太平記の舞台となる南北朝時代、鎌倉幕府の北条政権に立ち向かうべく新田義貞が数騎で新田荘を出て、徐々に仲間を増やし、鎌倉へ攻め入る頃には大軍になって鎌倉幕府討伐に繋がった・・・っていう歴史は戦国時代好きなお城フリークの方々にはいまいちピンと来ない出来事かもしれません。
自分も千早城攻略の際にこの時代の復習をするまで興味無かったのですが、今や太平記の主人公と言っても良い楠木正成ファンになってます(江戸城の騎馬像初めて見た時、「誰?」と思ったのが遠い昔の想い出www)
そんな太平記に登城する、残念な人物として挙げられる事の多い新田義貞の地元が群馬県世良田地区の新田荘になります。
その中で今は總持寺になっている場所が新田氏館跡地になります。
歴代の新田荘家の人物がここに住んでいた事から、新田義貞もここをスタートに鎌倉に乗りこんだんでしょう。
残念ながら遺構は残っておらず、總持寺の山門の所に碑石と解説があるのみです。
(お寺の山門や梵鐘櫓がそれらしく見えるのは良かったです(^_^)b)
更にここから南東にある世良田東照宮を含む歴史公園内にもかなりの見所があります。
そもそも世良田氏は徳川の祖の血筋であり、結構重要な場所なんじゃないでしょうか?
近場にも新田氏関連の史跡(反町館や江田館等)多く、新田義貞の像は自分が知っているだけでも太田市内に3体はあります。
公共交通機関では回り辛いので、車でまとめて訪問されるのが良いかと。
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