みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

朝田 辰兵衛

安久田地獄穴洞窟遺跡(岐阜県郡上市)/【家×お城】登城したお城しりとり[259] (2020/07/26 訪問)

みなさん,お待たせいたしました。無事に行ってまいりました。天気予報では午後からまとまった雨とのことに…。午前中にケリをつけるべく,始発の長良川鉄道に乗り,郡上八幡駅からタクシー。【2,680円】でした。開館時間の9:00まで15分ほど待ちました。現地では「縄文洞」で通用しました。洞内は撮影禁止。狭くて濡れた地獄への階段をかなり下ります。出口まで約20分。閉所恐怖症と暗所恐怖症の人は入洞をおすすめしません。
復路は,郡上八幡駅まで徒歩約90分。予報どおりの天候となり,安堵しました。
観光大使にデーモン閣下を起用すべきと思いました。

ラストの「芥川山城」は,今晩を目途に私が締めくくりたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

中川藤兵衛尉

三木城 (2020/07/27 訪問)

半年以上振り、三一度目の登城です。二の丸にあった旧三木女子高等学校の校舎の一つが取り壊されていました。残った方も、本丸にある旧保育園と共に撤去するそうです。発掘調査で何か良いものが出てくるといいですね

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

赤松氏館 (2020/07/27 訪問)

だそうです。よく分かりません。この用水路は堀の名残でしょうか

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

来住(きし)城 (2020/07/27 訪問)

別所氏傘下・来住氏のお城。現在は農地となり、北部に神社があります

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

阿形城 (2020/07/27 訪問)

別所氏傘下・油井土佐守勝利の居城です。現在はお墓や畑が造られています

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

粟生城 (2020/07/27 訪問)

摂津国上郡ではなく、播磨国小野市です。同国守護・赤松氏の家臣である粟生氏の居城でした。等覚寺の南らしいです

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

岡城 (2020/07/27 訪問)

豊後竹田ではなく、播磨国小野市の城です。現在は天満宮とのことですが、入れませんでした

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

千歳山城 (2020/07/27 訪問)

加西市にある平山城で、現在は神社です。三段の曲輪群から成っています

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ひろ

高田城 (2020/07/26 訪問)

公園がキレイ

+ 続きを読む

ひろ

春日山城 (2020/07/26 訪問)

かなり疲れた

+ 続きを読む

トリウィス

篠山城 (2020/07/27 訪問)

お堀が立派で、綺麗に整理されてます。
リサーチ不足で月曜日に訪問したらお休みでした。
入り口に100名城スタンプは有り。
駐車場は200円

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「常陸府中城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
常陸府中城は大掾詮国が築城したとされる。大掾氏の居城として代々増改築されてきた。1590年、佐竹義宣に攻められ、約650年続いた常陸大掾氏は滅亡、大掾清幹は自害、主な一族も常陸太田城で謀殺され、廃城となる。関ヶ原の戦い後、佐竹氏移封に伴い、初代本荘藩主・六郷政乗、皆川広照を経て徳川光圀の弟・松平頼隆が陣屋を置き、常陸府中藩となる。現在、陣屋門・土塁等が遺されている。
*府中城から徒歩圏内に常陸府中藩松田家墓所(照光寺)、常陸国分寺(国特別史跡)、常陸国分尼寺(国特別史跡)なども併せて散策したい。

<アクセス>
JR石岡駅 徒歩20分

+ 続きを読む

dougen

2017.11.3登城 (2017/11/03 訪問)

豊田館から東北道で南下し、一ノ関ICで降り、一ノ関駅方面に行くと釣山公園があり、一関城址となります。

城址公園というより市民公園として整備されており、遺構は少なめですが、郭跡や土塁が確認できます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ケンケン星

本丸裏の残存石垣 (2020/07/26 訪問)

見逃してしまいそうな場所にあり、まるでお宝探しのよう!
詳細な場所は金山城跡のパンフレットに載っています。
パンフレットは史跡金山城跡ガイダンス施設にて入手できますよ。

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「木田余城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
木田余城は、信太範宗によって築かれたとされる。信太範宗は小田氏治に臣従したが不和となり、1554年に佐竹氏に内通したと疑われ小田氏の家臣・菅谷政貞により土浦城で謀殺された。その後、木田余城は小田氏の支配下に入るが、1578年、佐竹義重に攻められ廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR土浦駅 徒歩30分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「石岡城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
鎌倉幕府から地頭職を与えられた大掾資幹が居館を築いたとされる。大掾詮国の代には府中城を築き、本城を移したため石岡城は「外城」と呼ばれる。その後、札掛兵部之助、田島大学などが城主をつとめる。1590年、佐竹義宣に攻められ大掾氏が滅亡し、廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR石岡駅 徒歩20分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「河和田城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
河和田城は大掾氏の家臣であった鍛冶貞国(川和田入道)が築いたとされる。その後、小山若犬丸の乱の功績により江戸通高が河和田城の城主となる。通高の孫・通房は上杉禅秀の乱の際に、常陸守護・佐竹義憲に従い乱の鎮圧に加わる。戦後、名門・大掾氏の所領が没収され、水戸は通房に与えられる。水戸に本拠を移し、弟・通常は武熊城、以前までの居城であった河和田城には春秋氏を置き、水戸全域を支配した。1590年に佐竹義宣が江戸氏を水戸から追放し、河和田城も廃城になった。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR赤塚駅 徒歩30分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「武熊城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
武熊城は豪族であった石川望幹が築城したとされる。戦国時代には、水戸城に佐竹氏が入ると一族の東義久の居城となる。東義久は佐竹義堅の次男で佐竹家では東殿と呼ばれる。佐竹義重に従い各地を転戦する。外交官としても活躍し、石田三成を通じて豊臣秀吉と誼を結ぶ。関ヶ原の戦いの後、徳川家康と交渉し本領安堵を取り付けたが、直後に死亡。徳川家康による暗殺説もある。武熊城は佐竹氏移封後に廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR水戸駅 徒歩20分

+ 続きを読む

刑部

こんな処に城址! (2020/07/25 訪問)

ここは見つけずらかった というより、えっ!ここから入るの? 不安の中住宅の駐車場脇の細道を歩くと30m程で城址の案内板と標柱があります。

+ 続きを読む

カルビン

武田氏館 [茨城県ひたちなか市大字武田566−2] (2015/06/13 訪問)

皆様の知っている武田氏館といえば山梨県の躑躅ヶ崎館の事を指すのが大半だと思いますが、実は茨城県にも武田氏館があります。

同じ名前とはいえ場所が違う為にお互い関係無いと思われるかもしれませんが、実は多いに関係があります。

信虎・晴信・勝頼の時代に栄えた甲斐武田氏の始祖は武田信義となっておりますが、そもそも源性から武田性に変わったのは信義の祖父・義清及び父・清光の時であり、その拠点だったのは茨城県ひたちなか市だった為、コチラの武田氏館の方が元祖になる訳です。
(山梨県の武田氏館が後付っていうのは意外に思われる方多いかと)

・・・と、知った風な書き方してますが、自分も実際行くまで知らなかったわけで(ーωー。;)


常陸武田氏館にはお城としての遺構がある訳では無いのですが、庵のような小さな居館が復元されており、中がちょっとした資料館のような感じになっております。

復元厩とかもあり、入口には碑石もあるので雰囲気満点です。。。が、規模は小さいのでここメインでの訪問はちょっと。。。(汗)

最寄りの駅がひたちなか海浜鉄道の工機前駅で水戸駅からそれ程離れていないので、水戸周辺の史跡とのセット訪問がオススメです。
(個人的には大洗水族館のバーターでの訪問でしたww)


ちなみにコチラには武田神社は併設されておりませんのであしからず。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1313