朝刊に掲載されていた、『吉田城2例目となる池田輝政の石垣』を見に行ってきました。本丸の東の門近くの堀を固める場所で、典型的な野面積の石垣です。
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2020/12/03 10:20
2020/12/03 08:55
越後遠征2日間⑧・西条城 (2018/11/11 訪問)
越後遠征2日間の8城目(遠征ラスト)は城びと未登録の西条城(にしじょうじょう)です。
この城は「上越妙高山城マップ」に載っており、妙高市指定史跡になっています。
車は西条城登城口付近の駐車場(37.016074、138.271528)に停めましたが、駐車場のGPS座標入力では車で進めないルートになりますので、目標を(37.019216、138.271046)付近に設定し、後は道なりに車を進めれば駐車場に着きます。ただし、細道だったと記憶していますので気を付けてください。
以下、「上越妙高山城マップ」からの転載です。
城主や築城時期はわかっていません。
通称荒城山に立地していて、眼下に高田平野が広がり、対岸の丘陵部に立地する鮫ヶ尾城や鳥坂城を見通すことができます。
武田氏が治める信濃に隣接していることから、信濃国境の防備のために築かれたと考えられています。
山頂の主郭を中心に、三方に延びる尾根筋を断ち切る空堀や曲輪からなり、強固な守りの城の姿を留めています。
平成12年の部分的な発掘調査では、ふもとの曲輪で建物の柱穴が見つかりました。
駐車場から山頂まで約10分です。攻城時間は25分くらいでした。
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2020/12/03 08:16
丹波国三大山城 (2020/11/21 訪問)
詳細は不明ながら、室町期に丹波国守護代・内藤氏の拠点として築かれた城で、同じく丹波国三大山城に数えられる八上城の波多野氏や黒井城の赤井氏との抗争の中、キリシタンとして知られる内藤ジョアンが城主となったようですが、明智光秀の丹波攻めにより落城。その後、明智秀満が入城し、しばらくの間は亀山城の支城として機能したようです。
城山山頂から四方にのびる尾根に曲輪群を配した大規模山城で、本丸の説明板の縄張図によれば、主な曲輪には屋敷があったとされる守将の名が付けられています。
本丸(内藤備前守)には西端に土塁、南西部に金の間と呼ばれる櫓台、その隣に虎口があり、本丸の周囲にはところどころに石垣が見られます。本丸からの眺望は素晴らしく、周山方面から亀山(亀岡)方面にかけてを一望することができます。本丸北東下の腰曲輪には明智光秀が勝鬨をあげたと伝わる岩がありました。本丸北西部の枡形虎口を出た先は二の丸で、尾根沿いに細長く続いていますが、中央部に櫓台状の土壇があり、その西側に堀切を設けています。また、二の丸南西部(内藤和泉)には土塁が、北西下には石垣が見られます。
八木城の見どころは中心部だけでなく、四方に連なる曲輪群も見逃せません。(続く)
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2020/12/03 08:13
2020/12/03 08:10
2020/12/03 08:08
2020/12/03 07:51
越後遠征2日間⑥ (2018/11/11 訪問)
越後遠征2日間の6城目は鮫ヶ尾城です。
続100名城スタンプは「斐太歴史の里 総合案内所」で押しました。この案内所の開館は4月初旬~11月下旬(9:00~17:00、10月は16:00、11月は15:00)になりますので、気を付けてください。閉館中のスタンプはたぶん「神の宮温泉かわら停」だと思います。
車は「斐太神社」前の「斐太歴史の里駐車場(37.053890、138.235709)」に駐車しました。
「斐太歴史の里 総合案内所」のおばさん(お姉さん?)の接待が凄いです。お茶、複数種類の漬物など、出るわ出るわ。まだ、いらっしゃるでしょうか。感謝感謝です。
攻城ルートは総合案内所で頂いた散策コース案内図「コース5 斐太遺跡+鮫ヶ尾城跡」を歩きました。
鮫ヶ尾城は上杉謙信の後継者争いである「御館の乱」の際に敗れた上杉景虎が自刃して果てた城として知られています。
コースを歩くと尾根づたいの曲輪やたくさんの堀切を確認することができます。攻城時間は90分くらいでした。
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2020/12/03 06:50
2020/12/03 02:15
その1 (2020/10/16 訪問)
最初に5年前のGWの思い出です。(ごく一部を軽―く投稿済みです。)
その日は初めての金山城訪問だったのですが、スタンプ小屋が閉まる時間が迫っていたので、夕暮れ迫る中、ガイダンス施設からハイキングコースではなく、城址に近い急坂を這いつくばるようによじ登りました。獣道のようなところもあり、スリル満点、不安もいっぱいで、ドキドキしっぱなし。
何とか登りきり、スタンプも押してほっとしていたら、近くにいた見知らぬ方に「家はどこ?」と聞かれました。突然だったので「こんな山の中で…何かヤバいかも⁉︎」と(小娘でもないくせに)警戒してしまい、咄嗟に「近くです」と答えてしまいました。(今思うと近くに家なんてない。) すると「じゃあ持って行って」とタケノコをどっさりくださったのです。今さら「実は東京から電車で来たので持って帰れません。怪しい人かと思って嘘つきました。」なんて言えません。スーパーの袋に入れられたタケノコを頂戴し、下山することにしました。(一刻も早く下山しないと日が暮れるという状況。)
獣道を下るのは怖すぎるので、帰りはモータープールから車道を通ることにしました。しかしずっしり重いタケノコの袋を抱えて歩くのは辛すぎです。と、そこへお散歩中のような二人連れがいらしたので、タケノコをもらってもらえないか聞いたところ喜んで(←多分)受け取っていただけました。(リュックに入る1本は自分で持ち帰りました。)
身軽になったところで人里めざして下山です。すると、そこへ自転車こいで下から登ってくるお兄さんが!!その方に、この道を下っていけば帰れると教えてもらって一安心。もしお会いしていなかったらかなり心細かったと思います。お兄さんはスタンプ目指して驀進中でした。間に合っていればいいけれど…。
そして相当長い距離を歩き(ほぼ記憶がありません)、駅に出て、2時間以上電車に乗って家に帰って…からの、タケノコの下処理。せっかく背負って帰ったのでがんばりました。この日出会ったみなさん、たいへんお世話になりました。あと、近所の人のふりしてごめんなさいm(__)m
という、おばかすぎて呆れられそうで封印していた一日を懐かしく思い出しながら、先々月登城してきました。二度目ですが、5年前↑はほとんど何も見ていないのでノーカウントで(^^;)
<続く>
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2020/12/02 22:52
黒田氏石垣が残存見応えの有る山城です (2020/11/21 訪問)
今回の鶴丸城御楼門探訪をメインにした九州未踏の城廻り第一弾、2年前に山城サミット安来大会の後北九州未踏の城廻りをしたのですが最終日台風24号の日本襲来により日出城近く宿泊の夜半から風雨が強く成り最終日予定の平田城、豊前松山城登城を断念し浜松まで台風と競争、台風24号は被害が酷く我が家も被災。
そうゆう因縁の有る豊前松山城で2年振りに念願かなって登城へ、しかし松山城も水害の被災を受け山頂部崩落し登山禁止状態で麓の駐車場は閉鎖されてました。
案内板を撮影して引き上げようとした時に松山城を守る会の方に会い危険な所を避ければ登城できる旨を教えて頂き又松山城のパンフレットも頂く、車は駐車場前の三角コーナーギリギリ交通に邪魔に成らない1台やっと停める。
登城路は丸太の土止め階段が直道に近い形で山頂までこれが結構きつい、案内では25分と有りましたが私は40分で本丸下まで、本丸下の横堀と土塁、切岸を斜めに登る階段で余湖図コレクションさん俯瞰図の4郭と5郭の間へ5郭に降りる石段更に下の曲輪、4郭に登る石段、4郭から2郭への石段、眼前に1郭本丸、1郭の有名な石段と北法面が崩落して青シートで保全覆われてる、本丸南下帯曲輪は立ち入り禁止、西に在る3郭西下も崩落、本丸に登れない。
豊前松山城の歴史は天平時代からの歴史が有る様ですが黒田官兵衛に九州征伐後豊前12万石与えられた北の守りの松山城として石垣を含めた改修が有ったのではパンフレットには桐紋の瓦が出土と有ります。
修復回収の見通しは未定の様ですが暫くは登城禁止状態が続く様です、気が引けた登城でしたが折角遠い所から来たのにと教えて頂いた方に感謝です。
ナビは城跡南麓の駐車場、福岡県京都郡苅田町松山1279辺りに合わせる。
ガイドと情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん俯瞰図に依ります。
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2020/12/02 22:31
3回落城して長い歴史を閉じた城 (2020/10/17 訪問)
阿波守護だった小笠原氏の一族は細川氏が阿波守護となった後も200年以上に亘ってこの城に居住した。そんなお城が立て続けに3回も落城して歴史を閉じ、城跡にあった小笠原神社の社殿倒壊とともに再び一つの歴史を閉じたようだ。
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2020/12/02 17:52
甲賀市巡り (2020/11/21 訪問)
遺構が完存してます。土塁、虎口、空堀、曲輪等とても良い状態で堪能できます。お勧めです。
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2020/12/02 15:02
所要にかこつけた城巡り 1城目 (2020/11/11 訪問)
所用で福岡県に行くことになり、往復の各地の城をついで(?)に巡る、1城目。
(先に投稿の熊本城は、7城目です)
市内のどこからでも見える山の頂に、一見してそれと分かる石垣が見えた途端、心が萎えた。
ステイホームで運動不足の身体には、あの山は無理!! 夜通し運転して寝不足だし…。
擬宝珠橋は復元されていたものの、中の御門が工事中の為、中仕切門(西坂下門)から入る。
この高麗門は唯一残っていた建物であり老朽化が著しかったが、昭和50年に強風で倒壊。
同年に旧態復元したもので、復旧記なる文板が内側の高い場所に掲げられている。
それさえも45年の歳月を物語る風合いだが、復元時に使用した金具は従来のものを模造したとある。
いま目の前の金具は従来の元々の姿なのか? 45年の間に風化し変化したものなのか?
元々の錆具合や破損具合を模造したままなら、すごい技術だと思う。
すぐ上の石段の桜の古木と紅葉が、何とも言えない雰囲気で好い。
これは期待できるぞ、と さらに進むと… 。 整備された広い公園のような曲輪に出た。
石垣は積み直しされているようで、きれいに整っている。
二の丸虎口には、登り石垣というか、石土居というか…。 (全体像撮れず、掲載なし)
山裾を登ってるからやっぱり登り石垣か?
登り石垣にしては中途半端だしなー。 ”登り石垣だ。” とは、なんか言いづらいなあー。
石土居っぽいんだけどなー。 造った狙いは分かるけど、ホントの名称はなんだろう?
ここに説明板は欲しいよなー。
いつものように、1人問答が始まったが、結論出ず。
三階櫓石垣の天端角石に刻まれた銘文説明を読んでみて、各地の城跡にもまだ埋もれた状態で
似たような物がかなりあるんじゃないのー、と思ってしまう。
天球丸へ向かっていると、”熊出没注意!” の看板が。 これで言い訳の理由は完璧!!
ところが天球丸虎口を入ろうとすると、山の上から私と同年代のご婦人たちが数人下ってきた。
完璧が、崩れた。
気を取り直して…
天球丸付近の縄張りや石垣の配置は、二の丸に比べかなり防御性が高いなー。
こっちが大手だから、と言ってしまえばそれまでだけど…。 ブツブツブツ…
それにしても天球丸巻石垣だが、だれがこの方法を考えたのだろう?
そんなに効果があるのなら、他の城跡に採用されていないのはなぜだろう?。
幕府が許可しなかったのか?
登り石垣(?)や巻石垣の ”?” が残ったのと、山上ノ丸に登らなかったことでちょっと消化不良でした。
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2020/12/02 08:28
土造りの西の城 (2020/11/21 訪問)
(続き)
西曲輪群から2本の大堀切を越えて尾根伝いに西に進んだ先には、西の城と呼ばれる出曲輪群があります。総石垣の本城に対して土造りの城で、南北にのびる尾根の3つのピークに曲輪を設け、南の曲輪は南下に腰曲輪、北端に土塁があり、中の曲輪には北側と中央部に土塁を設け、主郭と思しき北の曲輪には南部と北西部に枡形虎口が開口しています。西の城まで行く時間がない方も、せめて2本の大堀切までは行ってみて下さい。相当な深さに掘り込まれていて見応え充分ですので。
さて、総石垣の城と土の城でお腹いっぱいのところですが、山麓の見どころも少々。登城口近くの慈眼寺の釈迦󠄀堂には、くろみつ大雄尊と呼ばれる墨塗りの明智光秀座像が安置されており、拝観もできるようですが、拝観時間外だったため未確認です。
慈眼寺から南に徒歩1分行くと篠山藩の周山代官所跡があり、道路沿いの石垣が遺構か否かは不明ですが、後背の山が綺麗に紅葉していました。代官所跡は駐車場になっており、この日はここに駐車して周山城に登城しています(登城口まで徒歩5分)。
今回の登城は時季的に落葉が多く、未明から小雨が降っていたためトレッキングシューズを履いていても斜面で2度転倒し、ストックのおかげで滑落は免れたものの、隅々まで見て回る気力が尽きてしまい(正直、怖くなりました)、本丸北下と二ノ丸北下の曲輪の先にそれぞれ連なる小曲輪群に行けなかったのが心残りです。ただ、そうでなくても再訪したい素晴らしい城なので、次の機会にはきっと隅々まで制覇したいと思っています。
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2020/12/02 08:04
越後遠征2日間⑤ (2018/11/11 訪問)
越後遠征2日間の5城目は高田城です。御館からの転戦です。100名城スタンプは三重櫓入館券売り場で押しました。
車を高田公園第7駐車場(37.111042、138.254730)に駐車して攻城。
高田城は2回訪問しています。
1回目は2017/4/8にクラブツーリズムの「高田夜桜 信州8つの桜吹雪」ツアーで訪問。
2回目が今回の訪問です。
江戸時代の築城にも関わらず、石垣はなく土塁が採用されており、これは「大阪冬の陣」直前の工事を急いだことが原因だと考えられているようです。
現在は高田公園として整備されています。1回目の訪問時は三重櫓に入館しなかったので、今回は入館するとともに周辺の水堀や土塁を見学しました。攻城時間は40分くらいでした。写真は今回と前回の夜桜分も併せて投稿します。
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2020/12/02 07:23
越後遠征2日間④ (2018/11/11 訪問)
越後遠征2日間の4城目は御館です。春日山城からの転戦です。
現在は御館公園として跡地が残っていますが、駐車場所がない為、公園周辺に路駐(37.167326、138.235309)し、説明板と石碑の写真を撮って、速攻で撤退しました。攻城時間は2~3分でした。
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2020/12/02 07:12
越後遠征2日間③ (2018/11/11 訪問)
越後遠征2日間の3城目は春日山城です。100名城スタンプはものがたり館で押しました。
前泊した上越妙高駅でレンタカーを借りて春日山城へ向かう前に上越妙高駅前の謙信公像の写真を撮影。若かりし頃の謙信公なのか女性ぽく感じます。
その後、ものがたり館駐車場(37.153030、138.222577)に向かい、まずは100名城スタンプをゲット。
ものがたり館周辺の復元土塁と堀、東城砦、春日神社等を見学した後、春日山の山城二向かいました。
車は謙信公銅像下の駐車場(37.146603、138.209610)に停めました。
山城は千貫門コース(春日山神社➡千貫門➡空堀➡直江屋敷➡毘沙門堂➡本丸➡大井戸➡景勝屋敷➡御成街道➡二の丸➡三の丸➡謙信公銅像前)で巡り、ものがたり館周辺見学と併せて攻城時間は2時間30分くらいでした。
訪れたのが紅葉時期でしたので、山城は紅葉映えで綺麗でした。山城の謙信公銅像は恰幅が良くたくましい感じでした。
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2020/12/02 06:27
ゴルフ場内に二重堀切 (2020/10/31 訪問)
この日の締め。圏央道をくぐって城址とおぼしき丘の近くまで歩いてアプローチしてみました。ゴルフ場内に二重堀切があるそうですが、一生、ゴルフをする気のない私が拝むことはできそうにありません。
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2020/12/02 01:09
絶景
麓のお寺から徒歩40分~60分。かなりきついですが、頑張ればご褒美が待っています。なお、お寺の方が作成されているのでしょう、お寺の前にガイドマップがあるのでそれを参考に登るとよいです。
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2020/12/01 23:10
三河一向一揆に加担した城 (2020/11/29 訪問)
寂しい遺構。やはり城主が三河一向一揆に加担して家康と対峙していた。「三河武士」というと、強い忠誠心と団結力をイメージするが、織田との戦いの最中に裏切ったり、一揆に加担したりと内情は苦労してた事がわかって面白い。榊原康政誕生之碑がまだ新しいのに斜めになりながら建っているが、城主に仕えていた康政は小姓として家康に見いだされ徳川四天王の一人になった方。筋金入りの三河武士も出た城だ。
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