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しげさん

案内板と石垣 (2021/03/13 訪問)

石垣の一部が崩落したのか、ブルーシートが掛けられています。

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しげさん

案内板 (2021/03/13 訪問)

車で結構上の方まで行けますが、山頂までは徒歩で向かう事になります。天気の良い日に行きたいです。

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昌官忠

柏近辺日帰り攻城②:小金城(大谷口城) (2018/09/02 訪問)

前ヶ崎城(流山運転免許センターで免許の更新後)から転戦。車で7~8分くらいで着きました。
遠矢山大勝院の駐車場(35.835282、139.923909)に駐車して攻城しました。

小金城は千葉氏の家老原氏の重臣であった高城氏の居城です。
原氏が室町時代の享徳の乱で上杉氏と対立関係に入った時期に、上杉勢力の下総侵攻を防ぐ拠点とするために重臣の高城氏を小金に配置したものと考えられているそうです。
小金城(大谷口城)は、1537年(天文6年)9月に高城胤吉によって築かれ、高城氏は根木内城より居城を移して、胤吉、胤辰、胤則と3代53年の居城となりました。
胤吉は城建設以前には近郊の栗ケ沢城、根木内城を根拠地として構えていたが、小弓公方足利義明の進出に対抗するために大谷口に新城を築城して移りました。
1560年代(永禄年間)、古河御所を追われた古河公方足利義氏の仮御所の役目と、義氏に敵対する関東管領上杉憲政を擁立して関東へ侵攻した上杉謙信に備えて拡張が行われたものと考えられています。
実際、1566年(永禄9年)2月には上杉方に小金城を包囲されたが、籠城して乗り切ることに成功しているようです。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際、後北条氏方の高城氏は後北条氏に従い小田原城に篭城し、豊臣氏方の浅野長政らに攻められ開城しました。
その後、徳川家康の関東移封に伴い、穴山武田氏の名跡を継承し甲斐国河内領となっていた家康五男・武田信吉が入城します。
信吉は1592年(文禄元年)に下総国佐倉城主として転封となり、小金城は1593年(文禄2年)に廃城となりました。
現在は大谷口歴史公園として整備されており、発掘調査によって検出された障子堀や畝堀など北条系の城郭特有の遺構を確認することができます。

小さいですが、歴史公園として障子堀や畝堀、土塁が整備されています
攻城時間は25分くらいでした。

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昌官忠

柏近辺日帰り攻城①:前ヶ崎城 (2018/09/02 訪問)

城址南側入り口付近の空スペース(35.848549、139.931587)に路駐して攻城しました。
前ヶ崎城址公園入口付近に駐車場がありましたが、前ヶ崎城址公園の駐車場か否か不明だったので、路駐してしまいました。

前ヶ崎城は小金城の高城氏の支城とされ、城主については「刑部郭」の名が残ることから高城氏家臣の田島刑部少輔とも、花野井(花井)氏ともいわれているが定かではないようです。
また本土寺過去帳には、1478年に太田道灌と千葉孝胤&長尾景春が争った際に孝胤に攻められ落城し、太田六郎が戦死したという記録があるそうで、高城氏が用いる前から存在(道灌が使用?)し、のちに高城氏によって改修された可能性もあるようです。
現在は本丸跡が前ヶ崎城址公園として整備されており、土塁や空堀を確認することができます。

城跡の城址公園は、狭い範囲とはなりますが、その中に、曲輪跡、土塁、空堀、櫓台、虎口と遺構が詰まっていました。
前ヶ崎城攻城後、流山運転免許センターで免許の更新をしました。
攻城時間は15分くらいでした。

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牛若丸

さすが江戸城 (2021/03/04 訪問)

さすが江戸城です。
周囲を散歩すると巨大さがわかります。

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牛若丸

渋谷駅からほど近く (2021/03/04 訪問)

金王八幡宮となっていて、遺構はほとんどありません。 
ただ、周囲の道路は堀を埋めで敷設したものではないのでしょうか。

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牛若丸

遺構はほとんどありません (2021/02/03 訪問)

三嶋神社が跡地にあります。
遺構は土塁が残るくらいでしょうか。

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カルビン

勝手に第二次籠城企画 延長戦 [小荒間古戦場] (2016/01/01 訪問)

JR小海線甲斐小泉駅を降りて目と鼻の先に小荒間古戦場があります。

武田晴信が当時3500の兵で攻めこんで来た村上義清をこの地で撃退したとされる戦いなのですが、合戦が行われたとされる年代に???が付く曰く付きの場所です。

長坂町指定文化財となったのが1970年なのですが、当時は歴史的研究が甘かったのか・・・
合戦が行われたのが1540年となっているのですが、実は武田晴信が父・信虎を駿河に追いやったのが1541年とされておりまして
(=Д=;)

ま、晴信の手柄を認めたくない信虎が戦績を隠した可能性も無くは無いですが、海野口城の攻略戦が知られているからこっちだけ隠蔽したとは考えられず・・・
真相は如何に(笑)


道沿いに解説版と石碑があり、その奥の線路までのなだらかな斜面に巨石がいくつか存在し、信玄の「鞍掛石」「御座石」「遠見石」と、これでもかっ!ってくらい石に名前付けられてます(笑)
ま、20分もあれば余裕で全て見切れる程度の規模です。

駅自体が無人駅で、近くにはほぼ何も無い所ですが、そう遠く無い所に瀬沢古戦場が国道20号線沿いにあり(こっちも武田VS村上の古戦場だが、こちらは内容が曖昧)、他にもいくつか史跡が小規模ではありますがちょいちょいあるエリアなので、車で訪問してセットで見られると良いかも。
(電車の訪問は運行本数とここでの滞在時間等を考慮したほうが良いです。)


・・・感染下げ止まりどころかリバウンドし始めている今、緊急事態宣言再延長も結構な確率でありそう。。。みんな、今一度協力しあってもうひと頑張り自粛しませんか???

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にのまる

ぐるっと大宮 (2021/01/17 訪問)

この日の大宮周辺歩いて城巡りは4か所目のこちらで終了。
歩数も稼げて満足です。
ここから大宮駅に戻る途中の八幡神社の由緒に「金子駿河守がその居館である大成館の鎮護とするために自らの兜の八幡座の座金物を鎮めて八幡神を勧進」とありました(写真④⑤)。
「大成館」の文字を見つけて嬉しくなりました。こういう出会いもあるので道に迷うのも悪くないと思いました。

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hata

日本100名城 No,042 現存二ノ丸御殿、日本初の木造復元天守。掛川市民の熱意・心意気に感謝します。ありがとうございます。 (2011/07/24 訪問)

■100城の29城目(二回目の登城)【雲霧城】現存4御殿の3城目
☆二泊三日近畿城攻めの6城目(明石城→姫路城→竹田城→篠山城→二条城→掛川城)
【移動手段】車:滋賀県の比良から4.0時間
【駐車場】大手門駐車場(20分100円)
【スタンプ】二の丸御殿内(Good)
【天気】晴れ
【印象】☆☆ きれいに整備されています。木造での復元天守は良いですネ。山内一豊ですか。高知城と似ています。
【お土産】掛川茶
【昼食】途中の豊川でうなぎ!
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】現存御殿があっての掛川城でした。近畿城攻め第一弾が終了し、戻る途中に寄りました。町に活気がないのが残念。
【柴犬のクウ】何度来ても良いワン!

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hata

日本100名城 No,041 家康の隠居したお城なんですが、 (2011/07/10 訪問)

■100城の16城目(二回目の登城)【府中城】
☆東海道日帰り城攻めの1城目(駿府城→小田原城)
【移動手段】車:首都高速の初台南ランプから2.5時間
【駐車場】坤櫓近くの新中町ビル駐車場(20分100円)
【スタンプ】東御門前入場券売場○
【天気】快晴
【印象】☆ 遺構は石垣、堀のみ。駿府城という「格」からして、市民公園では残念です。復元も中途半端に思える。
【お土産】なし
【昼食】用宗港で桜海老としらすの冷製パスタ。海からの風が心地よいお店でした。
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】夏の登城は厳しいですね。猛暑日で二度目だったので早々に退散して次に向かいます。
【柴犬のクウ】広い公園で、楽しいが暑いワン!

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hata

日本100名城 No,040 他には例の少ない障子堀、畝堀が見応えありです。 (2011/07/03 訪問)

■100城の15城目(初登城)
☆関東3城日帰り城攻めの3城目ですが、急遽静岡に変更。(八王子城→甲府城→山中城)
【移動手段】車:八王子城から1.5時間
【移動手段】車:甲府から2.5時間(箱根の乙女峠越え、きつかった!)
【駐車場】山中城址茶店竹屋前駐車場(無料)
【スタンプ】17時30分、売店は営業終了でしたが、スタンプは壁に固定(ワイヤーでつないである)してあり無人でした△
【天気】曇り。
【印象】☆ 山岳コースのゴルフ場でホールを移動している感じ。畝堀は独特で、ここにしかないですね。
【お土産】なし
【夕食】なし
【同行者】姫、犬(柴)
【他】当初の予定では「小田原城」でしたが、特別展での延長入城時間17時30分に間に合わないと判断してこちらに登城。 甲府の気温は34℃でしたが、途中の峠で霧も出てきて気温は18℃でした。 現地にはパンフレットもなく、看板をみながらの1時間ほど探索です。1000円高速は終了していますが、帰りの東名高速はかなり渋滞し、3城廻り400km12時間でした。
【柴犬のクウ】ここは気持ちが良いワン!

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イシテル

開発された住宅地に残る城跡 (2021/03/13 訪問)

大阪のベッドタウンとして開発された住宅地の一角に今は本丸と南丸が残され緑地公園として整備されています。
但し、駐車場は無く、児童公園の前に車を停めて急いで廻りました。
児童公園の奥が緑地公園となっていて、曲輪跡を利用した市民の憩いの場となっています。

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イシテル

広い本丸と空堀が残る秀吉の三木城攻めゆかりの城 (2021/03/13 訪問)

単身赴任場所から帰省し、播磨(兵庫県)の城跡を廻りました。
道の駅「淡河」に車を停めると駐車場から「淡河城址」の表示と復元された櫓が見えます。
淡河川から引かれた水路を道の駅「淡河」と挟んだ小高い台地の上に本丸と天守台、空堀、土塁があり、天守台は稲荷社となっています。
本丸と天守台は、幅15m、深さ3~5mの堀で南側と西側を囲まれ、今は階段状に道が整備されている東側(道の駅側)も当時は断崖であったと想像、後ろ堅固の守りであったのでしょう。

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チェブ

土塁の使用方法。 (2021/01/02 訪問)

埼玉県八潮市の「西袋陣屋」でホッコリしました。

江戸時代、治水事業で活躍した伊奈 忠次さんの家臣、興津 良次さんの「西袋陣屋」です。
『興津』の名前が珍しいと思い、調べると静岡県に地名がありました。
今川 義元さんの家臣団の中に、興津氏の名前があったので、この辺りがルーツかな?
そうそう、静岡県には『今川さん』という、ゆるキャラがいました。左目には涙が!
涙の理由は『400年以上、世間からバカにされて悔しい』との事。
今川 義元さん、桶狭間の敗北イメージが強いですからね。
*「西袋陣屋」と『今川さん』は無関係です。毎度の事ですが、話が脱線しました。

興津 良次さんは、曽根を名乗り江戸に移り住みました。曽根になった理由は分かりません。

「西袋陣屋」は住宅街の中にある公園でした。
『西袋陣屋公園』の標柱の横に柵で堀跡が囲ってあります。
そことは離れてますが、民家と公園の間に水路があり、堀跡を再利用したようです。
公園内には土塁風の小山がありました。
本当に土塁跡かもしれませんが、チビッ子が一気に駆け上がれるか!と、遊んでいたから分からなくなりました。
遺構の土塁が残っていても嬉しいです。
でも、行政が子供達の遊び場として、小山を盛ったとも考えられ、それはそれで嬉しい、、、。

元気なチビッ子達のお陰で、ホッコリしました。

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hata

日本100名城 No,039 天守からの眺望は素晴らしいが…… (2011/06/12 訪問)

■100城の6城目(初登城・前回は大雨で下から見上げただけした)【稲葉山城】
☆1泊2日東海3名城塗りつぶし城攻めの2城目(名古屋城→岐阜城→岡崎城)
【移動手段】車
【駐車場】朝10時でしたが公営駐車場はすべて満車で困りました。気がつけば公園前にファミマとバーミアンが。
【スタンプ】岐阜城資料館△
【天気】曇り
【印象】☆ 絶景かな!
【お土産】なし
【昼食】なし
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】朝からロープウェイは満員電車状態。RCでの復元なのであまり期待しなかったが思ったよりよかったが、天守最上階に売店はいただけない。
ふもとでは大規模な発掘調査が実施されている。
登山人多し。ファミマで買い物をして岡崎に向かう。岐阜はいい土地ですね。またゆっくり来たいです。
【柴犬のクウ】ロープウェイにはだっこ出来るワンコは乗れるらしいが、俺(中型犬)はまた留守番。散歩したいワン!

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hata

日本100名城 No,038 六段壁の石垣は圧倒的です。 (2012/04/28 訪問)

■100城の51城目(初登城)三大山城の1城目
☆三泊三日東海塗りつぶし城攻めの1城目(岩村城→犬山城→長篠城)
【移動手段】車:自宅から山梨県北杜市の宿経由350km
【駐車場】岩村歴史資料館(無料)、出丸駐車場(無料) 
【スタンプ】岩村歴史資料館○
【天気】晴れ(気温28℃)
【印象】☆ 山城ですが出丸まで車でいけるので楽に廻れます。山の中にすばらしい石垣が残っています。
【お土産】なし
【食事】日本大正村の浪漫亭で味噌デミかつ丼△
【夕食】浜松市内でうなぎ(うな重の梅・2800円○)
【同行者】姫、犬(柴)
【他】夜19時30分、東京発で北杜市の宿に22時チェックインし、その足で日帰り温泉◎へ。
 翌日9時に諏訪市の高島城◎に到着し、桜吹雪の中を登城し恵那市に向かう。
 資料館で押印後、出丸前駐車場に車を止めて登城しました。
 復元櫓はもう少し時代感が必要かな?その後、大正村△から浜松城○し、宿へ。
【柴犬のクウ】ここは楽しいワン!

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T-Shionoya

騎西城訪問 (2004/05/04 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第5段は埼玉県加須市の騎西城。
忍城の後に寄ったため遅い時間となり、滞在時間は20分程度でした。

騎西城は利根川の氾濫原の、沼と微高地を利用したお城。
おそらく沼を拠点に古くから住居があり、室町中期には古河公方足利氏方と関東管領上杉氏方の境界線に位置したため、城としての強化が進んだと考えられています。

1400年代半ばから古河公方方の佐々木氏、室町末期には小田氏が城主となり、小田氏は成田氏と結びつき忍城の支城に。この頃に発掘調査で見つかった障子堀がつくられたのでしょうか?
家康が関東に入ると、松平康重、大久保氏が城主となった後、江戸初期に廃城となりました。

現在唯一の遺構である土塁は天神曲輪南側の土塁。
模擬天守が立つ場所は元々沼の中で、文化学習センター北の駐車場から住宅地にかけてが二ノ丸、その先に本丸があったようです。

今回、背景を調べるとおもしろみのある城でした。
しかし大手門跡や二の丸跡などの要所に標柱はあるものの、訪問して楽しむにはマニアックな城ですかね。

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にのまる

遺構はなくても。 (2021/01/17 訪問)

その土地の伝承を文字として記し、後世まで伝えていくことの尊さを感じました。
形あるものが消えてしまうのは必定だけれど、記憶のリレーは不可能ではない。

写真は地蔵堂です。

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橋吉

今川義元が最後に軍議を開いた城 (2021/03/03 訪問)

永禄3年5月18日(1560年6月11日)すなわち桶狭間の合戦の前夜、今川義元は前日に沓掛城に入り、(結果的に)最後の軍議を開きました。

現在は沓掛城址公園として整備されています。
10台くらいは駐められそうな駐車場があります。

侍屋敷→本丸→二の丸→諏訪曲輪と見学しても15分くらいでした。

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