公共交通機関を利用して城廻を基本としていますので、新型コロナの感染防止を優先して遠くまで行けず、大野城をはじめ単身居住地の愛知県一宮市にある「一宮の戦国武将ゆかりの地」巡りをしています。
一宮市の観光協会が作成した「一宮市_戦国武将マップ」に20史跡の記載があり、その中で最近廻った7史跡を紹介します。
1.大野城
織田信長の召しを受けた大野伊賀守がこの地に移り住み、以後、代々が居住した。小牧長久手合戦では秀吉軍が入城したが、堀の掘削を巡り大野氏と争いになった...だそうです。
木曽川河川敷のグラウンドの一画に城址碑があります。
2.光明寺城
織田信長の家臣、神戸伯耆守の築城、後に信長の馬廻衆の山田半兵衛が在城。城址碑は住宅地の中にあり、スマホGPSでも見つけ難く、探しまわりました。当然、案内板などありません。
3.河田城
小牧長久手合戦の時、羽柴秀吉が小牧山の織田信雄・徳川家康連合軍に対して構築した城砦のひとつ。
大野城のから徒歩で15分掛からない場所、木曽川の堤防から少し下りた所にひっそりと城址碑が建ってます。
4.下奈良城
小牧長久手合戦の時に一時的に築かれた城のひとつ。羽柴秀吉が犬山城から楽田城へと移り、この城を最右翼として織田信雄・徳川家康連合軍に対抗した。両軍の間に講和が成立すると、破却され、河田城に移された。
城址碑は一宮市と江南市の境に近い住宅地にあります。
5.浅野氏居館(浅野公園)
浅野氏の居館。豊臣政権の五奉行を務めた浅野長政は、城主 長勝の婿養子。大正期の公園化工事で、堀や土塁が造成され、「浅野長政公宅̪址碑」も建立された。
住宅地の中に造られた立派な公園です。中には「山内一豊の馬蹄石」や「ねねの歌碑」もあり、必見です。
6.浮野古戦場
永禄元年(1558年)、清州城主_織田信長は岩倉城攻略をはかり、これに対し岩倉城主_織田伊勢守信賢が応戦、ここに信長勢に加担する犬山城主_織田信清が加わり、三軍の総勢6千余騎が浮野原で戦った。
下奈良城から歩いて20分程度の住宅地の中に碑が建てられている。中のポストにパンフレットを置いていただいてます。
7.聖徳寺跡
ここは斎藤道三と織田信長が会見した場所として推定されている有名な場所。現在の聖徳寺は名古屋市に移転しており、碑と説明板があるのみ。バス停になっていますので、場所は比較的、分かりやすい。
以上、どこも碑と説明板があるだけの史跡ですが、歴史上の英傑と同じ場所に居ると思い、いつもと違う城廻(史跡巡り)ですが、これも面白い。
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