江戸時代の旧中新田町にかかわる人物の足跡を訪ねて加美町を訪問しました。その人物の墓石が残っているという瑞雲寺を訪問後、至近距離にある、中新田城跡碑と斯波家兼公の像のある場所へ。瑞雲寺と長興寺はかつての中新田城の北西側外曲輪跡に並び建っています。
中新田城は足利一門の奥州探題大崎氏の居城でした。初代となる斯波家兼は文和3年・正平9年(1354年)に奥州に下向したと伝わります。大崎氏は天正18年(1590年)に秀吉による奥州仕置きで改易となるまで、宮城県北の師山、小野、中新田、名生に本拠を置いたと伝わります。
中新田城は天正16年(1588年)に伊達軍を撃退した大崎合戦の舞台として名高い城です。方形の館を内・外に二重に造りそれぞれに土塁と堀を巡らせた「回字式」の縄張だったと伝わります。昭和の半ば頃までは外曲輪を囲む豪が田圃となって残っていましたが、現在はすっかり市街地化され、城地の真ん中を国道が通り、在りし日の姿を偲ぶことはできません。
城跡碑、斯波家兼公像見学には長興寺さんの駐車場に停めさせていただくと便利です。
※昨日の投稿時、斯波家兼の奥州下向の年を誤って、歴応2年・延元4年(1339年)と記載していました。お詫びして訂正させていただきます。
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