新型コロナの感染防止で2月中旬から自粛していた城巡りを再開。まずは単身住居近場の岐阜県_関ケ原の松尾山城へ行きました。
徒歩30分程で登城口に着くはず(ネットのコメントや観光案内所の職員さんの話では)がスマホナビに従って歩いて行くと松尾山の裏側にある登山口(聖蓮寺側)へ案内され、関ケ原駅から50分程掛かって到着。そこから小早川秀秋の陣跡(頂上)まで1.5kmと少し遠回り(約5.0km)の登城となりました。
但し、こちら側から登ると竪堀、畝堀、土橋などあり、表の登城口から登っていれば知る由も無かった遺構を見ることが出来ました。
頂上(小早川秀秋陣跡)は、主戦場となった関ケ原決戦地や石田三成の陣跡(笹尾山)が良く見える位置であって、石田三成が毛利輝元の陣(西軍本陣)にしようと廃城の松尾山城跡を陣城として整備したことが良く解ります。
ただ、小早川秀秋は、初めから東軍と戦う意思は無く、毛利輝元が大坂城から動かないことを良いことに、ここを自陣として占拠した。ここに立ってみると、この高さから降りて戦う気持ちになれず、主戦場を見て静観していた。そこへ家康の強い指令があり、恐怖をおぼえ裏切りへと向かってしまったのでは?、など考えてしまいます。
家康が小早川秀秋の陣に鉄砲や大砲を撃ちかけ、それで裏切ったとの説がありますが、弾丸や砲弾が届く高さでなく、麓の主戦場での音は良く聞こえても自陣に向けての発砲であることは判らなかったでしょう。実際は、家康の指令を聞いて行動したものだと判ります。
表の登城口に向かって下城。主郭(小早川陣跡)を降りると郭の西側に廻る道があり、そこから西側に行くと、別の郭と思われる遺構が幾つか見られます。郭跡のひとつは登れましたが、その他は登れる道が途絶えていて断念。整備すると多くの遺構があると思われ、残念でした。
下城の後は、福島正則陣跡、藤堂高虎・京極高知陣跡などを廻りながら関ケ原駅へ到着。藤堂高虎・京極高知陣跡は関ケ原中学校の敷地内にあり、入るのを躊躇しましたが、正門横の案内板に「入場可」との記載を見つけ、遠慮なく立ち寄らせていただきました。
遠回りをしましたが松尾山城跡裏側の遺構や常盤御前の墓などもお参りして、久しぶりに充実した一日となりました。
裏から登城して、表に下城するのは、徒歩ならではの城廻。観光案内所でレンタサイクル(4時間:550円、1日:1100円)もありますが、借りると名所をいろいろと行きたくなるので、徒歩で松尾山城ただ一つを目指したのですが、結果として良かったと納得しています。
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