替わり、明治維新を迎えた。1873年の廃城令により存城となり、第3師官官内分営所が置かれた。以後建造物は移築もしくは破却され、跡地の大半は歩兵第十五連隊の駐屯地として使用された。現在、乾櫓、移築門、土塁、横堀が遺されている。

<アクセス>
JR高崎駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「金窪城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
金窪城は、武蔵の最北端にあり上野国との境目の城として重要な拠点であり、武蔵丹党一派である加治家季によって築かれたとされる。戦国時代には、山内上杉氏の家臣である斎藤盛光の居城となる。その後、斎藤氏は後北条氏に服属する。本能寺の変後、織田方の滝川一益により攻められ落城する。徳川家康の関東移封後は川窪信俊がこの地に陣屋を置くが、丹波に移封となったため廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR神保原駅 徒歩35分

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イオ

要衝を抑える立地 (2020/06/20 訪問)

詳細は不明ながら、興福寺大乗院方で筒井氏と縁戚関係のあった立野氏が戦国期に築いたと考えられ、戦国後期には松永久秀の信貴山城の支城となったようです。

城山台第2児童公園とその隣の墓地あたり一帯に複数の曲輪を構えた作りで、発掘調査では土塁や横堀、馬出なども確認されましたが、宅地造成により遺構は消滅しています。墓地からは大和川を眼下に見下ろし、大和国と河内国を結ぶ要衝を抑える立地であることがよくわかります。

児童公園から南東に徒歩10分の観音寺には立野城の宝篋印塔があるらしいので訪れてみましたが、この日は門が閉ざされていて、見学することはできませんでした。事前に確認したほうが良いかもしれません。

【しりとり業務連絡】
「高安城」「下志明城」ともに攻略済みです。レポートはまた後日になりますが、これで「秋」と「明」に繋げられますね。
 

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城好きのメガネ

「岡部陣屋」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
岡部陣屋は、元今川家家臣で後に徳川家康に仕えた安部信勝が5200石を領し、その子・信峯の代に加増され陣屋を置いたとされる。幕末には砲術家の高島秋帆の身柄を預かっている。また藩主信発が天狗党を鎮圧するために出兵した。1868年に、新政府側に自ら願い出て三河国半原藩(愛知県新城市)へ移転したため、岡部陣屋は廃止された。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR岡部駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「本庄城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
本庄城は、武蔵児玉党の本庄氏によって築かれた。本庄宮内少輔実忠が古河公方家を迎え撃つために、改修した。その後、後北条氏に攻められ服属する。実忠の死後、家督を継いだ本庄隼人正近朝が城主となり、後北条氏とともに、小田原城へ籠城するも、落城に際して自害した。徳川家康の関東移封の際に、小笠原信嶺が児玉郡の北部国境沿いに位置する本庄に1万石で入部した。小笠原信嶺は元々武田氏の家臣であったが織田氏の甲州征伐の際に、織田方に寝返り高遠城の案内役をつとめた。本能寺の変より家康の家臣となる。1598年に死去し、その家督を継いだ小笠原信之が本庄藩初代藩主となった。信之は徳川四天王の筆頭・酒井忠次の三男であり、家康の命によって信嶺の養嗣子となっていた。1612年、信之は下古河藩に加増移封され、本庄藩は廃藩となり、本庄城も廃城となった。

<アクセス>
JR本庄駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「倉賀野城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
倉賀野城は、武蔵児玉党の倉賀野氏によって築かれた。戦国時代には倉賀野行政が上杉憲政に仕えたが、河越夜戦で戦死する。倉賀野尚行が倉賀野衆を率いて城を守る。上杉謙信の関東侵攻の際には倉賀野衆を率いて小田原攻めにも従軍する。その後、武田氏の猛攻を受け、落城する。尚行は上杉憲政を伴い、越後へ逃れる。倉賀野衆の金井秀景は武田氏に寝返り、倉賀野城主となり姓を倉賀野に改める。武田氏滅亡後は、後北条氏に属す。小田原征伐では倉賀野衆を率いて小田原城に籠城し、落城後死去した。倉賀野城は廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR倉賀野駅 徒歩15分

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久しぶりに遠出して世界遺産を見学 (2020/06/20 訪問)

県外への移動の自粛が解除された翌日の土曜日に、続日本100名城で世界遺産である原城跡に行って来ました。
今回は、現地のガイドさんと原城の本丸を中心に見学致しました。
今年の初めに「ぶらタモリ」で原城跡を取り上げていましたが、同じように現地で辿って見ました。
原城は一揆軍が籠城した時は、既に廃城になっていました。
3万の一揆軍に対して幕府軍は12万で約4倍だったのです。
しかしながら、天草四郎が率いる一揆軍は幕府軍に多大な痛手を与えて3ヶ月間も守り抜きました。
この原城は、頑丈な不落のお城でした。
幕府軍は、兵糧攻めに作戦を変えて食料が果てるのを辛抱強く待ちました。
食料が尽きた頃に総攻撃を開始して、一揆軍をほぼ全滅にしました。
確かに幕府軍は勝利しましたが、キリシタン信仰というものまでは、破壊することは出来なかったのですね。
幕府軍によって完全に埋められた原城も発掘で甦りました。
原城には井戸が無かったのですが、蓮池によって真水が確保されたのです。
その蓮池は、阿蘇山の爆発によって降り続けた火山灰によって出来たとされております。
あの壮大な原城の地形も阿蘇山の爆発がなければ無かったのですね。


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城好きのメガネ

「伊奈氏屋敷」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★★★★★
伊奈氏屋敷は伊奈忠次が築いた屋敷跡とされる。東西約350m、南北約750mの楕円形の地には、当時を偲ばせる表門、裏門、蔵屋敷、陣屋などの名称も遺されている。伊奈忠次は父と共に三河一向一揆に加担し、堺に移り住み治水を学ぶ。本能寺の変では徳川家康の伊賀越えに加わり復帰した。関東移封では関東郡代に任じられ、検地・治水工事の責任者として頭角を表す。後の江戸幕府の経済基盤の確立に寄与した。江戸を守護する北の要として陣屋を構えた。現在、土塁、堀などが遺されている。

<アクセス>
埼玉新都市交通伊奈線 丸山駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「高坂氏館」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
高坂氏館は比高10mの段丘崖を利用して築かれている。後北条氏が武蔵松山城の攻略に際して本陣を構えたとされる。その後、徳川家譜代の家臣であった加賀爪氏の墓所となっている。加賀爪政尚は徳川家康に近侍して長久手合戦や小田原征伐に従軍する。慶長大地震で圧死した。子・忠澄が跡を継ぐ。加賀爪忠澄は関ヶ原の戦いや大坂の陣に従軍する。大目付として幕府を支えた。子・直澄が跡を継ぐ。加賀爪直澄は徳川家光の小姓として仕え、書院番頭・大番頭を経て、寺社奉行などを歴任した。現在、高済寺の境内となっており、土塁、堀などが遺されている。

<アクセス>
東武東上線 高坂駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「小代氏館」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
小代氏館は高坂台地東端に位置する方形館とされる。武蔵七党児玉党の流れをくむ小代遠弘が祖である。源頼朝の信任も厚く、地頭職を与えられた。小代重俊のとき、宝治合戦の論功行賞により肥後の地頭職を与えられ、モンゴル来襲の防備につとめた。現在、青蓮寺の境内となっており遺構は消滅している。

<アクセス>
東武東上線 高坂駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「野本氏館」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
野本基員を初代とする野本氏の館跡である。野本氏は藤原基経の警護をしていた片田基親の子息・基員が武蔵国野本に移り住み、野本氏を名乗ったのが始まりとされる。現在、無量寺の境内となっており、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武東上線 高坂駅 徒歩30分

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城好きのメガネ

「羽尾城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
羽尾城は1572年に、後北条氏の家臣であった山崎若狭守が築城したとされる。山崎若狭守は普請奉行としての信任も厚く、1575年に羽尾城の城主となる。小田原征伐では前田利家らに包囲され、激戦ののち落城する。その後、廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武東上線 森林公園駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「山田城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★★★★☆
山田城は、忍城主・成田氏の家臣であった小高氏や贄田氏の居城とされる。また武蔵松山城の支城とされる。小田原征伐では前田利家らに攻められ落城した。現在、「国営武蔵丘陵森林公園」内に土塁、堀などが遺されている。

<アクセス>
東武東上線 森林公園駅 徒歩25分

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kan

(2019/08/18 訪問)

中々良い

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kan

佐賀県 (2019/06/20 訪問)

綺麗だった‼️

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todo94

【しりとり業務連絡】

「布」アプローチについて、うちから最も近い城としては三河の「羽布城」があり急を要するようでしたらここに行こうと思います。
長い巣ごもりでロングドライブに飢えており7月の4連休には超ロングドライブで「登れる灯台スタンプラリー」を考えています。天気次第で行き先を決めますが、角島灯台、日御碕灯台に行った場合は「周布城」、尻屋崎灯台に行った場合は一関の「薄衣(うすぎぬ)城」を攻略したいと思います。

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にのまる

遺構はないのですが、

園内案内図の川と植栽が水堀と土塁に見えてしまって…( ˘ω˘ )
豊島園(遊園地)は8/31で閉園し、ハリポタワールドに生まれ変わるそうです。あじさい園がすてきなのですが…。

〈しりとり業務連絡〉
いすみ市の日在城、行けそうです(^-^)/

〈献血〉
高校生の時に学校に献血車が来て、その時に一度だけ。
何年か後、わりと限界状態で輸血同意書を書いたことがあります。感謝。

〈籠城プレゼントお礼〉
ありがとうございます。近いうちにtweetします。

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dougen

2019.3.30登城 (2019/03/30 訪問)

日辺館から、北西に進み国道4号で広瀬川を渡ったあたりの鹿の又交差点の少し北側が北目城址となります。道路沿いに案内板と解説板が設置されていますが、遺構らしい遺構は残っていません。

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり 業務連絡(?),todo94さん御礼

todo94さん,「安居城(×2)」の攻城予定,ありがとうございます。富山のほうはヤブ化していそうですね。無理をなさらず案内板だけでも(この時期であれば)セーフだと思います。献血も素晴らしい取り組みですね。
私は,献血したらしばらく寝ていないと倒れます…。脳外科の診断でたまたま「起立性低血圧」と判明しました。危険なので取らないように勧められてます。うらやましい限りです。どうか今後も血液を必要とする方の力になってあげてください。
また,名古屋の「大秋城」情報も,ありがとうございました。もしも必要となれば,7月25日にちょいと立ち寄れます。
ここまで手を打たないでいるのもいいのかな…?
なお,7月26日には,「安久田地獄穴洞窟遺跡」に行ってこようと思います。浜松行きを変更して美濃行きに調整しました。美濃太田駅前のホテルがリザーブできましたので。約1年ぶりに長良川鉄道に乗ります。往路は郡上八幡駅から路線バス,復路は徒歩と考えてます。観光協会の方に問い合わせたところ「自転車はムリです!」と言われてしまいました…<笑>。また,復路もタクシーを勧められましたが,悪天候時は考えたいと思ってます。
残るは「日在城」と「ぬ」「布」アプローチでしょうか…?
todo94さんの自力では,「布広城」に展開できないと思っておりますが,実際はいかがでしょうか…?
有効手札はこの「周布城」かな…と。

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