大崎城は天正9年(1581)の織田方の武将羽柴(のちの豊臣)秀吉の因幡侵攻の際に毛利方の陣城として利用されたことがよく知られており、当時の城主は様々な説がありますが、田公高清と言われています。織田方の武将松井康之が泊城(湯梨浜町)を攻撃した際に毛利方の船団を壊滅させ、その援軍に大崎城から船団が派遣されましたが、松井水軍に敗れ、その際、大崎城の山下は焼き払われました。
日本海に突き出した標高約93mの岬の上に城が築かれており、三方向が日本海に面し、海上交通の要衝と言える場所です。この城の特徴は土塁に囲まれた主郭から東側へ連続して続く曲輪、南側の細長い土塁と通路空間が挙げられます。また海側の斜面には細長い曲輪を多数設けているのも特徴的です。【現地案内板より】
登山道は、手すりやロープなどもきちんと整備されています。地元の方にお話を伺うと、5、6年前までは藪になっていたのを木を切って整備したのだそうです。本丸は土塁がよく残り、海も見えてとても気持ちがいいです。曲輪5から井戸に降りれますがとても急なところにある小さな曲輪を梯子やロープで降りて行きます。スリルがありおもしろかったですが、しっかり準備して降りてください。
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