本日、近くのショッピングセンター(コピオ愛川)へ行ったついでに登城してきました。
小沢城の解説板の先は私有地らしくロープで進入禁止になっていて遺構を見ることは出来ませんでした。
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2020/07/05 11:20
小沢城登城 (2020/07/05 訪問)
本日、近くのショッピングセンター(コピオ愛川)へ行ったついでに登城してきました。
小沢城の解説板の先は私有地らしくロープで進入禁止になっていて遺構を見ることは出来ませんでした。
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2020/07/05 10:47
2020/07/05 08:07
700mにも及ぶ石塁 (2015/07/13 訪問)
長岩城は1198年、地方豪族野仲重房によって扇山(530m)に築かれた山城で、大友宗麟の軍勢を跳ね返すなど堅城として知られたが、黒田官兵衛の嫡男長政によって1588年に落城。前年に宇都宮鎮房を力攻めに失敗した長政は長岩城攻めを前に、野仲氏の家臣団を調略し内応者も出たことで落ちたとされています。
国道212号線から県道2号線に入り9Km程進むと看板や旗が立っており、駐車場も完備されています。
この城の特徴は、何と言っても山中に張り巡らされた石塁で、一之城戸・二之城戸・三之城戸・東之台から本丸に伸びる登り石垣等、全長700mにも及ぶ石塁と石積み櫓・弓型砲座(狭間みたいなものかな?)です。
2015年7月に長岩城を攻城した日は、生憎の雨模様で合羽を家に忘れたことで、傘をさしての攻城となってしまった。((+_+))
おまけに坂道で滑って転んでびしょ濡れの泥だらけ((+_+))傘は壊れるはで散々。前項で、見所の石積み櫓と弓型砲座と記入しましたが、石積み櫓を見るためには、梯子を上り、痩せ尾根を歩かなくては行けず、梯子を少し登っては降りるを繰り返し、どうしようかと考えましたが、命には代えられず断腸の思いで諦めた経緯がありました。
コロナ感染症がなければ、今年のゴールデンウィークで石積み櫓・弓型砲座を確認しに行く予定でしたが断念。また必ずリベンジしたいと考えています。
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2020/07/05 06:12
2020/07/04 21:34
2度目の大失態 (2020/07/04 訪問)
2005年4月の南九州以来、デジカメを忘れるという痛恨の大失態を15年ぶりに演じてしまいました。雨の中、ノートパソコンのカメラで無理矢理写真は撮ってみましたが、靴はびしょ濡れ、泥だらけ。滑って転んでジーンズも泥だらけ。とりあえず、南砺市のやすい城も説明板の撮影はできましたので、しりとりで赤穂城につなぐアイテムゲットのミッションは完了です。
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2020/07/04 21:31
2020/07/04 21:27
2020/07/04 10:38
二条城 (2020/06/21 訪問)
【百名城51城目】
<駐車場他>東大手門前、または御池通りには土日祝最大12時間800円のコインPあり。
<交通手段>車
<見所>すべて
<感想>近くにあり、行こう行こうと思いながら行くタイミングを失い、とっておきにしていた城。外国人観光客がいなく、京都府知事より他県からの観光客OKとなった今が絶好の機会で攻城しました。二条城の前の堀川通りは何十回となく通り、また年末年始は閉城しているのを知らずに二条城に行って残念見れずだったこともありました。
朝7:00頃にJR二条駅前のコインPに駐車して徒歩にて二条城へ。外堀の西南隅櫓から左回りで1周、現存櫓・現存門を見た。開城8:45まで時間があったので、次の予定の二条古城を繰り上げて徒歩で往復見に行き、戻り後入城した。一応順路通りに東大手門→二の丸唐門→二の丸御殿→二の丸庭園→本丸・天守台→本丸西橋から出て残りは城内をグルグル回ってくまなく散策した。
桂宮の移築現存の本丸御殿は改修中で全体に幕が張られ見ることが出来なかった。結局、現在の定常は現存建物の内部に入れるのは二の丸御殿(白書院を除く)のみだったので、見所がかなり制限されているのが残念だった。また先達の方達の写真を拝見すると、外堀内側の雁木、北大手門、天守側の内堀傍まで行けていたようでしたが、私が行った時は通行止めになっており、近くで見れない状態でした。コロナ禍で休止中の公式ガイドツアーで見れるのかもしれません。金箔瓦・障壁画等が展示されている展示資料館(100円)もお勧めです。退城したのが13:00頃で、合計たっぷり4時間楽しめた。本丸御殿改修後、ガイドツアー参加しに再訪しよっと。これにて百・続百名城の京都府制覇。
<満足度>★★★★★
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2020/07/03 23:51
2020/07/03 22:58
家康が眠る (2020/06/28 訪問)
麓に駐車場があり、そこから石段を登ります。
日本平からロープウェイも出ています。
ちょうど紫陽花のシーズンで綺麗でしたが石垣イチゴも有名だそうです。
元々は久能寺が建っていたが武田信玄ににより城となったそうです。
勘助井戸がその名残かどうかはわかりません。
その後徳川の城となり、現在では東照宮が建ち、家康公の墓所となっています。
やはり東照宮なので彫刻なども見事、雰囲気もありました。
ただし、城としての遺構は無さそうでした。
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2020/07/03 21:23
鴻巣バーター
青い目の猫と遭遇。
私「ちょーっとおじゃましてもよいかしら?」
猫「だめー!」
私「はい。。。」
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2020/07/03 17:31
2020/07/03 08:10
赤埴下城(奈良県宇陀市) (2020/06/23 訪問)
赤埴上城の1km弱手前にあり、詳細は不明ながら赤埴上城の支城として築かれたと考えられます(城びと未登録のため、赤埴上城で投稿します)。
東西に細長い主郭と堀切をはさんだ東の曲輪で構成され、主郭の北下には帯曲輪、西側の尾根は二重堀切で断ち切っています。東の曲輪の西側は堀切、東側は切岸になっており、登城口からは東の曲輪が眼前にそびえ立って見えます。
近くにある仏隆寺前駐車場(無料)に駐めさせてもらい、道路を少し上っていくと道路脇からすぐに登城できます。小さな城で30分もかからずに見て回れますし、赤埴上城に行く途中にありますので、あわせてどうぞ(寄り道ついでに下志明城も)。
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2020/07/03 00:37
富士山をバックに! (2020/03/21 訪問)
天気が良いと富士山とのコラボが楽しめます♪
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2020/07/02 23:22
家康の城だが豊臣の石垣も (2020/06/27 訪問)
静岡駅から徒歩で5分、公園となっています。
駐車場は周辺の有料駐車場となります。
二ノ丸を巡る道路は一方通行なので注意。
今回は北御門から入城しました。
発掘調査された天守台では徳川期だけでなく豊臣期の石垣が発見されています。
徳川期には6重7階の天守が建っていたとのこと。
復元された坤櫓と巽櫓・東御門に100名城スタンプが置いてあります。
駅近の一等地、平和な時代の城ですが家康の威光を感じることができました。
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2020/07/02 21:23
信長築城の二条城 (2020/06/21 訪問)
【二条古城】
<駐車場他>各所コインPあり。
<交通手段>徒歩
<感想>1569年頃に織田信長が自身が普請奉行となって足利義昭のための居城として築城した城。足利義昭が挙兵、追放後は築城中の安土城に転用された。金箔瓦も発掘されていて豪華な城だったことがわかる。
旧二条城の位置は御所の南西部にあり、約400㍍四方あったようです。現在の元離宮二条城と御所の中間にあったようです。
朝7:00頃 JR二条駅前に駐車して元離宮二条城の外堀を1周して開城8:45まで時間が余ったので、次の予定の旧二条城まで徒歩で行った。先に京都御苑椹木口内側にある復元石垣を見て、平安女学院にある石碑を見ました。元離宮二条城から徒歩で30分かかりましたが、御所までの距離感わかりました。
<満足度>◆◇◇
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2020/07/02 19:17
住宅地に、土のお城。 (2020/03/21 訪問)
先日、投稿した「塙城」から「小坂城」に行きました。「塙城」でも夕方だったのですが「小坂城」攻めです。
実は、「牛久の大仏」がライトアップして魔神のように目が光るって聞いたので、怖いけど見てみたい!
と、暗くなるまでの間の「小坂城」攻めです。
、、、でも、これがビックリ!
「小坂城」は小田氏の一族、岡見氏のお城です。
「江戸崎城」の土岐氏と対抗していました。
先日の「塙城」が「江戸崎城」の支城だったので、近くの「小坂城」はヒヤヒヤの場所です。
小田氏が滅びると北条家の傘下に入りました。
北条VS佐竹では攻防地です。
「小坂城」、駐車場がある整備が行き届いた史跡公園です。
入口から階段を上がると「笄松物語」の案内板がありました。
女中のきくちゃんが水汲中に炊き出しの煙を発見し報告しました。ご褒美に笄を殿からもらいます。
と、その先は悲しいお話です。
小さいけど、遺構がしっかり残っています。説明板もありますので、初心者でもしっかり勉強できます。
空堀の底も歩く事ができるし、登るのも大変だと1人足軽体験もできます。
これも整備してくれた方々のおかげです。ありがとうございます。
満足して、圏央道に乗りました。
牛久大仏のライトアップは忘れてしまいました。
でも自粛中は、きっと光らないですよね、大仏の目。
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2020/07/02 18:18
風変わりな国衆だとは思う。 (2020/02/15 訪問)
上杉謙信南征時に上杉方についた国衆の多くが再び後北条氏に靡いた中で上杉方に残ったのは風変わりとしか言いようがないが、三田氏には三田氏なりに何らかの事情があったのだろう。
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2020/07/02 12:59
危うく見過ごすところでした(^.^) (2020/06/13 訪問)
地図ではこの辺り…
離合が難しいくらいの道端に偶然見つけた案内の石碑。
そこから山道を歩くこと10分!
見つけました(^.^)
こういうお城跡を見つけるとホントテンション上がります(笑)
楠木正成絡みのお城の一つらしいです。
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2020/07/02 08:34
山奥の織豊系陣城 (2020/06/23 訪問)
南北朝期に南朝方だった赤埴氏によって築かれ、小牧・長久手の戦いに際しては羽柴方の陣城として改修されたものと考えられます。
角馬出を伴った主郭と、谷を隔てた北側の曲輪、南の台地続きの曲輪、その西の小さな曲輪で構成される城で、主郭は東から南にかけて土塁と横堀で囲われ、北部には大きないくつか石が並び、南側には石垣が残る虎口があります。虎口を出ると北東と南西に虎口を設けた角馬出になっており、東から南にかけて土塁と横堀で囲われています。北の曲輪は南側を堀切で遮断し、堀切の内側には土塁が設けられています。南の曲輪は、北・西・南の三方が低い土塁と浅い横堀で囲われていますが、兵の駐屯地とも(城とは無関係の)鹿垣とも言われています。西の小曲輪のあたりにも一応行ってみましたが、藪化していて土塁は確認できませんでした。
時季的にあちこち藪化していましたが、それでも土塁や横堀がはっきりと確認でき、山奥の城でありながら角馬出や石垣が見られるなど、なかなか見応えがありました。
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