次男と二人でクラブツーリズム「北陸7名城めぐり2日間」の1城目は富山城です。
続100名城スタンプは、このころは集めていなかったので押していません。
最初の築城はよくわかっていませんが、一般的には1543年(天文12年)頃に越中東部のおよび新川郡への進出をもくろむ神保長職が、家臣の水越勝重(勝重が神保長職本人という説もある)に命じて築城したとされています。
その後神保氏が3代に渡って居城としましたが、天正4年、越後春日山城主上杉謙信が富山城の神保氏を追い、家臣の小笠原長隆・上杉信定を置きました。
天正7年、織田信長が越前小丸城主佐々成政を富山54万石封じましたが、天正15年の豊臣秀吉の九州征伐後、成政は肥後熊本城へ転封になります。
慶長5年の関ヶ原の戦功により金沢城主前田利長は、加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を得ます。
慶長10年に利長は隠居して富山城に移るが、慶長14年に主要部の建物をことごとく焼失したため、高岡城を築いて移ります。
寛永16年、3代前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させました。
利次は、廃城と化していた富山城を修復、寛文元年に入城して富山藩が成立します。以後富山前田氏13代の居城として明治に至ります。
現在は富山城址公園として整備されており、模擬天守(富山市郷土博物館)が建てられています。
模擬天守から眺める庭園、石垣、水堀等の景色は素晴らしかった。攻城時間は40分くらいでした。
続100名城スタンプを押していないので、もう一度来なくてはいけません。
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