JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の5城目は花倉城です。
諏訪原城から転戦。県道215号線から左側へ(34.915829、138.242582)入り、この付近(34.913383.138.229655)から右折、登城口付近(34.9148966、138.2256611)に駐車しました。
1352~56年(文和年間の間)頃に今川範氏によって築かれた城で、範氏から今川泰範、今川範政と三代にわたる今川氏の居城でした。
今川範国は足利尊氏に従って戦功を挙げ、1336年(延元元年)に遠江守護、次いで駿河守護となりました。
しかし、駿河では南朝方の狩野貞長が安倍城に拠り、北朝方に激しく抵抗していました。
今川範氏が家督を継いだのは1353年(文和2年)で、この頃に花倉城が築かれたと思われます。
1404年(応永11年)今川範政が本拠を駿府へ移しました。
1394~1428年(応永年間の間)頃、今川氏に抵抗していた狩野氏が降伏し、これを機に4代目の駿河守護・今川範政は、駿府に館を築いて移りました。
1536年(天文5年)に当主今川氏輝の急死により勃発した、「花倉の乱」では今川氏の重臣である福島氏が、花倉遍照寺の僧で栴岳承芳(後の今川義元)の異母兄である玄広恵探を擁立して、この城を拠点に抵抗しましたが、栴岳承芳派の総攻撃によって同年に落城。玄広恵探は敗走の後自害し、乱の終結を決定付けました。
この戦い以後、花倉城が史料に登場しないため、この時に廃城になったとみられます。尚、後北条氏で勇名を馳せた北条綱成は、この福島氏の出身のようです。
高速は通行止め。迂回した国道1号は大渋滞。予定移動時間を35分もオーバして到着しました。
たくさん写真を撮りましたが、強雨の為、ピンぼけとほとんどの写真に大きな雨粒が写り込んでしまい投稿できません。(ピンぼけな物もありますが、ご容赦願います)
攻城時間は35分くらいでした。
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