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橋吉

岡崎城 (2008/06/28 訪問)

三河武士のやかた家康館はわかりやすくていいですね。兜をかぶって太刀や鉄砲(もちらん複製品です)を持つ体験ができたりして小学生の長男は喜んでおりました。

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橋吉

名古屋城 (2008/05/21 訪問)

西北隅櫓は清洲城天守を移築したといわれています。

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のっちくん

真田領四城攻城記念御城印 3 (2019/09/08 訪問)

なんとか3分前に案内所に到着、そろそろ案内所を閉める準備をしている中、御城印を購入、岩櫃城、瀧峩山金剛院、岩櫃山蜜岩神社の御朱印とセットで500円とのこと、気付くのが遅かったが急いでいたので岩櫃城だけ100名城スタンプを押し忘れてしまったが後の祭り、仕方なく攻城することに入り口に着くと熊出没注意の看板、でも引き返すわけにもいかず進みました、実は山城初挑戦、運動不足の私にはかなりキツかったです、それでも中城、二の丸を進んでやっと本丸跡へキツい思いをすればこその満足度ですね、そこから見る景色もよかったです。

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のっちくん

真田領四城攻城記念御城印 2 (2019/09/08 訪問)

沼田城跡に続いてみなかみ市の名胡桃城跡へ城というより砦という感じがしましたが北条氏がここに侵攻したために小田原攻めのキッカケにになったと聞きました、駐車場は般若廓という場所でそこから案内所を挟んで三廓、二廓、堀切を橋で渡って本廓、さらに奥にささ廓と連なっていたとのこと、どうしてもゆっくり見てしまい気付くと15時30分、次の岩櫃城まで30分近くかかることがわかり慌てて名胡桃城をあとにしました、これで間に合わないとまた岩櫃城のために一日使うことになってしまう。

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のっちくん

真田領四城攻城記念御城印 1 (2019/09/08 訪問)

真田領ゆかりの城4箇所を周って9月25日以降にもらえる御城印を集めるためまずは沼田城跡に行きました、まず最初に案内所で甲冑と城の模型を見て御城印をゲット、それから石垣、鐘楼、真田信之と稲姫の石像を見て本丸跡を見てたら1時間を超えていました、今日中に名胡桃城、岩櫃城を周りたいから次の名胡桃城跡へ。

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のっちくん

登城記録2 (2019/09/11 訪問)

強瀬ルートや他のルートが通行禁止のため、頂上まで登れるルートは公式には案内していない畑倉ルートのみとのことで強瀬ルート登山口から20分程歩いて畑倉ルート登山口へ、とここでなんと熊出没注意の看板が😅とりあえず登るがかろうじて道と分かる道を45分くらいかけて登りました、普段会社の3階まで登るだけで息切れするような運動不足なのに頑張りました、やっと頂上の看板が見えて到着、なんと通常なら通るはずの番所や揚城戸、三の丸、二の丸をスッ飛ばして直接本丸跡に着いてしまい他を見ようとしてたら雨がポツポツと、これはいかんと来た道をまた慎重に下って登山口に着いたらもう雨は止んでいました、正規ルートが通れるようになったらまた行きたいです。

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のっちくん

登城記録1 (2019/09/11 訪問)

前から気になっていた岩殿城へ行きました、まず高月橋を渡ったところの駐車場から一番近い強瀬(こわぜ)ルートで登ろうとしたらいきなりの通行禁止、聞いたところ案内所の岩殿山ふれあいの館までしか登れないとのこと、100名城ではないので普通のスタンプを押してまた戻って別ルートで登ることに別途投稿します。

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くろもり

石山本願寺の支城の一つ (2019/09/07 訪問)

難波の法善寺さんにお参りに行った際に近くだったので、寄ってみました。なんば駅から徒歩5~6分程と思います。

戦国時代後期に一大勢力を誇った石山本願寺の51の支城に数えられるようですが、遺構等は特に残っていません。石碑・説明板等もありませんが、三津寺の外観は近世城郭のようなので、城跡のような雰囲気は感じられます。

三津寺から南へ下った所に有名な「道頓堀」があるのですが、この道頓堀は戦国時代後期に地元摂津の商人だった安井道頓(成安道頓)が私財を投じて開削しました。完成前に大坂の陣が起こると、道頓は商人でありながら豊臣秀頼の味方をする為、大坂城へ入城し、城内で討死してしまいました。大坂の陣後、道頓の従兄弟の安井道卜や平野藤次が水路を完成させ、大坂城に入城した松平忠明は敵方であるにもかかわらず道頓の名を付け「道頓堀」としたと伝わります。

道頓堀川に架かる日本橋の北側の日本橋北詰の交差点の東側に「安井道頓・安井道卜紀功碑」があります(碑がある場所は安井道卜の屋敷跡だそうです)。大坂城築城の際、船で輸送中に安治川に落としてしまった「残念石」を使用しているそうです。大坂城に馳せ参じ討死にした道頓の碑を大坂城に使われるはずだった石で造るなんて道頓翁も幸せなんじゃないでしょうか。石の上部が崩れてきて取り壊す予定だったそうですが、地元の方々が多額の寄付をして修理保存され今に至っているそうです。本当にありがとうございます。これが大阪の「粋(すい)」かぁ。

司馬遼太郎先生の著「おれは権現」の中に『けろりの道頓』という短編小説があるので、安井道頓について興味がある方にお勧めです。大阪が好きな方にも。

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橋吉

犬山城 (2010/08/18 訪問)

名物の一つが菜めし田楽です。豆腐に甘めの八丁味噌を付けて焼いた田楽に、大根場を混ぜた菜めしがセットとなっています。菜めしの塩加減がまさにいい塩梅です。

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橋吉

浜松城 (2019/02/02 訪問)

広い無料駐車場が用意されています。

前身である引間城(曳馬城)跡も見に行きました。
浜松城公園東の国道152号線沿いHONDA CARS 浜松の東にあります。
現在は、浜松元城町東照宮となっています。

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橋吉

高天神城 (2019/02/02 訪問)

続日本100名城のスタンプは、大東北公民館1階事務室前のカウンターに設置してあります。

登城口は2つ
南にある大手門側、北にある搦手側です。
どちらも、無料駐車場が整備されています。
私は大手門側を選択。
駐車場

登城というより、登山
ハイキング程度の装備は必要です。

見学所要時間40分

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橋吉

諏訪原城 (2019/02/02 訪問)

興国寺城からクルマで1時間40分ほど
建設中のガイダンス施設前に6台ぐらいの駐車場があり、この他2か所の駐車場が用意されています。

ガイダンス施設の裏が大手外馬出で、日本100名城のスタンプとパンフレットが置かれています。

結構広く見学時間は45分かかりました。

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チーム謙三

久しぶりの大阪城 (2019/06/16 訪問)

大阪城に訪れたのは4年前の2015年以来です。
夏休みに行ったこともありましたが、それ以外は、行ったことがなかったので、週末に行きました。
大阪城そのものは、変わらない風景です。

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トーダイ

飛騨川の川原石(丸石)を用いた石垣です (2019/09/10 訪問)

天正13年(1585)豊臣秀吉の命を受けた金森長近が、飛騨一帯を統治していた
三木氏を滅ぼし、高山城を築城して居城とした。同年、姉婿の佐藤秀方に諏訪城を
築かせています。

桜洞城から転戦、諏訪集会所駐車場(10台)<35.873830,137.211405>を利用、
諏訪神社(本丸跡)境内には飛騨川の川原石(丸石)を用いた石垣、内堀跡などが
残っています。また、新しい案内板に変わっています。

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小城小次郎

上月城

尼子勝久と山中鹿之助幸盛の悲運を伝える城としては、あまりにも普通すぎる小さな山城。それがまたむしろ彼らの悲運を盛り立てるのかもしれないが。

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赤い城

少しだけ土塁が。 (2019/09/07 訪問)

東武本中野駅から徒歩で8分。
神光寺が跡地のようで説明板が立っています。
お寺には遺構らしきものは見当たりませんが寺の北東側に少しだけ土塁(と思われる)が残っています。
新田義重の子孫、中野景継が築いたとされます。
台風の前日でしたがさすがに館林の近く、暑かった!

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トーダイ

土塁と空堀跡が確認できます (2019/09/10 訪問)

永正年代(1504)竹原郷から進出した三木重頼によって築城されています。

農道をクネクネと走りますが、ラクに登城できる城址標柱が立つ南登城口前
スペース(1台)<35.880615,137.211320>に駐車、約50m進むと左側に
石積みで補強された土塁と空堀跡がシッカリ確認できます。しかし高山本線
建設で城跡の一部しか残っていません。

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ぴーかる

新庄城 (2019/09/01 訪問)

【新庄城】
<駐車場他>駐車場はなし。近くまでは車で入れる。
<交通手段>バイク

<感想>摂津国、バイクで「ちょこ城」巡りのツーリング、ラストの8城目。阪急電車下新庄駅から歩いて来れる。ここは前来城者の方々の記述通り中川清秀築城の茨木城の支城だったそうです。遺構はありません。私が訪れた時も明教寺の山門は閉じられ、入れる雰囲気ではなかったので山門のみを撮影して終了した。

「ちょこ城」巡りのツーリングはおおよそ2時間半程で巡れた。走行距離が40㎞だったので、ガソリン1リットル弱しか使っていない。1城当たりの費用が約16円程で城巡り初の再安値だった。ちょっと来城数かせぎみたいになってしまいましたがお許しを。遺構が無い城ばかりだと流石にモチベーションは全く上がらず、半分くらいから飽きてきてしまいましたが大阪在住で大阪の城のことを1城づつ調べることで勉強にはなった。またちょこ城巡りのツーリングやります。

 これで一応スタンプを押印してない百・続百名城を除いて訪城した全てのお城を投稿しました。投稿するストック城が無くなったので今後は投稿に間隔が開くかと思いますがフォロワーの皆様、投稿を読んでいただいている皆様、今後とも宜しくお願い致します。

<満足度>◆◇◇

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カルビン

ここでも信玄を翻弄した? (2016/07/16 訪問)

北斯波砦は箕輪城主・長野業正が治めていた地域で、家臣の築いた砦とされております。
箕輪城に対し南約5km離れた場所に位置し、おそらく信玄が何度も長野業正に仕掛けては撃退された際、この砦も有効に使われたんだと思われます。

ここ単体ではそれ程堅固であるとは思えず・・・恐らく周辺に多数築かれた砦を以て強力な防御ラインを形成していたんだと思われます。

土塁も実は復元土塁で、その外側・砂利の敷かれた場所は埋まってしまった堀跡との事。。。お城っぽさはかなり薄まっている感じでした。
ただ、現代の開発が進んだ地域なので、他に築かれた砦群がほぼ残っていない中、公園化されているとはいえ残されているだけマシなのかもしれません。


公共交通機関での訪問は微妙に難しいと思いますが、車でなら高崎・前橋とも近いので、周辺の史跡を数多く巡る事が出来ます。
北斯波砦史跡公園にも駐車場ありますので。

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城塞群 (2019/09/09 訪問)

上下赤坂城から金剛山・千早城の間にはたくさんの城跡があるとのこと。行きやすそうな尾根沿いの坊領山城(国見山城)、猫路山城を上赤坂城、千早城に挟んで歩いてきました。千早城→金剛山を先にして、下りが長い山道を行きました。
金剛山山頂を出て直ぐに山崩れで、本来の道が行けず迂回を迷う。出会う登山者に聞きながら、上赤坂城に向かう、桐山・二河原辺道への分岐に至ったが、ここからが難渋。倒木、草藪で、迷いそうになりつつも、坊領山城、猫路山城を経て、なんとか上赤坂城にたどり着けた。
金剛山山頂では雲がかかっていたが、上赤坂城では晴れ渡り、素晴らしい眺望。
バス停に向かう途中に、楠木正成公生誕の地の道の駅(千早赤阪道の駅)があり、スイカと甘酒のスムージーが乾きを癒してくれました。

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