【続百名城37城目】
<駐車場他>登城口傍に専用無料Pあり
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣・畝状竪掘
<感想>日帰り小早川家攻城の旅1城目。新高山城・高山城の山城2城を1日で攻略できる日を狙って冬の今シーズンの目標叶いついに登城できた。朝4:30出発、朝食を摂って8:30到着登城開始した。
日本屈指の大規模山城、小規模の山城の4倍程度の規模があるので遺構を順よく、くまなく見るには縄張り図を持って登ることをお勧めします。
私の登城順は番所跡→鐘の段→匡真寺跡→石弓の段・西の丸→北の丸は樹木で行けず→西の丸西側の畝状竪掘群→紫竹丸→シンゾウス郭→中の丸→本丸北側の郭群(中の丸・釣井の段・ライゲンガ丸・東の丸)→本丸→詰の丸の順で見た。
シンゾウス郭へは北東側からの道が落葉で埋まっているが行けます。郭内はかなりの雑草ですが、北東側に石積み遺構が見られます。
匡真寺跡東側の竪掘・西の丸西側の畝状竪掘群・各所の石垣遺構が見応えあります。また面白いのは釣井の段にはこれでもかってほどの数の井戸(6箇所くらいかな)があった。
石垣の石が三原城移転時に持出されているとはいっても残されているのが相当な規模面積なので、当時はかなりの本格的な石垣造りの山城だったことを思わせた。
この城は竹原小早川家を継いだ小早川隆景が1551年高山城を本拠地とした沼田小早川家を統合し、1552年19歳で築城している。やはり19歳でこれ程の大城郭の築城を指揮できるとは思えず、父親の毛利元就の指示や家臣団の協力で築いたものだろう。期待通りの見応えある規模と石垣、続百名城のマイベストに入ります。これにて百・続百名城の広島県制覇。
<満足度>★★★
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