かげいしじょう

景石城

鳥取県鳥取市

別名 : 磯部城、磯辺城
旧国名 : 因幡

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①堀切
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征11日目:景石城 (2026/05/21 訪問)

宿泊ホテルに荷物を預けて、鳥取駅からJR因美線を利用して用瀬駅に着きました。
用瀬駅から徒歩20分ちょっとで、登城口(35.344090、134.210796)に到着しました。

景石城の築城年代は定かではないようですが、1356年(延文元年)以前には築かれていたようで、因幡に進出した赤松氏が1360年(延文5年)景石城を手中にしますが、その後因幡守護・山名時氏によって奪還されました。
城主は景石氏・用瀬氏と続き、1580年(天正8年)には羽柴秀吉による鳥取城攻略の重要な拠点として使われますが、城主・磯部豊直が若桜城におもむき留守の間に山名豊国に城を奪われました。
1581年(天正9年)羽柴秀吉が再び鳥取城を攻めると、磯部豊直も戦功を挙げ、再び景石城主として3,000石が与えられました。
以来、城下町として用瀬宿を発展させたが、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで西軍に味方し改易されます。
その後、若桜城主山崎左馬允家盛の所領となり景石城にはその家臣が在城しましが、1615年(元和元年)の一国一城令によって廃城となりました。

雨の中、登山道を20分ほど登った堀切より先の岩場は、下山時きっと滑り危険と判断し三の丸の手前で登城を断念しました。
ここからの眺望も良かったので、山頂部主郭からの景色は素晴らしいだろうと想像しながら下山です。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=鵯尾城を攻城する為、用瀬駅前バス停から日ノ丸自動車バスを利用して西円通寺バス停に向かいました。

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子持ち松砦 (2023/04/01 訪問)

ぴーかるさん投稿に従い、林道終点の駐車場まで車で登りました。城びと先達がレポートされているように天正期の石垣がとても良いです。黒色千枚岩の露頭やそこを掘った堀切も素敵です。
本丸南側下に子持ち松砦の矢印が。先達のレポートになかったので、子持ち松砦の写真を投稿します。季節的にはまだ早い気がしますが、山ツツジが盛んに咲いてました。

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小城小次郎

天正期と思われるいい感じの石垣を遺してくれた (2021/04/11 訪問)

山名一族の磯部豊直が秀吉から安堵された3,000石の所領を関ヶ原で失うまでここに居住し、天正期のいい感じの石垣を山上に遺してくれた。山麓にもたぶん慶長期に属する石垣を遺してくれたのだが、不覚にもこちらを見損ねたのだ!

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ぴーかる

景石城 (2019/11/02 訪問)

【景石城】
<駐車場他>登城口前に5台程度Pあり。用瀬の町から2車線の曲がり道の山道に入り、西側中腹付近に案内板と城跡碑があり、そこから1車線の脇道を数百㍍登ると登城口と駐車場があります。駐車場までは整備されているのでスムーズに行けます。
<交通手段>車

<見所>竪掘り・石垣
<感想>日帰り鳥取御城印購入の旅1城目。ようやく涼しくなり山城が攻めれる季節が来た。今回は事前に城びとにて十分調べて見応えのある攻め城を決めての登城。トレッキング装備必須です。駐車場の登城口から30~40分の登山です。山頂の中腹程の所に巨石を利用した見事な竪掘りがあり、この辺りから山頂まで巨石のある岩場をひたすら登ります。城跡は山頂が主郭とした中世山城で、主郭に2・3の腰・帯曲輪があり、その下段下段に二の丸、三の丸がある。途中岩場が多かった割には二・三の丸には石積み遺構は見られなかった。主郭はおそらく当時は石垣で取巻いていたであろう、東面には櫓跡の隅角部の石垣があり比較的大きめの石で積んであり秀吉時代以降にできたものかとも思う。南側の斜面は写真の通り石は小さいが高石垣と言える遺構があります。主郭の北・西面は樹木で覆われ遺構は見れなかった。岩場の登り降りはきつかったですが、下調べ通り見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 用瀬氏
築城年 南北朝時代
主な改修者 磯部豊直
主な城主 用瀬氏、磯部氏、山崎氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切、土橋、石段
指定文化財 市史跡(景石城)
再建造物 碑、説明板
住所 鳥取県鳥取市用瀬町用瀬
問い合わせ先 用瀬町総合支所地域振興課
問い合わせ先電話番号 0858-87-2111