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うっちー幸村

川越城 行くときの注意と見どころ (2020/06/27 訪問)

キレイな、日本庭園がたくさーん!ぼくみたいな子どもでも分かるキレイさでした。お城初心者も興奮すると思います!写真スポットたくさん。カメラは絶対持ってたほうがいい。
とにかく、富士見櫓とかは見たほうがいい。以外と見落としがち。

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カルビン

【家×お城】登城したお城しりとり【240】 (2015/06/08 訪問)

オーダー頂きました~


todo94さんの神尾城の「お」より

(知多)大草城
※確かどこかに別の大草城ってあったハズですが、取り急ぎ手持ちの手札で。

3月に同城up済なので写真は最低限で。

武将としてよりも茶人としての名高かったとされる信長の弟・有楽斎の手によって巨大城郭・・・になるハズだったお城ですw



引き続き奈良県の佐で始まるお城で繋げて下さいませm(_ _)m

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イオ

西宮城 (2020/06/20 訪問)

※ 西宮城は下垣内城とは別の城ですが、発掘調査から同一勢力の影響下にあったと考えられ、同じ平群中央公園内にあり(しょうぶ池をはさんで北が下垣内城、南が西宮城)、普通は2城あわせて訪問されると思いますので、下垣内城にて投稿します。

西宮城は、詳細は不明ながら室町期に在地荘官の嶋氏によって築かれ、石田三成の重臣として関ケ原の戦いで勇戦した嶋左近の居城だったとされます。

堀切をはさんだ東の主郭、西の副郭を土橋で結び、南下に空堀と土塁、副郭の西を三重の横堀で守る作りでしたが、公園整備にともなって遺構のほとんどは埋められ、地形も大きく改変されてしまいました。それでも、冒険広場(主郭)の南下には大規模な横堀と土塁が残っており、しょうぶ池から冒険広場への園路も堀切の名残と思われます。主郭南下の横堀の土塁には開口部があり、その先には小曲輪があるようなので、堀底に降りて行きたいところでしたが、下草が生い茂っていて降りる道を見つけられず、下垣内城での「ハチ注意」の懸念もあるため、今回は諦めました。

また、副郭の西にある西宮古墳は、周濠が取り巻き、頂部が削平されていることから、西宮城の出城として活用されていたとされます。
 

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり【239】

明石の「し」から、【白鹿城】(尼子十旗・島根県松江市)→【神尾城】(菊池十八外城・熊本県菊池市)。次は「お」で、大草城につないで頂けると、最後の「び」札を出せます。

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イオ

【家×お城】登城したお城しりとり[238]

朝田 辰兵衛さんの「割ヶ嶽城」から「け(げ)」をいただいて、

下志明(げしも)城[奈良県宇陀市]_【け(げ)→明】
明石城[兵庫県明石市]_【明→ 】

下志明城、しりとりがなければ存在すら知らなかった城でしたが、夏場でも遺構を明瞭に確認でき、小規模ながら見応えがありました(近日中にレポートします)。
…で、明石城へ。これで(続)100名城の手札は残り1枚だけ。あとはサポートに徹します……と言えるほど手札があるわけでもなく、さして役に立てませんが。
 

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dougen

2019.3.30登城 (2019/03/30 訪問)

亘理城の南西の丘の上に大雄寺があり、小堤城址となります。

亘理氏が亘理城に居城を移す前の城です。

シンプルな方形館のだった様で、館を囲む土塁の一部が残っています。

また、大雄寺には伊達成実の霊廟もあります。

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てっち#

思ってたより良かった (2020/06/29 訪問)

とってもいい感じでした

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てっち#

登城後すぐ (2020/06/29 訪問)

ベストショットの撮り方を
親切に教えてくれました

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小城小次郎

とんがった部分が丸くなったのかも (2020/02/15 訪問)

公園としての行き届いた整備でこのお城のとんがった部分がすっかり丸くなってしまったのだろうが、もともとは沼沢地に突き出した台地に陣取ったいいお城だったのではなかろうか。

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ぴーかる

沢田城 (2020/06/20 訪問)

【沢田城】
<駐車場他>小林寺駐車場あり。
<交通手段>バイク

<見所>本丸横堀・堀切
<感想>沢田城は八上城主波多野秀治の武将小林長任が、永禄年間(1558~70)に築いたものという。1579年頃に時の城主小林修理進(平左衛門)重範は、明智光秀勢の攻撃をうけ討死して落城した。

 登城口は小林寺境内奥から階段を登って、三蔵法師聖骨塔の左奥の山道を少し登るとすぐ城跡碑のある主郭に着きます。主郭は広い楕円形で南側には横堀がはしっている。北東側に二の丸があるが藪化して入れない。東側は階段状の腰曲輪がいくつかある。曲輪には伐採した竹が積んであり、物置になってます。更に東に下ると堀切があり舌状の馬場があります。そこは果樹園になっているようです。馬場を抜けると毘沙門堂があります。主郭の南西側にある出羽丸という曲輪は墓地になっていました。

 比高がそれほどない丘城で、他の波多野氏に従属した城、荒木城や籾井城程の堅固さはあまり見られなかった。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり[237] (2020/06/20 訪問)

イオさん,「下志明城」攻城報告,ありがとうございました!
チェブさんの「わ」からリレーします。
不完全燃焼で再訪しなきゃ気が済まなくなった「割ヶ嶽城」で。
次は,イオさん,宜しくお願いいたします。

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さく守

夕暮れ (2019/12/20 訪問)

すこし古い写真ですが冬の夕暮れの小田城が
いい雰囲気でしたので。

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イオ

【しりとり業務連絡】

下志明城、登城済みです(レポートはまた後日)。「割ヶ嶽城」で繋いでいただければ、「明」の100名城まで持っていけます。よろしくお願いいたします。
 

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり にのまるさん質問回答

にのまるさんの質問に回答します。
手札の限界が見え隠れしている状況下,あまり手数をかけずにコンプリートを考えると,「鴻巣市赤城遺跡」の登場は「赤穂城」の次と考えるのが有力です。
「さ」へのアプローチが比較的容易な状況になれば,「佐味城」→「日在城」→「有子山城」への展開が早まるかもしれません。
今は「割ヶ嶽城」→「下志明城」→「明石城」→「椎谷陣屋」→「安居城」→「安居城」→「赤穂城」の効率的展開をウエイトしているところです。
「下志明城」攻城が遅れる場合は別展開に走ってもよしと思います。
「芥川山城」→「内池館」→「下志明城」→「明石城」の効率的展開が可能となりましたので。
しかし,todo94さんとカルビンさんのコラボで,もっと違ったバリエーションが期待できるかもしれませんが…。

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イオ

公園整備で地中埋没 (2020/06/20 訪問)

詳細は不明ながら、室町期に在地荘官の嶋氏によって築かれたと考えられています。

主郭と堀切をはさんだ西の曲輪で構成される城でしたが、平群中央公園の整備により地形は大きく改変され、遺構はほとんど地中に埋められてしまい、現在では多目的広場の北端に櫓台跡や土塁、堀切の一部が残るくらいです。しかし、その櫓台跡や堀切も、この日は「ハチ注意」で立ち入りが規制されていて充分に確認できず、多目的広場北下の谷部にあるはずの石組みの井戸も、竹藪で踏み込めず断念しました。

多目的広場もその南下のしょうぶ池も綺麗に整備されていて、気持ちのいい公園なんですが、やはり夏場の城めぐりは藪に虫に蛇に獣にと、なかなか思うに任せませんね。
 

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にのまる

鴻巣御殿

鴻巣市赤城遺跡のバーターです。
「日本一小さい東照宮」の幟がたっており、海老名城以来のアプローチの細さでした。
解説板によると、鴻巣御殿の場所が確認されたのは平成6年ですが、江戸図屏風にも描かれているのだそうです。
ちなみに、日本一小さい東照宮は他にもあるようです。

【しりとり業務連絡】
「鴻巣市赤城遺跡」は赤穂城からお呼び出しいただく、というのでよいでしょうか。

チェブさん、ご心配いただきありがとうございました😊寧ろ出かける大義名分ができて嬉しいという…。

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カモン掃部

この城、歴史が動いた (2020/01/20 訪問)

まだコロナの影響少ない時期でとにかく外国人観光客多かった。唐門や二の丸御殿は見ごたえあり、天守台も堪能した。本丸御殿の修復終りにまた来ます。

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朝田 辰兵衛

「下志明城」アプローチ用のサブとして… (2020/06/27 訪問)

「米沢城」早期クリア後,「割ヶ嶽城」で「下志明城」アプローチができない状況に備えて,津南町の隣の長野県栄村に行ってきました。ここ(志久見地区)に住んでいる方たちは,長野県中心部に向かう場合,一度新潟県に入らなければ行けないと思います。津南町の宮野原地区とうまく協力し合ってコロナ対策してたのかな…と,興味が湧いてきました。
そうそう,内池館は「志久見館跡」という案内標識に沿ってたどり着きますが,どんどん棚田の上の方に誘導されて不安になります。現在は,遺構が消滅して棚田に変わってしまったと解釈すれば納得がいくと思います。

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キンヤ

長い横堀と大堀切が見応えある城 (2019/05/19 訪問)

本丸の北側と西側を囲む長い横堀が特徴の縄張りかと思います。

全ての尾根筋に堀切があり、特に本丸の南西側の大堀切は強烈で、本丸と二ノ丸間のかなり大きい堀切が見応えありました。

割とマイナーな城ですが、遠江の山城では、なかなか屈指の城だと思いました。

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ヒロケン

小笠原氏城跡群の山城 (2020/05/15 訪問)

山家城(やまのべじょう)は鎌倉時代末に山家氏が築城したと云われています。1505年頃、小笠原氏の同流である折野薩摩守昌治(折野山家氏)が播州から来てこの城に居たと云われています。
1550年武田信玄の府中(松本)侵攻の際、自落した。山家城は逐次改修が加えられていったが、特に戦国期に入って林城に拠る小笠原氏の属城となってから大規模な改修が行われ山辺谷最奥部の要害城としての威容を誇っていた。(現地説明板より)

山家城は長野県松本市大字入山辺にある山城で曲輪、土塁、石垣、堀切、土橋などが良好に残っています。
登城口は徳運寺の墓地から登るルートと上手町の公民館前から登るルートの二か所あり、自分は徳運寺の墓地から登るルートを選択。(徳運寺の駐車場があります)

山家城の見所は東斜面と南斜面に石垣が残り、中でも東斜面の石垣は高さ約2m長さ約20mにも及び、見応え十分です。また、堀切、竪堀も深く傾斜も急で見事なものです。小笠原氏城郭群の城は見事なものが多いですが、山家城は中でも群を抜いて見事なものだと感じました。

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