九鬼氏が鳥羽城に移る前の居城になります。
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2023/12/31 20:15
2023/03/30 22:28
志摩未踏の城廻Ⅰ九鬼氏の城 (2023/03/19 訪問)
五ヶ所城を終えて国道167号線沿いにある田城城を初登城。
駐車場:JA伊勢鳥羽支店を使わせて頂きました。国道167号線沿い西側50m南です。
田城城は今まで登っていませんでしたが、浜島に有るリゾート子会社にプライベート、業務で伊良湖フェリー経由で国道167号線を往復しており、神社が国道沿いに在る事は記憶に有り今回、田城城/九鬼岩倉神社と認識しました、湾岸道が開通してからは玉城IC経由で浜島に向かいましたので田城城の前を通る回数は減りました。
田城城へは九鬼岩倉神社鳥居から階段を登り、岩盤尾根筋東西に小さく細い曲輪があり、神社の拝殿、本殿が鎮座しています。
案内板と標柱が鳥居横に設けられています。案内板を投稿掲載しますのでお読みください。
この後は時間も有ったので夕暮れでしたが鳥羽城に久しぶりに寄りました。
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2022/06/30 21:38
2021/08/17 08:46
九鬼岩倉神社 (2021/08/01 訪問)
戦国後期に波切城主・九鬼泰隆が鳥羽進出のために築いた城で、その孫・浄隆の代に北畠氏の支援を受けた志摩七党と呼ばれる地頭たちに攻められ、戦の最中に浄隆が病死(討死とも)し、まだ幼い澄隆が家督を継いで叔父・嘉隆の補佐を受けるも落城。澄隆と嘉隆は朝熊山に落ち延びました。その後、織田信長に仕えた嘉隆が北畠氏を破ったことで、澄隆は田城城を回復しましたが、九鬼氏の実権を嘉隆に握られたまま病死(嘉隆による毒殺とも)し、嘉隆が本拠地を鳥羽城に移したことで廃城となりました。
加茂川と河内川に三方を囲まれた丘陵地に築かれた城で、かつては周囲は湿地帯だったようです。国道の九鬼岩倉神社前交差点近くに石鳥居があり、その脇に田城城跡の標柱と説明板があります。鳥居をくぐり階段を上って行くと神社の境内に至ります。ここが主郭のようです。東西に細長く広がる主郭の北辺と南辺には土塁(状の土盛り)が見られ、東奥に九鬼岩倉神社の社殿が建てられています。
九鬼岩倉神社は嘉隆の子・守隆が澄隆を祭神として祀ったとされますが、そうせずにいられないあたりが毒殺説を裏付けているようにも思えます。ともあれ、訪れた時も氏子の方々が境内の整備をしておられました。今なお大切にされているようです。
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分類・構造 | 丘城 |
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築城主 | 九鬼泰隆 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 九鬼氏 |
廃城年 | 天正10年(1582) |
遺構 | 曲輪、土塁 |
指定文化財 | 市史跡(田城々跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 三重県鳥羽市岩倉町 |
問い合わせ先 | 鳥羽市教育委員会生涯学習課社会教育係 |
問い合わせ先電話番号 | 0599-25-1268 |