遺構度→★★★★★ 復元度→★★★☆☆
施設充実度→★★★☆☆ お勧め度→★★★★★
武田勝頼が武田氏最後の居城として築城した新府城に行ってきました!
新府城は天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いにおいて、武田方は織田・徳川連合軍に大敗したことで、長篠敗戦後に領国支配を強化するために勝頼によって築かれました。
築城は天正9年(1581年)から開始され、年末には勝頼が躑躅ヶ崎館から新府城へ移住しました。
しかし、天正10年(1582年)、岩殿城に移るために新府城に火をかけました。
武田氏が滅亡した後も織田氏や徳川氏により、城は利用されたものの、甲府城が出来ると、新府城は廃城になりました。
遺構は主に丸、堀、馬出、枡形、東・西出構、井戸跡などが残っています。
特に出構と枡形が素晴らしく、はっきりと残っているのはもちろん、武田氏の威厳を見せつけるようにダイナミックです。
枡形は土で盛って作られており、当時は最新技術であろう枡形を取り入れる点もすごいと思います。(もしかしたら勝頼も新しいものには目がなかったのかもしれません。)
出構は外郭から突出しており、土盛は高く、大きく、とても立派です。実戦を想像して作られており、他の城では見たことのない遺構だったため、とても興奮しました!
また、土塁や堀なども残っています。土塁はあちらこちらにあり、城を守ることにおいての機能性も高く、もし長篠の戦いで負けた後、新府城に籠城していたら...と思ってしまうような機能性の高さは必見です!
本丸には碑と、勝頼の霊社、長篠の戦いで討ち死にしてしまった武将達の名前が書いてある碑があります。
武田の顔とも言える有名な猛将達の名前が書いてある碑を見ていると、勝手に拝んでしまっていました。
スタンプは韮崎市民俗資料館に設置されています。
駐車場もしっかりと完備されており、僕の所要時間は大体1時間30分くらいでした。
ヘビに遭遇したので山城に行くときの格好で行くことをお勧めします。
武田氏の思い、そして築城技術が詰まった素晴らしい城郭で、遺構も楽しむことが出来ます。
お勧めです!皆さんも是非来てみてください!
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